1950年4月5日、アグネッタ・ホルツコグはスウェーデン中部のヨンコピンという都市で誕生した。父親は地元の芸能プロダクションを経営しており、まさにアグネッタは音楽ビジネスの世界で生きていくには、非常にラッキーな星の元に生まれたと言っていいだろう。彼女は6歳の頃にステージで歌いだし、その後、ピアノや作曲を学び、稀にみる才能に磨きをかけていった。

 17歳の頃、彼女は初めて失恋を経験しているが、そのつらい思いをこめて作曲した「アイ・ワズ・ソー・イン・ラヴ」がタレント・スカウトの耳に止まり、ついにCBSスウェーデンとの契約にこぎつけたのである。CBSの重役であったゲルハルトはアグネッタの才能に驚き、ただちにストックホルムに来るよう促したが、まだ子供の影を残していたアグネッタを見送る母親は、本当に大丈夫なのか気が気でなかったらしい。しかし、アグネッタ自身は2度と来ないかもしれないこのチャンスに飛びつかずにはいられなかった。ストックホルムに来て初めてレコーディングを経験したアグネッタは、当時を振りかえって言う。「物凄く緊張していたわ。自分が書いた曲を有名なミュージシャン達が演奏してくれるなんて、本当に足が地に着いていない感じだったの」

 そして、1968年初期に発売となったファーストシングル「アイ・ワズ・ソー・イン・ラヴ」は、見事にスウェーデンチャートの一位に輝き、それまで電話交換手の仕事をしていたアグネッタの夢は、実にあっけなく叶えられたのである。その後も追い風は吹き続き、「ウィズアウト・ユー」と「イフ・ティアーズ・ワー・ゴールド」の2曲も立て続けにヒットを収め、一躍、彼女はスウェーデン屈指の国民的アイドル歌手として認知されたのである。又この頃アグネッタは、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のヒロイン役に抜擢され、大変な好評を博している。まさしく時の人となったアグネッタには、テレビ出演の依頼が殺到し、ハードなスケジュールに追われることになるのだが、この過程で彼女は運命的な出合いをすることになる。当時やはり、国内人気ナンバーワンのフォーク・グループだったフーテナニー・シンガーズのリーダー格、ビヨルン・ウルバースその人である。テレビ番組で初共演した二人は、音楽的にも、人間的も引き合い(正確にはビヨルンの一目惚れなのだが)、急速に親交を深めていく。しかし、この出会いが今以上の名声と、世界的な大成功をもたらす出会いになろうとは、この時、知る由もなかっただろう。


注意1)この文は【原書】ABBA(Harry Edgington and Peter Himmelstrand著)【訳書】アバ世界の恋人たち(山本沙由理訳)及び、かまち 潤さんのアバ年表を参考文献として書かれたものです。

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