虹の冠  第6話(16.Sep.2001 UP)

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 琥珀色の光が樹木の形を黒々と浮かび上がらせていた。ただでさえ暗い森の中は、よりいっそう影を濃くしたように見えている。
 湿っぽい土道を、足を引きずるように歩いていたアティナルは、深い湖のような青緑色の瞳できょろきょろと道の両側を見まわした。木々の間を飛ぶように移動する小さな影がいくつも見える。
(鳥? 小さなケモノ? それとも……虫?)
 アティナルは、左右に頭を振った。二本の金色のおさげがぶんぶんと風を切る。
(虫は大丈夫。だって、虫よけの香料油を塗ってるもの……)
 アティナルはぎゅっと眉を寄せて、斜め前を歩いているエレナに呼びかけた。
「なんだか、暗くなってきちゃったね」
 エレナは立ち止まると、さらさらの髪をなびかせてくるりと振り向いた。仔鹿のような大きな茶色い瞳で、真っ直ぐにアティナルを見つめる。
「すぐに村に着きますからぁ。大丈夫ですぅ」
「うん」
 アティナルは小さく返事をすると、両手を伸ばしてエレナの右腕をとった。そのまま自分の腕を絡ませて、寄り添うように自分の身体をぴったりと寄せる。
「まあぁ、アティ様ぁ?」
 エレナは目を丸く見開いて、少しとがめるようにアティナルを見つめた。アティナルはそっぽを向くと、頬を赤らめて言った。
「だって、涼しいから。べつにいいでしょ!」
 エレナはちらりとアティナルを見つめると、素早く薄暗い周囲を見回した。橙色の木漏れ日を受けてエレナの瞳がきらりと輝く。
「えぇ。わかりましたわぁ」
 エレナは目を細めると、顎に左手をあてて頷きながら言った。
 アティナルはぎくりとして、エレナの顔をそっと盗み見た。そんなアティナルに気づかない様子で、エレナは顎に手を当てたまま続けた。
「夕暮れ時の森にはぁ、いろいろな生き物が出てきますからぁ」
 アティナルはがっちりとエレナの腕を抱きかかえるようにして、不安そうに眉を寄せた。
「…いろいろな、生き物?」
「えぇえ。そうですわねぇ、サルとかぁ、ええとぉ、ヘビとか……」
「い、急いで行かなきゃ!」
 アティナルはエレナの言葉をさえぎって叫んだ。
「そうそう、トカゲもぉ…」
 なおも喋りつづけるエレナの腕を引っぱって、アティナルはずんずんと歩いていった。

 森を抜けると、ぽっかりと開けた場所に出た。木の柱に草葺きの家が、点々と並んでいる。
「到着しましたぁ」
 エレナがのんびりと言うのを聞いて、アティナルは緊張を解いた。エレナの腕を離して、こわばっている両腕を上に向けて伸ばす。
「う〜ん、疲れた!」
 アティナルは身体を後ろに反らすようにして空を見た。
 既に太陽が沈んだ空には、夕映えでピンク色に染まった雲が浮かんでいた。
「お姉ちゃんたち、なにやってるの?」
 アティナルはびっくりして眉をはねあげると、視線を下へ向けた。いつの間に近づいてきていたのか、褐色の肌をした子供たちの一団が周りを囲んでいた。
 子供たちはみんな、目を見開くようにしてじっとアティナルとエレナを見あげている。
「なにって……」
 アティナルは困って眉尻を下げると、エレナの陰に隠れるように後ろへ下がった。すると、子供たちはアティナルの動きに合わせるように、ずいっと一歩近づく。
 エレナは髪をかきあげると、いつもと変わらない静かな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと言った。
「みなさぁん、この村の方ですかぁ?」
 子供たちは互いに顔を見合わせた。子供たちの中で、黒い巻き毛の女の子が一歩前に出た。額が広く、力強い眉と大きな目をしている。
「わたしの家、あそこ」
 女の子は、家の並んでいる方を振り返りながら言った。エレナはほっとしたように、目尻を下げてにっこりと微笑んだ。
「まぁあ。良かったですわぁ! それではぁ、私たちを泊めてもらえますかぁ?」
「うん」
 女の子は小さく返事をすると、子供たちの間をぬうようにして歩き出した。続いてエレナが、その後ろからアティナルが足を踏み出すと、子供たちの囲みはぱっと二つに分かれた。

 子供たちがぞろぞろと、二人の後をついて来る。
 家の外で作業をしていた大人たちは、手を止めてぽかんとした表情で二人の方を見つめた。
 やがて、女の子は一つの家に駆けこんだ。村の他の家と同じ、ヤシの葉葺きのこじんまりとした家だ。
 女の子がなにやら叫んでいる声が、外まで漏れ聞こえてくる。
 やがて、一人の老婆が姿を現した。白髪混じりの長い髪を、背中で一つに束ねている。
「…おや、珍しい。おなごの客とはなぁ」
 老婆は、落ち窪んで黒い影のように見える目で、二人をじろじろと見た。やがて、しわだらけの口を歪めて丈夫そうな白い歯を覗かせた。
(このおばあさん、なんだか……怖い)
 アティナルは緊張して唇を一文字に固く閉じた。そっと手を伸ばして、エレナの紺色の袖を指でつまむ。
「アティ様?」
 エレナはきょとんとした表情で、首を傾げてアティナルを見つめた。
「早く入りましょう。私たちのことぉ、泊めてくれるそうですぅ」
「本当に?」
 アティナルは眉を寄せて、ちらりと老婆を見つめた。ゆっくりと家の中へ足を運ぶ、老婆の小さな背中が見えた。
 
 家の中は、外から見たよりも広々としていた。
 土の床。高い天井。植物の茎を編んだ壁は、隙間だらけで涼しい風が吹きこんでくる。
 二人は老婆に勧められるまま、部屋の中央に座りこんだ。部屋の隅で女性たちが調理しているのか、芳ばしい香りが漂ってくる。
 二人を家まで案内した女の子が、この家は「女の家」なのだと説明した。村の中で、夫を亡くした女性や小さな子供が一緒に住んでいる家なのだという。
 老婆と女の子は二人の向側に座った。妹らしい赤ん坊を背負った少女と、小さな男の子がやってきて、二人を囲むようにしゃがみこんだ。
「おばあさんはね、この村でいちばん、としよりなんだよ!」
 男の子が得意そうに唇を尖らせて言った。老婆は口を歪めると、二人に訊ねた。
「あんたら、どこから来なさった?」
「東の、高原地方からですぅ」
 エレナがのんびり答えると、老婆は何度も頷いた。
「東って言ったら、山のほうじゃろ? 村の若い男たちが何人か働きに行っとるよ」
 老婆は話好きで、色々な場所で採れる果物の話を聞かせてくれた。話を聞いているうちにアティナルは、老婆が口を歪めるのは、実は笑っているのだと気づいた。
「…で、木苺がいっぱい採れるっていう話さ」
 老婆は話し終えると、ニッと口を歪めた。
「あ〜、お腹がすいてきたぁ」
 少女がため息混じりに言うと、男の子が嬉しそうに両手をリズミカルに振り回しながら叫んだ。
「キイチゴ、キイチゴ!」
 男の子がはしゃぐ様子を、エレナは笑いながら見つめている。アティナルはずいっと身を乗り出して、老婆に訊いた。
「じゃあ、『森の中の泉』はご存知?」
 老婆は少し考えてから、薄い唇を開いた。
「そうさね、聞いたことがないねぇ」
 アティナルはがっかりして、肩を落とした。
「でも…アルパ弾きなら、その場所か何か知ってるかもしれないねぇ」
 老婆の言葉に、アティナルは目を瞬いた。エレナもはっとして、大きな黒目がちの瞳で老婆を見つめる。
「アルパ弾き!?」
「アルパ弾きですかぁ?」
 二人は同時に叫んでいた。
 アルパは、爪で弾くのが特徴の小型の竪琴だ。アティナルも、王都の祭りで演奏している何人かのアルパ弾きを見たことがあった。
「連中は、あちこちの祭りを渡り歩くからねぇ。色々な場所の色々な話も知ってるだろうさ」
 
 やがて、出来たての芋料理をご馳走になったアティナルとエレナは、小さな部屋へ案内された。
 薬臭いような鼻を刺す匂いが部屋に漂っている。虫よけの香料油よりも強い。虫よけの花が混ぜてあるのか、部屋の隅に置かれたランプのオイルは、紫色を帯びていた。
 アティナルは鼻にしわを寄せて、狭い部屋の中を見回した。
 椅子のような木製の台が、部屋の中央に一つ。
 壁の柱から吊り下げられた二本の縄で、厚布が二枚張ってある。ちょうど、アティナルの肩くらいの高さだ。
「…これ、なあに?」
 アティナルは目の前の布に手で触りながら訊いた。厚くてしっかりとした布は、目が粗くてすこしざらざらとしている。
 エレナは何でもないというように、微笑を浮かべながらゆっくりと答えた。
「ハンモックですわぁ。寝具ですぅ」
「え?」
 アティナルは首を傾げた。
「ですからぁ、これの上に寝るんですぅ」
 エレナが手を曲げて、ハンモックを示しながら言った。
「うそっ!!」
 アティナルは思わず、大声で叫んでいた。
「大丈夫ですわぁ、アティ様ぁ。野宿に比べたら、ずーっと快適ですよぉ」
 エレナは目を細めて、にこやかに言った。
 アティナルは目を見開いて、まじまじとハンモックを見つめた。次に、顔をしかめて土の床を見つめる。
(…地面にじかに寝るよりはいいか)
 アティナルは靴を脱ぐと、木製の台に足をかけて、エレナに手伝ってもらいながらハンモックに上った。
 ぐらりと縄が動いて、アティナルはハンモックの中に前のめりにつんのめった。スカートが翻って、白いペチコートが覗く。
 アティナルはハンモックからはみ出た足を、バタバタと動かした。
「まぁあ、大変ですわぁ! アティ様ぁ、大丈夫ですかぁ?」
 やけにのんびりしたエレナの声が聞こえて、アティナルはモゴモゴと布越しに叫んだ。
「だいじょうぶなわけないでしょ!」
 
 ようやくハンモックに横になったアティナルは、ゆらゆらと揺られながら目を瞑っていた。布は弓なりに沈んで、ふわりと柔らかく身体を支えている。
 アティナルは手足を縮めるように曲げて、薄布を身体の上にかけていた。
(ふわふわする感じ。うううん。もっとしっかりしていて、何かに包まれているみたい)
 アティナルは肌の上を通り抜ける夜風を感じながら、ぼんやりと考えていた。
 宮殿から離宮への馬車の旅は、アティナルがいつも過ごしている日常の延長でしかなかった。町の有力者が贅を尽くして用意する、整えられた宿泊所。普段と変わらない食事。
(今日は一日で、いっぱいいろんな初めてを体験しちゃった……)
 アティナルは、なぜか今朝早くにヤシの木を伝って窓から降りたことを思い出した。もう、ずい分と前のことのような気がする。
 いろいろな体験を思い出しているうちに、アティナルは心地よい眠りについた。

 (続)    

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