チヨコレート探偵 第1話「薔薇の名前」

(三)

 おハナさんはわたしの足先から頭のてっぺんまで見回すと、笑顔で口を開いた。
「やっぱり良く似合うわ。これでもう、どこから見ても南条家の女中ですよ」
 わたしは眉を寄せると、自分のエプロンを見下ろした。
 裾に向かってふわりと広がって、幅広のフリルがぐるりと取り巻いている。胸当ての上端と肩紐の部分までフリルだ。
 幅広の紐は袋帯の中を通って、前で大きな蝶結びになっている。フリルや紐が邪魔で、なんだか動きにくそうな格好だ。
 似合うなんて言われても、鏡がないから良くわからない。だいたい、断髪も似合うなんて言っていたから、おハナさんの基準はどうも信用できないと思う。
「とっても可愛らしいですよ」
 褒め方が足りないと思ったのか、おハナさんが付け足した。何か返事をしないと、いつまでも褒めたてられてしまいそうだ。
「ありがとうございますです」
 顔をあげて言うと、おハナさんが笑顔で応じる。
「あら、本当のことですよ」
 わたしはエプロンの裾フリルをつまむと、首を傾げた。
 南条家の女中がこのエプロンを着ける決まりなら、もしかしたら母も着けていたのかもしれない。
 わたしはおハナさんを見つめると、意を決して訊ねた。
「南条家の女中は、昔からこういうエプロンをしていたのか?」
 おハナさんは戸惑ったようにわたしを見つめ返して、ゆっくりと口を開く。
「だいぶ前からじゃないかしら。私がこちらに来た頃には、どの女中も着けていましたよ」
 わたしは勢い込んで訊いた。
「それじゃあ、おハナさんがここで働きはじめたのはいつなんだ?」
 首を傾げて考えながら、おハナさんが言う。
「そうねぇ。八年くらい前ですよ。でも、どうしてそんなことを訊くんですか?」
 わたしはぎくりとして、顔が赤らむのを感じながら口を開いた。
「昔は……いや、八年だとそんなに昔じゃないから、えーと、ハイカラなものだから」
 あわてて言ってみたものの、意味不明で滅茶苦茶だ。
「そうですねぇ。遼太郎さまのお姉さまが、新しいハイカラなモノが大層お好きでしたのよ」
 おハナさんは軽く微笑んで言うと、両手を組んだ。遠いものを見るような目つきで続ける。
「洋行帰りの際には、巻き髪にドレスを着てフリルのパラソルを持っていて、どこから見ても西洋人のようだったのですって」
「パラソルって何だ?」
 訊いてみたけれど、おハナさんの耳には届いていないようだ。どことなくうっとりとした表情で、何かを思い出しているみたいだ。
 遼太郎の姉だったら、きっと美人だろうな。彫が深くて整っているから、西洋人みたいに見えたんだろう。
 わたしはおハナさんの邪魔をしないように、控えめにため息をついた。
 母がここで女中をしていたのは十四年以上前だから、おハナさんとは時期があわない。
 何か聞きたくても、おハナさんは母のことを知らない……。
 なんとなく寂しくなって、わたしは窓の外を見た。
 風に揺れる楓の枝の向こうに見えるのは、冷たく光る尖り屋根と青すぎる空。
 飛び交う影は烏だろうか。
 布ずれの音に振り向くと、おハナさんが後ろに来ていた。
 おハナさんは眩しそうに目を細めて、窓の外を見ながら口を開く。
「今日はいい天気ですし、お昼までの間にお洗濯をしてもらおうかしら」
「はい。がんばりますです!」
 わたしは張りきって応えた。おハナさんは窓から離れると、促すように言う。
「行きましょう。洗濯物は脱衣所にありますから」
「はいっ」
 先に立つおハナさんの後に続いて、タンス部屋を出た。
 廊下を歩いていって、おハナさんは絨毯敷きの広い階段を降りていく。
 すぐに続こうとして、わたしはあわてて手すりをつかんだ。
 フリルのエプロンが邪魔で足元が良く見えない。その上、長い袖が邪魔でなんだか歩きにくい。
 やっぱり動きにくい格好だ。何で女中がこんな格好しなけりゃいけないんだろう?
「あやめさーん。どうかしましたか?」
 下でおハナさんが叫んでいる。
「今行きますです!」
 わたしはあわてて、転がるように階段を駆け降りていった。


「このお部屋は書斎です。よく遼太郎さまがいらっしゃいます。次の大きな扉は大広間です。今は全く使われていないんですよ」
 並んで歩きながら、おハナさんが一つ一つの部屋について説明していく。
「ここは居間です。居間から大広間への出入り口もあったのですけれど、今は家具で閉じてしまっているんですよ」
 前方の扉が音もなく開いて、本を抱えた遼太郎がひょっこりと姿を現した。
「あら、遼太郎さま。ちょうど良かったですわ」
 おハナさんは弾んだ声をあげると、わたしの肩に手を置いた。にっこり笑って口を開く。
「どうです? 可愛らしいでしょう?」
 遼太郎は軽く眉をしかめて、ちらりとわたしを見た。目が一瞬合うと、小馬鹿にしたようにアゴをあげて、鼻を鳴らす。
 わたしはムッとして、遼太郎を睨んだ。
 可愛らしいなんて言うはずがないってわかっているけれど、何も鼻で笑うことないじゃないか!
 遼太郎は黙ったまま、わたしとおハナさんの方へ向かって歩き出した。
 おハナさんは何も言わない。わたしの肩に手を置いたまま、息を殺している。
 遼太郎の冷たい整った顔がだんだん近づいてくる。
 わたしは息苦しく感じて、遼太郎から目を逸らした。
 遼太郎は歩みを緩めることなく近づいて、そのまま横を通り過ぎていく。振り返ると、少し丸めた背中がどんどん遠ざかっていくのが見えた。
「あらあらあら」
 おハナさんはどこか面白がっているような調子で言うと、わたしの肩から手を離した。
 遼太郎が角を曲がっていくのを睨んでいると、おハナさんがぽつりと呟く。
「いつもは全く関心を示さないのに、今日はどうしたのかしら」
「関心?」
 わたしは思わず訊き返した。
「あら、声に出してしまいましたわ。独り言ですから気にしないでくださいね」
 おハナさんは悪戯っぽい笑みを浮かべると歩き出した。
 そんなこと言われたら、ますます気になるじゃないか。一体なんなんだ?
 わたしは頬を膨らませておハナさんの後をついて行った。
 廊下の角を曲がって、薄暗い裏通路に入る。曲がってすぐのところが厠、隣りが洗面所。おハナさんの使っている使用人部屋を挟んで、脱衣所と風呂場だ。
 おハナさんは素早く脱衣所の扉を押し開けた。
 一畳ほどの狭い脱衣所の半分を、脱ぎ捨てられた洗濯物の山が占めている。
 遼太郎が着物の下に着ているような、白や生成り色のシャツばかりだ。
「洗濯物で見えないですけれど、その下に桶がありますから。洗濯板と石鹸も桶の中ですよ。全部洗ったら外に干してくださいね。よろしく頼みますよ」
 おハナさんは一息に言うと、脱衣所を出て行った。
 わたしはシャツの山を見て、ため息をついた。
 毎日着替えたとしても、ひと月分以上ありそうだ。
 なんでこんなに溜めているんだ。前の女中は洗わなかったのか。
 再びため息をつくと、洗濯物の下から桶を引っ張り出した。桶の中へ洗濯物を入るだけ入れて抱え上げる。
 洗う場所は聞かなかったけれど、水が出るのは風呂場と台所と洗面所だ。
 少し悩んでから、わたしは重い桶を抱えて洗面所へ向かった。
 桶を抱えたまま、洗面所の戸を背中で押し開ける。
 壁の一面を占めている洗面台によろよろと近づいて、掛け声をかけながら桶を置いた。
「ふう」
 自然と息が漏れて、わたしは自分の肩を叩いた。
 なかなかの重労働だ。けれど、まだ始まったばかり。弱音を吐いてなんていられない。
 灰色の石で出来た洗面台には、蛇口と鏡が五つ並んでいる。
 わたしは一番近い蛇口の下に桶を引きずって運ぶと、蛇口の取っ手をひねった。
 水が勢い良く出てくる。井戸まで水を汲みに行かなくてもいいってのは、すごく楽で便利だ。
 わたしは水飛沫を飛ばしながら、せっせとシャツを洗いはじめた。
 顔は上気して暑いくらいなのに、指先は冷たくて思うように動かない。
 よれよれでしわくちゃのシャツを十枚ほど洗い終えたわたしは、腕で額に張りついた前髪をかきあげた。
 桶の中から出てきたのは、襟と袖口が糊付けされたシャツだ。どこにも汚れがないし、新品みたいに見える。
「全部洗えって言ったから、これも洗えってことだろうな」
 わたしはぶつぶつと呟きながら、シャツをつまみあげた。
「そういうことだ。糊が完全に落ちるように、しっかり洗え」
 遼太郎の声が淡々と響く。顔をあげると、いつの間に洗面所に入ってきたのか、鏡越しに遼太郎が見えた。本を抱えたまま、わたしの斜め後ろに立っている。
 わたしは顔だけ後ろに向けて訊ねた。
「このシャツ、もしかして新品なんじゃないのか?」
「そうだ」
 あっさりと遼太郎が言う。わたしは思わず、身体ごと後ろを向いて訊いた。
「何で、わざわざ洗うんだ?」
 遼太郎は軽く眉をしかめて、薄い唇を開く。
「糊付けされているのが嫌いなだけだ。いちいち訊くな」
 有無を言わせぬ言い方に、わたしは黙りこんだ。洗面台に向かって、聞こえるようにため息をつきながら新品のシャツを洗いはじめる。
「干すときには、シワを伸ばしすぎるなよ」
 遼太郎は捨て台詞のように言って、洗面所を出て行った。

続く

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