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愛知県三河山麓 4




岡崎市のシカの角

2015/01/10
田中利雄


シカの角
シカの角

 岡崎市の保母町にある僕の実家は、昔は、藁葺きの屋根でした。十年ぐらい毎に、屋根の葺き替えをしていました。その時のために、藁を大きく縛って、天井裏に貯めていきました。

 藁の束を天井裏に持ちあげるためには、天井裏に登った人が、ロープの先にシカの角を縛りつけたものを、下に下ろします。下では、その下りてきたロープの角の二股になっている長い方を握って、短い方の角の先を藁束の絞め縄に引っかけます。そして、上の人がロープを引き上げ、藁束を受け取ります。

 そのために使うシカの角は、スベスベに磨かれていて、ツヤツヤと光っていました。普段、使わないときには、屋根裏に置いてありました。

 ところが、戦後しばらくして、瓦屋根に造り替えました。その時から、かのシカの角は行方不明になってしまいました。

 このことを昨年の10月頃に家内に話しておりました。その折には、シカの狩猟の解禁日は11月15日で、11月中に捕れたシカの肉は美味いが、12月末の肉は少し味が落ちる。それはメスをメグっての闘争や交尾があるからだろう、と思われてきました。

 ところで。僕の叔父さんは、明大寺町で子牛を育てて売るという仕事をしていましたが、牛の放牧場の外周にポプラ並木植えていたのが、伊勢湾台風のために全部倒れてしまいました。樹木の根張りは。その木の枝先まで、だそうです。

 原産地の中国北部の台風の来ない土地ではすくすくと育つのですが、日本ではそのような季候の土地はありません。同じ日に、安城市のデンソウの工場へ続く田園地帯の道の両側に並んでいたポプラも、すっかり倒れてしまいました。

 この叔父さんが、やがて、保母町の北東の山裾に、小さな牧場を作ったのです。「あの土地は、サルが出る、クマが出る、シカが出る、あそこで会議をしている」と言ってぼやいておりましたが、数年前に亡くなってしまいました。そのあとで、その牧場でシカの角を数本拾っていたと聞いたのです。家内と話しあって、年末になったら、牧場跡へシカの角探しに行ってみよう、という事になり、12月15日に行きました。ところが、その場所は、笹が一面に蔓延っていて、シカの角は、たとえ有っても笹の中では見つかりません。結局その日は、旦那寺にお詣りし、墓地の花を替えて帰りました。

 その数日後のことです。家内が教わっていたお花の先生から頂いていた「十二節・七十二侯 歳時記カレンダー」を読むように見ていましたら、12月27日から4、5日は、「糜角解」(びかくげす)という侯であると書いてありました。やっぱり、この頃にシカの角は落ちるのだと判り、喜びあいました。

 さて、年が明けて数日後のことです。僕の実家を貸していた人から、家内の妹を通じて、保母の実家の納屋に、シカの角が1本有るので持って行きますという、メールが届きました。それが、写真のモノです。角の先は2ヵ所欠けており、全体に白色に変色しております。「何年前の角でしょうか?」うーん、野晒しになっていたのだから、案外新しいものかもしれないし、返事に詰まりました。

 これは、多分、叔父さんが生前に、納屋に置いてくれたものでしょう。


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