虹の冠  第20話(11.Feb.2002 UP)

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「もう、追ってこないみたいですうぅ」
 後ろを振り返りながらエレナが言った。一行はようやく立ち止まった。
「結局、戻ってきちまったな!」
 ラスカが忌々しげに言い放つ。
 アティナルたちはいつの間にか、南門前の通りに来ていた。
「……疲れた」
 アティナルはよろよろと日陰に入ると、一軒の家の壁に寄りかかった。頭がまだ、ズキズキと痛む。
 残りの三人も、アティナルの側に移動した。
「アティ様ぁ。大丈夫ですかぁ?」
 エレナが気遣わしげに覗きこんでいる。アティナルは荒い息を吐きながら言った。
「ラスカが……どんどん走るから、……大変だったわ」
 ラスカは眉間にしわを寄せて、レフィコを指さして言った。
「こいつがどんどん先に行っちまうからな、俺だって見失わないように必死だったんだぜ」
 レフィコは片手で山高帽の縁を軽く持ち上げると、鋭い目でラスカを睨みあげて言う。
「俺は一番後ろだ」
「はあ?」
 ラスカはずいっとレフィコの前に出て、目を吊りあげた。
「俺はずっと、お前の後をついて走ってたんだぜ」
「いいや。あんたが、先だった」
 アティナルは睨み合う二人を、不安げに見比べた。
(二人とも、どうしちゃったの?)
「お前がずっと道を指示していたんだろ! ダロ」
 ラスカがにぎり拳をつくって叫んだ。
「俺は何も言わなかった。ッタ」
 レフィコが淡々と言い放つ。
(なあに? 声が二重に聞こえる)
 アティナルは自分のこめかみを抑えた。
「確かにぃ、指示していた声はぁ、レフィコさんでしたぁ。ソウヨ!」
(エレナの声まで、変よ)
「ほら、な。どうせ、また、道を間違えて戻っちまったんだろ! ダロ」
「とにかく、俺は後ろにいた」
 レフィコはの言葉に、ラスカは舌打ちをした。
「いいかげんに自分が悪いって認めろ! ミトメロヨ」
(耳が変になったのかしら)
 アティナルは顔をしかめて、右隣にいるエレナを見つめた。
「えぇえ」
 エレナの声が言う。
(あれ?)
「確かにぃ、レフィコさんは後ろにいたと思いますぅ」
 アティナルはまじまじと目を見開いた。
 エレナの口は、堅く閉じたまま、少しも動いていなかった。
(え……?)
「そうよ、そうよ!」
 すぐ横で声がする。アティナルはぞくりと背筋が寒くなって、声の方を向いた。
 アティナルの左肩のすぐ横に、黒い影がいた。
「きゃ〜〜!」
 アティナルは肩を震わせて、大声をあげた。
「キャ〜〜。キャ〜〜! キャ〜〜!!」
 自分の声に重なるように、悲鳴が聞こえてくる。アティナルは怖くなって、石壁から離れた。
「アティ様ぁ。大丈夫ですかぁ? カァア」
(……また!)
 アティナルは恐る恐る顔をあげた。心配そうに覗きこんでいるエレナの後ろに、黒い影が見えた。
 アティナルはごくりと唾を飲みこんだ。むりやり、かすれ声を絞り出す。
「う、う……しろ!」
 エレナが眉を寄せて、後ろを向いた。そこには、既に黒い影はない。アティナルは痛む頭を押えながら、辺りを見回した。
 いつの間にか、アティナルたちを取り囲むように、旅人や客引きの少年たちが集まっていた。ちらちらと、アティナルの方を見つめて、何事か囁きあっている。
 その人垣へ向かって、スーっと滑るように、黒い影が移動して行く。
「ああっ!」
 アティナルは思わず、黒い影を手で指し示しながら叫んでいた。
 影は陽炎のように揺らぐと、人々の間に吸いこまれるように消えていった。
「おいおい、大丈夫か?」
 ラスカの青灰色の瞳が、心配そうにアティナルを見ていた。
(あれ?)
 アティナルは、まじまじとラスカの顔を見つめた。目も釣りあがっていないし、眉間にしわもない。
(ラスカ、怒っていたんじゃないの?)
「アティ様ぁ。大丈夫ですかぁ?」
 エレナの暖かい手が、ぎゅうっとアティナルの手をにぎりしめる。
「気分はどうだ?」
 レフィコが気遣わしげに言う。
(あ……)
 アティナルは頭を押えていた手を離した。先ほどまでの痛みが嘘のように消えていた。
(何だったの?)
 アティナルは問いかけるように、レフィコの顔を見た。薄紫色の瞳でちらりとアティナルを見たレフィコは、ぼそりと言った。
「精霊だ」
「え?」
(なあに? さっきの黒い影のこと……?)
「今は、向こうに移った」
 レフィコは視線を人垣の方へ向けて、顔をしかめた。
 アティナルたちを囲んでいる人々は、ざわざわと囁きあっていた。
「さっきから何だ? あの連中」
「早く呪術師のところへ行けばいいのに」
 大げさに顔をしかめる男。目配せをしあう少年たち。
「かわいそう」
「呪いをかけられているのよ、きっと」
 大きな声をあげて、あわてたように口を押える婦人。ぶしつけな視線をアティナルたちへ向ける老婆たち。
「きっと、黒霊憑きじゃ」
「暴れだすかもしれないぜ」
「そうだ。そうだ。そうだ。そうだ。そうだ」
 アティナルは人垣を睨むように見つめながら、エレナの手をにぎる力を強めた。
(嫌な感じ)
「精霊が、騒ぎをおこしている」
 レフィコが瞳を光らせて言った。
「なるほどな。黒霊か……」
 ラスカは小声で言うと、背負っていたアルパを下ろした。
「黒霊って、なあに?」
 アティナルがひそひそ声で訊くと、レフィコがぶっきらぼうに言う。
「だから、精霊だ」
(どういうこと?)
 アティナルは首を傾げた。その時、ラスカが高らかにアルパの弦を爪弾いた。
「ラ、ラスカ、何を始める気?」
 あわてるアティナルに余裕の笑みを向けて、ラスカは陽気な旋律を奏でた。唖然と見つめる人々を、一人一人見つめるように見ながら、歌うように口上を述べる。
「さあさあ、お集まりの方々。とある町に住む、間抜けな男の話を一つ」
 ラスカは、テンポの速い曲を奏でながら、歌いはじめた。薄褐色の大きな両手が、素早く弦の上を優雅に動き回る。
「……わあ!」
 アティナルは思わず歓声をあげていた。
 ラスカはおどけた表情を浮かべると、演奏しながら間抜けな主役の動きを真似て、背中を丸めて居眠りをする振りをしたり、ぐるぐるとその場を回ったりした。
 エレナがアティナルの耳元に囁く。
「ほらぁあ、見てくださいぃ」
 いつの間にか、アティナルたちを囲む人々の表情が変化していた。
 にこやかな表情で、歌に聞き入る老婆。歓声をあげながら跳びはねる子供たち。
 合いの手のように、掛け声をかける老人。身体を揺すってリズムをとっている男たち。
(嫌な感じが消えてる)
 アティナルは目を丸くして、周りの人々を見つめた。
 毛織のスカートを軽く持ち上げて、曲にあわせて左右に振っている婦人たちは、今にも踊りだしそうだ。
 やがて、ラスカが歌い終えて手を止めた。
 囲んでいた人々は、満足げな表情を浮かべて拍手をした。エレナとアティナル、レフィコも一緒になって手を叩く。
 アティナルは拍手と興奮のざわめきの中、陽気な笑い声が高々と響き渡るのを聞いた。
「すごい声ね。」
 耳を覆うようにしながら、アティナルはつぶやいた。
「何がですぅ?」
 エレナが小首を傾げて訊く。
 笑い声が消えたとたんに、人々は互いに顔を見合わせた。
「俺は何をしていたんだっけ」
「なんでわしらは、こんな所に集まっておったんじゃ?」
 ぼんやりと辺りを見回したり、不思議そうな表情で、首を傾げている。
「ああっ。早く水を汲みに行かなきゃないんだった!」
 一人の少年が、バタバタと駆けて行った。それをきっかけにして、人々は散り散りに、アティナルたちの周りから離れていった。
「あ〜あ、ただ働きか」
 アルパを下ろしたラスカが、ため息混じりにぼやいた。
「とおってもぉ、楽しい歌でしたぁ!」
 にっこりと笑ってエレナが言う。
「演奏も素晴らしかったわよ!」
 アティナルが大急ぎで付け足す。
「ま、うまくいって良かったよ」
 ラスカは、照れ笑いを浮かべながら言うと、ぼさぼさの頭をかいた。
 レフィコは軽く微笑んで、言った。
「あんた、なかなかやるな」
 ラスカは頬を赤らめて、ますます髪をかき回すと言った。
「いやぁ、婆さんの口癖さ」
 口の端をあげてにっと笑いながら、ラスカは続けて言う。
「いつもケタケタ笑いながら言ってたのさ。『黒霊を追い払うには、陽気に笑うのが一番』ってな」
「ケタケタ笑うの?」
 アティナルが小首を傾げると、ラスカは大げさに頷いた。
「そう、そう。まるで、顎が外れたみたいに、いつも、いつまでも笑うんだよ」
「それってぇ、想像してみるとぉ、なかなか怖いものがありますぅ」
 エレナがのんびりと言う。ラスカは顎に手を当てると、神妙な表情で言った。
「ま、怖いかもな。なんせ、村で一番の長生き婆さんで、泣いている子供を見つけると、笑いながら追いかける癖があったからな」
「へえ〜」
 アティナルは相づちをうちながら、はっと目を見開いて辺りを見回した。誰かに呼ばれたような気がしたのだ。
(な……に?)
 南門から入ってくる旅人たちと、そこへ群がるように近づく客引きの少年たちが見える。
(あの門、もう通れるのかしら?)
 アティナルがそう思った途端に、甘い香りが強く漂った。
「ま、慣れると別に、怖くもなんともないんだけどな」
 ラスカはまだ話し続けている。アティナルは香りに誘い出されるように、北方へ向かって歩きだした。
「アティ様ぁ、どこへ行くんですぅ!?」
 エレナがあわてて叫んだ。
「プアペロタよ」
 アティナルはそれだけ言うと、駆けだした。
 にぎやかな通りを駆けぬけて、「銀のコカ」館の前を曲り、「妖術師通り」を突っ切っていく。そうして、アティナルたちは、壁と壁が接するくらいに密集して二階建の家が並んでいる通りに出た。
(……香りが、途切れた)
 アティナルはぴたりと立ち止まって、きょろきょろと辺りを見回した。
「いったい、どうしたんだよ」
 ラスカが、ずり落ちそうになるアルパを押えながら言う。アティナルが急に走り出したので、しっかりと背中に括りつける時間がなかったのだ。
「あらあぁ? ここはぁ……」
 エレナが見つめる先には、水ヘビとタバコの葉模様の、黒ずんだ赤い織物が下がっていた。
(どうして!?)
 アティナルは呆然と織物を見つめながらつぶやいた。
「『黒タバコ』亭」
「また戻っちまったか」
 ラスカはアルパを背負いなおしながら、淡々と言う。
「だって、その。ずっと、プアペロタの香りが……」
 アティナルはだんだん自信がなくなって、小声になっていった。
「なるほど」
 辺りを見回していたレフィコが、ぼそりと言った。
「ん、何かわかったのか?」
 ラスカがすかさず訊く。レフィコは重々しく頷くと、ぼそりと言った。
「ついて来てくれ」

 (続)    

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