「神々の気紛れ」

●章目次

第1話

第2話

第3話

第4話

第5話

第6話

第7話

第8話

第9話

◆第1話◆

 扉のきしむ音と共に、細く光が射しこんできた。
「みんな隠れて!」
 仲間が叫ぶのを聞いて、アルゥサは、壁際にぽつんと置かれた日干しレンガの陰に飛びこんだ。視界の隅で、同じ棚に小人たちが隠れるのを目にした。
「気をつけろよ!」
「どんどん運びこめ」
 乱暴な足音と共に、大きな影が動き回る。
 アルゥサはレンガの横に寝そべるようにはりついて、そっと斜め上を見上げた。
 日焼けした屈強な男たちが、荷物を抱えて動き回っている。
「!?」
 見えない力で飛ばされそうになり、アルゥサはあわててレンガに身を寄せた。
 指に力をこめて、ざらざらとした出っ張りに掴まる。
 大きな音と共に、目の前で白いものが動いた。
 男たちが布を運びこんで重ねるたびに、端がひるがえり、風を起こしていたのだ。
 
 白布で陰が増えたので、アルゥサは身を起こした。
 絹紐で口を縛った布袋が運ばれてくる。男たちは、ゆっくりと慎重に棚の隅に置いた。
 きっと高価なものなのだろう。西の海で採れるという珊瑚だろうか。
 鮮やかな緋色の革が大事そうに運ばれてきて、棚の上にぽつんと置かれた。
(匂いは確かに革のものだけれど、あんなに鮮やかな色は見たことがない)
 アルゥサは目を瞬いた。
(近くに行って見てみたい。でも、あそこまで行くのに、身が隠れるようなモノは置いてないし…)
「これで全部か?」
「…あと1つだ」
 最後の革を運びこむと、男たちは汗をぬぐって出ていった。大きな音を立てて扉が閉まり、辺りは暗闇に包まれた。
 アルゥサたちが隠れている場所は、「大きな人」たちが倉庫と呼んでいる、レンガ造りの建物だ。…薄暗いのにさえ慣れれば、天敵である鳥や小動物から身を隠して暮らすのに、ぴったりの場所だった。
 最近、「大きな人」の家から移り住んだ他の小人たちが増えて、1つの村落のようになっていた。
 アルゥサは走り出したくて、そわそわとしていた。
(品物を運んできた商人たちから、遠い異国の話が聞けるかもしれない。…闇に目が慣れたら、急いで行かなくっちゃ)
「ちょっと、誰よ揺らしてるの」
「決ってら。こんなに大きく揺れるんだから、『気まぐれ』さ」
 アルゥサは闇の中、声のするほうをにらんだ。
「なんでもかんでも私のせいにしないでよね!」
(…確かに、目の前のレンガを少し揺らしているかもしれない…けれど、声の聞こえた方とは離れているんじゃないかな)
 徐々に周囲の陰影が判るようになり、薄闇の中に潜んでいる仲間の姿がぼんやりと見えるようになってきた。
 すぐ前のレンガの上に、誰かが腹ばいになっているのが見える。
 アルゥサはあわてた。
(別な方から声が聞こえたと思ったのに…)
「それで隠れたつもりなの!?」
「やっぱり『気まぐれ』の仕業じゃないか!」
上の方で同い年のバフルが叫ぶのを聞いて、アルゥサは急いでその場を離れた。
「悪かったわね!!」
 捨て台詞を吐いて、駆け出していく。
「ちょっと、アルゥサ! 何処に行くの」
 名前を呼ばれて、アルゥサは立ち止まった。顔は見えないけれど、姉のうちの誰かだろう。彼女を本名で呼ぶのは、両親と姉たちくらいのものだ。
「となり! 商人の話を聞きに行くの」
「『大きな人』に見つかんないように気をつけろよ! お前は俺達よりも頭1個分でかいんだからさ!」
 バフルが叫ぶと同時に、無遠慮な笑い声が起こった。
 顔が火照るのが判る。
「うるさい!」
 叫びながら、足元に転がっているレンガの欠片を蹴飛ばす。そして、そのまま、壁のレンガが欠けて出来た、隙間を目指して走り出した。薄闇の中、欠片はくるくると回転しながら飛んでいき、床に積まれた皮の上に落ちていった。
「ああ、怖い。『気まぐれ』が暴れたら大変だ」
 後ろで誰かが言うのが聞こえたけれど、アルゥサは無視して光の漏れている隙間を潜りぬけた。

◆第2話◆

 強い日差しが眩しい。アルゥサはオリーヴ色の瞳を細めた。乾いた風が、もつれた金色の髪をほぐしていく。
ふと、無防備だった事に気付いて、あわてて辺りを見まわした。
 鳥は1羽も飛んでいない。ネコやネズミもいないようだ。
 すぐ目の前を「大きな人」たちの着ているひらひらとした布が通り過ぎるけれど、立ち止まったり、こちらを見ている様子はない。
 アルゥサはほっとして息を吐いた。
(…まあ、そう簡単に見つかるとも思えないけど)
 アルゥサは、黄茶色の地味な服を引っ張った。周りのレンガや地面と同じ色だ。…これは、「大きな人」を観察するのが好きなアルゥサの為に、わざわざ母親が草で染めた服だった。
 アルゥサはレンガの表面に手をかけると、勢いをつけて飛び降りた。それを何度か繰り返して、ようやく地面にたどり着く。
 商人たちがまだいることを祈りながら、アルゥサは走っていった。

 薄暗い通路を駆けて行くと、アーチ型に切り取られた光の空間が迫ってくる。
 アルゥサは、壁に身を寄せて、光あふれる中庭の様子を伺った。
 正面に、色鮮やかなタイルで飾られた水場が見える。
 土の床には、隅に植えられた木々の影が伸びている。
 誰もいないようだ。
 アルゥサは首を傾げた。
(お客さんが来れば、たいてい中庭でもてなすはずだけど…?)
 ふと、甘い美味しそうな匂いが漂ってきて、アルゥサの鼻をくすぐった。
(もしかして、お客さん用のご馳走を作っているのかな)
 アルゥサは鼻を鳴らしながら、匂いをたどって歩いていった。
 
 大きな木の前で、アルゥサは立ち止まった。
(…この木の匂い?)
 首を思いっきり反らせて、上を見上げる。
 何本もの幹が、絡まるようにねじれながら、枝を広げている。
 つやのある葉をつけた枝の上方に、クリーム色の花がたくさん咲いている。その、アルゥサの顔と同じ位の大きさの花から、むせるような甘い香りが漂ってくる。
 思わず、アルゥサは鼻を押さえた。
 鼻がむずむずとする。
「ックシュ」
 思っていた以上に大きな音が出て、アルゥサはあわて辺りを見まわした。
 幹の向こうで何かが動いた。
(…ネズミ?)
 身構えていると、木の幹のような棒が伸びてきて、すぐ横の地面を叩いた。
「!?」
 アルゥサはあわてて身を伏せた。
 粉のようなものが上から降ってくる。乾いた土の匂いが鼻をつく。
 降ってくるものを払うように、アルゥサは腕を振りまわした。
 すぐ目の前の地面を棒がえぐり、土が跳ねた。
 アルゥサはバラバラと降りかかる土を浴びながら、手足を振りまわした。
(きっと、「大きな人」に見つかっちゃったんだ。…どうなるんだろう)
アルゥサは、「大きな人」に掴まったらどうなるか、噂話を思い出した。
(塩をかけられて、鳥に差し出されるんだった…)
「そんなの嫌だ!」
 アルゥサは手足をばたばたと動かした。
 どこからか、歌うような、ささやくような、低い声が聞こえてきた。
「…たたえあれ……万世の主…慈悲……」
 アルゥサは動きを止めると、あっけにとられて、声の方を見つめた。
 さっきは気がつかなかったけれど、木の向こうに「大きな人」が座っていた。
 左手に木の杖を掴み、切れ長の伏せた瞳で、右手に持った何かを見つめている。
 薄褐色の肌を囲む、真っ直ぐなこげ茶色の髪は、肩に届くか届かないか位の長さで風に揺れていた。

◆第3話◆

 今までに見た…どんな「大きな人」とも違う)
 横顔はどこか寂しげで、アルゥサは目を離せずにいた。
 やがて、読誦を終えると、少年はちらりとアルゥサを見た。
 すぐに視線を戻して唱え始める。
「…ふかく…慈愛…」
(さっきから何を見てるんだろう?)
 アルゥサは、近づいてみることにした。
 足音を立てないように気をつけて、芳香を放つ枝の下を通り抜ける。
 転がっている杖を軽く飛び越えて…。
「いたたたた」
 勢いがつきすぎたアルゥサは、滑ってしりもちをついた。
「しっぱい、しっぱい」
 呟きながら、服についた汚れを払う。
 ふと顔を上げると、少年がこちらを見ていた。
 アルゥサの視線に気づくと、あわててたように紙をめくり、ごもごもと口を動かす。
 もっとよく見ようとして、アルゥサは伸び上がった。
 膝の上に四角い紙の束が置いてある。その、生成り色の紙の上に、黒色の点や模様のような曲線が見えた。
(…ああいうクネクネが書いてあるのは、確か『本』だ)
 以前、東方からの商人が来たときに、アルゥサは1度だけ見たことがあった。ざらざらしていて、めくってみると土埃のような独特の匂いをしていた。
 アルゥサは首を傾げた。
(ああいうクネクネを書くお爺さんが1人、仲間にもいたはず…)
 アルゥサはその場にぺたりと座りこんだ。
(クネクネを読んだり書いたりできるのは、すごいことだってみんな言ってた)
 アルゥサは目を輝かせて少年を見た。
(…すごい人なんだ。きっと、いろんな事を知ってる)
 少年が顔を上げたのを見て、アルゥサはにっこりと微笑んでみた。
 少年が青い瞳を見開き、口をあんぐりとあけたのを見て、アルゥサはあわてて自分の頬を押さえた。
(…変な顔だったかな)
 首をかしげる。
(いちばんの笑顔を浮かべたつもりだったんだけど…?)
「…どうして、平気なんだ!」
 本を持つ指が白くなるほど力がこめられている。
 アルゥサは首を傾げた。
「何が?」
「お前はジンじゃないのか?」
「ジン?」
(どこかで聞いたことがあるような…)
「ああ、そうか。神に帰依したジンもいるんだったな。クルアーンが効かないはずだ」
 アルゥサはますます首を傾げた。
「ジンって何なの?」
「お前のことだろ」
「違う。違うよ! ジンなんて知らない」
 アルゥサが手を振り回しながら言うと、少年は目を瞬いた。
「…どうして嘘を言う?」
「嘘なんかじゃない!」
 アルゥサは伸ばした足をばたつかせた。
「別に、隠さなくてもいいんだよ。悪いジンじゃないって判ったんだから」
 優しい調子で言われて、アルゥサは足を動かすのをやめた。
「…さっきから、ジンじゃないって言ってるもん」
 そう言って、口を尖らせる。
「それじゃあ、何?」
「アルゥサだよ」
「…アルゥサって何?」
 自然と顔に血が上るのを感じながら、アルゥサは口を開いた。
「私の名前」
「へーえ。ジンにも名前があるんだね」
「ジンじゃないけど、名前くらいあるの。…それより、なんて名前?」
「え?」
「私は名乗ったよ」
 少年はぼそりと、
「…サファル」
と、呟くと、頭を掻きながら言葉を続けた。
「ジンと名乗りあうことになるなんて、考えてもみなかったな」
 アルゥサは、ため息を吐いた。
(ジンじゃないって言ってるのになぁ。…それにしても、ジンって何?)

◆第4話◆

 一陣の風が、枝を揺らして花を吹き飛ばした。
 香りが広がる中、アルゥサは空を見上げた。
 いつのまにか太陽が傾き、空が紅く染まり始めていた。
「そうだ!」
 叫びながら、アルゥサは立ちあがった。
「商人の話を聞きに来たんだった!」
 サファルは眉をひそめた。
「…商人?…会ってどうするんだ?」
「あ、会うんじゃなくて、話を聞きたかったの」
「話?」
「商人は色々なところに行ってるから、変わった話が聞けるでしょう?」
「へえー。それじゃあ、今までも聞きに来てたのか」
 サファルの言葉に、アルゥサは大きく頷いて、得意げに口を開いた。
「だからね、いろいろ知ってるよ。海を北に行くと『島』があるし、その向こうにも『土地』があるんだって。それとね、南の『砂漠』を越えると黒い肌の人がいるんだって」
「よく知ってるね」
 サファルが感心して頷くので、アルゥサはますます調子に乗った。
「東に行くとすごく大きな『街』があって、いろんな人が住んでて、なんでも売ってるんだって」
「…どうして、他の土地の話が好きなんだ?」
 どこか咎めるような響きを感じて、アルゥサは息を呑んだ。
「それは…」
 言いよどんだアルゥサを見て、サファルは目を細めた。
「俺は、旅の話を聞くのはあまり好きじゃない…」
「どうして!?」
「幼い頃は好きだったさ。だけど今は…この身が恨めしくなる…から」
 サファルは力なく笑って、杖を握り締めた。
「みんな、俺くらいの年だと、もうとっくに隊商に参加してる。だけど俺は、杖に捕まっても少ししか歩けない…」
 アルゥサは驚いて、サファルの足元を見つめた。
 服の裾に隠れてよく見えないけれど、右足が外側に曲がっているように見えた。
「これは…母さんが決まりを守らなかったから、罰が与えられたんだって」
 そう言って、サファルはため息を吐いた。
「どうして? そんな風に考えるのおかしいよ」
 力いっぱいアルゥサが言うと、サファルは目を瞬いた。
「おかしい?」
「だって、悪いことと姿は別だよ。姿はね、神々が気まぐれで決めているだけ」
「神々だって? 神は独りだけだぞ!」
「1人だって別にいいよ。とにかく、気まぐれってこと」
「…すごい考え方だな」
「だって、私がそうなんだよ。生まれたときから大きくて、今じゃあ大人よりも頭1個分も大きいんだから」
「大きい?」
「そうだよ。だから、『気まぐれ』ってみんなに呼ばれてる。神が気まぐれで作ったからだって」
「気まぐれ…か」
「そう!」
 アルゥサは大きく頷いた。
「それじゃあ、俺たちは『気まぐれ』仲間だ」
 そう言って、サファルは笑顔を浮かべた。つられて、アルゥサも笑顔になった。

◆第5話◆

「なっかま、なかま」
 調子をつけて歌うように繰り返しながら、アルゥサは薄暗い道を歩いていた。
「きまぐれなかまぁ」
 そう言いながら、手を大きく振って飛び跳ねる。
「なっかま、なかま」
 前方にぼんやりと倉庫が見えてきた。
「きまぐ…」
「おい!」
 突然の声に驚いて、アルゥサは片足を蹴り上げたまま凍りついた。
「なにやってんだ、『気まぐれ』!」
「…あ、なんだ、バフルか」
 アルゥサはほっとして緊張を解いた。
「なんだってのはなんだよ」
「だって、誰かと思ってびっくりしたから」
「なに歌ってたんだ?」
 そう問われて、アルゥサは黙りこんだ。
「ニヤニヤしてるぞ。なんかいい事でもあったのか?」
 アルゥサはあわてて頬を手で隠した。
「べっつに! バフルには関係ないもん」
 そう叫んで、一気に駆け出す。
「おい、待てよ!」
 あとからバフルが追いかけてくる。けれど、二人の間の距離はどんどん離れていった。アルゥサは先に壁の隙間を潜り抜けると、倉庫の中へ入っていった。
 「ゥサ。アルゥサ!」
 揺り動かされて、アルゥサは目を覚ました。
「ほら、あんたのご飯」
 パンのカケラを渡されて、アルゥサは目をこすりながら布の間から抜け出した。
 小人たちの食料は、夜の間に「大きな人」の家から、こっそりと貰ってきたものだ。
 痕跡を残さないように工夫しながら、皿の上に残ったカケラや、塊の端を取ってきていた。
 アルゥサはぼんやりしながらパンを食べ終えた。
(…今日は、何をするんだっけ…)
「あ、そうだ!」
(サファルと会う約束してたんだ)
(でも、その前に「ジン」のことを聞かなきゃ)
 アルゥサは立ちあがると、倉庫の中を見まわした。
(クネクネのお爺さんは…上のほうに独りで住んでいるって聞いた…)
 倉庫の上のほう、屋根近くの横柱には、他の小人と関わることを嫌っている変わり者たちが住んでいると言われている。
 アルゥサは梯子状の刻みがついているレンガまで走っていくと、壁を登り始めた。
「『気まぐれ』、そんなところに張りついて何やってるの?」
 下で誰かが叫んでいるけれど、アルゥサは無視して登っていった。
 横柱が上に見えている。
(届くかもしれない)
 アルゥサはゆっくりと手を伸ばした。
「おーい、危ないぞ。『気まぐれ』に潰されないように、みんな避けろー」
 その言葉にムッとして、アルゥサは下を見下ろした。
 走りまわっているみんなが蟻みたいに見えた。
(ここから落ちたら、どうなっちゃうんだろう?)
 急に怖くなったアルゥサは、急いで柱に掴まろうとした。
(…あと少しで届く)
 アルゥサは伸びあがるようにして腕を伸ばした。
 その拍子に片足が滑った。
 下から悲鳴が響いてきた。

◆第6話◆

「お前さん、そんなところで何をやってるんだ?」
 薄闇に溶けこむ褐色の肌の小人が、横柱の上からアルゥサを見下ろしていた。
「何って…見ていないで助けてよ!」
 アルゥサが噛み付くように叫ぶと、相手は目を白黒させた。
「助ける? その足をそこに掛けたらどうかい?」
 指差された場所を見ると、アルゥサのぶら下がっているすぐ傍に、階段が見えた。
(階段…?)
 言われるままに足を掛けて、階段へ体を移す。下を見ると、アルゥサの登ってきた壁の途中から、階段のように刻みのついたレンガが続いているのが見えた。
「苦労して登ったのに!」
 アルゥサは握りこぶしを振って叫んだ。
 
 横柱に上ると、数人の小人たちが集まってきていた。
「珍しいお客さんだのぅ」
「階段を使わないとは…さては、身体を鍛えてるんだな」
「下を見てごらん、いい眺めでしょう?」
 アルゥサは自分を囲んでいる小人たちを見まわした。
「…人嫌いだって、聞いていたけれど?」
 思ったことを素直に口に出すと、いっせいに笑い声が起こった。
「それって、俺たちのこと?」
「そうだなぁ。大勢に囲まれて暮らすのは好きじゃない…」
「私は単に、ここから下を見るのが好きなの」
 良く見ると、肌の色も年齢もバラバラな5人の小人たちだ。
「まあ、変わり者ってことには違いあるまいよ」
 年寄な小人の言葉に、みなは再び笑い声を上げた。
「…ところで、ここに何か用があったの?」
 女性が笑いを堪えながら言うと、すぐに老人が口を開いた。
「いやいや、用事がなくても、いつでも遊びに来て構わないんじゃよ」
「ああ、また、ここの住人をふやそうとして…勧誘して!」
 若者がお腹を抱えながら言う。
「あ、あの。私は…クネクネお爺さんを探しに来たの!」
 アルゥサの言葉に、一同は顔を見合わせた。
「クネクネお爺さん!?」
「そう!」
 アルゥサは真顔で頷くと、言葉を続けた。
「クネクネを読んだり書いたりできるお爺さんに聞きたいことがあったの」
「読んだり書いたりってことは…『クネクネ』って『文字』のことか!」
「あれ、それじゃあ…」
 女性は横目で老人を見つめた。
「なんだ、わしのことか!…すると、今日からわしの名前はクネクネじゃな」
 そう言って、老人は大きな声で笑った。
 ひとしきり笑った後、老人はむせながら口を開いた。
「…さて、わしに聞きたいことは何じゃったかな」
「『ジン』のこと!」
 アルゥサが元気よく言うと、老人は白髪混じりの口ひげを引っ張った。
「おお! …『ジン』とな。して、『ジン』の何が知りたいのじゃ?」
「『ジン』が何なのか知りたいの」
「ふぅむ」
 老人は黙りこんだ。
「『ジン』が何かっていうのは…難しい質問だよなぁ」
 側で聞き耳を立てていた若者が呟いた。

◆第7話◆

「難しいの?」
 アルゥサの言葉に、老人と若者は顔を見合わせた。
「う〜む。…わしに少し時間をくれんかの?調べ物をしてくるわい」
 老人はいそいそとその場を離れていった。
(少しって、どれくらいかなぁ)
「いいもの見せてあげる」
 女性はにっこりと微笑むと、アルゥサの手を取った。
「いいもの?」
「そうよ」
 アルゥサは女性に連れられて、向こうの壁まで続いている横木の上を並んで歩いていった。
 もう一本の横木の上で、老人が背丈ほどの大きさの紙切れを広げているのが見えた。
 真中辺りまで歩いて、やっと女性は立ち止まった。
「ここから下を見てごらん」
 アルゥサはざらざらした木肌に手を付くと、恐る恐る横木から顔を覗かせた。
 隙間から射しこむ明かりが、薄闇の中を斜めによぎって、細かなきらめきを撒き散らしながら床に降り注いでいるのが見えた。
「…きれい」
 ぼうっと下を見つめていると、女性が口を開いた。
「向こうを見てごらんよ。ほら。何でも見えちゃうでしょう」
 指差された方を見ると、いつもアルゥサが歩き回っている棚と、その下の奥行きの広い棚が見えた。不規則に置かれている小さな袋は、昨日運びこまれた荷物だろう。
 積重ねられた布と、陰に隠れていたレンガも見えた。その周りを走りまわっている小さなものは、小人の子供たちだろうか。
「ここはいい場所よ。『大きな人』にも見つからないし、眺めもいいわ」
 アルゥサは小さく頷いた。
「だからね、いつもここで寝てるの」
 その言葉に、アルゥサは目を丸くした。
「ここで!?」
「そうよ。ほら。あれを敷いてるの」
 女性はにっこりと微笑むと、すぐ横の布を指差した。
「危なくないの?」
「大丈夫よ。まあ、寝相が悪いなら、お勧めはしないけど」
 そう言って、女性は声を立てて笑った。
(…やっぱり、ここにいる人はみんな変わり者なのかな)
 アルゥサはその場に座りこむと、もう一本の横木を見つめた。
(クネクネお爺さんも、あそこで寝てるのかなぁ)
 そんなアルゥサの様子を見て、女性が口を開いた。
「こっちは平気だけど、あっちの横木は危ないわよ」
「危ない?」
「そう。だって、あのお爺さんが、住みやすくするためにナイフで彫っていたら、木にヒビが入っちゃったんだって」
「えぇ!」
「一度に何人も乗っかったら折れちゃうかもよ」
そう言って、女性は再び大きな声で笑った。

 横木の上をゆっくりと戻ると、ちょうど老人も紙を持って帰ってきたところだった。
「これは『大きな人』たちの話を聞いて、書いておいたものなんじゃが…」
 老人は、咳払いをすると、落ち窪んだ目で字を追いながら読み始めた。

◆第8話◆

「『ジン』は…いたるところに現れ、あらゆるものに姿を変える存在である。『大きな人』よりもずっと前に、神によって創造された」
「すがたを変える?」
 アルゥサが眉を寄せると、老人は紙から顔を上げて微笑んだ。
「うむ。らくだや『大きな人』にも変身すると言われておる」
「私たち…にも?」
「うむむ…。あらゆるものに、というからには、わしらに変身することもあるのじゃろうなぁ。しかし、わしらの間に『ジン』のようなものが入りこんでいたという話は聞いたことがない」
「それじゃあ、私たちと『ジン』って、ちがうの? それとも同じ?」
 アルゥサの言葉に、老人は口ひげをこすった。
「…『ジン』は、わしらかもしれないが、わしらは『ジン』ではない…ということだの」
「わかんない」
「う〜む。解りやすく言うと…、『大きな人』の言う『ジン』の中にわしらは入っているかもしれん。パンが欠けたり、壁に穴が空いたりするのも『ジン』のしわざだと言われておる」
「『大きな人』の言う『ジン』?」
「そうじゃよ。…結局、わしらは『大きな人』から言葉を学んだが、『大きな人』が使うようには、理解できぬということじゃな。彼らに馴染みの言葉でも、『ジン』のように、わしらには見たことのない想像のつかぬものを指している場合があるんじゃよ」
(…「ジン」が何なのか、ぜんぜんわかんなかったなぁ)
 アルゥサは小さくため息をつくと、倉庫の陰から身を乗り出して、辺りを見まわした。
 「大きな人」の足が、砂ぼこりを巻き上げながら近づいてくるのが見える。
 足が通りすぎるのを待って、アルゥサは道に飛び出した。
 「大きな人」の影を踏んで身を隠しながら、一気に走る。
 すぐ目の前を大きな皮臭いものがよぎった。
「!?」
 降り注ぐ土や砂を浴びながらも、アルゥサは走りつづけた。目をかばうように両手で覆いながら、中庭に続く通路に辿りついた。
(こわかった…)
 荒い息をはきながら、アルゥサは振り返った。
 歩いていく「大きな人」の後姿が見えた。頭からすっぽりと布を被っている。女性だったようだ。
(ちょっとでもずれてたら、踏みつぶされるか、足にぶつかっちゃうところだった…)
 アルゥサは息を整えると、薄暗い通路を通っていった。
 木の向こう、昨日のサファルと同じ場所に「大きな人」が座っているのが見えた。
(…サファル?)
 アルゥサは駆け出したい気持ちを押さえながら、ゆっくりと近づいていった。
(サファルじゃないかもしれない。…さっきみたいに、こわい目にあわないように気をつけなくっちゃ…)
 アルゥサは鼻を鳴らして匂いをかいでみた。
(…遠すぎて、よくわかんない)
 濃厚な花の香りが鼻いっぱいに広がって、アルゥサはめまいを覚えた。木の根元に散らばった花びらの間を通りぬけて行くと、「大きな人」の横顔が見えた。
(サファルのような気がするけれど…)
 アルゥサは首を傾げた。
 小人たちには、「大きな人」の顔の区別が殆どつかない。「大きな人」たちは大抵、褐色の肌にこげ茶色か黒い髪の色をしている。サファルも、良くある色合いの肌と髪だ。性別は服装でなんとか区別がつくけれども、一人一人を見分けることは難しい。
 ふと、「大きな人」の足元を見たアルゥサは、棒が置いてあるのに気づいた。
(杖だ! やっぱり、サファルだ!)
 アルゥサは急いで走っていった。
 「やあ、おちびさん。…もしかしたら、昨日のことは夢だったんじゃないかって、思い始めていたところだよ」
 そう言いながら、サファルはアルゥサを隠すように手のひらを伸ばした。
「おちびじゃないよ。大きいんだもん」
 アルゥサが口を尖らせて言うと、サファルは体をゆすって笑った。
「大きいって…どこが?」
 なおも笑いつづけているサファルの左膝に、アルゥサはよじ登った。
「そんなに笑わないでよ!」
 アルゥサが叫ぶと、サファルは両腕を伸ばして、アルゥサを包み隠した。
「なぁに?」
 見上げると、青い瞳だけが見えた。

◆第9話◆

(…きれいな色。青い色をしているっていう鋼玉は、こんな風かもしれない)
 思わずアルゥサは、口をあけて見とれていた。
「昨日は人が出払っていたけれど、今日はそうじゃないから。隠れていた方がいい」
「わかった!」
 アルゥサが元気よく答えると、サファルは目を細めた。
 黒いまつげの一本一本がはっきりと見えた。
「大きな声も出さないようにして」
 囁くように言うサファルに、アルゥサはこっくりと頷いた。
 アルゥサの頭の上で、サファルの髪の毛がさわさわと風に揺れている。
 きつく口を閉じているアルゥサの顔は、息まで止めているのか、真っ赤に染まって頬が膨らんでいった。
(顔があっつい)
 アルゥサは両手で顔を覆った。
(…苦しい)
 擦れるような、砂の音が聞こえている。
 「大きな人」の誰かが、歩いているのだろうか。
(息が吐けない…)
 足音が近づいてくる。
(もう、…だめ)
「…ぷはぅ!」
 大きく息を吐きだしたアルゥサを、素早く伸びてきた手ががっちりと掴んだ。
(…なに?)
「サファル様。今、なにかおっしゃいましたか」
 男の声に驚いているうちに、アルゥサの目の前は真っ暗になった。
(…ここはなに? 首が痛いよ)
「いや…別に」
 声が変に響いて聞こえる。
(サファルの声?)
「…そうですか。声が聞こえたような気がしたもので…」
(頭に血が昇る…。うううん、違う、下がってる!…頭が下だ)
「きっと、気のせいだよ。疲れてるんじゃないかな」
「ご心配いただいて、ありがとうございます」
 首の痛さにがまんできなくなったアルゥサは、なんとか姿勢を変えようとして、手を伸ばした。
 すると、布の隙間が広がった。
(あ!)
 身体が逆さのまま、アルゥサは滑り落ちていった。
(いたたたた)
 すぐさま布の上から強く押さえられて、アルゥサは身動きがとれなくなった。
 目の前には、たくさんのしわが寄った薄布が見えている。
 右足は上にあがり、左腕は身体の下に敷かれたまま。身体は横向きだ。
「サファル様。お腹が痛いのですか」
「…いや。大丈夫だよ。…ちょっと、お腹が空いだけだから」
(うでが重い…。しびれちゃった)
「何か、菓子でもお持ちしましょうか」
「いや、いいよ。いらない」
「そうですか。ですが、欲しいときや、具合が悪いときはすぐにおっしゃってください」
「ああ」
 布越しに、影がよぎるのが見えた。
 聞こえてくるのは、衣擦れの音。早くなり響くサファルの鼓動。
 鼻を刺激するのは、甘い花の香りと干草のような葉の香り。それらと入り混じった、サファルの匂い。
 身体が苦しいのに、なぜか心地よい。
 暖かい温もりと微かな湿り気を感じながら、アルゥサは目を閉じた。

(続)  

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