さて、その後のメンバーの活動はどうなったか?アグネッタとフリーダは、数枚のソロアルバムを発表。アグネッタのソロアルバム「アイズ・オブ・ウーマン」には、ジョン・ウエットン(エイジア)、ジェフ・リン(ELO)、ジャスティン・ヘイワード(ムーディー・ブルース)など、ロック界の多御所達が曲を提供し(ロック界にアバファンが多いのは周知の事実である)、1986年にはシカゴのピーター・セテラとのデュエット曲「アイ・ワズント・ザ・ワン」が全米で大ヒットをしている。フリーダの方も、プロデューサーにフィル・コリンズ迎かえ入れるなど、積極的なプロモーション活動を展開。さすがに、アバほどの成功は収められなかったが、それは充分に承知の事であったろう。一方、ビヨルンとベニーは、ティム・ライスと念願のミュージカル「チェス」を完成させ、1984年にリリースされたサウンド・トラックの中から「アイ・ノー・ヒム・ソー・ウェル」(全英第1位)、「ワン・ナイト・イン・バンコック」(全米第2位)というビッグ・ヒットを記録している。


 1990年代。さすがに彼等の名が表に出ることは少なくなったが、おそらく、アバファンにも、メンバーの4人にも予想もつかなかった出来事が起こる。それは、イギリスのポップス・グループ、イレイジャーの出した「アバ・エスク」というカヴァー・アルバムが、イギリス・チャートでナンバーワン・アルバムとなってしまったのだ。この予想もつかなかったアバへのラブコールに、ポリドールは1992年、アバのベスト・アルバム「アバ・ゴールド」の発売に踏み切る。驚くことなかれ、このアルバムはイギリスを含むヨーロッパ各国、オーストラリアで見事に1位に輝き(1999年現在までこのアルバムは、世界各国で2000万牧を売り上げている)、その後も「モア・アバ・ゴールド」、「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」などのベスト・アルバムを次々に発売し、全てが商業的な成功を収めていく。このことは、世界中のアバファンが彼等の復活を心から待ち望んでいることの証になった。だが、後のインタビュー発言を見れば、彼等が4人揃って舞台に上がる可能性はほとんどなくなったと言っていいだろう。なによりヨーロッパの企業体が1100億円!の再結成話をメンバーに断られたのは決定的な話だった。しかし、私は悲観していない。それは、アバの作り出した音楽が2000年以降も我々の中で、輝きをなくす事なく生き続けるということは断言できるのだから。最後に、アバの音楽に出会えたことを神に感謝して終わりたいと思う。


注意1)この文は【原書】ABBA(Harry Edgington and Peter Himmelstrand著)【訳書】アバ世界の恋人たち(山本沙由理訳)及び、かまち 潤さんのアバ年表を参考文献として書かれたものです。

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