虹の冠  第11話(18.Nov.2001 UP)

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 アティナルはラスカが近づいてくるのを、青緑色の瞳でにらむように見つめながら待っていた。胸に大判の本――「世界の不思議」――をきつく抱いて。
   心の中では、先ほどのラスカの言葉が渦まいている。
(伝説……。『神のかけら』が伝説……)
 アティナルの前へ戻ってきたラスカは、困ったように青灰色の目を瞬いた。
 しばらく二人でにらみ合った後、先に口を開いたのはラスカだった。
「……その本に、『神のかけら』のことが書いてあるのか?」
 アティナルは挑戦的にラスカを見あげたまま、小さく頷いた。
「なぁ、どんなことが書いてあるんだ? 森の中の泉にあるって?」
 ラスカが早口に訊ねる。アティナルはちらりと、座っているエレナを見つめた。エレナはこげ茶色の瞳を大きく見開いて、まじまじとラスカを見つめている。
 ラスカはギョロリと目を見開いて、アティナルに詰め寄った。
「なぁ、教えてくれ。他にはなんて書いてあるんだ?」
 アティナルは咳払いをしてから口を開いた。
「『神のかけら』は伝説じゃないでしょう?」
「いいや、伝説さ。誰もが手に入れたがっている。けれど、誰も見たこともない、どこにあるかも、どんな形かもわからない。確かな伝説さ」
 ラスカは後半、歌うように答えた。
 アティナルは本を持つ手に力をこめて叫んだ。
「伝説なんて、そんな子供向けのおとぎ話と一緒にしないでよ!」
(『神のかけら』は、神話や伝説なんかじゃない。乳母が子守唄代わりに聞かせてくれたお話には出てこなかったもの。お兄様の持っていたご本にちゃんと書いてあったもの)
   ラスカは眉間にしわを寄せて訊いた。
「どうして、伝説が子供向けなんだ?」
「それは、だって大人が子供に聞かせる……」
 アティナルは話すうちに小声になっていった。
(どうして、聞かせられた伝説が信じられなかったんだろう?)
 アティナルはうなだれて、足元の白い地面を見つめた。
「伝説は本ものだ。『神のかけら』が起したっていう奇跡は、山ほど言い伝えられて色々な歌になっているぜ」
 ラスカは淡々と言い放った。高い鼻と頬骨の奥で、青灰色の瞳が冷ややかにアティナルを見つめている。
 アティナルは本を抱く自分の腕へ、そして腕の中の本へと、視線を移した。
「世界の不思議」
 そう、本の題名を口に出してつぶやく。アティナルは顔をあげて、本をラスカのほうへ差し出しながら言った。
「この本、子供向けの本……なの」
 ラスカは低くうめくと、目を細めてアティナルをじっと見つめた。やがて、視線を逸らすと、ぼそりと言った。
「そうだったな」
 ラスカはゆっくりと地面に腰をおろした。大きく息を吐き出して、おもむろに口を開く。
「オレは、本当は伝説や神話を歌う方が好きだし得意なんだよ。だけど、あんたらみたいな白い肌をした金持ち連中のトコでは『くだらない』って言われちまう」
 アティナルは本を抱えて立ったまま、淡々と語るラスカをぼんやりと見つめていた。
「……連中にとっちゃあ、伝説はくだらない土俗のツクリゴトってわけだ。恋愛の歌の方が、ずっと高尚で大人向けなんだとさ」
 ラスカは口を閉じると、むっとしたようにボリボリと髪をかき乱した。
(白い肌……)
 アティナルはぼんやりと、宮殿の中のきらびやかな「白鳥の間」を思い浮べた。
 深い青色のビロード張りの壁に、金の額縁に入った大きな肖像画が二枚。白い肌に口ひげを生やした、厳しい表情のコロナデリス初代国王。その隣の画は、白く透き通るような肌の、金色の豊かな髪を結い上げた王妃。
 この二人が、遠い海の向こうから渡ってきてこの地にコロナデリスを興したという、アティナルの祖先だ。
 天井一面のフラスコ画には、航海に使われた船団や建物、白鳥などこの地にはいない動物が描かれている。
 この「白鳥の間」には、天井からぶら下がるシャンデリア、椅子、暖炉の横に置かれた花瓶に至るまで、全て海の向こうから来た調度品で飾られていた。
(わたしたちは海の向こうからこの土地へやってきた……)
 アティナルは歴史の教師から学んだことを思い出した。
「高原の民との対立の後、聖なる山『トナカペク』の俗信を取り入れることで、我々の祖先はコロナデリスの王として受け入れられるようになったのです」
 アティナルははっとして、顔をあげた。
(……きっとわたしたちは、ラスカたちが信じているみたいには『トナカペク』を信じていないんだわ。他の伝説や神話を信じていないのと同じように)
 アティナルは膝を折って、ぺたりと地面に座った。本を握りしめたまま、ぶんぶんと頭を左右に振る。長い髪が振り回されて、金色の軌跡を描きながら乱れた。
「……アティ様?」
 エレナがおずおずと声をかける。アティナルは顔をあげると、青緑色の目でエレナを見据えた。
「ねえ、エレナ。エレナは『神のかけら』があるって信じている?」
「わたしはぁ……」
 エレナは眉尻を下げて、言いよどんだ。アティナル小さく息を吐くと、視線を本へ移した。
「わたしの先祖たちは、あまり信じてなかったと思うの。そして、信じていない人から聞かされたから、わたしも……」
 アティナルは再び顔をあげて、じっとラスカを見つめながら言った。
「……でも、わたしは『神のかけら』を信じてる。ぜったいにあるし、わたしが見つけるわ。他の伝説だって、ラスカが歌ってくれたら、きっと信じられると思うわ」
 ラスカは瞳を見開いて、まじまじとアティナルを見た。やがて、照れたようにぽりぽりと頭をかくと、薄褐色の頬をほのかに赤らめて、ぼそりと言った。
「そういうことなら、協力するぜ」

 泉の上を風が渡り、座っている三人の間を白い湯気が漂うように流れていく。
 辺りには、本を指で示しながら説明するアティナルの声だけが響いていた。
「……ここに、『神のかけら』の説明があるわ。そして、その横にこの泉の絵があるの。だから、この絵と同じ泉を探すのよ」
 アティナルは湯気でしっとりと濡れた金髪をかきあげると、本を閉じた。
 屈みこむようにして本を見ていたラスカは、困惑したように上目づかいでアティナルを見た。
「本当にそれだけか?」
「そうよ。いま説明したのが全部。ラスカも本を読めば判るわよ」
 アティナルはふっくらとした唇を突き出すようにして言う。ラスカは顔をしかめた。
「さっきも言っただろ。オレは、字は読めない」
 アティナルは首をかしげて、口を尖らせた。
「ええ、聞いたわ。だけど、それじゃあ、どうすれば納得してもらえるのかしら?」
 ラスカは腕を組んで、厳しい表情で本の表紙を見ている。
「あ、そうだわ!」
 アティナルはポンッと両手を打った。瞳をキラキラと輝かせて、しかめ面のラスカに向かって言う。
「旅の間、ラスカがわたしに伝説を歌ってくれるお礼に、わたしがラスカに字を教えてあげるわ!!」
 ラスカはあ然として、満足そうな笑みを浮かべているアティナルを見た。
「そうよ。そうすれば、この本が簡単に読めるようになるわよ!」
 アティナルはうっとりと両手を組んで言う。
「いや、そういうことじゃなくて。……なあ、本気で、そんな少ない手がかりだけで『神のかけら』を探すつもりなのか? ……おい、あんたも何か言ってくれ」
 ラスカは助けを求めるようにエレナの方を見た。それまで黙って二人のやり取りを見守っていたエレナは、にっこりと微笑んで口を開いた。
「私はぁ、アティ様に賛成ですわぁ。二人とも字をお勉強するのってぇ、とおってもいい考えだと思いますぅ」
 アティナルとラスカは、一瞬その場に凍り付いた。
「わたしは教えるって言ってるの。勉強なんてしないわよ!」
 アティナルが口を尖らせて言う。ラスカは頭をかくと、弱々しくつぶやいた。
「はあ。……勘弁してくれ」

 揺れる梢の向こうに見え隠れしている泉は、空の色を映して、濃い青色の空と真っ白な雲に塗り分けられていた。
「今度のは、どう見ても『森の中の泉』だろ」
 ラスカは高い鼻を手の甲でこすりながら言った。
「そうね」
 アティナルは息も切れ切れに、疲れきった声で答えた。
 朝から急な山道をずっと登りどおし。しかも、湿って柔らかい土は足が沈んで、とても歩きにくく、アティナルは苦戦していた。
 山道を歩きなれているのか、ラスカは長い足で軽々と歩いていく。アティナルはため息をつくと、ラスカの後を追った。
 一番しんがりを歩いているエレナは、疲れた様子も見せずに歩いていた。仔鹿のような瞳で素早く辺りを見まわして、泥を避けながらきびきびと足取りで歩いていく。
 ラスカが枝に絡みついたつるを、山刀でなぎ払った。
「あ!」
 アティナルは小さく声をあげた。ラスカの払った枝の向こうに、小さな泉が広がっていた。最初に見た温泉を入れれば、四つ目の「森の中の泉」だ。
 三人は手分けして、泉の周りを探しまわった。藪をかき分けているうちに、アティナルの白い手は、引っかき傷だらけになった。
 アティナルは幹に立てかけたアルパの横に座りこんで、人形のようにだらりと手足を投げ出した。
(あ〜あ、疲れた)
 ゆっくりと首を傾げるアティナルの動きにあわせて、二つに結った金色の髪が光輝を放つ。
(森の中の泉さえ見つかれば、そこに『神のかけら』があると思っていたのにな……)
 アティナルは物憂げに息を吐いた。
 ぼんやりと見ているアティナルの前で、ラスカが泉の中を覗きこんでいる。
 やがて、腕まくりをしたラスカは、泉の中へ腕を突っこんだ。鏡のような水面に、いくつもの波紋が広がって映っていた空を乱す。
「何かありそう?」
 アティナルはラスカの背中に声をかけた。
「いいや。けっこう透きとおってる水だと思ってさ」
 ラスカは振り向かずに答えると、腕を振って水滴を飛ばした。
「ええとぉ、特に変わったものはないみたいですぅ」
 エレナはぐるりと泉をまわって、アティナルの側へやってきた。
「絵の泉にも、あまり似ていないわね」
 アティナルが力なく答えると、ラスカがため息をついた。
「この前の泉の時にも、確か同じこと言ってたな……」
 ラスカはアティナルの側へ来ると、腰をおろした。
「困りましたわぁ」
 エレナがいつものように、あまり困っていないようにのんびりと言う。
 ラスカは遠くを見つめるように目を細めて、口を開いた。
「この調子だと、全ての泉を探しても、何も見つからないかもな」
「なに言ってるのよ」
 アティナルがムッとして叫ぶ。が、声に元気がない。
「いや、俺が言いたいのはなあ、せっかく『神のかけら』があっても、気がつかなけりゃ、どうしようもないってことさ」
「……それはそうね」
「だから、手がかり集めのためにもエチセリアへ行ってみないか?」
(どこかで聞いたような名前……)
 アティナルはゆっくりと、ラスカの方をむいた。
「あそこの呪術師たちなら、『神のかけら』がどういうものなのか、何か知っているかもしれない」
「本当に?」
 アティナルは疲れているのも忘れて、いきなり立ち上がった。そのままよろめいて、倒れかかる。
「アティ様ぁ!!」
 エレナが悲鳴をあげて駆けつけた。
 アティナルは誰かにしっかりと抱き支えられるのを感じながら、気を失った。

 (続)    

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