虹の冠  第7話(26.Sep.2001 UP)

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「う〜ん……」
 顔にあたる眩しい光を避けようとして、アティナルは身体を動かそうとした。身体がぐらりと傾き、腕が空を切る。
(あっ!!)
 アティナルは声にならない悲鳴をあげて、必死で身体の下の布に手足をからめた。布がぐるりと回転し、結び付けていた縄がきしむような音をたてる。
 アティナルはハンモックにしがみついたまま、ゆらゆらと揺られていた。スカートはすっかりまくれて、ドロワーズまであらわになっている。
「…アティ様ぁ? 楽しいですかぁ?」
 エレナは首を傾げて、必死の形相のアティナルを見つめた。
 アティナルは長い金の髪を揺らしながらあごを上げて、侍女の姿を探しながら怒鳴った
「楽しいわけないでしょ! 早く助けてよ!?」
 そう答えているうちに、アティナルの足はしびれて、ずり落ちるようにハンモックから離れる。
「ええとぉ……」
 ゆっくりと返事をするエレナの声に重なるように、アティナルは村中に響き渡るような大声をあげた。
「きゃー!!」
 足が空を切り、宙ぶらりんになる。のだと、アティナルは思っていた。だが、つま先が冷たい土に触れ、 足はゆっくりと地面に着地した。
(…?)
 こわごわアティナルが見下ろすと、エレナがそばにしゃがんでいた。
「…エレナ? エレナが助けてくれたの?」
 何があったのかわからないまま、アティナルはぼんやりとつぶやいた。
「まぁあ、アティ様ったら。お手の中をご覧になってくださいぃ」
 アティナルはエレナに言われるまま、手に握りしめたままの布を見つめた。
(…?)
 エレナが何を言いたいのかよく判らない。ふと、視線を感じて後ろを向くと、戸口から夕べの子供たちが覗いていた。窓のない部屋だが、壁の隙間から射しこむ光で、中はとても明るい。
「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」
 一人の少女が目をまん丸にして訊いた。
 アティナルはあわててハンモックを放した。スカートの裾を引っ張り、櫛をとおしていないボサボサの髪を撫でつけて、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「なんでもないの!」
 子供たちは不思議そうに顔を見合わせる。
「えぇえ。大丈夫ですぅ。お騒がせしてすみません」
 エレナが言ってようやく、子供たちは戸口から立ち去った。
 アティナルはため息をついて、ハンモックを見つめた。ハンモックが張ってあるのは、アティナルのちょうど肩くらいの高さ。地面に足が届かない高さではなかったのだ。


「もう、ハンモックなんて、嫌いよ! 」
 アティナルは村を出てから何度も、思い出したようにくり返していた。
「どうして、あんなに危ないものに、平気で寝られるのかしら」
「…困りましたわぁ。でも、寝心地は悪かったですかぁ?」
 エレナがゆっくりと訊く。アティナルは口をへの字にすると、金色のおさげをいじりながら、先に立って歩きはじめた。
 木漏れ日の射す森の中を、アティナルは大股で歩いていく。その後ろを、エレナがついていく。
 やがてアティナルは立ち止まると、ぼそりと言った。
「……悪くなかった」
「アティ様? なんておっしゃったんですかぁ?」
 エレナがのんびりと後ろから訊いた。アティナルはさっと頬を紅く染めて振り向いた。
「悪くなかった。って、言ったのよ」
「何がですかぁ?」
 間髪をいれずに、ゆっくりとエレナが首をかしげる。
「だから、ハンモックの寝心地よ!」
 そう叫んでから、アティナルは小さく息を呑んだ。
(しまった!)
「まぁあ、それは本当に良かったですわぁ。これからも、ハンモックに寝ていただきますわねぇ」
 エレナが満面に笑みをたたえて言う。アティナルはがっくりと肩を落とすと、嫌だとも言えずに前を向いた。

 町の中は、昼時だというのに静まり返っていた。
 露店の並びそうな石畳の広い通りにも、石造りの大きな家々の間にも、全く人の姿が見えない。
「…誰もいないのかな」
 アティナルはきょろきょろと、辺りを見まわした。動きに合わせて、白いレース衿のついた濃紺のドレスの上で、金色のおさげがリズミカルにはねる。
 強い陽射しを受けたアティナルの金髪はキラキラと輝き、濃紺の服によく映えていた。
「アティ様ぁ。素敵ですぅ。とっても、とってもお似合いですぅ」
 アティナルと同じ衣装に身を包んだエレナは、うっとりと目を細めて両手を合わせた。
「あのね、私は着たくて着てるんじゃないのよ!」
 アティナルは、誰かが聞いていたらびっくりして飛び出してきそうな大声で叫んだ。
 だが、近くの家からも一人も出てこない。家の中にも、誰もいないのだろうか。
「まぁあ。とってもお似合いですのにぃ……」
 エレナは両手の指先を合わせて、首を傾げた。細いこげ茶色の髪が頬をすべり、エレナの顔の片側を隠した。
「他に、着替えがないっていうから、着てるのよ!」
 アティナルは両手を腰に当てて、鼻を鳴らした。
「それはぁ、アティ様が森の中でぇ……」
 エレナは悪戯好きの仔鹿のような瞳で、アティナルを見つめた。
「判ってるわよ!」
 アティナルはエレナの言葉を遮って、ぴしゃりと言う。が、なおもエレナはのんびりと喋り続けた。
「…でぇ、泥だらけになるからですぅ」
「そんなの、判ってるわよ」
 アティナルは頬をふくらませて、口を少し尖らせて言った。

 離宮を出てから十日経って、二人はここカンテロの街に来ていた。
 森の中を北上している間、一人の「アルパ弾き」にも出会わなかった二人は、西に進路をかえて、大きな街を目指すことにしたのだ。

「大きな街に来れば、人もたくさんいると思ってたのにな」
 アティナルは路地を歩きながら小さくため息をついた。
「暑いから、みんなお昼ねでもしてるのかしら」
 アティナルは立ち止まって、家を見上げた。光が映って深い青緑色の瞳がエメラルドに変化する。
 漆喰塗りの白壁がまばゆく輝き、アティナルは目を細めた。
「…何か、聞こえませんかぁ?」
 エレナが路地の向こうを見つめながら言う。
 視線を薄暗い路地に戻したアティナルは、めまいを感じて二、三歩よろめいた。
「アティ様!」
 言い方はのんびりとしているが、エレナの動きは速い。さっと蒼白な顔色のアティナルの肩を支えた。
「大丈夫ですかぁ?」
「…平気よ」
 アティナルはうっすらとまぶたを開いた。薄暗く湿っている路地は、どことなくひんやりとしている。
(ハンモックに寝るのも慣れたと思っていたけど、疲れてるのかな?)
 アティナルはエレナの手を離れると、ぶんぶんと首を振った。
(これくらい平気よ。『神のかけら』を探すんだもの!)
 アティナルの頬に赤味が差したのを見て、エレナはほっとしながら言った。
「木陰に行って休みませんかぁ? 村で貰った果物がありますよぉ」
「あ、お腹が空いてるのかも!」
 アティナルは、すべすべとしたドレスの腰帯に触りながら言った。
「まぁあ! もっと早くおっしゃってくださいぃ」
 エレナはアティナルの手を取って、先に立って路地を歩いていった。

 路地を抜けると、賑やかな音が聞こえてきた。
「これ、先ほど聞こえた音色ですわぁ」
 エレナは目の上に手をかざして、伸び上がるようにして周囲を見まわした。
 広い石畳の通りに沿って、ヤシの木が並んでいる。その通りの先に、広場のような開けた場所とそこを歩いている色鮮やかな一団が見えた。
 色鮮やかな布を肩に掛けた男たちが、楽器を奏でている。
 葦を束ねた笛サンポーニャを吹きながら、踊っている若い男。腕よりも太い棒のような物を、リズミカルに振っている男。小脇に抱えるように6弦の楽器チャランゴを爪弾きながら、歌っている男の姿が見える。
「…お祭り?」
 アティナルは目を輝かせて、演奏している男たちを見つめた。
「違うみたいですぅ」
 エレナの言うとおり、演奏している男たちの後ろにゆっくりと行進する着飾った人々が見えた。
「結婚式……!」
 アティナルは目を輝かせて、白いレース飾りのドレスを着た女性を見つめた。
 亜麻色の髪を結い上げて、全身に宝石を散りばめている。
「えぇえ。アティ様ぁ、こちらへ」
 エレナはのんびりと答えながら、アティナルの右手を引いた。
「エレナ?」
 眉をひそめるアティナルに、エレナは小声で言った。
「ここは陽射しが強いですしぃ、木陰へ行きましょうぅ」
「でも、あの中にアルパ弾きがいるかもしれないじゃない?」
 その言葉に頷きながらも、エレナは強引にアティナルをヤシの木のそばへ連れて行った。
「いるかもしれませんがぁ、今はだめですぅ」
「何で? 離してよ」
 アティナルは右手を振り解こうとして、エレナの白い腕に左手の爪を立てた。
 エレナは弓形の眉を寄せて答えた。
「ここの街には、ベリオ家の方々がおりますからぁ、見つかると……」
 アティナルははっとして、エレナの腕から左手を離した。
 ベリオ家の者とアティナルは、離宮でのパーティで何度も会ったことがあった。街をあげて盛大に行っているとすれば、ベリオ家の結婚式だろうか。
 アティナルはエレナの腕についた赤い線を見て、ぽつりと言った。
「…ごめんなさい」
 エレナはふっと目元に笑みを浮かべて、口を開いた。
「これくらい平気ですぅ。それよりも、座りましょうかぁ」
 アティナルは頷いて、ヤシの木の方を向いた。
「あれ?」
 ヤシの木の幹に、大きな三角形の板のようなものが立てかけてある。
「まぁあ!」
 エレナも気づいて、小さな叫び声を上げた。
 二人はゆっくりと近づいていった。
 下がアティナルの肩幅よりも太く、上へ行くにつれて細く尖る、灰茶色の三角形。その三角の部分から上へ向かって何本も細い弦が伸び、弓のように曲った木に留められている。
「…アルパ?」
 アティナルは首を傾げてつぶやいた。
「えぇえ。間違いないですぅ」
 エレナが声をひそめて言う。
「けっこう大きいのね」
 アティナルは、自分の背丈と同じ位の大きさのアルパを見つめた。
「…あれ?」
 アルパの弦の向こうに、紫と緑のしま模様の布が見える。アティナルはアルパの横を回って、近づいてみた。
 布の下から、薄褐色の素足が伸びている。その横に、無造作に皮靴が脱ぎ捨ててあった。
「アルパ弾き!?」
 アティナルは大きな声で叫んでいた。
 薄褐色の足がぴくりと動く。
 アティナルは思わず飛び下がって、エレナの腕をつかんだ。
 布がもぞもぞと動き、下から筋肉質な腕が現れた。

 (続)   

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