虹の冠  第2話(24.Jun.2001 UP)

Next      

 真っ青な空に、刷毛で引いたような筋状の雲が浮いていた。
 空に溶けこむような色の山々が、影のようにぼんやりと遠くに見えている。
 なだらかな丘が続く高原の狭い道を、先導の馬に続いて二頭立ての小さな馬車が進んでいた。
 馬車の天蓋は木製で、王家の紋章である「王冠を被った伝説の鳥『白鳥』」が彩色浮き彫りされている。
 銀細工で飾られた窓には真っ白なカーテンがかかり、格子状に木のはめこまれた窓から金色の髪の毛とエメラルドの瞳が見えていた。
 どこまでいっても変わらないのどかな景色。
 時おり動くものといえば、高原でのんびりと草を食むリャマくらいのものだ。
 大きな白いレース襟のついたオーキッドピンク色のドレスを着たアティナルは、窓から顔を離した。
「あ〜あ。つまんないなぁ」
 アティナルは、側にあった青い絹のクッションを手にとると胸に抱いて、ちょこんと顔を乗せた。
 耳の上で二つに結った金色の巻き毛がはねて、アティナルのバラ色の頬にかかる。
「な〜んにもやることがなくって、つ〜まんない!」
 アティナルは両手で頬を押えると、イヤイヤをするように頭を左右に振った。
 頭の上の白いレースのリボンと、銀の首飾りが揺れる。
 揺れているうちにパラリとほどけたリボンを見て、むかい側に座っていた侍女のエレナは口を開いた。
「あらぁ、姫様。おリボンがほどけてしまいましたわ。じっとしてらしてくださいねぇ」
 アティナルはぴたりと足を止めた。
 エレナは腰を浮かせてアティナルの頭へ白い手を伸ばした。
 アティナルは上目づかいで、エレナの顔を見つめた。
 仔鹿のような黒目がちの瞳が、じっと一点を見つめている。
 馬車が揺れるためか、上手く結べないようだ。
「まだ?」
 アティナルはじれったそうに言った。
「…もう少しですぅ」
 エレナは眉をぎゅっと寄せて、真剣な表情を浮かべている。
 瞳が満足そうに輝いたと思ったら、エレナはアティナルの頭から手を離した。
「はぁい。できましたぁ!」
 にっこりと笑顔を浮かべてエレナが言う。
「ありがとう」
 アティナルは短くお礼を言って、自分の革靴のつま先を見つめた。
 
 馬車が向かっているのは、コロナデリスの東、常夏の森林「セルバ」にある冬の離宮だ。
 セルバの蒸し暑い気候が身体に合わないレクトルを除いた王家、父王と母后とアティナルは毎年乾季になると、森の中の城で冬を過ごしていた。
 乾季にはまだ一ヶ月ほど早い今、急に「離宮へ行きたい」と言いだしたアティナルを乗せて、馬車は離宮へ向かって走っていた。

 身に着けている濃紺のドレスと白いエプロンをもてあそんでいたエレナは、瞳を悪戯っぽく輝かせて言った。
「ねぇ、姫様? どおして急に、離宮へ行こうって思ったんですかぁ?」
 アティナルは何度も瞬きを繰り返すと、クッションをきつく抱きしめて言った。
「べつに、どうでもいいじゃない」
「でもぉ、去年離宮へいらしたときには、大きな虫が出たって大騒ぎしたじゃありませんかぁ」
 その言葉に、アティナルは宮殿の壁に張り付いていたぬめぬめした大きな虫を思い出して、形のいい眉を寄せた。
「…あ、あれは、退治してもらったもの。もう絶対に出ないわよ、絶対!」
「そうだといいですよねぇ」
 エレナの返事に、アティナルは頬を赤らめて叫んだ。
「な、なによ。エレナったら脅かさないでよね。だいたい、あのとき、エレナのほうが怖がっていたじゃない!」
「そうでしたかぁ?」
「そうでしょ」
 アティナルが強い調子で言うと、エレナは首をかしげた。かしげるのにあわせて、肩で切りそろえたこげ茶色の髪が、さらさらと頬に滑り落ちる。
 アティナルはスカートについたレース飾りを摘みながら、口を尖らせて言い訳するように言った。
「だって、森の中の泉なんて、バリェスかセルバへ行かないと見つからないんだもの」
「…森の中の泉、ですかぁ。それってなんですぅ? 姫様ぁ」
 エレナは反対側へ首をかしげた。
 アティナルはクッションを両手で持ち上げて、顔を隠すようにして叫んだ。
「な、なんでもないわよ!」

 高原の中を流れる澄んだ水の小川に着くと、馬車は止まった。
 馬に水を飲ませている間に、男たちは草むらの陰に造ってある石のかまどで、お湯を沸かしはじめた。
 馬車の外に出て、指示を出していたエレナは、くるりとアティナルを振り向いて言った。
「姫様。お茶とチョコラーテとどちらをお飲みになりますかぁ?」
「もちろん、チョコラーテよ」
 アティナルの返事に、エレナは頷いて訊いた。
「トウガラシとぉ、バニラはお入れしますかぁ?」
 アティナルは首をひねって少しだけ考えると、口を開いた。
「トウガラシは少しだけ。蜂蜜はたっぷりと入れて」
「かしこまりましたぁ」
 エレナは再び男たちに指示を出した。
 木製の筒のような容器に、黒茶色の粉と熱湯が注がれる。
 男たちは、溝の着いた棒のようなもので、中身をかき混ぜた。
 とろりとした蜂蜜が入り、黒やこげ茶色の粉が一つまみ入る。
 最後に赤い粉が入って、男たちは泡立ったこげ茶色の液体を、白い陶器のカップに注ぎ入れた。
 エレナは銀のプレートに、湯気の出ているカップと小さな丸いパンを載せて、アティナルの前に立った。
「はい、姫様。トウガラシ入りチョコラーテと、トウモロコシパンですぅ」
 アティナルは、甘い香りを漂わせている温かいカップと銀のスプーンを受け取った。
 チョコラーテに浮かぶ泡を、スプーンですくって飲みこむ。
 甘い味の後に、ピリッと辛い刺激が口の中に残る。
 次にアティナルは、トウモロコシパンをチョコラーテに浸して、口に入れた。
 自然とアティナルの顔がほころんで、満面に笑顔が浮かんだ。


 日中は馬車に揺られ、夜は都市の有力者の邸宅に宿をとる。これを10日繰りかえして、馬車はやっとセルバに到着した。
 王宮のある高原とは違い、セルバには背の高い木々が生い茂り、濁った土色の川が流れている。
 道端には色鮮やかな花々が咲き乱れ、湿った風が肌を潤す。
 セルバに着いてからずっとアティナルは、顔を窓へ貼り付けるようにして森を見つめていた。
(泉はどこにあるのかな)
 休憩時間にエレナが出した甘い果物を食べるときにも、アティナルは窓の外を見ていた。
 やがて、空が赤く染まる頃に、アティナルたち一行は、ヤシの巨木の横に建っている真っ白な大理石の宮殿へ到着した。

 (続)    

Back         TOP         Next