虹の冠  第13話(13.Dec.2001 UP)

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「今日は昨日の雨が信じられないくらい、いい天気だぜ」
 ラスカは食堂へ入ってくるなり、アティナルとエレナへ言った。
 食堂の中には、アティナルたちの他に数人がいるだけで、閑散としていた。ほとんどの宿泊客は、すでに早朝にエチセリアへ向けて 出発していたのだ。
 ラスカが起きてくるのをずっと食堂で待っていたアティナルは、つんと顎をあげて叫んだ。
「天気くらい、とーっくに知っているわよ!」
「ん、どうした?」
 ラスカは困ったように、ぱちぱちと目を瞬いた。エレナは微笑を浮かべながら、冷ややかに言った。
「ラスカさん、お早うございますぅ。とおってもお早いお目覚めですわねぇ……」
 アティナルは何度も頷いた。
「そう。本当に!」
 ラスカはぼそぼそと言い訳した。
「いや、夕べは……ちと飲みすぎちまって。久しぶりのチチャだったし……」
 アティナルはラスカを睨みながら口を開いた。
「五日前にも、村でお酒を飲んでいたって聞いたけど?」
 ラスカはばつが悪そうに頭をかいた。
「いや。あれはチチャじゃなくて、カニャーソ」
「カニャーソ?」
 アティナルは眉を寄せた。
「えぇえ。サトウキビからつくる蒸留酒ですぅ。つまりぃ、お酒ですわぁ」
 エレナがのんびりと解説する。アティナルはキッと青緑の瞳でラスカを見据えて、叫んだ。
「私が倒れたときに、ラスカ。私になんて言ったか覚えてる?」
 ラスカは眉を寄せて、辛そうに自分の頭を抑えた。顔が蒼ざめている。
 アティナルは構わずに続けた。
「『旅をするには、自分の体調を管理できなきゃ駄目だ』って。ラスカが、言ったのよ!」
 ラスカは頭を抑えたまま、情けない声を出した。
「勘弁してくれ。頭に……ガンガン響く……」


 陽が高く昇り雨で濡れた屋根が乾き始めたころ、アティナルたちはポステの町を出発した。
 ポステを出てすぐは、岩壁を削った狭い坂道が続いている。片側が切り立った岩壁。反対側は、深い谷だ。谷底の川が、落ちて曲が りくねった緑色のリボンのように見えている。
 雨が降ると危険なので、誰も通らなくなる道だ。岩は濡れるととても滑りやすい。雨の中この狭い道を歩いたら、たちまち足を滑ら せて谷底へ落ちてしまうだろう。
 アティナルたちは、エレナを先頭にして坂を登っていった。しんがりをラスカが、足を引きずるようにしてゆっくりとついていく。
 アティナルは谷を覗きこむのが怖くて、濡れた岩壁に手を当てながら歩いていった。
「ここ、水が溜まってますぅ。滑りやすいですからぁ、気をつけてくださいぃ」
 エレナはいちいち振り向いて、アティナルへ注意しながら歩いていく。
「前を見て歩いてよ。エレナのほうが、危ないわよ」
 アティナルは、エレナが振り向くたびにハラハラして立ち止まった。
 谷沿いを抜けると、道は森の中へ入った。柔らかな土の下からわずかに見えている石畳は、昔に造られた街道の跡なのだという。
 森の中をだいぶ進んで、谷や岩壁が見えなくなると、アティナルは立ち止まった。
「ふぅ。なんだか、暑い」
 アティナルは毛糸の帽子を脱いで、火照った顔を帽子で扇いだ。帽子に入るようにまとめていた金髪が、ほつれて風にふわふわ揺れ る。
 蒼白い顔のラスカが、前かがみになって肩で息をしながら言った。
「ひと休み、しないか?」
 いつもは軽々とアルパを持ち上げ、飄々と山道を歩くラスカも、今日はずっしりと背中のアルパが重そうに見える。
 アティナルがラスカに賛成しようとした時、二人の前を行く濃紺のスカートが揺れた。白いレースのペチコートを覗かせながら、エ レナがくるりと振り向いた。
「こんなところでぇ、いちいち休んでいましたらぁ、エチセリアへ到着するのがすっかり夜になってしまいますぅ」
「呪術師が今晩、手が空いてないなら、明日にでも見てもらえばいいさ」
 ラスカは返事も聞かずに、道端の苔むした倒木に腰を下ろした。
 エレナは深く息を吐くと、ラスカを非難がましい目で見つめながら言った。
「朝のうちに出発できていましたらぁ、日帰りできたんですよぉ? ……エチセリアにはぁ、泊まる予定じゃなかったですしぃ」
 ラスカはぼりぼりと頭をかいた。
「悪かったよ。歩けばいいんだろ」
 ラスカはゆっくりと立ち上がると、腕を上げて伸びをした。足を踏み出しながら、付け加えるように言う。
「別に、エチセリアでとって食われるわけじゃないんだし、泊まって名物の薬草料理を食ってみるのも健康的でいいと思うけどな」
「薬草料理!?」
 アティナルは顔をしかめて叫んだ。ラスカはニヤッと笑ってうなずいた。
「身体にすごくいいんだぞ。少し苦いけどな」
「えー、苦いの!?」
 辛い味の次に苦い味が苦手なアティナルは、顔をしかめた。
「……そうですわねぇ。悪いことなんてぇ、きっとぉ、ないですよねぇ」
 エレナは首をかしげて、さらさらの髪を揺らしながら、自分の言葉にうんうんとうなずいた。
「なんの話だ? 悪いこと?」
 ラスカは首をひねって考えこんだ。
「いぃえぇ。べつにぃ……」
 エレナは長いまつげを伏せた。言葉を濁したエレナの代わりに、アティナルが口を開いた。
「夕べ、変な男の子に会ったの。その子、私たちに『悪いことが起きるぞ』って言ったのよ」
「変なガキだって?」
 ラスカは顔をしかめた。
「それに、白い肌をしていたわ」
 そう、アティナルが付け足す。
「呪術師じゃないかとぉ、思ったんですけどぉ……」
 エレナの言葉に、アティナルとラスカは同時に叫び声をあげた。
「呪術師!?」
(うそ。呪術師だなんて、ぜんぜん気がつかなかった!)
 ラスカは両手で髪をぼさぼさにかきまわすと、つぶやいた。
「……ガキの呪術師なんて、それも白い肌なんて、今まで聞いたことがない」
 呪術師はその秘儀をよそ者には明かさない。だから、たいてい呪術師の子供や血縁の者が秘儀や呪術を受け継ぐことになる。
 子供のころから呪術師の手伝いをし、森で厳しい修行を積んで精霊に認められることで、ようやく一人前になるのだ。
「そうよ!」
 アティナルは毛糸の帽子を振り回しながら叫んだ。
「呪術師だったら、『神のかけら』のことを訊いておくんだったわ!」
「いや、呪術師じゃないだろ。きっと、からかわれたんだよ」
 ラスカの言葉に、エレナは首をかしげた。
「でもぅ、服装は確かにぃ、呪術師の格好でしたわぁ」
「だからさ、そいつが呪術師のふりをしてただけだろ」
「でも!」
 アティナルは目をくりくりと動かしながら言葉を続けた。
「今日の天気を当てたわよ!」
「そいつが適当に言ったのが、たまたま当たっただけだろ」
 ラスカの言葉に、エレナが大きくうなずく。
「そうですわよねぇ。そんな気がしていたんですぅ」
 アティナルは呆然と、エレナを見つめた。
(呪術師だって言い出したの、エレナじゃないの!)
「さて、それじゃあ行くか」
 頭痛が治ったのか、ラスカが元気よく言った。
「はぁい。それではぁ、アティ様ぁ。しっかりと帽子をかぶってぇ、髪の毛を隠してくださいぃ」
「わかってるわよ!」
 アティナルは顔をしかめて、毛糸の帽子を頭に載せた。
「……お解かりだと思いますがぁ、金髪は目立ちますしぃ」
 エレナはまだ話しながら、アティナルの帽子に手を伸ばした。
「おい、先に行ってるぞ」
 ラスカは二人を残して、大また出歩いていった。
「待って! ほら、エレナ。早く行かなきゃ!」
 アティナルはエレナの手を振り切って、走り出した。
「だめですぅ。アティ様ぁ、丸見えですぅ!」
 エレナはアティナルを追いながら、叫んだ。


 森の中でポステへ戻る旅人たちとすれ違いながら、アティナルたちは道を進んで行った。
 空が茜色に染まり木々が黒い影に変わるころ、ようやく前方の木立の向こうにエチセリアの町が現れた。
 ぐるりと張り巡らせられた低い石積み。その先に、家々がぼんやりと見えている。
「エチセリアだ!」
 先頭を歩いていたラスカが、右手をかざしながら言った。疲れきっていたアティナルは、急に明るい声をあげた。
「着いたの?」
「いいえぇ。あと少しですぅ!」
 エレナはアティナルの手を取って、引っ張るようにして歩き出した。
 近づいてみると、石積みはあちこち崩れて、つる植物が巻きついていた。崩れた石積みの間を通って、三人は町の中へ入った。
 どの家も同じような灰色の石組みで建てられ、その周りにさまざまな植物が植えてある。通りには誰もおらず、町は静まり返ってい るように見えた。
「ずいぶんと静かね」
 アティナルはきょろきょろと辺りを見回した。
「しまったな。もう、夜の呪術儀式の時間なのかな」
 ラスカはつぶやくように言って、ぼりぼりと頭をかいた。
「静かにぃ。誰か来ますぅ!」
 エレナが、緊迫感のかけらもない、のんびりした声でささやいた。
 その時、通りの向こうから、人影が迫ってくるのが見えた。

 (続)    

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