
・・・「何日君再来」の歌詞へ | 1985年の私の誕生日に友人がプレゼントしてくれた「上海摩登(モダン)」という本でシュウ・センの事を少しは知ったのだが、そのゴールデン・ヴォイスと称された歌声を聞いたのはそれから暫く経ってからだったように記憶している。 誰でもそうなのかもしれないが、私は何かに興味を持ち始めると、それにもっと深く関わるチャンスがいつも巡って来るようで、1988年になると上海での合弁事業への参加の話しが持ち上がり、それ以後私と上海との長い付き合いが始まり、いつの間にか「上海と言えば・・・」とお声がかかるようになってしまった訳である。 1988年の初めての訪中の頃まで、私は日本で会社勤めをしながら合弁のスタートを模索していたのだが、1987年11月にTBSテレビでシュウ・センと何日君再来を扱った「中国のリリー・マルレーン」というドキュメンタリーがあり、たまたま深夜帰宅した私はその後半30分だけを見て悔しがり、その全編のビデオを手に入れるのに実に5年以上も待たなければならなかった。 |
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| 「何日君再来物語」 中薗英助:著 1988.河出書房新社 |

| 彼女は1918年(大正7年)江蘇省の極貧の家に生まれる。 兄弟姉妹が多く、上海の周家の養女となる。8歳の頃アヘン中毒の養父に娼妓 として売られそうになるが、義母の妹の助力で小さな歌舞団に入り歌を学ぶ。 1930年聯華歌舞班へ、翌年秋には黎錦暉(「夜来香」の作曲者である黎錦光 の兄)の明月歌舞団(明月社)へ移りピアノと北京官話(いわゆる標準語)を 学ぶ。明月社の先輩には後に結婚することとなる、名曲「月圓花好」の作曲者 ・厳華がいた。 1932年の「一・二八事変(第一次上海事変)」の少し前、愛国歌「民族之 光」を歌い好評を得ていたが、その歌詞に「与敵人周旋干沙場之上(戦場で敵 を手玉にとろう)」があり、黎錦暉が「周旋」の名を与えたという。後に映画 界に入ってから旋に「玉」へんを付け加えることになった(・・・美しい玉の 意)。 |
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| 映画「馬路天使」(1937)より |

| 1990年、上海にて シュウ・センの テープを 手に入れる! うれしかった! |
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| この1985年上海製のテープには当然の ことながら「何日君再来」は入っていな かった。 |

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