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奇術・あいさつ・綱渡り 〜1953年のテレビ番組探検記〜
第1話 テレビの華・臨時番組

1 テレビ放送の原初形態

いまでこそテレビ局は何百もあって、地上波・衛星・ケーブルで様々な番組を提供していますが、そのスタートラインである1953年にはNHKと日本テレビしかありませんでした。NHKの開始が2月1日、日本テレビの開始が8月28日です。当時のテレビ番組について語るには本当はNHKと日本テレビの両方を調べなければならないのですが、それは結構面倒だというのと、いちおうCM史研究の一環(民放重視)ということで、ここでは開局初年の日本テレビに話題を絞ってみたいと思います。国会図書館に通ってルーペ片手にセコセコと新聞縮刷版を調べ、なんとなく傾向のようなものが見えました。民放テレビの素晴らしき原初形態を、ご紹介していきましょう。

2 臨時番組のすべて

基本的に日本テレビはお昼の12時に放送を開始し、2時でいったんお休み。夕方5時30分から再開して9時過ぎに終了です。この短い時間の中に様々な番組が盛り込まれたのですが、大雑把に言えば、番組は「定時番組」と「臨時番組」に分けることができます。定時番組とはいわゆるレギュラー番組のことで、いちおう月曜の昼から日曜の夜まで、レギュラーらしき番組はほぼ固まってはいました。ただし、当時の定時番組の半分以上は自社負担制作のもので(つまりスポンサーが付いていない)、気軽なのか、時間や曜日の変更がしょっちゅう行われました。また、当時のテレビ欄は番組名の代わりにその回のタイトルだけを書く習慣があり、なんの前触れもなくいきなり「位相差顕微鏡(11月12日)」とか「脳下垂体埋没療法(9月11日)」とかテレビ欄にポンと書いてあって、なんじゃそりゃという感じです。そういうわけで、いったいどれが、なんという名前の定時番組なのかを把握するのはけっこう骨が折れるのですが、ともかくも定時番組というものがプログラムの大半を占めていたことは事実です。

一方の臨時番組とは、定時番組の一部を押しのけて不定期に挿入される、スポーツや演劇などの「中継モノ」を指します。これにはほとんどの場合スポンサーが付き、また街頭テレビにおける圧倒的な人気プログラムでもあり、日本テレビとしてはドル箱的な存在でした。時には休止時間帯の2時から5時半のあいだも割いて、数々の伝説的中継番組が放映されました。下の表は、1953年のテレビ欄から臨時番組と思われるものを全てピックアップしたリストです。開始時刻はテレビ欄では12時制で表記されていましたが、分かりやすさを優先して24時制に改めています。

開始時 内容
8 28 19:45 帝劇中継「ニューヨーク幻想曲」
8 29 19:00 プロ野球 巨人対阪神
8 30 17:00 プロ野球 巨人対阪神
9 3 12:00 街頭テレビ・上野動物園内
9 5 13:25 帝劇中継「パリはいつも歌う」
9 6 17:00 プロ野球 大映対東急
9 10 12:00 街頭テレビ・アメリカンカーニバル
9 12 14:05 アメリカン・ホリディ・オン・アイスショウ
9 13 16:00 プロ野球 名古屋対巨人
9 16 20:15 アメリカン・ホリディ・オン・アイスショウ第2部
9 18 20:00 アメリカン・ホリディ・オン・アイスショウ
9 19   14:30 大相撲秋場所中継(10/3まで毎日)
9 21 13:30 東京6大学 法明、早立
10 4 14:15 ラグビー ケンブリッジ対全日本
10 12 11:00 皇太子殿下御帰国実況
15:00 日本ワールドシリーズ 巨人対南海
10 13 13:15 日本シリーズ
10 16 13:20 日本シリーズ
20:00 アメリカン・ホリディ・オン・アイスショウ中継
10 17 13:30 日米野球 NYジャイアンツ対巨人
10 18 13:45 日米野球 NYジャイアンツ対全セ
10 19 13:45 日米野球 NYジャイアンツ対全日本
10 23 13:30 日米野球 アメリカ・オールスターズ対毎日オリオンズ
10 24 13:45 日米野球 全米オールスターズ対全パシフィック
10 25 13:45 日米野球 アメリカ全スター対全パシフィック
10 27 19:45 ボクシング世界フライ級選手権 白井義男対テリー・アレン
10 31 13:45 日米野球 NYジャイアンツ対読売巨人軍
11 1 13:45 日米野球 NYジャイアンツ対全セントラル
11 2 14:30 新橋演舞場中継「東おどり」
11 3 13:45 日米野球 米オールスターズ対全パシフィック
11 4 13:45 日米野球 オールスターズ対全日本
11 6 19:30 サビア・クガー・ショウ(国際劇場中継)
11 8 15:00 全日本剣道選手権大会中継(蔵前国技館)
11 15 13:50 天皇賞レース(競馬)
11 17 14:30 船橋オートレース中継
11 19 19:45 サビア・クガー・ショウ(国際劇場中継)
11 22 13:00 明治座中継「女将」
11 23 14:20 後楽園競輪実況中継
11 26 13:00 新橋演舞場中継「井上流・京舞の会」
11 27 14:20 船橋競馬中継
11 29 14:20 サッカー試合 ユールゴルデン対全日本
11 30 13:10 第十八回国会開会式実況放送
12 2 13:00 歌舞伎座中継「舞踊百扇会」
12 6 14:20 早明ラグビー中継
12 10 14:00 船橋オートレース実況中継
12 11 14:00 船橋オートレース実況中継
12 17 19:45 ボクシング実況 ロッキー・マルシアノ(両国国技館)
12 20 19:20 新宿松竹劇場中継「魅惑のドラム」
12 22 20:30 アームストロング楽団公園(アーニーパイル劇場中継)
12 31 17:00 子供忘年会(読売ホール中継)
19:45 歌う1953年(読売ホール中継)

帝劇中継(8/28、9/5)

記念すべき第一回目の中継番組は、開局日の帝国劇場中継「ニューヨーク幻想曲」です。出演者には天城月江・黒木ひかる・神代錦とあり、宝塚歌劇団の作品であることが分かります。9/5にも帝劇中継「パリはいつも歌う」がありますが、こちらも同じく宝塚で、深緑夏子・東郷晴子・宇治かほるの出演となっています。検索しても該当するタイトルはありませんが、どうやら「シャンソン・ド・パリ」という作品がこれにあたるようです。

プロ野球中継(8/29、8/30、9/6、9/13)

読売巨人軍の後楽園での試合中継は、日本テレビの切り札的存在でした。早速、開局2日目から「巨人-阪神」戦が中継されています。ただし、NHKが先んじてプロ野球や高校野球を中継していたので、喫茶店や電気店ですでに体験ずみの人は多かったでしょう。その後、9/6に「大映-東急」戦も中継されています。この選択はおそらく、東急フライヤーズ(現在の日ハム)の本拠地が同じく後楽園だったのが理由でしょう。

街頭テレビ(9/3、9/10)

9/3の「街頭テレビ・上野動物園内」と、9/10の「街頭テレビ・アメリカンカーニバル」って、いったい何でしょう。「上野動物園内」のほうは不明ですが、もう一方の「アメリカン・カーニバル」は、ふとしたきっかけからかなり詳しい内容を知ることができました。

2002年3月、東京国立近代美術館フィルムセンターに記録映画特集を見に行ったところ、そこで『子供の天国・アメリカンカーニバル』(1953)なる1本を発見。どっかで聞いたことのある響きだなと思いつつ映画を見ると、それは、アメリカから輸入したアトラクションで構成された、即席遊園地の風景でした。会場は子供づれで大にぎわい。と、画面上にいきなり日本テレビの中継カメラとカメラマンの姿が!ナレーションが「日本テレビも中継に来ています」と語り、たたみかけるようにどこかの電気屋のテレビに映るアメリカン・カーニバル!これかー、と思わず膝を打ちました。会場のいたるところに森永の看板があったので、恐らく森永がスポンサーになって中継されたものと思われます。

それから1年後、毎日新聞の縮刷版を調べていたら、このイベントが後楽園で行われていたことを知る。さらに、10/20(火)の1時15分から、日本テレビで映画『子供の天国』が放映されたことも分かりました。しかし、どういう思い入れの強さから、わざわざ中継も映画撮影も行ったのかは分かりません。余談ですが、映画を見ると会場は本当に子供でいっぱいです。この日は平日なのでは・・・?

アメリカン・ホリディ・オン・アイスショウ(9/12,16,18, 10/16)

9月12、16、18日と10月16日に「アメリカン・ホリディ・オン・アイスショウ」という番組があります。これは、1951年オープンの後楽園アイスパレスで行われた、アメリカのアイスショーチームの興行を中継したものです。どんなショウだったんだろうとインターネットでいろいろ調べてみると、古書データベースに「アメリカン・ホリディ・オン・アイス パンフレット」(¥3000)というのを発見。出版社には「読売新聞・広島復興協会主催」とあり、発行は1956年です。早速、売りに出していた千葉県柏市の古書店まで買いに行きました。

中身を読むと、「前回公演」とか「先年はじめて日本を訪れ」などと書いてあって、2回目の来日であることが分かります。つまりテレビ中継された1953年が初来日だったんですね。読売新聞側の純益は、広島復興協会に全額寄付されたようです。

内容はいわゆる普通のアイスショウですが、今日のアイスショウよりも見世物的要素が強く、奇抜な衣装やぬいぐるみを身に付けたり、「竹馬スケーティング」的なサーカスまがいの演目までいろいろです。リンク上に大道具を持ち込んで、大掛かりなセットを組む演目もあったようです。

大相撲秋場所(9/19-10/3)

なんといっても、初期の中継番組を代表する存在は森永製菓提供の「大相撲中継」でしょう。NHKも中継を行っていたので、場所中のテレビは相撲に占拠されていたと言えます。当時の相撲人気はかなりのもので、力士が子供たちのアイドルだった時代。人気も相当だったようです。ちなみにこの頃は初・春・夏・秋の年間4場所制です。この場所の優勝者は高砂部屋の横綱・東富士で、14勝1敗でした。

皇太子殿下御帰国実況(10/12)

皇太子の外遊は半年に及びました。同年の3月30日に横浜港を出航し(NHKテレビが初のマイクロ波中継を行いました)、6月2日ロンドンでのエリザベス女王戴冠式に出席、その後ヨーロッパ各国を回ってこの日に帰国となりました。新聞各紙も1面トップです。

日本シリーズ(10/12、10/13、10/16)

この年のシリーズは3年連続で巨人対南海の組み合わせとなり、4勝2敗1分で巨人が3連覇を果たしました。放送があった12、13、16日はいずれも後楽園での試合で、12日は2-2の引き分け、13日は3-0で巨人、16日は4-2で巨人が勝ち、この日に優勝を決めました。いい絵は撮れたでしょうか。

ところで、12日の読売テレビ欄は、日本シリーズを「日本ワールドシリーズ」と表現しています。これはもちろん、直後に開催される日米野球を強く意識してのことでしょうが、それ以上に、正力氏は日米頂上決戦を生涯の夢として持っていたようで(参考:ロバート・ホワイティング『菊とバット』)、その夢の現れと考えると非常に味わい深いものがあります。

日米野球(10/17-11/4)

10月後半から11月にかけて、メジャーリーグとの招待試合に大幅な時間が割かれています。この年はニューヨーク・ジャイアンツとメジャーリーグ選抜の2チームが来日し、ジャイアンツが12勝1敗1分、メジャー選抜が11勝1敗の成績でした。ニッポン惨敗。メジャー選抜の監督は選手兼のジョー・ディマジオでした。当時の新聞では連日のようにスポーツ面以外でも特集され、関心の高さがうかがえます。しかし日本は負けに負けて、テレビ放映もされた11/4の最終戦などは、9本のホームランを打たれて2-16で負けています。聴衆は、悔しさというよりもむしろ「すげえなぁ・・・」という気持ちでいっぱいだったのではないかと推察します。

余談ですが、読売のテレビ欄には「日米野球 米オールスターズ対全パシフィック(江本) 後楽園球場」のように書かれています。(江本)ってしょっちゅう出てくるけどいったい何だろうとずいぶん考えたのですが、あるとき「船橋競馬中継(佐土)」という記述を見つけてピンときました。これは多分、実況アナウンサーの名前です。2002年9月20日に日テレOBへのインタビューを行ったとき、この件を聞いてみたら、やはり江本・佐土両氏はアナウンサーでした。カッコとは、面白い表記法ですよね。

読売テレビ欄でもうひとつ。メジャー選抜の表記が、なぜか毎回違う。あまりに面白いので、上記の一覧表でもそのまま採用してみました。アメリカ・オールスターズ、全米オールスターズ、アメリカ全スター、米オールスターズ、オールスターズと、意地でも毎回代えているような感じ。テレビ欄を見る限りスペースの問題ではないように見受けますが、どうにも謎です。

白井義男対テリー・アレン(10/27)

「街頭テレビに群がる人々」というのは当時のテレビ視聴を象徴する風景ですが、その最初のハイライトといえるのが「白井義男対テリー・アレン」のボクシング世界タイトル戦です。平日の夜だったこともあり、通勤帰りの大量の通行人を巻き込んで凄まじいことになりました。当日の雰囲気については、データページの「日本最古のCMウォッチング」を参照ください。

白井義男は日本人初の世界チャンピオンで、古橋広之進や力道山と同じようなヒーロー性を持った人です。この試合は3度目の防衛戦にあたり、全国向けにNHK第2ラジオでも実況されたようですが、やはり首都圏でのテレビの人気はすごかったようです。試合のほうは15ラウンド判定で無事白井が勝って、提供のアサヒビールはさぞかし満足だったことでしょう。

全日本剣道選手権大会(11/8)

なんとこれ、第1回大会なんです。戦後しばらくは、剣道・武道がGHQにより禁止されていました。1952年に全日本剣道連盟が発足して、ようやく剣道が復興します。そんな感激の復活大会を、日本テレビは中継したというわけです。会場は蔵前国技館でした。

船橋オートレース(11/17、12/10、12/11) 競馬・天皇賞(11/15)、後楽園競輪(11/23)、船橋競馬(11/27)

オートレース・競輪・競馬などの公営ギャンブルもさっそく中継されています。特に船橋オートの中継が3回入っているのが面白い。船橋オートレースは1950年に始まった日本初の公営オートレースで、船橋競馬場の馬場中央部にサーキットが設営されていたそうです。そういわれれば確かに周回レースというのはテレビ映えしますね。でも、場外券売場が今ほど発達していなかった時代、馬券・車券は会場で買うものです。むしろ見て楽しむ目的で中継したのではないでしょうか。競馬の天皇賞はNHKも中継し、クインナルビーという馬が優勝しました。

サビア・クガー・ショウ(11/6、11/19)

サビア・クガー(サビア・クガート)はラテン系音楽を得意とする楽団のマスターで、1930年代からアメリカで活躍していたようです。11/2の毎日夕刊に広告が載っていて、「3-9日迄夜二回クガートショウ!5時と7時半」とあり、クガートの顔写真が載っています。ん、9日まで・・・?じゃあ19日の放送はナンだ?

劇場中継 新橋演舞場・明治座・歌舞伎座・松竹劇場

新聞のプレイガイド欄を見ればある程度具体的なことが分かるかと思ったんですが、分かったのは、11/2の新橋演舞場中継「東おどり」の提供が八欧電気だったことくらいでした。「本日放送!」という広告が載っていたのです。しかし、その広告には「15時30分から16時55分放送」とあって、テレビ欄にある開始時間の14時30分とは、1時間もずれてますね。いい加減・・・。

サッカー試合 ユールゴルデン対日本(11/29)

「ユールゴルデン」はたぶん、スウェーデンの強豪クラブチーム"Djurgardens"であろうと思います。「ユールゴルデン」で検索してもヒットせず、随分悩みましたが、どうやら近年の日本語表記は「ユールゴーデン」のようです。

この試合は神宮競技場で行われ、NHKも同時に中継しています。試合結果は9-1でした。新聞スポーツ面によれば、最後の10分間にたてつづけに5ゴールを奪われたとのことです・・・。ユールゴーデンの来日は親善目的で、これ以前に2試合行っていたのですが、5-1、1-0とイマイチ精彩を欠いていました。最後の最後になって、ようやく本気を出したということでしょうか。ちなみに、アイスホッケーのユールゴーデンも一緒に来日して、1試合を行いました。

第十八回国会開会式実況放送(11/30)

日本で初めての、本格的な国会中継です。担当したのは、テレビドキュメンタリー界の巨匠・牛山純一。牛山氏は翌年、『特集第十九国会』という番組を制作して、空前の乱闘国会をフィルムに記録、ドキュメンタリーの世界に足を踏み入れることになります。これはその静かなる序章。

ボクシング実況 ロッキー・マルシアノ

ロッキー・マルシアノは伝説のヘビー級チャンピオンで、49戦49勝43KO。引き分けなしの無敗でリングを降りた伝説のボクサーだそうです。1952年9月にチャンピオンになり、極東将校を慰問する旅の途中で来日。両国国技館で、黒人選手相手に4ラウンドのエキシビジョン・マッチを行いました。

アームストロング楽団公演(アーニーパイル劇場)

これはもちろん、ルイ・アームストロングの楽団、通称サッチモ・オールスターズのことです。ルイ・アームストロングはこのときが初来日で、折からのジャズ・ブームは頂点に達しました。アーニーパイル劇場とは東京宝塚劇場のことで、1945年12月に米軍の接収を受けてから1955年の返還まで、この名称が用いられていたようです。今と同じく有楽町にありました。アーニーパイルとはおそらく、沖縄戦で戦死したアメリカ人ジャーナリストの名前だと思います。

3 まとめ

そんなわけで、1953年の臨時番組を眺めてきました。翌1954年からは、伝説の臨時番組「プロレス中継」が始まり(後に半定時番組化)、街頭テレビと臨時番組は一気に花開きます。定時番組が番組作りの技術とノウハウを醸成する場だったとすれば、臨時番組は、テレビの社会的地位と人気を醸成する場だったと言うことができます。そして、テレビにおけるスポンサーシップの基礎を築いたのも臨時番組でした。臨時番組は、今日のテレビ文化・テレビ産業の原点なのです。


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