虹の冠  第9話(19.Oct.2001 UP)

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 乾いた風が金色の髪の間をすいていく。
 アティナルはゆっくりと顔をもたげて、長いまつげに縁どられたまぶたを開いた。青緑色の瞳を半開きにして、ぼんやりと空を見つめる。
「ん……、もう朝?」
 もぞもぞと身体を動かすと、肩にかかっていた布が滑り落ちた。淡いピンク色に染めたリャマの毛製の暖かな毛織物だ。
 アティナルは落ちた布を拾って膝にかけると、目をこすりながら辺りを見まわした。
 すぐそばに黒々とした焚き木の跡。その隣に小さな鍋。その向こうにかすんで見えているのは、乾季が近づいて黄色に変色した草原。
「アティ様ぁ、おはようございますぅ」
 ぼんやりと草原を見ていたアティナルは、びくりと身体を震わせて振り向いた。髪を整えて、いつもの濃紺の服に身を包んだエレナが微笑んでいた。
「おはよう、エレナ」
「アティ様ぁ、よく眠れましたかぁ?」
「ええ。ラスカが歌ってくれたから」
 そう言ってから、アティナルは小首を傾げた。
(アルパを弾いていた姿は覚えているけど……、歌っていたっけ?)
 きょろきょろと辺りを見まわしたアティナルは、はっとして立ち上がった。はらりと薄ピンクの布が地面へ落ちる。
「大変よ、エレナ。ラスカがいないわ!」
「あらぁ、そういえば、いませんわねぇ」
 エレナはのんびりと返事しながら、地面から布を拾いあげた。
「ねぇ、いつからいないの? エレナが起きたときにはいた?」
 アティナルが早口で訊くと、エレナはあごに手を当てて、考えるしぐさをした。
「ええとぉ、私が目を覚ましたときにはぁ……いましたぁ」
「それじゃあ、その後は?」
 アティナルが勢いこんで訊く。
「う〜ん……どうだったでしょうかぁ?」
「エレナったら、どうして見張ってなかったの? もしかしたら、前金だけ持って逃げちゃったかもしれないでしょう!?」
 アティナルは顔を赤くして叫んだ。けれど、エレナは静かな微笑を浮かべている。
「……?」
 アティナルが眉根を寄せて見つめる中、エレナはゆっくりと腕を上げて、ごつごつとした灰色の岩を指さした。
 岩にはアルパが立てかけてあり、その上には紫と緑のしま模様のポンチョが掛けてあった。


「ん、いたた」
 もつれた金髪を引っ張られて、アティナルは顔をしかめて頭を押えた。
「もう、アティ様ぁ、じっとしていてくださいぃ」
 エレナは櫛を持ったまま腰に手をあてて、少し怒ったように言う。
 石に腰かけたアティナルの後ろに、エレナは立っていた。
 柔らかくてクセのあるアティナルの長い髪は、風ですぐに絡まってもつれてしまう。エレナは苦労しながら、アティナルの髪を整えようとしていた。
「だって、いっつもみつあみだもの。たまには違う髪型にしてよ」
 アティナルは、桃色の唇を少しだけ突き出すようにして文句を言う。
「あらぁ、アティ様。どんな髪型にするにしてもぉ、まずは櫛で……」
 言いながらエレナはアティの髪に櫛を挿した。
「あ、ラスカが来た!」
 アティナルはいきなり立ち上がった。
「アティ様!!」
 エレナはあわてて櫛から手を離した。
 草原を歩いてくる小さな人影が見える。両手に、長い棒のようなものを持っているようだ。
「なにか採ってきたみたい」
 アティナルは人影に向かって両腕を振った。その動きにあわせて、金の髪に残された、べっ甲の櫛が揺れる。
 櫛を取ろうと手を伸ばしていたエレナは、悲鳴のように叫んだ。
「アティ様ぁ、じっとしててくださいぃ!」
 アティナルに応えるように、人影は手に持っている棒を振った。
「ラスカ〜!」
 アティナルは困り果てているエレナに気づかずに、ぶんぶんと手を振りつづけた。
 二人の側にやってきたラスカは、森から採ってきたという少し平べったい木の枝のようなものを2つ地面におろした。全体が緑色で、腕くらいの太さと長さだ。
「それなに。食べ物なの?」
 アティナルが首を傾げて言うと、ラスカは灰青の瞳を細めた。
「嬢ちゃん、頭になにつけてんだ?」
 褐色の腕を伸ばして、アティナルの金髪に触れる。
「……え?」
 驚いているアティナルに、ラスカはべっ甲の櫛を差し出した。
「これ、落っこちそうになってたぜ。飾りだったら、しっかり留めておかないとな」
 アティナルは耳まで紅色に染めて言った。
「飾りなわけないでしょ!」
 頬をふくらませて、つんと横を向いて座ったアティナルの横に、ラスカはどっかりと座りこんだ。腰から短剣を取り出すと、緑色の莢状の棒に突き立てる。
 莢は真っ二つに割れて、中から白い綿のようなものに包まれた、黒い豆がいくつも現れた。つやつやとした豆からは、緑色の芽が出ている。
「ほら、これは熟してるから、甘いぞ」
 ラスカはアティナルとエレナにそれぞれ、割った莢を手渡した。
 アティナルはまじまじと、莢の中身を見つめた。黒い豆の周りには、茎の中身のような、イモをふわふわにしたような繊維が詰まっている。
「これを食べるんですかぁ?」
 エレナは黄緑色の新芽が少し顔を出したばかりの、手の平大の豆を取り出した。ラスカは目を見開いて、両手を振った。
「違う違う。その周りの白いところを食うんだよ」
「これ?」
 アティナルはおそるおそる莢の中へ手を伸ばした。白い部分を少しだけつまんで、口へ入れてみる。
「あ、甘い!」
 アティナルは頬を上気させると、次々と口へ運んだ。 
「美味いだろ」
 ラスカがもう一つの莢を割って食べながら、満足そうに言った。アティナルは目をくりくりとさせて応えた。
「ええ。ラスカは食いしん坊さんなだけあって、美味しい食べ物にとっても詳しいのね!」
 ラスカはのどに詰まらせたのか、咳きこんだ。
「まぁあ、大丈夫ですかぁ?」
 エレナがのんびりと言う。
 ラスカはひとしきり咳きこんだ後で口を開いた。
「あのな、旅をしてたら、食えるもんくらい知ってるのが常識だぞ。知らなけりゃ飢え死にするだろうが」
 ラスカは一呼吸すると言葉を続けた。
「そりゃあ、あんたらは飢え死になんて考えたこともないんだろうけどな、金貨だけ持ってたって森の中じゃあ役に立たないぜ」
「そうね。だから、ラスカが居てくれて助かってるわ」
 アティナルがさらりと真顔で言った。エレナも笑顔で言う。
「えぇえ。本当にそうですわぁ」
「そうか?」
 ラスカは照れ笑いを浮かべて、頭をかいた。
「ええ!」
「えぇえ!」
 二人の少女が声を揃えて言うと、ラスカは身体を反らすようにして言った。
「よっし。食い物のことは俺に任せとけ!」
「さすが!」
「わぁ〜」
 二人はパチパチと拍手をした。
「頼りにしてますわぁ」
「さすが、食いしん坊ラスカね!」
 アティナルが言い放つと、ラスカは凍りついたように動きを止めると、わなわなと肩を震えさせた。
「……もう勘弁してくれ」
 アティナルは唇に指をあてて、首をかしげて言った。
「あら、私、変なこと言ったかしら」
 ラスカはため息をつくと、岩の近くまで歩いて行ってアルパを持ち上げた。
「あ、そうだ。忘れていたわ」
 アティナルはラスカを目で追いながら訊いた。
「夕べ、『泉の歌』を歌った?」
「いや。演奏だけ」
 ラスカは答えながら、アルパの弦を爪弾いた。高い澄んだ音が草原に広がり、やがて吸いこまれるように消えていった。
「どうして歌わなかったの? いい声しているのに、演奏するだけなの?」
 アティナルはラスカの方へ歩み寄りながら言った。ラスカは目を細めて、ぽりぽりと頭をかいた。
「もったいないわよ」
 アティナルはラスカの隣に並んで、岩にもたれかかった。
「いや。歌うけど」
 ラスカは再び目を細めると、歌うように言葉を続けた。
「つまり、あの歌は……、泉のそばで男と出会った女の話で。けっきょく男に捨てられちまうという、どうしようもない歌だから」
「ふ〜ん」
 アティナルはうなずくと、空を見上げた。
 うす雲がかかった灰青色の空を、大型の鳥が悠々と飛んでいた。
(コンドル?)
 風が草原を渡り、アティナルの髪をそよがせた。濃紺のスカートがひるがえり、白いレースのペチコートが覗く。
 ラスカはアルパを地面に下ろすと、つぶやいた。
「あと三日も歩けば、泉のある場所に着くぜ」
「森の泉?」
 アティナルはラスカを見あげるようにして訊いた。
「そうだ」
「アティ様ぁ、ラスカさーん、そろそろ出発しませんかぁ?」
 荷物をまとめたエレナが、袋を引きずるようにして二人に近づいてきた。
「あ、私の荷物!」
 アティナルはあわててエレナから布袋を受け取ると、胸に抱きしめた。

 (続)    

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