虹の冠  第14話(21.Dec.2001 UP)

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 人影は音もなく一行に近づくと、頭からすっぽりと白い布をかぶった小柄な老人の姿になった。しわに覆われた暗褐色の肌の中で、 黒い瞳が光っている。
 まるで遠くから聞こえてくるような、囁くような声で老人は言った。
「ようこそエチセリアへ。お客人がた」
 ラスカはきょろきょろと、暗い町の中を見回しながら言った。
「やけに静かだが、何かあるんですか。それとも、夜の呪術儀式がもう?」
 ラスカの声はやけに大きく辺りに響いて聞こえた。アティナルは思わず、すぐ横の家を見た。儀式が始まっているなら、静かにして ないといけないような気がしたのだ。
 老人はラスカの問いには答えずに、おもむろに腕を上げた。白い布が持ち上がり、裾がひらひらとはためく。
 はためく白布の向こうで、今まで立ちはだかっていた石壁や家々が透きとおったように、街路が浮かび上がって見えた。あちこちで 交差し、行き止まりながら、張り巡らせられている町中の街路が。
 老人が、しわしわの手を動かして、北東の街路の奥を示した。すると、一軒の家がぼんやりと白く輝いた。大きな石を積んだ、簡素 な造りの壁。玄関の周りには、ぎざぎざの大きな葉の植物がびっしりと生えている。
 甘い不思議な香りが、息苦しいほど強く辺りに立ちこめている。
「明日、あの家を訪ねてみるが良い……」
 老人はかすかに聞き取れるような小声で言った。
「あなたは誰?」
 アティナルが訊ねると、老人は口をゆがめて笑った。
「わしは……」
 老人は答えながら腕を振り下ろした。
 とたんに疾風が巻き起こり、三人に襲いかかった。服は風を含んでばたばたとはためき、アティナルの帽子を吹き飛ばした。
 甘くしびれるような香りが、ますます強く匂っている。
 アティナルは声にならない悲鳴を上げて、顔をかばうように腕で覆いながらしゃがみこんだ。息が苦しい。目も開けていられない。
「おい、大丈夫か?」
 ラスカの声だ。
 アティナルは、まぶたをゆっくりと開いた。腕の間から、ラスカの色あせた靴が見えた。
 辺りにはまだ、あの不思議な甘い香りが残っている。
「アティ様ぁ。帽子が見当たりませ〜ん」
 エレナの声だ。
 アティナルは顔を覆っていた腕をどけて、顔を上げた。髪をめちゃくちゃに乱したエレナが、心配そうに覗きこんでいる。
 アティナルは大丈夫なところを見せようと、ゆっくりと立ち上がった。エレナが手を伸ばして、アティナルを支える。
「なんだったんだ?」
 ラスカは大げさに手を振って、頭をめぐらせた。
 アティナルははっと息を呑んだ。
 町の中は、にぎやかな声にあふれかえっていた。
 何事もなかったかのように薄暗い街路を人々が行き交い、宿へ呼びこむ少年のかけ声が響いている。
「エチセリア一の呪術師様が作った美味しい薬草スープが飲めるよう!」
 呆然と立ち尽くす三人のすぐ脇を、どたどたと子供たちが走りすぎた。
「……では、熱い湯気を浴びるってぇ話だ」
「いいや、やっぱり占ってもらったほうがいい」
 行き過ぎる旅人たちの話し声が、聞こえてくる。
 ラスカはアティナルたちへ顔を寄せるように屈んで、小声で訊いた。
「さっきまで、爺ぃの他に誰もいなかったよな」
「ええ。町の中は静まり返っていたわ」
 アティナルが答えると、ラスカはほっとしたように緊張した顔をゆるめた。
「そうだよな。俺だけ幻でも見ちまったかと思ったぜ」
 エレナだけがまだ、厳しい表情を青白い顔に浮かべている。
 アティナルは、ポツリと言った。
「……プアペロタって言っていたわ」
「ん?」
 ラスカは首をひねった。
「さっきのお爺さん、プアペロタって名乗ったのよ」
「そうか? 俺には聞こえなかったぜ」
 遠慮がちな咳払いが聞こえて、アティナルたちは振り向いた。アティナルよりもずっと背の低い少年が、好奇心いっぱいのとび色の 目で三人を見つめて言った。
「旅のかたがた、宿はお決まりですか?」
「……いや、まだだ」
 ラスカが答えると、少年は目を輝かせた。
「それでは、ぜひ。ぜひ、どうぞ。あまり大きな宿ではありませんが、『黒タバコ』亭へ……」
「あのぅ」
 エレナは少年の言葉をさえぎって言った。
「今夜の呪術儀式はぁ、まだ受け付けてますぅ?」
 少年は首をかしげた。
「ええと、だいたい昼のうちに予約はいっぱいになるみたいです。探せばまだ、見つかるかもしれませんけど、どんなのをお探しです か?」
 エレナは眉を寄せてラスカを見つめた。ラスカは頭をかいて乱れた髪をさらにぼさぼさにしながら言った。
「ええと、探し物を見つけたいんだが」
 少年は腕を組んだ。
「探し物……。そうですねぇ、占いは人気があるから、今日はもういっぱいだと思いますよ」
「だってさ」
 ラスカは大げさに肩をすくめて、エレナの方を見た。エレナはため息をつくと、顔をあげた。
「わかりましたぁ。ではぁ、案内してくださいぃ」
 三人は、少年の後をついていった。


 エチセリアは断崖の上にある町だ。西と北は崖のふちぎりぎりまで家が建ち並び、新しい家は東の荒地へと横長に伸びている。
 出入り口は森に面した南側――アティナルたちが通った崩れた石組みの間――ひとつのみだ。あとは、荒地を越えるか、急斜面を降 りるしかない。
 エチセリアに呪術師が多く集まったのは、霧の多い谷、森林、荒地など、さまざまな環境がそろっていて、力を持つ多種類の植物が 手に入りやすい土地だったからだという。
 案内の少年は、得意げに説明しながら三人を率いて街路を歩いていった。
「ここは、町の中で一番人通りの多い場所です」
 少年は、町の中心部にある幅の広い街路へ三人を導いた。
 道の両側に大きな二階建ての家が建ち、家の前に焚いた火が明るく道を照らしている。
 それぞれの入り口前には、大勢の人が並んでいた。
「今から呪術儀式が始まるみたいですね。ここの通りに住んでいる呪術師は、みんな高名で人気が高いんです。弟子もたくさんいるん ですよ」
 アティナルたちは人々の間を縫うように通り抜けた。十字路の角を左へ曲がると、暗くて寂れた路地へ出た。
 どの家の前にも、壁を覆い隠すような背の高い木が植えてあり、路地全体が陰うつに見えている。少年は一軒の家の前で声を潜めた 。
「ここは、呪いの術で有名な妖術師の住まいです」
 少年はそこで言葉を切ると、口に出すのさえおぞましいというように、体を震えさせた。
「妖術師? 呪術師と違うの?」
 アティナルの疑問に、ラスカが素早く答えた。
「妖術師っていうのは『よくない』呪術が専門で、強い呪いを悪いことばかりに使う連中さ」
 少年はうなずくと、三人を急かした。
「早く行きましょう。こんなところでぐずぐずしてると目立ってしまいます」
 路地を抜けながら、エレナが突然叫んだ。
「あぁああ、大変ですぅ!」
 一行は角を曲がってから立ち止まった。
「びっくりするじゃないの、エレナ!」
 アティナルは眉を寄せて、エレナをにらんだ。
 エレナは急いで荷物を探ると、薄桃色の布を取り出した。呆気にとられているラスカと少年の前で、素早くアティナルの頭に布をか ぶせる。
「もっと早くぅ、隠すんでしたぁ!」
 少年は首をかしげて言った。
「きれいな金色なのに、隠しちゃうんですか?」
 エレナは冷ややかな表情で少年を見た。
「ま、目立つからな」
 ラスカはぽりぽりと頭をかきながら言った。
 少年はエレナの冷たい視線には気づかずに、瞳を輝かせて言った。
「前にも金色の髪の人が来てましたよ。金色の髪もピカピカで目立ってましたけど、身に着けていた宝石がもっとピカピカでキラキラ で、すごかったです!」
「ピカピカでキラキラねぇ……」
 ラスカはぼさぼさの髪をかきあげた。
「その人のこともぉ、案内したんですかぁ?」
 エレナはアティナルのほつれ毛を撫で付けて、布の下へ隠しながら訊いた。
「いいえ、まさか!」
 少年は目を丸くして手を振ると、続けて早口で言った。
「僕は遠くから見ていただけですけど、町で一番高級な『銀のコカ』館に三日くらい泊まったっていう噂です」
 エレナはアティナルの頭にかぶせた淡い桃色の布を整えながら、ぽつりとつぶやいた。
「ベリオ家がぁ、何をしに来ていたんでしょうかあ?」
 アティナルは目をぱちくりさせた。
(どこからベリオ家が出てきたのかしら?)
 エレナの呟きが聞こえたのは、アティナルだけだったようだ。ラスカと少年は二人に背中を向けて、どこかを指差している。
「はあい。できましたぁ!」
 エレナはにっこりと微笑んで言うと、アティナルから手を離した。
「おう。早く行こうぜ。宿はすぐそこだってさ」
 ラスカは首だけを二人に向けて言うと、さっさと歩き出した。


 「黒タバコ」亭は、壁と壁が接するくらい密集している一角にあった。他の家と変わらない石壁に、草葺屋根の二階建てだ。
 出入り口に掛けられたやや黒ずんだ赤い織物に、黄色い水蛇と青いタバコの葉の模様が編みこんでいる。
「このとおり、タバコの模様がすすけて黒に見えるから、『黒タバコ』亭っていうんですよ」
 少年が織物を指し示しながら言った。

 (続)    

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