虹の冠  第19話(07.Feb.2002 UP)

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 門の石積みに触れた!
 そう思ったアティナルの左手は空振りして、支えを失った身体は前につんのめった。ふわりとスカートが翻って、レースのペチコートが覗く。
「危ないですぅ!」
 声よりはるかに早く手が差し伸べられて、アティナルはエレナにしっかりと抱きかかえられていた。
「門は?」
 アティナルは小さくつぶやいて、顔をあげた。
 南門は既に、手を伸ばしても届かないほど遠くに見えている。アティナルは青緑の瞳を大きく見開いて、南門を穴が空きそうなほど見つめた。
「また、離れちまったなぁ」
 いつの間にか隣に来たラスカが、ため息混じりにつぶやいた。その後ろには、レフィコが腕を組み、気難しい表情で突っ立っている。
 突然、背後から嘲るような笑い声が高々と響いた。
「ちっ」
 ラスカが勢い良く振り返る。アティナルは笑い声にムッとして、エレナの手を振りほどいて後ろを向いた。
 石壁の家々の間を、旅装の人々が行き交っているのが見える。トゥパクたちの姿は、既になかった。
「あの人たちがいないならぁ、もしかしたらぁ、通れるんじゃありませんかぁあ?」
 エレナが首を傾げて言った。
「一応、試してみるか」
 レフィコが諦めきったように言う。
 四人は再び、南門に向かって歩き出した。
 門は、どんどんと遠ざかる。歩いても。歩いても。
 アティナルがちらりと振り返ると、エチセリアの家並みが遠くかすんで見えた。
(私たちはいま、どこにいるの?)
 アティナルは立ち止まると、振り向いてじっと目を凝らした。通りを行き交う人々の姿がぼんやりと見える。
 続いてアティナルは、自分の足元を見つめた。何の変哲もない、踏み固められた赤土が広がっている。
(地面がどんどん伸びていくみたい……)
「勘弁してくれ!」
 ラスカが頭を抱えるようにして言った。エレナがいつもの調子で、のんびりと言う。
「困りましたわぁ」
「南門を目指さない方がいいのかもしれない」
 レフィコが目を細めて、ぼそりとつぶやいた。
「もしかしてぇ、あの石積みをぉ、乗り越えるんですかぁ?」
 エレナがゆっくりと訊く。
「ええっ!」
 アティナルは、自分の背丈と同じくらいの高い石積みを思い浮かべて、顔をしかめた。
 レフィコは頷くと、口を開いた。
「石積みが崩れて、通り抜けられる場所がいくつかある」


 四人はレフィコを先頭にして、石積みと家に挟まれた狭い路地を歩いていた。軒下に生えている樹木の下を、腰を屈めて潜り抜けて行く。
 前方に家の外壁が立ちはだかっている場所で、レフィコはようやく立ち止まった。
「ここだ」
 レフィコの指し示した石積みの中央には、大人がようやく潜り抜けられるほどの大きさの穴が空いていた。
 穴の向こうは、ツタや草の生い茂る藪になっている。
「ここをくぐるのか」
 ラスカがうんざりしたように言った。
「上を乗り越えてもいいが、崩れるかもしれない」
 レフィコが淡々と言う。ラスカはため息をつくと、背負っていたアルパをおろした。
「誰がぁ、最初に行きますかぁ?」
 エレナが首を傾げて訊く。
「俺が行く。向こうに行ったら、アルパを受けとるから、持ち上げてくれ」
 ラスカは肩を回して身体をほぐすと、身を屈めて穴に右手をかけた。
「大丈夫?」
 アティナルは左側から、穴を覗きこむように身体を屈めた。
「待て!」
 レフィコが鋭く叫んだ。
「なんだ?」
 ラスカがゆっくりと顔をあげる。レフィコは素早く小石を拾うと、穴の向こうに投げこんだ。
 すると、藪が揺れて、大きなヘビが鎌首を持ちあげた。アティナルたちに向かって頭を突き出し、威嚇するようにちろちろと赤い舌を覗かせる。
「うわっ!」
「きゃー」
 ラスカとアティナルは地面に座りこむと、這うようにあとずさって穴から遠ざかった。
「あ、あの、妖術師が連れていたヘビよ!」
 アティナルは気持ち悪い男を思い浮べて、身体をブルブルと震わせた。後頭部がしびれるように痛む。
「困りましたわぁ。ヘビはぁ、相手にしたことがないんですぅ」
 エレナは短剣を袖口から取り出すと、眉を寄せてヘビを見つめた。
「やめておけ。毒蛇だ」
 レフィコは横目でヘビを睨みながら、続けた。
「崩れている場所は、もう一箇所だけある。既に罠が張ってあるかもしれないが、行ってみるか?」
 三人は黙って頷いた。


 角を何度も曲りながら、一行は薄暗い狭い路地を歩いて行く。
 先頭を歩くレフィコが、ぴたりと足を止めた。聞きとれないほど小さな声でつぶやく。
「変だな……」
「どうしたの?」
 アティナルは身体を曲げて、レフィコの横から路地の先を覗き見た。
 壁と壁の隙間から、まばゆい光が溢れてくる。その、切り取られた縦長の光の中を、ひらり、ひらりと、色鮮やかな衣の裾が揺れているのが見えた。
「なんだ、どうした?」
 一番後ろのラスカが、焦れたように訊いた。
「どこかで間違えたみたいだ」
 レフィコは振り向くと、ぼそりと応じる。ラスカは大げさにため息をつくと、口を開いた。
「引き返すのか、そっちに出るのか、早く決めてくれ」
「……戻ってくれ」
 ラスカは大げさに舌打ちをすると、アルパをぶつけないように慎重に体の向きを変えた。
「あの先はぁ、どこだったんですぅ?」
 エレナが引き返しながら、緊張感のかけらもない声で訊いた。一番後ろを歩くレフィコは、ちらりと振り返って鋭い瞳を光らせると、ぼそりと言った。
「『銀のコカ』館の中庭だ」
「え!?」
(ベリオ家で泊まったっていう、一番高級な宿?)
 アティナルは立ち止まって、くるりと振り向いた。レフィコの山高帽越しに、左右の石壁が音もなくせばまって行くのが見える。
 白い光は、縦に伸びた一筋の線のようになり、やがて、何もなかったかのようにかき消えた。
 動悸は早まり、喉はカラカラに乾く。頭がずきずきと痛む。
「か、壁が……」
 アティナルはようやく、それだけを口に出すと、ごくりと唾を飲みこんだ。レフィコは目を細めて、なんでもないことのように言った。
「動いたのか」
「そ、そうよ。見たの? 見てないわよね。だって、あ、あなたはこっちを向いていたもの。でも……」
 アティナルは舌をもつれさせながら、一息に口に出した。レフィコは重々しく頷いて、言った。
「『銀のコカ』館の中庭は、館の中を通らなければ入れないはずだ」
 アティナルは話が飲みこめずに、瞬きを繰り返した。レフィコは一呼吸して、言葉を続けた。
「つまり、俺たちが通っていたような路地と通じているはずがない」
 アティナルは再び唾を飲みこむと、痛む頭を両手で押えた。
(どこかでまた、小太鼓が鳴っている。……それとも、私の頭の中だけで響いてるの?)
「何やってんだ。早くしろよ!」
 苛立ったようにラスカが叫んだ。アティナルはびくっと首をすくめた。
(ラスカ……?)
 道の先のT字路で、ラスカとエレナが待っている。アティナルは、二人のもとへと走っていった。
 ラスカは腕を組んで石壁に肩で寄りかかり、険しい表情で待っていた。
(こんなに怖い顔のラスカ、初めて)
 口を開きかけたアティナルは、目を伏せた。
(さっき見たこと、話しても、信じてもらえないかもしれない……)
「アティ様ぁ、お顔の色が悪いですぅ」
 エレナは眉を寄せて、こげ茶色の瞳でじっとアティナルを覗きこむ。不意を突かれたアティナルは、あわてて言った。
「平気よ!」
「本当ですかぁ?」
 エレナが疑わしそうに、アティナルを見つめる。
 アティナルは顎をあげて、明るい表情を浮かべて言った。
「本当よ。大丈夫!」
 アティナルの後ろから、ゆっくりと歩いて戻ってきたレフィコを見て、ラスカは不機嫌に鼻を鳴らせた。青灰色の瞳で、射抜くように睨みながら訊く。
「おい。どっちへ行けばいいんだ?」
 アティナルは再び、首をすくませた。
(どうしちゃったの? いつものラスカらしくないわ)
 レフィコはラスカの横を通りながら、言った。
「俺が先に行く」
「また、迷うんじゃないだろうな?」
 ラスカの言葉に、レフィコは振り向いた。紫の瞳で、真っ直ぐに見あげる。
「おおーい。奴らがいたぞ!!」
 路地中に大声が響き渡った。
(大変!)
「くそっ。追っ手だ!」
 ラスカは舌打ちをすると、きょろきょろと辺りを見まわした。
「こっちだ!」
 アティナルたちは声を頼りに駆け出した。背後から足音が迫ってくる。
「角を右へ」
 アティナルは広い通りへ出た。すぐ目の前を旅人の一団が通り過ぎて、アティナルはラスカの背中を見失った。
(どこ?)
「アティ様ぁ。あそこですぅ」
 すぐ後ろに居るエレナが、人ごみの中で見え隠れしているラスカの背中を指さした。
「急ぎましょう。はぐれちゃうわ」
 アティナルはエレナの手を取って、駆け出した。二人のすぐ後ろから、レフィコがついてくる。
「あそこだ。居たぞ!」
 誰かが叫んでいる。
(見つかった!)
 アティナルは息を切らしながら、必死にラスカを追いかけた。なぜか、上体が前のめりになって、思うように走れない。息が苦しい。
 先の路地に、ラスカの背中が滑りこむ。
(ああ、はぐれちゃう!)
 アティナルは走りながら顔をしかめた。
(どうして、どんどん先に行っちゃうの? ラスカの長い脚で走られたら、追いつけないじゃない!)
「アティ様ぁ、大丈夫ですかぁ?」
 エレナが忙しく足を動かしながら、のんびりと言う。アティナルは返事もできずに、ただ、手足を動かした。
 家の戸口に座りこんでいた老婆は、アティナル達を見ると、はじかれたように立ち上がった。巻き起こる風に、老婆の編みこんでいた色鮮やかな帯がふわりとなびく。
 老婆は目を見開いて、呆然と一行が通り過ぎるのを見送った。

 (続)    

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