1976年。この頃になるともうアバは、スウェーデン国内、いやヨーロッパにおいて、まさしく英雄的な存在になっていた。ヨーロッパ各国のテレビ局からは出演依頼が殺到、スティグも快くこの依頼を引き受けていった。イギリス、ドイツ、オランダ、ポーランド、ヨーロッパ以外ではオーストラリアという具合に。特にオーストラリアではアバマニアと言われる人種が出現!昼夜問わず1日中、アバの音楽が聞こえてくるという異常事態が起きていた。アバもその熱狂に答えるべく、初のオーストラリア公演を実地している。かつて、これほどまでにオーストラリア人がスウェーデン人に注目したことがあったのか?オーストラリア人にとってアバは最も愛された外国人なのかも知れない。

 もしかしてこの年、これほどまでに人気のボルテージが上がったのもこの曲の存在があったからなのかも知れない。そう、アバのというより70年代を代表する屈指の名曲「ダンシング・クイーン」が発表された年なのだ。この曲は、この年の6月に行われたスウェーデン国王、カール・グスタフ16世と現在のシルビア王妃との婚礼の場で初演奏された。この世にも美しい曲は誰しもが、ロイヤル・ウエディングの為に書かれたものであるというのは疑いのない事であったが、実はアバは、前年のクリスマスにレコーディングを初めているのだ。つまり、この頃においては国王の婚礼の話はまだ出ておらず、純粋なアバのオリジナル作品なのである。この曲のシングルの発売日を6月以降に延ばしたのは、スティグの生きなはからいだったとも言える。彼等の最高傑作とも言えるこの曲を全世界が見守るロイヤル・ウエディングの場において発表する。想像だがこれが真実ならば、スティグは最高のファイン・プレーをしたことになるだろう。この曲の印象についてフリーダが語る。「初めて聴いた時は、まだ楽器のトラックしか出来ていなかったの、でも歌も入っていないのになんとも言えない美しい曲だったわ。恥ずかしいけどその場で泣いてしまったの。あんな経験はもう二度とないでしょうね」確かにこの曲には、彼等の考える音楽の理想のようなものが表現されている。どこを取ってみても美しく印象深いメロディライン、(名曲は星の数ほどあるが、イントロだけでこれほどインパクトのある曲もめずらしい)重厚なコーラス、軽快なリズムセクション、天に突き抜けるようなアグネッタのハイトーンボイス、全てがアバのオリジナルサウンドであり、どんなに凄いと言われたアーティストがこの曲をプレーしても、オリジナルの素晴しさを超えることはまず不可能なことだ。ロイヤル・ウエディング後のアバに対する反響は凄まじく、その後に発売されたこの曲が、世界中のヒット・チャートでナンバーワンに輝くのは誰の目にも明らかだった。なにより彼等が歓喜したのは、音楽輸出大国であるアメリカでナンバーワンを獲得したことだろう。ヨーロッパ(ソビエト共産党支配下にあった東側ヨーロッパも含む)、オセアニア、アフリカ、アジアの一部を完全に手中に収めていたアバはついに、念願であるアメリカ征服にも成功したのだ。考えてみればこれは、スウェーデンという今まで音楽的なスポットを浴びたことのない国が、ようやく音楽の先進国として世界に認知されたことを意味するのだ。今でこそ、ロクセット、エース・オブ・ベース、メイヤなどの世界的な人気を手にしたスウェーデン人アーティストが活躍しているが、この時代にアバが生まれていなければ彼等は元より、スウェーディッシュ・ポップスなどという言葉すら生まれていないのだ。この年には「ダンシング・クイーン」の他にも、「ノウイング・ミー・ノウイング・ユー」、「マネー・マネー・マネー」などのスタンダードナンバーになるヒット曲も生まれており、これらの曲を収めたアルバム「アライバル」こそが、アバの最高傑作アルバムだと主張するファンも多い。又当時、アルバムに収められなかった曲「フェルナンド」も大ヒットを記録している。

 1977年。シングル「きらめきの序曲」が大ヒットを記録。(後に発売のアルバム、「ジ・アルバム」に収録)立て続けのヒットパレードに世界各国の音楽紙は、アバ一色というほど活気に溢れていた。これらの音楽紙はアバに数々の賞を与え、彼等がポップスの王坐に君臨したことは、誰の目にも明らかなことだった。又この年、マネージャーのスティグ・アンダーソンは、アバのコンサートツアーの様子をドキュメンタリータッチの映画として制作することを思いつく。「映像とアバは切っても切れないほど重要なものだ。商業的にも必ず成功を収めるだろう」とスティグは自信満々だった。事実、1977年〜1978年に公開された「アバ・ザ・ムービー」は、音楽アーティストとの記録映画としては、異例なほどの成功を収めることになる。内容は、オーストラリアで行われた野外コンサートの模様と、なんとかアバにインタビューをしたいドジなリポーターの話しであるが、彼らの宿泊していたシドニーのホテルに20万人近くものファンが殺到している映像などを見ると、彼らの人気がただものではなかった事がよく分かる。余談だが、この時の舞台となったオーストラリア・ツアーの熱気についてアグネッタは、「ビヨルン達はかなりハイになっていたけど、私には恐怖そのものだったわ」と答えている。

 1978年。イギリスを訪れたアバはその活躍を称えられ、マーガレット王女からカール・アラン・グループ賞を与えられている。すでに発売されたアルバム「アライバル」は、共産主義国家でも異例なほどのセールスを挙げ、映画「アバ・ザ・ムービー」もチケットをめぐり暴動が起こるなど異常な事態が起こっていた。当時のソビエト共産党がアバの音楽に寛容だったのは、その歌詞の内容が思想的なものをいっさい含んでいなかったことと、スウェーデンという国が、西側の中でも社会主義的な政策をとっていた為だったと思われる。ヒット曲の「マネー・マネー・マネー」などは、「資本主義の堕落をよく現わした曲である」などと、むしろ彼等を、アンチ資本主義者ように紹介していた節がある。だが、一般大衆の方はそんなことには関係なく、純粋な気持ちでアバの作りだすポップスファンタジーを堪能していたことには間違いない。そんな中、東側の中で最もアバに熱狂的だったポーランドなどは、彼等が国営テレビに出演することが決まるやいなや、チャーター便でアバを出向かえにいくなどの大歓迎ぶりを示した。なにより凄い話しは、ポーランドでアバのレコードがあまりにも品薄になる為、スウェーデンとの間において、石油とアバのレコードで交換貿易の契約を交すという信じられないような出来事が起こっている。又、彼等はデビュー4年にして、世界50っか国で2億5千万牧という巨大なレコード・セールス(カーペンターズとピンクフロイドをたしてもかなわないのだ)を挙げているが、これは実に、スウェーデンの国産車ボルボの一年間の総売上を超えてしまっていたのだ。考えてみてほしい、車1台とレコード1枚の価格差を比較すれば、これはただごとではないことが分かるはずだろう。このことから、彼等がスウェーデンにおいて所得ナンバーワンになったのは誰もが想像できることであった。しかし、無類の税金大国スウェーデンの政府にとってアバは、一つの巨大産業であり、1992年発売のベスト・アルバムに付けられたタイトル名「アバ・ゴールド」とは、まさしくアバの奇蹟ともいえる活躍から名付けられたものなのだ。

 この年、アバは「ジ・アルバム」を発表。このアルバムは、イギリス、その他のヨーロッパ各国でナンバーワンを獲得。又、アバのオリジナル・アルバムの中では、アメリカのビルボード誌で最高位をマークしたアルバムとなった。シングルカットされた「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」もアメリカで、「ダシング・クイーン」に次ぐヒット・ナンバーとなった。(全米3位)その他、このアルバムには、「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」や「イーグル」のような、コンサートではかかせないアバのスタンダード・ナンバーが多数収められている。特に、アバのテーマ曲と呼ばれるようになった「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」は、その完成度からカーペンターズがカヴァーする予定だったのだが、リチャードがオリジナルの出来に圧倒されてしまい(言い換えるなら、アレンジしようがない)、アルバムに収録することを断念してしまったといういきさつがあるのだ(実際にレコーディングはされている)。その他の出来事といえば、ベニーとフリーダがついに結婚した事と、テレビ番組、オリビア・ニュートン・ジョン・ショーにアバが出演した事だろう。ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した者同士の再会だが、お互い相手をどう思っていたかは興味のある話しである。ヨーロッパ本土で見ればアバの知名度の方が高かったかもしれないが、アメリカにおいては、グラミー賞を受賞したり、ハリウッドなどに進出していたオリビアの方が一歩リードしていたのには間違いない。あと忘れてはいけないのが、ポーラー・ミュージックがアバの為に、ヨーロッパ最大のレコーディングスタジオを建設した事だ。レコード会社が一つのアーティストの為に、これ程巨大なスタジオを建設するなどとは、過去に前例のないことだった(余談だが、1979年にこのスタジオで、ロックバンド、レッド・ツェッペリンが「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」を録音しているが、このアルバムがヒット・チャートにおいて、アバを苦しめたのは、なんとも皮肉なことだった)。


注意1)この文は【原書】ABBA(Harry Edgington and Peter Himmelstrand著)【訳書】アバ世界の恋人たち(山本沙由理訳)及び、かまち 潤さんのアバ年表を参考文献として書かれたものです。

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