とうきび
唐黍

 味覚の秋です。時節柄、食べ物ネタでいきましょうってことで、今回は唐黍。
 国語辞典を引きますと、

【唐黍】
 ○トウモロコシのこと
 ○モロコシのこと
とあります。
 「唐土」と書いて「モロコシ」と読みますが(勿論、トウドと読んでも構いませんが・・・)、「唐黍」がさすモロコシは、唐土の事ではありません。漢字を当てると「蜀黍」です。「蜀」も日本では中国あるいは大陸を表す文字のひとつでありましたから、どの道中国ゆかりのコトバであることは同じですね。

 で、トウキビというと、今はほとんど「トウモロコシ」のことをさすようなカンジがします。「モロコシ」は私たちの生活にあんまりなじみがないせいでしょう。
 「モロコシってトウモロコシの省略形じゃないの〜?」という方もいらっしゃるかも知れません。日常会話で、実際そのつもりで「モロコシ」の語を使っている方もいる・・・かな?
 植物の分類上、「トウモロコシ」と「モロコシ」は別のものです。両方ともイネ科の植物で、穂をつけた状態では見た目もそっくりですが、「トウモロコシ」はトウモロコシ属であり、「モロコシ」はソルガム属です。前者はペルー原産、後者はアフリカ原産。両方とも食用・飼料として栽培されます。モロコシの実はトウモロコシと比べると随分小さいです。著名な中国酒のひとつであるコーリャン酒の原料である「高粱」は、モロコシの中国語の呼び方です。

 モロコシもトウモロコシも、天正年間のほぼ同時期にヨーロッパ経由、いわゆる「南蛮貿易」ルートで日本に渡ってきました。「モロコシ」は『和漢三才図会』(※1)では穀類に分類され、「蜀黍、俗に唐黍という」と書かれています。
 「トウモロコシ」については、モロコシの「唐黍」と区別して「南蛮黍」とも呼ばれましたが、両者の区別は厳密ではなく、天正年間にやってきた外来の黍のような植物、というカタチで受け入れられ、ひっくるめて「唐黍」と呼ばれていたようです。ただし、トウモロコシより土質を選ばず、気候変化にも強いモロコシの方が、早く日本全土に広まったのでしょう。
 江戸時代の人々にとって一般的だったのはモロコシの方で、キビやアワやヒエなどとともに雑穀として扱われていました。あるいは、甘みの強い品種を(サトウモロコシというのがあります)飴の材料として利用していたようです。トウモロコシも渡来当初は、今我々が目にするようなものではなくて、見た目にモロコシとの差異はあまりなかったようです。”ピーターコーン”ですとか、”ハニーバンタム”といった焼いたりゆでたりしてそのまま丸かじり!という大ぶりの実をつけるタイプのトウモロコシが園芸品種として改良されたのは比較的新しい話です。

 少々脱線しますが、「唐黍」が名前をいただいたキビもやっぱりイネ科の植物です。こちらはインド原産で日本への渡来は遙かに古く、弥生時代にはもう食用栽培されていました。更についでに、「高粱」の「粱」は粟の一種を言います。中国では「モロコシ」は粟の親戚扱いなんですね。キビになったりアワになったり、忙しいヤツです(笑)

 ところで、「トウモロコシ」の「トウ」ですが、これは「唐」ではありません。トウモロコシを漢字で書くと「玉蜀黍」です。これでどうして「トウモロコシ」と読むんでしょうねぇ。「蜀黍」の実が、粒揃いで玉のように大きめなのが「玉蜀黍」、漢字表現の派生は理解しやすいのですが・・・。蜀黍→玉蜀黍の、表記上の派生と、コトバとしてのモロコシ→トウモロコシの派生は別のルートにあって、コトバでの表現を強引に漢字の読み方に当てたような気がします。「トウモロコシ」の詳しい語源をご存じの方、いたら教えてください(笑)。

 唐黍が渡来した天正年間といえば16世紀。唐が滅んでから実に6世紀の時を経ています。しかし、6世紀の昔、唐という国から日本は膨大な文化を輸入しました。「唐」という国そのものは滅んでも「新しい文化は唐から来る」という印象は、日本人の奥底に深く根ざしていたのでしょう。唐が日本に与えた影響の深さを、なにげに感じる「唐黍」でした。

 唐の影響と文化を偲びながら、ぱくぱく(笑)


2000.10
※1 正しくは『倭漢三才図会略』。大坂の医師、寺島良安によって編纂され、正徳3年(1713)に刊行された図入り百科事典で、中国、明の『三才図会』を模倣して天文、地理、草木、禽獣など105の部門をたてて解説している。

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