「神々の気紛れ」

●章目次

第10話

第11話

第12話

第13話

第14話

第15話

第16話

第17話

第18話

◆第10話◆

 冷たいものを感じて、アルゥサは目を覚ました。
 ほの暗い中で、板張りの天井が見えている。
(…ここは?)
 額に手を当てると、柔らかい濡れているものが触れた。
(なあに?)
 つかんでみると、だらだらと水が滴って、アルゥサの顔の上を流れ落ちた。
(わた?)
 柔らかいかたまりを握り締めたまま、アルゥサは起き上がった。
 頭を左右に振って水気を飛ばす。
(いつのまにか、眠っちゃった…んだっけ…)
 アルゥサの座っているのは、床よりも一段高くなった台の上の、厚手の織物の上だった。横には、麻色のクッションが置いてある。
 アルゥサは頭をめぐらせて、辺りを見つめた。
 レンガ色の壁。土の床の青い敷物は、赤や黄色の鮮やかな模様が織り込まれている。
 アーチ型の出入り口は中庭に通じているのだろう。明るい光りが射しこんでいる。
 そのアーチ型に浮かび上がるように、「大きな人」の背中が見えていた。
(…サファル?)
 声をかけようとしたアルゥサは、息を飲み込んだ。
 杖で身体を支えて、ぎこちなく立っていた「大きな人」は、倒れるように膝を折り、頭を垂れた。
 一連の動作は滑らかで、優雅に見えた。
(こういうの、前に見たことがある…)
 アルゥサは思い出した単語を、口の中でつぶやいた。
「…礼拝」
(「大きな人」たちが、ああやって、何かを唱えていた…)
 杖を使ってゆっくりと立ちあがった「大きな人」は、くるりとアルゥサの方を向いた。
「サファル!」
 声を出してから、アルゥサはあわてて口を押さえた。
(大きな声はだめなんだった…)
「良かった。呼んでも起きないから……心配した」
 そう言いながら、サファルは器用に杖を使ってアルゥサの側まで歩いて来ると、クッションの上に体を投げ出した。
「ええと…。その」
 アルゥサは手の中の綿を、握ったり緩めたりを繰り返した。
「…こ、これで冷やしてくれたの、サファルだよね。ありがとう」
 手の平を突き出しながら言うと、ゆっくりとサファルの腕が伸びてきて、そっとアルゥサの体を掴んだ。
「これはどう? この強さで痛い?」
「うううん」
 アルゥサの手のひらから、白いふわふわのかたまりが転がり落ちた。
「この位だと?」
「う〜ん。少しだけ痛いかな」
「…そっか。それじゃあ、やっぱり、さっきは強く握りすぎちゃったね。見つかったかと思って、急いでごまかそうとしたんだけど…」
 そう言いながら、サファルはそっと指を開いた。
「うううん。それよりもね、なんだか息ができなくって、苦しくって、声がもれちゃった」
「苦しい?」
「うん。鼻で吸うのはいいんだけど、うまく鼻から吐きだせなくて、すっごく苦しかった!」
「うまく吐きだせないねえ…。顔が真っ赤だったもんな」
 首を傾げて考え込んでいたサファルは、暫くして口を開いた。
「口でも息を吐けないのか?」
「え? そんなことないよ。でも、だって、口を閉じてないとだめかと思って…」
「そんなこと言ってないだろ。大きな声を出したらだめって言ったんだよ」
「あれ? そっか。なぁんだ!」
 アルゥサの言葉に、サファルはため息をついた。
「気をつけてくれよ」
「…うん。ごめん」
「まあ、中庭よりはこっちの方が安全かな。次からはこの部屋においで」
「わかった!」

◆第11話◆

 薄暗い倉庫の中を、いつも出入りしているレンガの穴を目指して、アルゥサは走っていた。
(早く行って続きを聞かないと)
 初めて会った日から、毎日アルゥサはサファルの家に通っていた。
 大抵は、サファルの部屋へ。たまに、使用人たちが出かけているときには、中庭の木陰で会っていた。
 サファルは、アルゥサにいろいろな話を聞かせた。
 中庭の木の種類や、葉と花から塗り薬を作る方法。森の奥に住まう呪術師の話。これらは全て、サファルが幼い頃に身の回りの世話をしていた、南方からの奴隷女性から聞いた話だという。
 他に、サファルの親戚が市場に出している宝石店の話や、「金曜日」の過ごし方などなど。
 今、アルゥサが聞いているのは、城壁外の墓地が舞台の物話だった。
(こわいけど、どうなるのか気になっちゃう)
「アルゥサ。どこへ行くの?」
 まさにレンガを潜りぬけようとしていたアルゥサは、身体はそのままで首だけを後ろに向けた。
 アルゥサの母親が草で編んだカゴを抱えて立っていた。
「おかあさん」
「今日はあんたの新しい服を染めるために、葉っぱを拾いに行こうと思ってたのよ」
「新しい服!?」
 目を輝かせるアルゥサを、母親は微笑みながら見つめた。
「手伝ってくれるわよね」
「あ…」
(どうしよう。サファルのところに行けなくなっちゃうかも)
「何か特別な用事でもあるの?」
 母親の瞳にじっと見つめられて、アルゥサはあわてて口を開いた。
「うううん。手伝うよ。急ごう」
(早く拾っちゃえば、遊びに行く時間くらいあるよ。きっと)
 アルゥサは、先にたって外にでた。
 小さな水汲み場のある中庭の隅に、木々の生えている一角があった。
 二人の小人は自分たちの背丈よりも低い、何本も枝を横に広げている木の前に立った。
「変色してるのや若葉は避けて、色の濃いのを採ってね」
 母親の言葉にアルゥサは頷くと、手の平大の葉を摘み始めた。手が触れただけで、清涼な香りが漂い、ちぎると干草のような臭いが鼻いっぱいに広がる。
 アルゥサは手当たり次第に、足元のカゴに投げ入れた。
「もう少し落ち着いてやったらどうなの?」
(だって、急がないとサファルのところに行けなくなっちゃう)
 黙々と手を動かしつづけるアルゥサに、母親は再び口を開いた。
「あわてなくても大丈夫。今日は『大きな人』がいない日だから」
「いない日?」
 アルゥサは手を止めて、母親の顔をまじまじと見つめた。
「そうよ。今日は『モスク』って所に行く日だから、日中でも安心して染物用の葉が摘める。男たちは、少し離れたところまで色々な材料を集めに行ってるのよ」
「『モスク』に行く日ってことは…、そっかぁ。『金曜日』だったんだ」
(それじゃあ、サファルも居ないかもしれないや)
 首をかしげていたアルゥサは、いきなり母親に肩をつかまれた。
「まさか、『大きな人』と会ったりしてないだろうね」
「え?」
 葉を取り落としたアルゥサを母親は見上げた。
「『大きな人』を観察して詳しくなるのは悪いことじゃないよ。どんな行動をするか判ったほうが、見つかりにくくなるからね。だけど…」
「あ、もうカゴがいっぱいだよ!」
 アルゥサはあわてて叫ぶと、かがみ込んで拾った葉を数え始めた。
「ほらぁ、10枚もあるよ。これできれいに染められるよね!」
 カゴを抱えて自慢げに言うアルゥサに、母親は大きくため息をついた。

◆第12話◆

「早く戻ろうよ、お母さん!」
 アルゥサは、小さな葉でいっぱいのカゴを抱えて、先に歩きはじめた。
「10枚じゃないでしょう。もっとあるはずよ、アルゥサ」
 母親の言葉を背に受けながら、アルゥサは黙々と歩いていく。心の中で舌打ちしながら。
「数える勉強はどうしたの? 近頃、出かけてばかりでやってないんでしょう」
(小言がはじまっちゃった)
「今日は倉庫に戻ったら、勉強しなさいね」
 アルゥサは首をすくめた。
「お返事は?」
(サファルのところに行ってもいないかもしれないし…、しかたがない)
「はい」
 小さく答えると、母親はやっと満足したようだった。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。…いつつ。むっつ。はぁ」
 座って指折り数えていたアルゥサは、ごろりと床に横になった。
(あ〜あ。つまんない)
 目の前の砂粒を恨めしそうに見つめる。
(こんな砂なんか、何粒あったってどうでもいいのに)
 砂粒の向こうを見ると、走り回っているアルゥサと同じ年頃の小人たちが見えた。歓声を上げている様子からすると、遊んでいるのだろう。
 アルゥサはため息をつくと、寝返りをうって砂粒に背を向けた。
「『気まぐれ』、そんなところで何やってんだよ」
 背中の方で呼んでいる声がするけれど、アルゥサはそのまま横になっていた。
 足音が響いてきて、すぐ真上で声がした。
「呼んでるんだから返事くらいしろよ!」
 顔だけを上げて見ると、同い年のバフルが立っていた。
「『気まぐれ』って、名前じゃないもん。だから、返事しなくてもいいの!」
 上体だけを起こしながら、アルゥサは叫んだ。
「なんだよ。なに怒ってんだ?」
 そう言いながらバフルは、アルゥサの剣幕に押されるように後ろに下がった。
「あ!」
 砂粒に足を取られたバフルは、その場にひっくり返った。
「いてててて。な、なんだ、なんだ?」
 アルゥサは笑い出しそうになるのを我慢しながら答えた。
「砂粒だよ、それ」
 バフルは顔をしかめて起きあがった。
「なんで、そんなモノが、あるんだよ!」
「だって、数えるべんきょうしてたんだもん」
「べ、べんきょう? お前が!」
 アルゥサは両手を腰にあてて、バフルを見すえながら口を開いた。
「そうだよ。文句ある?」
 バフルは大きく口を開けた後、小声でぼそりとつぶやいた。
「めずらしい…」
「ほっといてよ!」

 倉庫内へ射し込んでいた明りが弱まり、辺りが暗闇に包まれた。夜になったのだろう。あちらこちらで、小人の大人たちが動き回り、食事の準備を始めた。
 アルゥサは、勉強とお手伝いのごほうびに、大好物の干ナツメヤシの小片を貰って、口いっぱいにほおばった。
(甘くておいしい! 干ナツメヤシが貰えるんなら、たまにはこういう日があってもいいかも)
 大きな音を立てて飲み込むと、アルゥサは倉庫の隅を目指して走っていった。
 倉庫の隅には、小さなかまどがある。たった一つしかないので、小人たちは交代でかまどを使っていた。
 かまどは煙が中に充満しないように、壁のレンガが崩れた場所に作ってある。日中は、小動物が入り込んだり、「大きな人」に見つかったりしないように、麻布で壁を覆っていた。
 外が暗くなってから、布を取り外し、真夜中を過ぎて「大きな人」が寝静まった頃に、火を点ける。
 アルゥサはいつも、早く寝てしまってかまどに火が点るのを見たことがなかったので、今日こそは見ようと、意気込んでいた。
 
「おかあさん!」
 呼びながら近づいていくと、母親は丁度、葉を揉みほぐしながら、水を張った石の鍋に入れているところだった。
「あら、アルゥサ。ちょうど良かった。お話したいことがあったのよ」
「お話?」
「そう。火を点けるまで時間があるから、座って話しましょう」
 アルゥサは言われるまま、その場に腰を下ろした。

◆第13話◆

 鍋に葉を入れ終わった母親は、アルゥサの向かい側に腰を下ろした。
「どこから話したらいいか…」
 しばらく視線を宙に漂わせていた母親は、やがて口を開いた。
「そうね。少し昔のことを話しておきましょうか」
「昔?」
「そう。私たちはね、今の『大きな人』と同じように、太陽と共に生活していたの」
「太陽と??」
 アルゥサが首を傾げると、母親は微笑んだ。
「今は夜に出かけることが多いでしょう? 『大きな人』から隠れて行動するには、夜のほうが見つかりにくいから、朝起きるのもだんだん遅くなったの」
 アルゥサは小さく頷いた。
(お昼前になんて起きられないもん。サファルはいつも早起きだって言ってたけど)
「東から来た『大きな人』たちが、私たちの生活を変えた。『ジン』と呼んで、私たちを捕まえたり、閉じ込めたりするようになったからよ」
「『ジン』…」
(クネクネ爺さんは何て言ってたっけ?)
 アルゥサが眉間にしわを寄せていると、母親は再び口を開いた。
「だから、私たちは、みんなで力を合わせてここの倉庫で暮らすようになったの。肝心なことはね、『大きな人』に見つからないようにすることなのよ。見つかったら…」
「鳥につつかれたり、塩をかけられちゃう!」
 アルゥサは勢い良く叫んだ。
「話しているのに口を挟むなんて、お行儀が悪いわよ!」
「ごめん…なさい」
 母親はため息をついた。
「どこまで話したか…。ああ、そうそう。『大きな人』に見つかったら、今の暮らしが続けられないってことが言いたかったのよ」
「今の暮らし?」
「そう。ここみたいな、砂の飛んでこない、けものの入り込まない場所なんて、簡単には見つからない。食べ物だって集めにくくなる。アルゥサの大好きな干ナツメヤシだって、食べられなくなっちゃうのよ」
「えぇ! 食べられないの?」
「そうよ!」
 アルゥサは青ざめると、両頬を手で押さえた。
(こんな美味しい物が食べられなくなるなんて、おおごとだ)
「だからね、『大きな人』には、もう、会いに行ったら駄目よ」
 アルゥサは、目を見開いて、母親の顔を見つめた。
(…どうして? サファルは塩をかけたりしないよ)
「判った? 会いに行っちゃ駄目よ!」
 母親は強い口調で繰り返した。
(何でなのかわかんない。会いに行ったらナツメヤシが食べれないってこと?)
「判った? アルゥサ」
(…サファルと、ナツメヤシと、どっちかを選ばなきゃないってこと? サファル? ナツメヤシ? わかんない、わかんない。どっちも好きだもん!)
「アルゥサ! お返事は!」
「…はい」
 母親の強い口調に、アルゥサは思わず返事をしていた。
「判ったんならいいわ」
 そう言って、母親はにっこりと微笑んだ。

 アルゥサは腕組みをして歩いていた。
(返事、間違っちゃったかも…)
「う〜ん!」
 唸り声をあげながら、首をひねる。
(ナツメヤシは美味しいけれど、時々しか貰えないし…。サファルは毎日お話してくれる…)
「あ!」
 アルゥサは両手を叩いた。
(そうだ! サファルに干ナツメヤシがあるかどうか聞けばいいんだ)
「『大きな人』は、ナツメヤシの木を植えてるっていうから、あるかも!」
「ナツメヤシが何だって?」
 その声に、アルゥサは縮み上がった。
(思わず声に出しちゃってた!)
 恐る恐る振り向くと、バフルがいた。
「『大きな人』っていうのも聞こえたような…」
 アルゥサはあわてて両手を振り回した。
「違うよ、そんなの言ってないもん! ぜったい、バフルの聞き間違いだよ」
「聞き間違い?」
「そうだよ」
「そうかなぁ」
 首を傾げるバフルに、アルゥサは叫んだ。
「そうだったら、そうなの!」

◆第14話◆

 アルゥサは中庭の低木まで一気に走っていた。
 サファルの姿はない。
(部屋かな?)
 首を巡らせたアルゥサは、突然鳴り響いた鈍い音に、反射的に身を伏せた。
 顔だけを上げて様子を見ていると、甲高い笑い声と共に二人の「大きな人」が中庭に現れた。
 陽光を受けて鈍い輝きを放つ、黒いものを抱えている。
 何をしているのかまでは、アルゥサには判らなかった。ただ、水の跳ねる音だけが聞こえている。
(まだかなぁ)
 アルゥサはじっとしているのに耐えられずに、ゆっくりと足を動かした。
 突然、目の前に小石が転がってきて、アルゥサは見を竦ませた。
 土埃を巻き上げながら、すぐ横を服の裾が通り過ぎた。
(こんなに「大きな人」が多いんじゃぁ、サファルの部屋に行けないかも)
 アルゥサは小さくため息をついた。
(一気に走ればいいんだけど、いつ立ち上がればいいか…)
「サファル様!」
 聞こえてきた声に、アルゥサはあわてて辺りを見回した。
(サファル? どこどこ?)
 向こうに3人の「大きな人」が立っているのが見える。けれど、みんな同じように見えて、どれがサファルなのかアルゥサには判らなかった。
 鼻を鳴らせて匂いを嗅いでみる。けれど、やっぱり遠すぎて、サファルがいるのかどうかすら判らなかった。
「手を貸しましょうか?」
「いや、大丈夫だ」
(サファルの声だ!)
 目を凝らせてアルゥサは「大きな人」たちを見つめた。
 3人の後から現れた「大きな人」が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
 杖をつきながら。
(サファルだ!)
 1歩、1歩、「大きな人」は近づいてくる。
 アルゥサは鼻いっぱいに息を吸いこんだ。
(間違いない。サファルの匂いだ)
 まだ、サファルはアルゥサに気づいていないようだ。
 アルゥサは右手を上げて左右に振ってみた。
 立ち止まったサファルは、目を見開いた。
(サファル!)
 満面に笑みを浮かべて、アルゥサは大げさに手を振った。
 サファルの口があんぐりと大きく開く。
(変な顔してたかなぁ?)
 アルゥサが首をひねっていると、サファルは素早く懐に手を入れた。
(なあに?)
 見上げていると、視界いっぱいに薄紅色が広がった。

◆第15話◆

(きれいな色)
 見上げていたアルゥサは、巻き起こった風に、思わず目を閉じた。
(なにこれ?)
 何かが顔に触れている。足元もくすぐったい。
 アルゥサはゆっくりと目を開いた。
 淡い紅色のもやの向こうに大きな影が見える。
 アルゥサの身体は、周りを包む薄紅色のものと一緒に、ふわりと持ち上げられた。
(サファル?)
 後ろの方で、砂の擦れるような小さな音が聞こえた。
(なんなの?)
 急に辺りが暗くなった。薄明かりすら見えない。
 息苦しさを感じて、アルゥサは大きく息を吸いこんだ。
(サファルの匂いだ。前みたいにサファルの服の中かも)
 アルゥサは身体の緊張を解くと、足を伸ばして座り込んだ。
 上下、左右に揺られながら、アルゥサは運ばれていった。

「今、出してあげるから」
 サファルの声が上から聞こえてくる。アルゥサは早く外に出ようと、布の中でもがいた。
「待って、暴れないで!」
 足の下が引っ張られて、アルゥサはひっくり返った。
(あれ?)
 覗き込んでいるサファルの顔が見えた。
「大丈夫だった?」
「うん。びっくりした」
 そう、言いながらアルゥサは上体を起こした。
 辺りを見まわす。と、後ろに、先ほどまでアルゥサを包んでいた薄紅色の布があった。他は、いつも見なれているサファルの部屋だ。
「驚いたのはこっちさ。あんなところに居るから」
 ため息交じりでサファルが言う。
「だって…」
 言いかけたアルゥサを遮って、サファルが続けた。
「その上、手まで振って!」
「だって、気づいてもらえないかと思ったんだもん!」
 アルゥサが口を尖らせて言う。
「気づくさ。遮るものがない場所にいるから。とっさに、布を被せて連れてくるしかなかった。誰も見てなかったから良かったけど」
「ごめん。『大きな人』がいっぱいいるから、どうしたらいいか判んなくて」
 そう言って、アルゥサはぺろりと舌を出した。
「まあ、しかたがないな。とにかく、見つからなくて良かったよ」
 サファルは微笑むと、アルゥサの方へすっと手を伸ばした。
「なあに?」
 首を傾げるアルゥサの頭を、サファルは人差し指でそっと撫でた。
「えへへ」
 アルゥサは照れくささを隠すように、うつむいた。
(なんか、くすぐったい)
 小さな物音が聞こえて、アルゥサは顔を向けた。
 中庭から射し込む光の中を、何かがよぎったような気がした。
「どうしたの?」
 サファルには聞こえなかったようだ。
「う〜ん。なんかいたみたい。ネズミかなあ」
 眉根を寄せたサファルを見て、アルゥサはあわてて続けた。
「うううん。わかんない。気のせいかも!」

◆第16話◆

 サファルは黙ったまま、アルゥサの頭を撫でつづけている。
(どうして撫でてるのかなぁ?)
 アルゥサは、ゆっくりと顔を上げた。
 サファルの青い瞳は、部屋の中央をじっと見つめていた。
(何を見ているの?)
「サファル?」
 そっと呼びかけてみる。サファルはアルゥサの頭を撫でつづけながら、何か他のことに心を奪われているようだった。
「どうしたの? サファル!」
 少し大きな声で、アルゥサが叫んだ。
 サファルの手が止まった。
「ああ、ごめん。何の話だっけ?」
 サファルは目を瞬きながら言った。
「べっつに! 何の話もしてないけど…」
 口を尖らせてアルゥサが言う。
「ごめん。考えごとしてた」
「考えごとってなによぉ。何度も呼んだんだから!」
 アルゥサは頬を膨らませた。
「ごめん、ごめんね」
 そう言いながら、サファルはアルゥサを包みこむように両手を伸ばした。
「な、なあに? サファル?」
 サファルはアルゥサをそっと持ち上げた。
(なに? なんなの?)
 サファルはアルゥサを胸に抱き寄せた。
 顔に布が触れて、アルゥサは目を瞑った。
「温かい」
 サファルの言葉に、アルゥサはあわてて手を振り回した。
「だ、だって、春だし。花も咲くし。えっと、それから…」
 サファルの指が優しく背中を撫でて、アルゥサは口をつぐんだ。
 しばらくして、アルゥサを膝の上におろすと、サファルは口を開いた。
「今日、大勢の人がいたのは、明日の準備のためなんだ」
「あした?」
「そう。明日、父さんが帰ってくるって連絡があった」
(そういえば、サファルのお父さんって、旅に出ているんだっけ)
「そっかぁ。じゃあ、旅のお話が聞けるかもしれないんだ!」
 はしゃいでアルゥサが言うと、サファルは首を傾げた。
「どうかな。毎年同じ所に行っているから、きっと話すことなんて何もないよ」
「サファル、お父さんが帰ってくるのって、楽しみじゃないの?」
 アルゥサの問いに、サファルは淡々と答えた。
「べつに。それに、半年も家を空けてるから、居ないのに慣れてる」
(そういうものなのかな?)
 アルゥサが小さく頷くと、サファルは言葉を続けた。
「それに、こうして一緒にいる時間も、きっと減ってしまう」
「減っちゃうの?」
「ああ。父さんが帰ってきたって、特に何もないけど、アルゥサは隠れてなきゃならないだろ」
「もしかして!」
 アルゥサは両手を叩いて叫んだ。
「サファルのお父さん、塩をかけたり、干ナツメヤシを食べられなくしちゃったりするんだ!」
「…はあ? 干ナツメヤシ?」
「うん、そうだ! サファルのところにナツメヤシある?」
「あるけど…」
「やっぱり、思ってたとおり!」
 アルゥサは両手を合わせて、にっこりと微笑んだ。
「何のことかよく判らないけど?」
「あのね、サファルのお父さんに見つかるとね、干ナツメヤシや今の暮らしってのがダメになるの。それでね、サファルと干ナツメヤシと、どっちも大好きなんだけど、それが一緒だと、もっと、もっと、嬉しくて幸せなの!」
 手足をバタバタさせて説明するアルゥサを、サファルは呆気にとられて見つめていた。
「ね!」
 アルゥサに念を押されて、サファルはため息をついた。
「つまり…干ナツメヤシが食べたいってこと?」
「うん」
 こっくりと頷くアルゥサに、サファルは首を傾げた。
「そう…、そうだね。今日はもう無理だけど、明日にでも用意しておこうか」
「ありがとう! 明日が楽しみ」

◆第17話◆

 刷毛でひいたような薄雲が橙色に輝く中、アルゥサは倉庫に向かって歩いていた。
「うれしいなっ。早く明日になあれ」
 調子をつけるようにつぶやきながら、ゆっくりとレンガの隙間をくぐり抜ける。
 暗闇に目が慣れるのを待って、アルゥサは立ち止まった。
「あ、帰って来ましたよ!」
 誰かが叫んでいる。
(なんだろう? なんか、いつもと違う)
 アルゥサが後ずさると、誰かが肩をがっちりと掴んだ。
「だれ?」
 返事はない。
 目の前にぼんやりと影が見えきた。
(え?)
 驚いて目を見開く。
 何人もの小人たちが、アルゥサの周りを囲んでいた。
「無事だったか」
「大変なことをしてくれたな!」
「怖くなかった?」
 いっぺんに話しかけられて、アルゥサは瞬きを繰り返した。
(どうなってるの?)
「報告を聞いたよ。『大きな人』と会っていたそうだな」
 そう言って、肩を抑えていた男は手を放した。小人たちに選ばれた、「番人」と呼ばれているリーダー格の男だ。「番人」はアルゥサを下から覗き込んだ。
 黒い瞳がまっすぐにアルゥサを射抜く。
 アルゥサは口をぽかんと開けて、相手を見つめ返した。
(なんで? 誰かが見ていたの?)
「とぼけても駄目ですよ。見ていた者がいるんですから」
 アルゥサが振り向くと、派手な服装の男は傍らの少年を手で指し示した。
「バ、バフル!」
(なんで?)
 バフルは頭を掻きながら口を開いた。
「最初、『気紛れ』が捕まっちゃったのかと思って、びっくりした」
「後をつけてたの!?」
 アルゥサが怒気を含んで言うと、バフルは消え入りそうな声で答えた。
「だ、だって。その、いつも何してるのか気になって…」
「バフル!」
 アルゥサはバフルに掴みかかろうとした。
「うひゃぁ。ごめん!」
 バフルはあわてて逃げ出した。
「待ちなさいよ!」
 追いかけようとするアルゥサを「番人」が押さえた。
「とにかく、もう二度と『大きな人』などと会わないように。それから、しばらくの間、外へ出かけないように」
「えぇ。なんで?」
 問い返したアルゥサを、「番人」を含む大人たちは、穴のあくほど見つめた。
「えっと…?」
(変なこと言っちゃったっけ?)
 大人たちに睨まれて困っているアルゥサの耳に、聞きなれた声が届いた。
「…すみません。よく言い聞かせてきたつもりなのですが、至らなかったようで」
(お父さんの声だ)
 アルゥサは急いで父親の姿を探した。けれど、後ろのほうにいるのか、見えなかった。
「まだ子供だもの。判らないのは仕方がないわよ。これからは、子供たちを独りで遠くまで出歩かせないように気をつけなきゃいけないわ」
「そうだな。『大きな人』と会うなんて、危険だって、もっと判らせないと」
 口々に大人たちが言い合う中、ぼそりと老人が呟いた。
「本当に大丈夫なんじゃろうか。ここから出て『大きな人』らに見つからない場所へ逃げたほうが…」
 その一言で、辺りは静まり返った。
 大人たちは無言で、互いの顔を見つめ合った。
 やがて、「番人」が口を開いた。
「確かに。だが、相手の『大きな人』も、まだ子供。今後二度と会うことがなければ、大事に至ることはあるまい」
 大人たちはめいめい頷きながら、その場から散って行った。
 
 アルゥサはぼんやりとたたずみながら、ため息をついた。
(どうしよう。なんか、大きなことになっちゃった…)
 ふと、顔を上げたアルゥサは、悲しそうな顔で自分を見ている母親に気づいた。
「お母さん!」
 一気に駆け寄ると、母親はゆっくりと口を開いた。
「アルゥサ…。昨日、お母さんと約束したよね」
「約束?」
「そう。『大きな人』に会いに行ってはだめって」
「あっ」
 アルゥサが思わず大きな声を出すと、母親は大きく息を吐き出した。
「忘れてたのね…。ちゃんと約束を守ってくれれば、『大きな人』の話を聞くだけならできたのに」
(そっか。明日、サファルのお父さんが帰ってくるのに、お話が聞けないんだ。せっかく干ナツメヤシを用意してくれてるのに、貰えないんだ)
 アルゥサの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ひっく。おはなし…。っく。…バフ、ル。うわ〜ん」
 アルゥサは泣きすぎて、喉が痛くて夕食も食べられなかった。
 粗布を被って泣いているうちに、泣きつかれていつの間にか眠りに落ちていた。

◆第18話◆

 薄暗い倉庫の中、アルゥサはぼーっと座っていた。
(サファルのお父さん、もう来たのかも)
 アルゥサは大きくため息をつくと、恨めしそうに外への出入り口を見つめた。
 細く光の射し込む中、一人の大人が陣取るように座っている。見張りがついたのだ。アルゥサだけでなく、子供が独りで外へ出ないように、大人たちが交代で出入り口を見張ることになったのだ。
(干ナツメヤシと一緒に、サファルが待ってるのに…)
「あ〜あ」
 アルゥサは両腕を上げて、そのまま後ろにひっくり返った。
(つまんない。つまんな〜い)
 天井近くの横柱が、ぼんやりと見えている。
(そうだ。上に行けば、なにか面白いことがあるかも)
 アルゥサは飛び起きると、登り口に向かって駆けて行った。

 アルゥサが横木の上にたどり着くと、2人の小人が近づいてきた。
 1人は女性、もう1人は白髪混じりの口ひげを生やしている。
「クネクネお爺さん!」
 アルゥサがそう叫ぶと、老人は目を細めて微笑んだ。
「おお。よく来たのぅ。また、何か聞きたいことでもできたかな」
「えっと…」
(とくに用事はないんだけど)
 アルゥサが黙っていると、女性は口を開いた。
「もしかして! 高い場所が気に入ったんでしょう?」
「おお、そうか。それはいいことじゃな。わしらにとって、いつもと目線の高さを変えて世界を…」
 喋り続けているクネクネ爺さんを押しのけて、女性は前に出た。
「難しい話は抜きよ。来てくれて嬉しいわ」
 アルゥサはひざを抱えて横柱に座っていた。
 陽射しの入り込む壁の隙間を、じっと見つめている。
「あそこから外に出るのは、どうやったって無理だな」
 いつの間に隣に来ていたのか、褐色の肌色をした小人が立っていた。
(なんで、考えてることが判ったの?)
 驚いたアルゥサがじっと見上げていると、小人の男はどっかりと腰をおろした。
「狭いし、あそこまで行くのに何の足がかりもない。いくら外に出たくっても、無茶なことは考えなさんな」
 アルゥサは頬を膨らませて呟いた。
「わかってるもん」
 アルゥサは膝の間に顔をうずめて、下方を眺めた。薄明かりの中で動き回っている小人たちが見える。顔は判らないけれど、子供たちの歓声は耳に届く。
(きっと、この人、昨日の騒ぎをここから見てたんだ)
 アルゥサはそっと、横目で隣の小人を盗み見た。アルゥサの父親と同じ位の年頃の男は、考え事でもしているのか、ただ前方を見つめている。
 アルゥサは、ため息まじりでつぶやいた。
「…どうして、『大きな人』に会ったらだめなのかなぁ」
 しばらくの沈黙の後、男は口を開いた。
「まあ、『大きな人』は、俺らのことを『ジン』だと思っているし、『ジン』は、悪い存在だと思われているからだろう」
「じゃあ、『大きな人』に『ジン』じゃないって、悪いことしないって判ってもらえばいいの?」
 そう言って、アルゥサは身を乗り出した。
「それは難しいんじゃないかな」
「どうして?」
 アルゥサが詰め寄ると、男はおもむろに口を開いた。
「俺らは『大きな人』のところから食料を盗んでいるから」
「盗む!?」
 アルゥサが叫ぶと、男は大きく頷いた。
「ほんの少しといっても、結局、『大きな人』が損しているってことさ」
「そっか…」
「まあ、下の連中は、持ってきてるだけのつもりなんだろう。でも、結局は、盗んでるってことさ」
 しばらくうつむいていたアルゥサは、壁を見つめながら独り言のように言った。
「それじゃあ、『大きな人』と私たちは、仲良くできないのかなぁ」
「う〜ん。別に『大きな人』に会って仲良くなることは、そんなに悪いことじゃないだろう。もちろん、危ない目に会うこともあるだろうが、それは本人のせいってもんさ」
「悪いことじゃないの?」
 アルゥサが目を丸くすると、男は苦笑い浮かべた。
「まあ、おまえさんの場合は、相手が悪かったね。盗み先の家の者なうえ、ここの倉庫の持ち主ときたもんだ」
「サファルは、悪くないよ! とっても優しいもん」
 アルゥサが叫ぶと、男は頷いた。
「そう。けれど、それは、おまえさんにだけだろう? 俺らが大勢で暮らしていると知ったら? そのうえ、いつも食べ物や品物を盗ってきていると知ったら?」
 アルゥサは両手で頭を押え込んだ。
(サファルは、みんなを追い出しちゃうのかなぁ。ちょっとだけだけど、盗んでるって判ったら、怒るのかなぁ)
「う〜」
 アルゥサはうなり声を上げた。
 男は急に思い出したのか、両手を叩いて話しはじめた。
「確か、東のほうのどこかに、『大きな人』とうまくやってる仲間がいるって聞いたことがある。でも、本当の事かどうか判らないな。流れ者から聞いた話なんだが…」
「流れ者?」
(初めて聞いた…)
「そう。各地を渡り歩く仲間たちのことさ。色々な道具を持ち込んだり、『大きな人』の隊商に便乗して旅をしたり」
「へぇ〜。どこにいるの?」
 アルゥサが目を輝かせると、男は口を開いた。
「残念ながら今はいない。この町には、ごくたまにしか来ないのさ」

(続) 

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