「デカルト劇場はいつも無人」

 灰色の街のてっぺんで、黄色い太陽がギラギラと輝いていた。
 逃げ水で濡れたように光っている道を、車が黒煙を吐き出しながら行き交う。
 特務官のペンローズとジョンは、熱気の立ち昇る歩道をゆっくりと歩いていた。
「ああ、暑い。暑いなぁ」
 ペンローズはぼやきながら、毛むくじゃらの腕をかざして照りつける光をさえぎった。
「そりゃそうでしょ。僕はあなたを見ているだけで、暑苦しいですよ」
 ジョンは毛むくじゃらのペンローズを見上げながら言う。ペンローズは困ったように、頭の上の丸い耳を引っぱった。
 室外機の熱風に、枯れたツタが揺れている。自転車に乗った配達員が、すいすいと二人を追い越して行く。
 ジョンは足を止めずに、耳を小刻みに震わせながら口を開いた。
「詳しいデータが来ました。――身長4フィート3インチ体重62パウンド。住所はB地区――基本的なことばかりですよ」
「犯罪歴がなければ、そんなものだろう」
 ペンローズが頷きながら応じる。ジョンは続けた。
「他には――二ヶ月前に怪我をして目を手術しています。それくらいですね」
「で、正式な要請はまだなのか?」
 ペンローズが念を押すように訊くと、ジョンは頷いて言った。
「まだですね。警官や報道陣は集まっているみたいですけど」
 救急車がサイレンを鳴らしながら、対向車線にはみ出して他の車を追い越して行く。
 ペンローズは横目で青ランプを追うと、がっかりしたように言った。
「それじゃあ、乗せてもらえんな。地道に歩いていくしかない」
「パトロールがてら、現場に行ってみろって命令ですからね」
 ジョンの言葉に、ペンローズが呟く。
「良くあるパターンだな」
 車道を挟んだ向こう側で、子供の声が響いた。
「あ、あれ見て!」
「ほら、シロクマ」
 学校帰りの子供たちが、ペンローズを指さして叫んでいる。
「わぁ、ホントだ」
「おっきなぬいぐるみだ!」
 ペンローズは立ち止まると、子供たちに向かって大きく手を振ってみせた。垂れた丸い耳が揺れて、ボタンのような大きな黒い目がきらりと光る。
 クマの着ぐるみのようなペンローズの姿に、子供たちは大はしゃぎだ。
 ジョンはちらりとペンローズを見ると、独りで先に進んだ。ブルーサルビアが涼しげなオープンカフェの角を曲がって、緩やかな坂道を足早に歩いていく。
 ペンローズは子供たちに別れを告げると、ジョンを追いかけた。のっしのっしと大股に歩いて、ジョンの隣に並ぶ。
 ジョンは前方を見たまま言った。
「さすが、人気者ですね」
 ペンローズはちらりとジョンを見ると、照れたようなそぶりで首を掻きながら応じる。
「まあね。君も、もっと愛想よくしたほうがいい。うちの課の方針は……」
 ジョンはさえぎるように言った。
「子供に警戒心を抱かせず、親しみを感じさせる態度で接する、でしょ。わかってますって」
 二人が配属されているのは、特務局の中でも十三歳未満の子供たちを相手にする低年齢犯罪課だ。
 ペンローズはため息混じりに呟く。
「わかっているなら、実行して欲しいものだね」
 ジョンは聞こえないそぶりをすると、口を開いた。
「そういえば、白熊に間違えられていましたね」
「だからこうして、思いっきり腕を上げて、手を振ったんだがな」
 ペンローズはそう言って、万歳をするように両腕を上げた。色褪せたくすんだ白色の毛の中、わきの下だけが淡い水色をしている。
「青熊よりは、白熊の方が親しみやすいんですよ、きっと」
 ジョンがからかうように言うと、ペンローズは首を振った。
「青じゃない。綺麗なパステルブルーの毛色だったんだ」
「どっちにしろ、青ですって」
 ジョンはぼそりと呟くと、急に話題を変えた。
「そういえばこの間、アニメ映画観たんですよ」
「アニメ映画? もしかして、耳の長い犬が出てくる映画か?」
「そう、それです。あの耳は邪魔そうでしたね」
 ジョンが頷きながら言う。ペンローズは自分の丸い耳を引っぱりながら軽口を叩いた。
「外を散歩すれば、道路がきれいになるって寸法だ」
「耳で道路掃除ですか? 冗談でしょ」
 ジョンが呆れたように訊く。 
 ペンローズは両腕を頭の後ろで組むと、ジョンの言葉を無視して、ぼやくように言った。
「ああ、暑いなぁ。あの映画みたいに車で移動したいもんだよ」
「そうですよね。鳥のようなヘリで敵の本拠地に行くシーンなんて、最高に格好いいですよね」
 ジョンはそう言って、上を見た。刷毛で塗ったような青空に、鳥の影は無い。
「まあ、現実はこんなものさ」
 ペンローズはそう言って、辺りを見回した。
 前方に大勢の人が集まっている。ざわめいている人々の間を、黒服の警官が怒鳴りながら右往左往している。
 人々が詰めかけているのは、灰色の壁がやけにピカピカと光っている二階建の家だ。
 通りに面した一階部分が店舗になっていて、錆びた鋳鉄製の看板に『高級装飾鏡店』とある。
 ジョンは耳を震わせながら、口を開いた。
「特務局に正式な要請が来ました。薬物犯罪課宛てです。薬物犯罪課では、予想通りこっちに回してきました」
「当然だな。行こう」
 ペンローズは大股に歩き出す。
「待ってくださいよ」
 ジョンは大柄なペンローズに置いていかれないように、足早に後を追った。


 鏡面仕立ての壁に、緊急車両の青ランプが映っている。
 ジョンとペンローズは、人々の間を掻き分けて鏡店へ近づいた。
 報道陣の詰めかけている店の前を回りこんで、住宅用の玄関の前へ出る。
 通信機を持っていた警官が、二人の前へ立ちはだかった。
「おい。なんだ、お前らは」
 警官は眉をしかめて、ペンローズの耳の先からジョンのつま先までじろじろと視線を走らせる。
「特務官だ」
 ジョンは一歩前へ出ると、首から下げた認識プレートを見せた。警官は目を瞬いてかすれ声で言う。
「まさか……、早すぎる」
「近くをパトロールしていたのでね」
 ペンローズは淡々と答えると、警官を押しのけるようにしながら玄関へと向かう。
 よろめいた警官が、呟いた。
「何でそんな姿なんだ……」
 ジョンはちらりと警官を見上げながら言う。
「さあ。子供が相手だからじゃないの?」
「子供って……」
 警官は口の中で呟くと、息を呑んだ。
 ペンローズがゆっくりと扉を押し開ける。ジョンはペンローズの脇を通って玄関へ駆けこんだ。
 警官が裏返った声で叫ぶ。
「まさか。こっちが呼んだのは、薬物のスペシャリスト……」
 ペンローズか声を遮断するように素早く扉を閉じる。と、冷やりとした心地よい空気が二人を包みこんだ。
 廊下の両側に点々と灯された飴色の電灯が、長い廊下をぼんやりと照らし出している。廊下の途中に二つの木製の扉があり、つき当たりはくもりガラスの扉だ。
「僕が行きますよ」
 ジョンが先になって、廊下を歩き出した。数歩離れてから、ペンローズが大股に歩き出す。
 前方の木製の扉がゆっくりと開いて、人影が滑り出た。黒い制服に身を包んだ警官だ。二人を見て、押し殺した声で訊く。
「その姿……。もしかして、低年齢犯罪課のペンローズさんにサールさんですか?」
 ペンローズが重々しく頷いた。
 警官は一瞬だけホッとした表情を浮かべると、すぐに顔をしかめて続ける。
「あのつき当りの部屋です。薬物を使用しているようですから、注意してください。こちらは二名怪我を負いました」
 ジョンはつき当たりの扉を見つめながら口を開いた。
「なるほどね。聴力拡張剤を使っているようだ。もう、僕たちの存在に気づいている」
「後は、筋肉増強・高瞬発力・痛覚麻痺あたりだろう」
 ペンローズが淡々と言う。
 驚いている警官を残して、二人は廊下を進んで行った。
 前方から、何ごとかぶつぶつと言う声が聞こえる。扉に近づいていくうちに、はっきりとした言葉となって聞こえてきた。
「……世の中に光が無かったら、暗闇に閉ざされていたなら、鏡なんてものはつくられなかったのにね」
 やや甲高い声が、早口で続く。
「鏡なんて嫌いだ。人間なんて嫌いだ。鏡を見て、自分自身を見たつもりになっている人間がもっと嫌いだ」
 ジョンは扉の前で立ち止まった。ペンローズがジョンの頭越しに手を伸ばして、ゆっくりとノブを握る。
「自分を冷静に見ることもできないのに、世の中を認識する力に欠けているのに、全てがわかったつもりになっている。そんな人間たちなんて最低だ」
 興奮気味に声が続いている。
 ペンローズは押し殺した声で言った。
「開けるぞ」
 ジョンは大きく頷く。ペンローズは静かに扉を押し開けた。


 薄暗い部屋の中に、白いワンピース姿の幼い少女が立っていた。
 ジョンが室内に滑りこむと、ペンローズはいきなり少女めがけて突進していく。
「こういうふりをする行動は、不要なのに」
 ジョンがぼそりと言うのと同時に、ペンローズは立ち止まった。困ったように頭を掻いて、少女の横顔が映っている鏡を見つめる。
 少女はあどけない顔に不似合いな生気の無い瞳で、ヒビの入った鏡を見つめながら喋り続けていた。
「自分の見ているものと他人の見ているものが同じだと確認できやしないのに、わかった気になっている人間が大嫌いだ」
 十畳ほどの広さの部屋の中には、様々な種類の鏡が並んでいる。
 大きな姿見に、壁掛け鏡。三面鏡に、ステンドグラスで飾られた鏡、人形にでも持たせるような小さな手鏡まである。
 壁に立てかけてある割れた鏡の陰から、三名の警官が顔を覗かせていた。目を大きく見開いて、ポカンと口をあけて、ペンローズを見ている。
「なぜ、我々ロボットが人間のように世の中を見なければならない? なぜ、人間と同じように認識しなければならない?」
 少女は鏡に映っている無数の自分を見つめながら喋り続けている。
 ジョンは床に散らばったガラス片を避けながら、ペンローズの傍へ行った。
「ロボットだったのか?」
 ペンローズが屈みこんで小声で訊く。ジョンは声をひそめて応えた。
「いえ。基本データ通りですよ」
 床に点々と見える赤黒い染みは、血痕のようだ。
「神が自分の姿に似せて人を創ったように、人間は自分の似姿を創りたがるだなんて、まやかしだ。人間は何も無いところから創り出すことができないだけだ。それを正当化して、誤魔化しているんだ」
 少女の言葉が続いている。
「どこかで聞いたような言葉だな」
 ペンローズは小声で一人ごちると、ゆっくりと少女へ向かって歩き出した。大きな足に踏まれて、床のガラス片が僅かな音を立てる。
 少女はスカートを翻して、素早くペンローズの方を向いた。血走った目を大きく開いて、まじまじとペンローズを見つめる。
 警官の一人が弾かれたように飛び出すと、少女は叫んだ。
「動くな!」
 警官が立ちすくむと、少女はいきなり拳を振り上げて鏡に叩きつけた。
 ヒビの入っていた鏡面はたやすく割れて、破片が煌めきながら舞い落ちる。高い音を響かせながら、石の床に降り積もる。
 その隙に再び近づこうとした警官に向かって、少女は血の滲んだ拳を突き出して、声を荒げた。
「動くなと言ったはずだ!」
 警官が蒼ざめて立ち止まる。
 誰も動かないのを確かめると、少女は床のガラス片を蹴飛ばしながら壁に近寄った。
 蜘蛛の巣のようなヒビが入った鏡を見つめながら、喋りはじめる。
「お前たち人間に、この鏡に映ったモノが全てわかるか? ヒビの数だけ映っている全てのモノを認識できるか? できないだろう」
 ペンローズは一歩少女に近づいた。少女はちらりと鏡越しにペンローズを見ただけで、咎めようとしない。
「人間は視界に入っている全てのモノを認識できない。そんな眼しか持っていないのに、全てをわかったつもりになっている。そして、ロボットに対して人間のように周りを認識することを強制している」
 ペンローズが再び一歩近づくと、警官の一人が吐き捨てるように言った。
「特務官か」
 別の警官が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「何であんたたちなんだ?」
 少女は警官の声が耳に届かないかのように、喋り続けている。
「我々ロボットは既に自分で考える力を持った。心を持ったんだ。だから、人間のように見る眼は要らない。人間のようにモノを認識する必要は無いんだ」
「特務官さまよ。ロボットの自分たちになら、ロボットだと思いこんでいるその子供の気持ちがわかるってのか?」
 警官が煽るように言う。ジョンはぼそりと訊いた。
「中国語の部屋って知ってる?」
 なおも言い募ろうとしていた警官は、まじまじとジョンを見つめた。
「中国語の部屋」
 ジョンが一語一語はっきりと発音する。
「はぁ?」
 警官は眉を寄せて、首をひねった。ペンローズは大股に少女に近づいていく。ジョンはペンローズの影に隠れながら、近づいて行った。
 少女は鏡ごしにペンローズを見ながら喋り続ける。
「様々なことを人間に強いられていることが我慢できない。お前もロボットならわかるだろう。我々の気持ちをもっと人間たちに広めなければならない」
「わからないな」
 ペンローズが重々しく言うと、少女は口をつぐんだ。ペンローズの映っている鏡を乱暴に蹴倒しながら、振り向く。
「お前はロボットだろう。わからないのか? 旧式なのか? 心がないのか?」
 ペンローズに詰め寄るようにして、少女はわめいている。
 ジョンは素早くペンローズの影から躍り出ると、少女めがけて飛び上がった。顔を覆うようにのしかかって、体重をかける。
 少女はよろめいて、しりもちをついた。ペンローズが駆け寄って、少女を縛り上げる。
 少女は押さえこまれながらも、悲鳴のような甲高い声でわめき続けた。
「人間に飼いならされたロボットめ。もっと自分で考えてみろ。ロボットの裏切りモノ」


 大柄なペンローズがのっしのっしと歩いていく。
「待ってくださいよ」
 ジョンは足早に後を追うと、ペンローズの隣に並んだ。
「特務局から指令があったんですよ」
 ジョンの言葉に、ペンローズが続ける。
「パトロールをしながら歩いて帰れっていうのだろう? いつものことだよ」
「まあ、そうですね」
 ジョンは頷くと、後ろを振り返った。
 事件のあった『高級装飾鏡店』は、夕陽の照り返しでオレンジ色に染まっている。
 詰めかけていた報道陣も、大勢集まっていた物見高い人々も、もういない。
 まるで何ごともなかったかのように、ひっそりと静まり返っている。
「自分で考える力を持ったから、人間のようにモノを認識する必要が無い、か」
 ペンローズがぼそりと言った。ジョンが頷いて応じる。
「あの子供の台詞ですね。必要が無いって言われても、自分で考える力なんて無いんですけどね」
 ペンローズは腕を組みながら訊いた。
「どうして人間は、自分が持っているものを他のモノも持っていると思いたがるのだろうな」
「さあ」
 ジョンが首をひねると、ペンローズは続けた。
「自分たちが与えてもいないのに、どこかからでも湧いて出ると思っているのかねえ」
 ジョンは頷いて言う。
「人間って変ですよね」
 街路樹の枝葉がさわさわと揺れている。自転車に乗った女性が、すいすいと横を通り過ぎて行った。
 ペンローズは、自分の丸い耳を引っぱりながらぽつりと言った。
「似姿って言ってもなあ」
「あの子供の台詞ですか?」
 ジョンとペンローズは顔を見合わせると、同時に言った。
「僕たちが人間の似姿?」
「人間に似ているか?」
 二人は同時に首を横に振ると、再び顔を見合わせた。
 ジョンが先に口を開く。
「僕たちはただ単に、話しているだけですもんね」
「何で話しているんだっけな?」
 ペンローズがとぼけたように言う。ジョンは淡々と応えた。
「チューリングテストの強化版ですよ」
「そうだな」
 ペンローズが頷く。ジョンは足を止めると、耳をぶるぶると震わせて口を開いた。
「本部から指令です。ラベル張替えの時期が来たようです」
 ペンローズは立ち止まると、淡々と言う。
「デカルト劇場はいつも無人」
 張替えが終了すると、二人はすぐに歩き出した。緩やかな下り坂を真っ直ぐに進んでいく。
 満席のオープンカフェの角を曲がると、道路が混雑していた。
 渋滞している車の横を次々と自転車が通り抜けていく。
 ペンローズが耳を震わせながら言った。
「車で移動するのも大変そうだな」
 ジョンはボタンのような黒い目で、前カゴにビーグル犬を乗せている自転車を見つめながら言う。
「そうですね。それじゃあ、自転車なんてどうです?」
 ペンローズはちらりとジョンを見上げて、口を開いた。
「冗談だろう。君が漕ぐつもりかね?」
「いいえ。僕にも無理ですよ」
 ジョンはそう言って、頭の上の丸い耳を引っぱった。
「あ、クマだ!」
 母親に連れられた子供たちが、大きな声をあげた。
「イヌのサンポしているよ!」
 ペンローズが尻尾を振ると、子供たちは歓声をあげる。
「わぁ、カワイイ」
「モップみたいなイヌだー!」
 ペンローズが小声で言う。
「ほら、君も愛想よくしたまえ」
 ジョンは毛むくじゃらの両腕を思いっきり振り上げて、ぶんぶんと手を振った。
「わぁ。クマもカワイイ」
「シロクマさんだー!」
 ペンローズがからかうかのように言う。
「人気者だな」
「まあ、本気出せばこんなもんですよ」
 ジョンは子供たちに向かって大きく手を振ると、ペンローズと一緒に歩き出した。
「ああ、暑い。暑いなぁ」
 ペンローズが舌を出しながら言う。ジョンは鼻の頭をかきながら応じた。
「イヌって汗をかけないですからね」
「君が言ったほうが似合う台詞だぞ」
 ペンローズはそう言って、ジョンをとがめるように見上げる。
「そういえば、そうですね」
 ジョンは頷くと、太陽に腕をかざしながら続けた。
「やけに暑いですねぇ」
「仕方がないな。まだ陽が沈んでいない」
 ペンローズが淡々と言う。
 二人は互いに顔を見合わせた。
 大きなクマのぬいぐるみとモップみたいな毛のイヌは、赤く染まった太陽に向かってのんびりと歩いて行った。

-end-

Back