虹の冠  第8話(05.Oct.2001 UP)

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 ごつごつとした大きな手が伸びて布の端を掴む。布を払いながらのそりと起き上がったのは、色あせたような茶色の服を着た若い男だった。
 男はぼさぼさの黒髪をかきあげて、アティナルとエレナを睨むように見あげた。褐色の肌の中、突き出した頬骨と高い鼻が目立っている。
 煙るような青灰色の瞳にじっと見つめられて、アティナルはごくりと唾を呑みこんだ。エレナの腕を握る力を強める。
「…なんだ? あんたら」
 男は薄い唇を開いて言うと、かきあげていた手を下ろした。毛束がぱさりと男の肩に落ちる。
「あなたはぁ、アルパ弾きですかぁ?」
 エレナがゆっくりと訊いた。
「ああ。見りゃ、判るだろ」
 当然だと言うように、男は言い放った。アティナルは恐る恐る前に出ると、賑やかな音の聞こえてくる方を指さして言った。
「あなたはどうして、あれに参加しないの?」
 男は片眉をあげてアティナルをちらりと見ると、伸びをしながら答えた。
「疲れちまったんだよ。ずっと踊りながら弾いてたからな」
「踊りながらなんて、まさか!」
 アティナルは驚いて、自分と同じ位の大きさのアルパを見つめた。
 男はにっと口の端をあげて笑うと、おもむろに立ちあがった。右手でひょいとアルパを持ち上げて、普通に弾くときとは反対に、三角形の尖ったほうを下へ向けた。頭に幅の広い板の部分を載せて支える。
 呆気にとられている二人の前で、男はアルパを抱きかかえるようにして、両手を動かした。
 弦が男の爪に弾かれて、高くきらびやかな音を響かせた。旋律にあわせて、軽やかにステップを踏んだ。
「わぁ!」
「まぁあ」
 アティナルとエレナは手を取り合って歓声をあげた。
「ま、こんなもんよ」
 男は笑顔で言うと、アルパを地面におろした。
「あら、もっと続けて」
 アティナルは青緑の瞳で男を見つめて命令するように言った。男はため息まじりに言った。
「あのな、嬢ちゃん。俺が何で休憩していたのか覚えてるか?」
 アティナルは金のおさげをもてあそびながら首を傾げた。
「さあ、どうしてだったかしら」
 男のこめかみがぴくりと動く。
「あのなぁ」
「まぁ、まぁあ、いいじゃありませんかぁ……」
 エレナはにっこりと笑って続けた。
「…後で弾いていただけばいいんですしぃ」
 アティナルはぱっと顔を輝かせて頷いた。
「それはそうよね。時間もたっぷりあると思うわ」
「何の話だよ?」
 男は薄褐色の頬をわずかに赤らめて訊いた。
「あらぁ、肝心なことをお話するのぅ、すっかり忘れてましたぁ」
 エレナがゆっくりと言う間、男はいらいらとした様子で待っていた。
「で、なんだ?」
 男が先を促す。
「ですからぁ、『森の中の泉』を、知らないかどうか……」
 エレナの言葉に、男はぴくりと頬を引きつらせた。じっと男の横顔を見つめていたアティナルは、それを見逃さなかった。
「あなた、知っているのね! その泉に私たちを案内してちょうだい」


「ついてねぇよな……」
 背中にアルパを背負った男――アルパ弾きのラスカ――は、でこぼことした石の道を歩きながらため息をついた。その隣を、にこやかな笑顔を浮かべた二人の少女が歩いている。
 白いレースの衿のついた濃紺のドレスを着た白い肌の二人、アティナルとエレナだ。
「…あーあ。鶏の丸焼き。羊のカルド。ベリオ家のお祝いだからな。もっと豪華な料理だったかもな。それから……チチャ! くそう。せめてチチャを呑んでから出てくれば良かったぜ」
 ぶつぶつとぼやくラスカを、アティナルは横目で見あげた。
「ラスカって、食いしん坊なのね」
「な……」
 絶句するラスカに、アティナルは続けた。
「大体、さっき私たちの果物をわけてあげたじゃないの!」
 ラスカは開きかけた口を閉じると、ぽりぽりと頭をかいた。
 アティナルとエレナ、ラスカは、ヤシの木陰で、赤い小さな果物をわけ合って食べた。
 食べている間、ラスカはアティナルをあきらめさせようとして、様々な話をした。
 泉のある密林がとても危険なこと。泉はあちらこちらにあり、それを全部まわるとなると、とても時間がかかることなどなど。
 だか、アティナルは何を聞いてもあきらめなかった。エレナはずっしりと重い前金をラスカへ渡して、「森の中の泉」までの道案内を頼んだ。それでも渋るラスカを、アティナルたちは追い立てるようにして、カンテロの町を出てきたのだ。
 おかげで、ラスカはベリオ家の祝宴に参加しそこねて、ご馳走とトウモロコシ酒のチチャにありつけなかったわけだ。
「大体、気持ちよく寝てたってぇのに、邪魔されるし……」
 ラスカは再び、つぶやいた。アティナルは、いつも怒ってばかりいる、宮殿の礼儀作法の教師そっくりの口調で言った。
「あら、昼に眠るなんてダラケていますわ! それに、夜に眠れなくなってしまうものよ」
「なんだぁ? 大人みたいな口の利き方するんだな」
 ラスカが、戸惑ったように言う。エレナは身体を折り曲げるようにして、苦しげな笑い声を漏らした。
「エレナ、なに笑ってるのよ」
 アティナルが口を尖らせる。
「あらぁあ、私、笑ってなどいませんわぁ。笑わないようにしてるんですぅ」
 エレナはお腹に手をあてて、ゆっくりと答えた。
 ラスカは眉を寄せて、訝しげに二人を見つめた後、口を開いた。
「急がないと、今夜の食事にもありつけないぜ。ったく、金貨だけあっても食えねぇからな」
 言葉づかいは乱暴なのに、ラスカの声は低く透きとおって、どこか歌うように聞こえた。
「そうよ。急がなきゃ!」
「えぇえ。わかってますぅ」
 二人が同時に返事をする。
「…本当にわかってんのかねぇ」
 ラスカは聞き取れないほどの小声で言うと、先に立って大股で歩いていった。


 暗闇の中に、赤々と燃える灯りがあった。
 炎のはぜる音があたりに響き、踊る緋色の光が三つの人影を浮かび上がらせていた。
 アティナルは崩れかけた石の壁にもたれかかり、ひざを立ててスカートの間に顔をうずめるようにして座っている。長い金の巻き毛がスカートの上に広がって、揺れる炎にあわせて波打つように輝いていた。
 アティナルの隣にはエレナが、腰に帯びた剣にさりげなく手を置いて座っていた。さらさらの髪が表情を隠すように顔にかかっている。
 二人から少し離れた暗がりに、ポンチョを羽織ったラスカが座っていた。岩に寄りかかり、腕を組んで目を閉じている。その横にはアルパが立てかけてあった。
 火のそばには小さな鍋が一つ。鍋の中に残った乾燥イモと薬草の煮汁からは、かすかに鼻を刺すスパイスの香りが漂っている。
 ここは、人の行き来の少ない寂れた道沿いにある捨てられた集落跡。石だらけの草原を耕していた人々は、もっと豊な低地へ移住したのだろう。
 金色の波がぴくりと動ぎ、アティナルはゆっくりと顔をあげた。
「…やっぱり、座ったままでなんて眠れないわよ」
 エレナは肩の上で髪を揺らし、アティナルを見つめた。
「危険な虫などはおりませんからぁ、横になられても大丈夫ですぅ」
 アティナルはそわそわと腰を浮かせて、口を尖らせた。
「危険じゃなくても、虫なんか嫌よ!」
「それは困りましたわぁ」
 エレナはあまり困っていないような口調で言った。
「それに、こんなごつごつした所でなんか、眠れないじゃない」
 アティナルは、闇の中を見回してため息をついた。
「眠れないのかぁ? こまった嬢ちゃんたちだな」
 ラスカは座ったままでアルパを引き寄せると、低く歌うように続けた。
「子守唄でも弾こうか? それとも、かわいらしい恋の歌でも?」
 アティナルは瞳を炎の照り返しに輝かせながら、口を開いた。
「子守唄なんて、そんな子供っぽいものいらないわよ。それより……」
「それより?」
 ラスカがアルパの弦を調節しながら促す。
(そういえば、ラスカはカンテロで、『森の泉』の歌がどうとか言っていたわ)
「『森の中の泉』を歌った曲があるのでしょう? それを聴かせて!」
 ラスカは弦に手を滑らせて弾いた。その低い一音は、優しく暗闇の中へ吸いこまれた。
「『森の泉』って歌は悲恋の歌だぜ。ちょっと嬢ちゃんには早いと思うけどな」
「いいから、弾いてよ!」
 アティナルは眉根を寄せて、せがんだ。
(『森の中の泉』について何かわかるかもしれないもの)
 ラスカはため息をつくと、アルパを挟むようにして両手を動かした。
 低く柔らかな音色が流れ出し、やがてどこか物悲しい旋律に変わった。
 ラスカがいつ、歌いはじめるのかと待っていたアティナルは、やがてまぶたを閉じた。
(誰かが近くに……。柔らかく……暖かい……布……)
 アティナルが眠った後も、ラスカはアルパを弾きつづけた。
 ヤシの木陰で曲芸弾きを見せたときのように爪では弾かず、優しく指で弦を押え、指の腹で柔らかい音色を響かせていた。

 (続)    

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