「夜話」  夜祗杳/August.13.2000 

時はすべてを押し流し いまは遠い記憶のむこうへ そして僕は夢を見る。
今はない未来の夢を。


フォーチュンテラー。
ラシアン・ガレアは僕が生まれる前からそこにいて、僕がこうしてまともに話ができるようになった今でも、昔と変わらないそのままの姿でいる。
それを何故かと聞いたら、彼は自分が幻影だから、と応える。
「世の中のすべては幻影。私も、あなたも、存在はすべてまぼろし」
そんなわけない。
ラシアン・ガレアの髪を僕は触ることができる。
その微妙な色合いの瞳は僕を映している。
指先も、頬も、ぬくもりをもっている。
それが全部幻なわけがない。
「難しい話ですよ。サキ」
彼はそう云う。
古い、紙でできた『本』の頁をめくりながら。
それは今にも彼の指先で崩れおちそうに見える。なにか文字が書かれていて、それは家の中でも彼にしか読めない。僕はまだ、彼からそれを教わっていなかった。
「サキ、あなたはどこに在りますか?」
「僕?僕はここにいるよ」
「ここというのは?」
「ここだよ」
ラシアン・ガレアが笑う。
「ここ、という定義はとても曖昧なもので、あなたは私の目の前にいますが、それでほんとうにあなたがここにいるかというと、そうではない。あなたは、昨日自分の部屋にもいたし、一昨日は学校にいたでしょう。あなたはそこにもいる。あなたを知っている誰かの記憶の中にもあなたは存在するし、あなたが知らない人の記憶の中にも、ひょっとしたらあなたは存在するかもしれない」
「・・・そう・・・か」
ちょっと難しいけど。
ここだけに僕は存在しないということ。
どこにでも僕はいて、そのどれが本当の僕かなんてわからない。こうしている一瞬前の僕は、もうすでに過去の僕になっていく。僕はここに在るんだろうけど、それがわかるのは僕だけで、相手にとって関わりのある時間だけに僕は存在するのだろう。
じゃあ、僕はどこにいるのだろう。
「そのことについてはまたゆっくりお話しましょう、サキ、今日はもう眠る時間ですよ」
「ねえ、ラシ、じゃあ、死んじゃったらどうなるんだろう。死んで、誰とも話せなくなったら、僕は誰の記憶にも、どこにもいなくなるよ?」
「そんなことはありませんよ。死ぬ、というのはどういうことですか?サキ」
椅子から立ちあがりかけていた彼は、閉じた本を膝のうえに置いてすわりなおしながら僕に問いかけた。
「死ぬ・・・って・・・動けなくなるんだよ。もう目がさめないんだ。明日が来ない」
「死んだ人を見たことは?」
「まだ・・・ないけど」
「死ぬことが怖いですか?サキ?」
「怖い」
彼は少し、笑ってみせる。
僕はそれで安心する。
死ぬなんて、よくわからないことに漠然と抱いている恐怖がやわらぐ。
フォーチュンテラーという仕事は未来に指標を置くのが役目だと、いつか彼は云った。彼の導く未来にはなにがあるんだろう。
「死んでも、私の記憶の中にあなたはいます」
「それなら、変わらないの?」
「死ぬということは、私の中に、新しいあなたの姿が増えないということですよ」
そうか。
でもずっと会えないでいる人も同じことだ。
そんな人にとって、僕はいま、死んでいるということか。死ぬというのは、そんな人にさえいつか会える可能性もなくなるということ。
「やっぱり、ちょっと怖いよ」
「そうですね。私も怖いんです」
「ラシは怖くなさそうだ」
「そうですか?生きているものはみな、死を恐れるものですよ」
「ラシ、僕を覚えていてね。僕もラシをずっと覚えているから」
「ええ、約束しますよ。できるかぎりサキのことを覚えていて、毎日思い返すようにします」
「僕もそうするよ」
そしたら、死んでも毎日新しい姿を思い出すかもしれない。
生きている時と同じに。
ラシアン・ガレアが椅子から立ちあがる。
本をわきに抱え、僕の目の前にそっと手をかざす。
「おやすみ、ラシ」
「おやすみなさい、サキ」
そしてラシは僕のスイッチを切った。

<Fin.>

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