虹の冠  第12話(05.Dec.2001 UP)

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 強い雨が屋根を叩き、町を薄暗い帳に包みこんでいた。
 ここはエチセリアの隣町ポステ。断崖の上にある呪術師の村エチセリアまで歩いて半日の、崖に張りつくように作られた町だ。
 普段はエチセリアの呪術師を訪ねに来た旅人たちで混みあう広場も、露天商の姿もなく今日は静まり返っている。今朝から続く激しい雨に、旅人たちは宿屋に足止めをくらっているのだ。
 人影のない広場へ、岩壁から滑り落ちるように降りてきた少年がいた。黒いフェルトの山高帽を目深に被り、だぶだぶの茶色い服の上に、紐にとおしたエメラルド球をぶら下げている。
 少年は泥水を跳ね上げながら、家々の間を駆けぬけていった。

 木製のどっしりとしたテーブルの上に、次々と皿が運ばれてきた。
 バナナやチーズの焼き菓子。トウモロコシの皮包み蒸し。トウモロコシの蜂蜜入り粥。ユカイモのから揚げ。色とりどりの果物の盛り合わせ。パンケーキ。黒砂糖の塊。
 ごくりとのどを鳴らせたアティナルは、うっとりと両手をあわせた。
「わぁあ。おいしそう!」
 アティナルは変装のため、新調したばかりの薄桃色のワンピースの上にエンジ色のケープをはおり、同じ色の毛糸の帽子を被っていた。金髪を帽子に押しこんで、いつもは見せない広い額が見えている。
「さぁ、アティ様ぁ。どんどんお召し上がりくださいぃ」
 にっこりと笑って言うエレナは、いつもと同じ白いレース襟の紺色のワンピースを身に着けていた。
「甘いもんばっか……」
 ラスカは眉を寄せて、うんざりしたように言った。紫と緑の縞模様のポンチョを肩にかけて、アルパを隣のイスに立てかけている。
「あらぁあ、ラスカさんもご自分でぇ、お好きな料理を注文すればいいんですわぁ」
「お、オレも注文してもいいのか?」
 ラスカは灰青色の瞳を輝かせて訊いた。
「えぇえ、当然ですぅ。ここは食堂ですものぉ」
 エレナは微笑みながら言葉を続けた。
「誰でも食べたいものを注文してぇ、食べてお金を支払えばいいんですわぁ」
 ラスカはがっくりと肩を落として、深いため息をついた。
「……そんなことだろうと、思ったよ」
 アティナルは二人のやり取りを聞きながら、菓子に手を伸ばした。薄い黄緑色のトウモロコシの薄皮をはがすと、チーズがとろりとこぼれた。
「う〜ん、おいしい!」
 アティナルは目を細めて歓声をあげた。
「こちらもぉ、とっても甘くてぇ美味しいですわぁ」
 エレナはユカイモのから揚げを片手に微笑んだ。アティナルは次々と菓子に手を伸ばした。
 やがて、ラスカの注文した料理が運ばれてきた。
 羊の腸のスープ。焼きジャガイモ。鶏の蒸し焼きトウガラシソースかけ。塩味の薄パン。
「ずいぶんいっぱい注文したわねえ」
 アティナルは皿で埋め尽くされたテーブルを見まわした。
「ま、嬢ちゃんに負けないようにな……」
 ラスカは答えながら、アツアツの皮付きジャガイモに手を伸ばした。
「やっぱり、ラスカは食いしん坊さんだからなのよね」
 アティナルはうなずきながら言った。
「あのなぁ……」
 ラスカは黒髪を邪魔そうにかきあげながら、ため息混じりに続けた。
「両手に食いもんつかんでる奴が、ヒトにそういうこと言うかぁ?」
 アティナルははっとして、自分の両手を見つめた。
 右手には、ちぎったパンケーキ。左手には、ユカイモのから揚げ……。
 見る間にアティナルの頬が真っ赤に染まった。
「あらぁあ、アティ様。いいんですわよぉ……」
 エレナは小首を傾げて、にっこりと微笑みながら続けた。
「たっぷり食べてぇ、今日はぐっすりとお休みくださいぃ」
 ラスカはジャガイモの皮をむきながらつぶやいた。
「そうそう。またぶっ倒れられても大変だからな」
 アティナルはうなずくと、下を向いたままパンケーキを口へ入れた。もぐもぐと口を動かすたびに、毛糸の帽子からはみ出た金色の後れ毛がふわふわと上下した。

 夜が更けるにしたがって、店内は騒がしくなってきた。旅人たちに混じって、ポステで暮らす男たちがチチャをあおりはじめた。
 アティナルの目の前には、まだ山のような菓子が並んでいる。
 自分の注文した料理をぺろりと平らげたラスカは、ジョッキ入りのチッチャを注文すると、のどを鳴らせながら一気に飲み干した。
「兄ちゃん、これ、あんたのアルパか?」
 顔を赤らめた一人の中年男が、ジョッキを片手に訊いてきた。
「そうだぜ」
 ラスカが軽く応じると、男はテーブルの上へドンとジョッキを置いて言った。
「どうだい、なんか一つ、思いっきり明るいやつ頼むぜ! なにせこう雨ばっかじゃジメジメしていけねぇ」
「おう」
 ラスカはニヤリと笑うと、チチャをぐいっと飲み干した。黒いぼさぼさの髪をかきあげて、アルパを持ち上げる。
 ラスカは立ち上がって、歌うように芝居がかった口上を述べはじめた。
「高原で暮らす清らかな乙女の歌か、悪霊うごめく悪魔の山へ挑んだ勇敢な若者の歌か……」
 店内にどよめきが走った。
「……森で暮らす妖艶な美女へ恋をした少年の歌か、はたまた、美女の尻を追いかけるドジな大男の歌がいいか」
 店のそこここで、笑い声と拍手が起きた。
 ラスカは弦を爪弾きながら周囲を見回すと、高い音を鳴らせながら言った。
「今宵のお客様は、ドジな男の歌がお好きなようで……」
 客たちは顔を見合わせて、忍び笑いをもらした。
 ラスカは陽気な旋律を奏でながら、よく響く声で歌いはじめた。
 一曲歌い終わった後、次々と曲名が挙がり、ラスカはひっきりなしにアルパを弾き続けた。やがて、踊りだす人や歌いだす人で店内はお祭りのような騒ぎになった。
「もう、おなかいっぱい……」
 アティナルは、菓子の乗った皿をにらむように見つめて、テーブルの上へ突っ伏した。
「そうですわねぇ……、日持ちしそうなものは、包んでおきましょうかぁ」
 エレナはレースの縁取りの白いハンカチを取り出して、ナッツ入りクッキーやユカイモのから揚げを包んだ。
「ラスカって、元気ね。疲れなんてぜんぜん知らないみたい」
 アティナルは顔をあげて、興に乗ってアルパを頭の上へ持ち上げて曲芸弾きをしているラスカを見つめた。
「アティ様、お疲れですかぁ?」
 エレナはぎゅっと眉を寄せて、こげ茶色の瞳でアティナルを見つめた。アティナルはあわてて身体を起こした。
「へ、平気よ。これくらいで疲れたりしないわ」
 エレナはまだ、疑わしそうな目で見ている。アティナルは手を振り回しながら付け加えた。
「元気、元気。もう、すっかり元気だから。心配しなくっていいわよ」
 エレナは目を細めて、首をかしげた。
「倒れられてから、まだ五日ですぅ。無理は禁もつですわぁ」
「だから、あれはただ、ちょっぴりおなかが空いてただけよ」
 アティナルは唇を突き出して言った。
(あの時なんども言ったのに、エレナったら信じてくれないんだから)
 アティナルは、倒れた後で飲まされた、苦い薬を思い出して顔をしかめた。
 泉でアティナルが倒れた後、ラスカは大急ぎで近くの村まで運びこみ、嫌がるアティナルを丸一日ハンモックで休ませたのだ。
 その後も、アティナルが疲れないようにと、一行はゆっくりと旅をしてきた。三日でいける行程を、五日かけてポステへたどり着いたのだ。
「……元気になられたみたいでぇ、本当にほっとしましたわぁ」
 エレナはしみじみと言った。
「もう、本当に元気だから、大丈夫よ」
 アティナルは繰り返した。
「えぇえ。でもぉ、約束は守ってもらいますからぁ」
 エレナの言葉にアティナルはぎくりとして首をすくめた。
「……約束って、何のことだったかしら」
「あらぁあ、お忘れですかぁ? アティ様が今後倒れられたりぃ、ご病気になったりすることがあればぁ……」
 アティナルは顔をしかめて、むっとした表情で言った。
「わかってるわよ」
 エレナはアティナルの言葉が聞こえているのかいないのか、話し続けている。
「ですからぁ、……宮殿に帰っていただきますからねぇ」
 アティナルは深く息を吐くと、うなずいた。

 まだチチャを飲みながら騒いでいるラスカを残して、アティナルとエレナは食堂を出た。
 重い扉を開けると、冷たい湿った風が二人を包みこんだ。
 ここの宿屋は、昔からある食堂と新しく建てられた二階建ての宿泊棟が、屋根のついた壁のない短い廊下でつながっている。
 廊下には雨が吹きこんで、石を敷き詰めた床がすっかり濡れていた。
「明日は晴れればいいわね」
 アティナルは暗い空を見あげて言った。
「そうですわねぇ。晴れないとぉ、エチセリアへ行けませんものぅ」
 エレナがうなずきながら応じる。
 先になって廊下を歩きはじめたアティナルは、足を止めた。
 廊下の先に、宿泊棟のランプの灯りに照らし出された黒い影が見える。雨の降りしきる外の方を向いて石畳の上へ座っているようだ。
 アティナルが立ち止まったまま見ていると、黒影は押し殺したようなかすれ声を放った。
「明日は……晴れる」
 アティナルは目を見開いて訊いた。
「本当に晴れるの?」
「ああ」
 低い声を出そうと努めているような、妙に高い声が答える。
(……女の人?)
 アティナルは一歩二歩と、声の主へ近づいていった。すると、黒影が揺らいで、麻色のだぶだぶの服を着て黒い帽子をかぶった人物の姿に変わった。
 相手は、アティナルとほぼ同じ背丈だ。
(子供だわ)
 アティナルは両腰に手を当てて訊いた。
「どうして、あなたには晴れるってわかるの?」
 相手はくるりと振り向いた。胸に下げたエメラルドの球が揺れて、弧を描く。
 濡れそぼった黒い帽子の下から見える青白い顔。わずかに見える紫の瞳が、鋭くアティナルを睨んでいる。
(男の子だわ)
 アティナルはじりじりと後ろへ下がった。
「アティ様」
 耳元でささやき声がして振り向くと、いつの間に近づいたのか、斜め後ろにエレナがいた。
 少年は挑むように二人を見つめながら口を開いた。
「エチセリアへ行くつもりか?」
「そうよ」
 間髪いれずに、アティナルが答える。
「止めておけ」
 少年の高圧的な物言いに、アティナルは握りこぶしを作って叫んだ。
「なによ、あなた。どうしてよ!」
 少年は表情を変えずに、繰り返した。
「エチセリアへは行くな。お前らのような白い肌の人間が行くところじゃない。悪いことが起きるぞ」
「なによ、あなただって白いじゃないの!」
 アティナルの言葉に少年は顔をしかめた。
「警告はしたからな!」
 捨て台詞を残して、雨の中へ走り出す。
「ちょっと、待ちなさいよ。どういう意味よ!」
 アティナルが大声で叫ぶ間に、少年の姿は見えなくなった。
「もう、なんなのよ」
 アティナルは肩を怒らせてエレナを見た。エレナは厳しい表情で、少年の走り去った雨の中を見つめていた。

 (続)    

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