虹の冠  第15話(30.Dec.2001 UP)

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 その時、タバコ模様が波うって、ぬっと痩せた薄褐色の腕が突き出た。
「あっ!」
 アティナルが声を上げたときにはすでに、少年が腕をつかまれて「黒タバコ」亭の中へ引きずりこまれていた。
「おいおい」
 ラスカは呆れたようにつぶやいて、後ろにいるアティナルとエレナを振り向いた。
 店の中から女性の怒声が響いてくる。
「仕事もしないで、一体どこへ行っていたのさ!」
 低くてうまく聞きとれないが、少年がなにやら弁明しているようだ。それをさえぎるように、女性が声を張りあげた。
「水だってまだ汲んできてないじゃないか。え? なんだって?」
「だから!」
 少年が叫んだ。
「お客さんを連れて来たんだよ!」
「本当かい!?」
 織物をまくり上げて、鋭い目つきをした中年女性が顔をのぞかせた。
 女性はちらりとアティナルを見て、続いてエレナをじろじろと見つめた。脇にいるラスカに気づくと、とたんに疲れた顔に張り付いたような笑みを浮かべて、口を開いた。
「ようこそ『黒タバコ』亭へ」
 少年が女性の脇から顔を覗かせた。
「母ちゃん、そんな風に入り口に立ってたら、お客さんが入ってこられないだろ!」
「あ……ああ、そうだね」
 女性はのろのろと中へひっこんだ。少年は店の外へ出て、出入り口の織物をたくし上げた。恥ずかしそうに顔を赤らめて口を開く。
「へんなとこ見せちゃったけど……、どうぞ入って」
 ラスカは問いかけるような目で、アティナルとエレナを交互に見た。エレナは首を傾げて口を開いた。
「そうですわねぇ……、他に宿のあてもないですしぃ……」
 アティナルは両腰に手をあてると、頷きながら言った。
「入りましょうよ。疲れちゃったわ」
 ラスカを先頭にして、三人は宿へ入った。
 入ってすぐの部屋は食堂になっているのか、長椅子とテーブルが並んでいた。干した草と発酵酒の混じったような匂いが漂っている。
 先ほどの中年女性が、愛想笑いを浮かべて言った。
「お部屋はいくつご用意しましょう?」
「二つ頼むよ」
 ラスカの言葉に女性は大げさにうなずいて、口を開いた。
「お食事もすぐにご用意しますから。うちにはチチャがありますよ。呪術師から薬をいただいてないなら、いかがです?」
「チチャ!」
 アティナルが叫んで、にらむようにラスカを見た。ラスカは顔をしかめて、ため息混じりに言った。
「今夜は、チチャはやめておくよ」


 食事を終えたアティナルとエレナは、宿の二階の一番上等な部屋でくつろいでいた。一番上等な部屋といっても、床板はぎしぎしと鳴るし、粗末な藁のベッドが二つあるばかり。ベッドの頭側の壁には木戸で閉じた窓が二つあって、板の隙間からわずかに風が吹きこんでくる。
「なんだかぁ、あまりはやってない宿みたいですねぇ」
 ベッドに腰かけたエレナがため息混じりに言った。
「昨日は満室だったって、あの子が言ってたわよ」
 アティナルは寝返りをうって、長い金髪を波立たせた。
「きっとぉ、雨で足止めされた人たちがぁ、大勢いたんだと思いますぅ」
 そう言って、エレナは湿っぽい毛布を指先でつまむと、脇へよけた。
「んー。疲れた」
 アティナルは上体を起こして右足首を手で支えると、天井へ振り上げるようにして伸ばした。薄桃色のスカートがめくれて、脚があらわになる。
「まあぁあ、アティ様。はしたないですわぁ!」
 エレナが大げさに口を覆って叫んだ。アティナルは口を尖らせて言う。
「いいでしょ。べつに、誰が見ているわけでもないし」
 アティナルは、今度は左足を手でつかんで持ち上げた。
「あらぁ、アティ様ぁ。私が見てますぅ」
 エレナはそう言って首を傾げると、さらさらの髪を揺らせていたずらっぽく笑った。アティナルはさっと頬を赤らめると、叫んだ。
「見ないでよ!」
「どうしてですかぁ?」
 アティナルは足を下ろすと、スカートの裾を引っぱって脚を隠した。
「だって、なんか、恥ずかしいじゃない!」
「あらぁ……」
 エレナはくすくすと笑いながら続けた。
「そんな風にぃ恥ずかしがらなくてもぉ……。いつもぉ、お着替えを手伝ってますのにぃ」
 アティナルは窓のほうを向いて聞こえないふりをしながら、思い出したように言った。
「ねえ、今日町の中でベリオ家って言ってたでしょう?」
 エレナは真顔にもどって、目を細めた。アティナルは髪を揺らせてくるりと首を回した。エレナのほうを見て、口を開く。
「ほら。あの子が、金髪のキラキラって言ったときよ」
「えぇえ、そうでしたわぁ。でもぉ、それがなにかぁ?」
 エレナは首を傾げた。アティナルはじれったそうに言った。
「だからね、どうして金髪っていうだけで、ベリオ家だって思ったの?」
「あらぁあ、金髪っていうだけではありませんわぁ。身に着けていた宝石がぁ、ピカピカですごくてぇ、……一番高級な宿に泊まったってぇ、言っていましたものぉ」
「でも。宝石を身に着けていてお金持ちっていうだけなら、ベリオ家じゃなくてもいるでしょう?」
 エレナは頷くと、右手の人差し指を立てて言った。
「アティ様ぁ、とおっても良いところにぃ、気がつきましたぁ。確かにぃ、ベリオ家の他にもぉ、宝石やお金を持っている地主がいますぅ」
 エレナは指を振りながら続けた。
「でもぉ……、いいですかぁ? 問題はぁ、ここエチセリアのぉ、場所なんですぅ」
「場所?」
 アティナルは眉根を寄せて、首を傾げた。
「はあいぃ、アティ様ぁ。コロナデリスの地図を思い浮かべてくださいぃ」
 アティナルは顔をしかめた。
(エレナったら、地理の先生みたい……)
「思い浮かびましたかぁ?」
 アティナルは唇を尖らせた。
「いまやっているわよ!」
 アティナルの脳裏に、ぼんやりと横長の国土が思い浮かんだ。左側の海には、帆船の絵が書いてあり、右側のセルバは緑色に塗られている、いつも勉強で使われている絵地図だ。左側から順に、海、砂、縦に走る山脈、高原地帯。高原とセルバに挟まれたバージェ地方。そしてセルバ。
「ここエチセリアの場所はぁ、北の中央寄りにありますぅ。気候はぁ、高原地帯に近いですがぁ、道はバージェ側からしかないですぅ」
 エレナの説明を聞きながら、アティナルは頷いた。
「バージェ地方のこの辺りでぇ強い力を持っている地主はぁ、ベリオ家だけですぅ」
 アティナルは腕を組んで、ラスカと出会った町を思い出しながら口を開いた。
「カンテロでは、いろいろな宝石が採れるのよね」
(たしか、ベリオ家の結婚式があったんだった……)
「はいぃ。そしてぇ、エチセリアの他にもぉ、高原地方やセルバの南方に呪術で有名な町や村がありますぅ」
 エレナの言葉に、アティナルは唸りながら考えこんだ。唸っているうちに、顔が真っ赤になっている。
「う〜ん。それじゃあ、ベリオ家じゃなかったら、他の呪術の町へ行って、エチセリアへは来ないっていうこと?」
「はぁい、当たりですぅ」
 そう言って、エレナはにっこりと微笑んだ。
(こんなところまできて、お勉強なんて。訊かなきゃ良かった)
 アティナルは顔をしかめると、窓の戸板を上へずらした。
 涼しい夜風が吹きこんで、アティナルの火照った顔を冷やしていく。
「う〜ん。気持ちいい」
 アティナルは金髪を風に揺らせて目を細めた。
 月明かりに照らされて、青い岩肌が見えている。アティナルは、窓へ顔を近づけた。
 見えていたのは、向こう岸の断崖だった。宿と岩壁の間には、深い闇が横たわっている。
(そういえば、エチセリアって崖の上の町なんだっけ……)
 アティナルは、ポステで見た谷底の川を思い出した。
(リボンみたいに小さかった)
 エチセリアは、同じ山中でも、ポステよりもずっと高い場所にある。アティナルはめまいがして、あわてて窓枠へつかまった。
 風が悲しげな音を立てて谷を吹きすさぶ。
 アティナルは身を震わせた。
(この宿って、崖に面しているんだわ)
 ふと、暗闇の隅で白い点が動いた。アティナルはこわごわ顔を向けた。
 アティナルの見ている窓のずっと下のほうで、白く輝く丸いものが、ゆらゆらと揺れながら動いている。
「キャー!!」
 アティナルは大声で叫びながら窓から離れた。
「アティ様!」
 あわてて駆け寄ったエレナが、青白い顔のアティナルを抱きかかえた。
「おおい、どうしたんだ!?」
 隣の部屋にいたラスカが駆けこんできた。
「ま、窓の外に、あ、あ……」
 呟くように言うアティナルの言葉を聞いて、ラスカは窓から身を乗り出すようにして外を覗いた。
 階段を大急ぎで登る足音が聞こえて、少年が部屋へ入ってきた。息を切らせながら、部屋の中を見回す。
「なにごとですか!?」
 アティナルは、ラスカの張り付いている窓を指差して、震え声で言った。
「そ、外に……」
「もしかして、崖ですか? うちの宿は崖に面していますから、驚いたでしょう?」
 少年の言葉に、ラスカが振り向いた。
「なんだ。不審な奴でもいるのかと思って、探しちまったぞ」
「ち、違うの! 白い光が、外に!」
 アティナルは叫んだ。
「……そんなもの、見えなかったけどな」
 ラスカは再び、窓から身を乗り出すようにして外を見た。
「変ですねぇ。崖は危ないですから、この辺りの家はみんな、壁が近くて人なんて通り抜けられないように出来ているんですよ。だから、崖側に出られるはずはないんですけど……」
 少年は首をひねった。ラスカが振り向いて言う。
「やっぱり、何も見えないぜ。気のせいだったんじゃないか?」
 アティナルは頬を膨らませて、叫んだ。
「本当に、見たのよ。見たったら、見たの!」


 翌朝。
 黒いタバコ模様の織物が揺れて、乳白色の霧に包まれた通りに旅人が出てきた。
 いつもの濃紺ワンピース姿のエレナ。続いて、薄桃色のスカートにエンジ色のケープをはおり、薄桃色の布で金髪を隠しているアティナル。最後に、一張羅のポンチョを肩にかけ、アルパを背負ったラスカ。
「お気をつけて!」
 少年が元気良く声をかけるなか、一行は人影のまばらな通りを歩いていった。
 しばらく歩く間に霧が晴れて、真っ青な空が顔を覗かせた。
「いい天気ね」
 アティナルが手を高々と伸ばしながら言った。
「アティ様、よく眠れたみたいでぇ、何よりですぅ」
 エレナがにっこりと微笑んで言う。ラスカが確認するように訊いた。
「北東の奥のほうだったよな」
「そうよ。町の外れのほうだったから、ここからはちょっと遠いと思うわ」
 アティナルは元気よく答えた。
「あらぁ? 何のお話ですかぁ?」
 エレナが首を傾げる。
「なに言ってるの、エレナ。昨日の呪術師のおじいさんの家よ」
「昨日の呪術師ってぇ……」
 のんびりと聞き返すエレナに、アティナルは少しイライラしたように言った。
「町の入り口で出会ったでしょう!」
 エレナは眉を寄せた。
「あらぁ? いつのまにぃ、その呪術師のところへ行くことになったんですぅ?」
「いつの間にって……、なぁ?」
 ラスカはアティナルと顔を見合わせた。
「あのおじいさんだと、嫌なの?」
 アティナルが詰め寄ると、エレナは口を開いた。
「嫌というわけじゃぁ、ありませんけどぉ……」
 いつもに増して、エレナの口調はゆっくりで、ためらいがちだった。
「……なんていうかぁ、あんな風に待ち構えられていてぇ、簡単にはぁ信用できないといいますかぁ……」
「まあ、客引きなんだろうけど、あれくらい強い力があれば、占いだって当たるだろ、きっと」
 ラスカが淡々と言う。
(強い力……)
 アティナルは、老人の姿を思い浮かべてみた。けれど、白い布と甘い香りが記憶に蘇るばかり。肝心の顔がちっとも思いだせない。
「ほらぁ。ちょうどいいですぅ。ここの高名な呪術師に頼めばぁ、簡単ですわぁ」
 エレナが嬉しそうに言った。
 いつの間にかアティナルたちは、人通りの多い街路に来ていた。弟子らしき若者たちが家の前に出て、並びはじめた人々 を整理している。
「簡単って……」
「おいおい、本気か?」
 呆れるラスカとアティナルの前で、エレナは弟子の一人に近づいていった。
「すみません〜。少しぃお聞きしたいんですけどぉ」
「はい?」
 褐色の肌の若者は振り返ると、エレナの顔を見て目を見開いた。きょろきょろと辺りを見回して、アティナルたちに気づ くと、今度は口をあんぐりと開けた。
 エレナは若者の様子に気づかないのか、構わずに言葉を続ける。
「呪術師のかたにぃ、占ってほしいことがあるんですけどぉ」
「……え、ええと。少しお待ちください」
 若者はどっしりとした木製のドアを開けて、家の中へ走り去った。
「エレナったら、勝手なことしないでよ!」
 アティナルは玄関前に立っているエレナの側に行って、ムッとしたように言い放った。
「こういう高そうなとこって、なんか落ち着かないんだよな」
 ラスカがそわそわしながら言う。
 その時、扉が開いて、先ほどの若者が顔を覗かせた。
「どうぞ、お入りください」
 エレナを先頭にして、アティナルたちは中へ入っていった。

 (続)    

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