虹の冠  第21話(20.Feb.2002 UP)

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 崩れかけた石段を降りると、そこは石を積んで造られた一室だった。壁面に開いている出入り口らしき穴から光が射しこみ、ぼんやりと室内を照らしている。
「ずいぶんと古そうだな」
 ラスカが感慨深げに言って、部屋の中を見回した。
 壁の石積みの隙間には緑色の苔が生え、床の石が黒く濡れている。
 アティナルは眉を寄せて、壁から離れた。
(虫が出てきそう……)
 レフィコは出入り口から外を覗くように見ながら、淡々と言った。
「この家は、元々この地にあった古い建物の石組みを土台にしている」
「古い建物?」
 アティナルは首を傾げた。
 「黒タバコ」亭の通りに建っている家々は、どれもが古い建物だった。壁が隣同士接している家も多い。
 アティナルたちは「黒タバコ」亭のほど近くの建物から、使われていない古い部屋を通って、ここへ出たのだ。
 ラスカは目を細めると、歌うように言った。
「この地がまだ、いにしえの民によってエチセリアとは異なる名前で呼ばれていたとき、この地には石の街と大きな神殿があった」
「神殿?」
 アティナルは落ち着きなく辺りを見まわした。ラスカは続けた。
「この地に住まう民が何処かへ去った後、新しく来た民は石積みを崩し、敷き詰められていた石をはがし、新しい家の壁や囲いに用いたと云う」
 アティナルは、エチセリアの崩れていた石積みを思い出した。
「そういうことだったのね」
「さあて」
 ラスカは歯を見せて笑うと、頭の後ろで手を組んだ。
「どういうこと?」
 アティナルはラスカに詰め寄って訊く。
「いやぁ……」
 ラスカは頭をかきながら言った。
「古い町があったっていう土地には、決まって同じような話が残っているのさ。だから町の名前を入れ替えるだけで、まるっきり別の歌になるってわけだ」
 なおも首を傾げるアティナルに、ラスカは言った。
「つまり、ここに神殿があったかどうか、俺は全然知らない」
「な、なあに、それ」
 アティナルは腰に手を当てて、叫んだ。
「ほんっとうに、ラスカって、イイカゲンね!」
 ラスカは困ったように、ぽりぽりと頭をかいた。
 レフィコは出入り口に立ったまま、振り向いて言った。
「ここが何に使われていたかはわからない。が、石積みの外へ通じているのは、ここだけだ」
「そこからぁ、エチセリアの外へ出られるんですかぁ?」
 エレナが出入り口に近づきながら訊いた。レフィコは頷くと、口を開いた。
「正直、ここを通るのは、お前たちには無理だと思っていた。だが……」
 レフィコは硬い表情で言葉を続けた。
「プアペロタが導いたのなら、他に道はない」
 レフィコはくるりと前を向くと、穴をくぐって外へ出た。アティナルはあわてて後を追った。
 寂しげな音を立てて、風が吹き渡る。レフィコのだぶだぶの服があおられて、うるさいくらいにはためきながらアティナルの目の前をかすめた。
 アティナルはごくりと唾を飲みこんで、足を止めた。手を後ろへ伸ばしてざらざらとした石壁を探り当て、背中を壁に押し付ける。石壁をつたうようにして腰をおろすと、ほっと息を吐き出した。
 テラス状に張り出した石畳の床は、座ったアティナルの脚の長さほどしかない。その先に見えるのは、対岸の黒々とした岩肌。間にあるのは深い、深い谷。
 湿り気を帯びた風が、アティナルの肌をなぞって金色の後れ毛を逆立てた。脚が震えて止まらない。手は自然と、掴まるものを探して床をまさぐる。
「へぇ。なかなかすごい場所だなぁ」
 ラスカの声に、アティナルは振り向いた。
 出入り口から顔だけを覗かせていたラスカは、ひょいとテラスへ出て、ぐるりと辺りを見回した。青灰色の瞳を輝かせて、自分の顎を撫でながら言う。
「なるほど。本当に神殿だったのかもな」
「すみませんーー。少しぃ、どけてもらえませんかぁあ?」
 エレナが出入り口に手をかけてのんびりと言った。
「おっと、ごめん」
 ラスカはアティナルの反対側に避けると、壁に寄りかかって、アルパを背負う紐を結び直しはじめた。
 テラスに出てきたエレナは、アティナルをかばうように横に立って、首をかしげた。
「アティ様ぁ。大丈夫ですかぁ?」
 エレナのこげ茶色の髪が、風を含んで空に舞い上がっている。
「わ、私なら平気よ!」
 アティナルは震える膝を、手で押えこみながら言った。
「本当にぃ、大丈夫ですかぁ?」
 エレナは、アティナルを覗きこむように顔を近づけた。黒目がちの大きな瞳が、じっとアティナルを見つめる。
「き、急に外に出たから、少し眩しかったのよ」
 アティナルはそう言い訳して目を伏せた。
(どうして、エレナは平気なの? 怖くないの?)
「怖いか?」
 レフィコが睨むような鋭い目でアティナルを見ながら訊ねた。
 アティナルは弾かれたように顔をあげた。心を見透かされたような気がして、アティナルは何も言い返せなかった。
 しばらく見つめ合った後、レフィコが口を開いた。
「帽子……。赤い帽子を被るといい」
 アティナルは青緑の瞳を見開いた。
「ぼうし?」
「そうだ。その帽子が、お前を守る」
 レフィコは淡々と言うと、くるりと背を向けた。アティナルは何がなんだかわからないまま、手荷物の中からエンジ色の帽子を引っぱり出した。
(この帽子が?)
 首を傾げながら、帽子を頭に被る。ふわりと、甘い懐かしいような香りが漂った。
(プアペロタ!)
 アティナルは深々と息を吸いこんだ。
(暖かい……)
 アティナルはゆっくりとまぶたを閉じた。身体の震えは、既に止まっている。
(なにか柔らかいものに包まれているみたい)
 アティナルは目をあけると、心配そうに見つめているエレナに微笑んだ。素早く立ち上がって、その場で跳びはねる。薄桃色のスカートと白いペチコートがまくれあがり、ちらりと白い脚が覗いた。
「アティ様ぁあ!」
 あわてるエレナを尻目に、アティナルは裾をひるがえして着地した。
「身体が軽いの。信じられないくらい!」
 ぽかんと口を開けてアティナルを見ていたラスカが、呟いた。
「呪術なのか?」
「精霊の力だ」
 レフィコが淡々と言う。
 アティナルはくるりと後ろを向くと、崖に背を向けて上を見つめた。
 地下室の壁の上に、崖に張り付くように建っている家々が見えた。崖の岩と同じ色の石で出来ている家々は、岩の続きのようにも見える。
 窓が並んでいる家。一面、壁の家。二階部分が、崖の上にせり出して、谷底に落ちていきそうな家もある。
「あ!」
 アティナルは小さく叫ぶと、横を向いた。
「もしかして、レフィコ、夕べここに居た?」
 レフィコは山高帽を軽く手で押えると、ぼそりと言った。
「ああ。夕べ、師匠のために最後の羽毛草を採りに行ってきたからな」
「やっぱり。夕べ見た白い光って、レフィコだったのね!」
 アティナルは思わず叫んでいた。ラスカが頷きながら言う。
「ああ。『黒タバコ』亭で嬢ちゃんが大騒ぎしたやつか」
「ところでぇ、どこに道があるんですぅ?」
 エレナが、崖下を覗きこむように見ながらのんびりと言う。
 レフィコは自分の足元を指し示して言った。
「この道を降りると、ポステの近くに着く」
「これが道ですかぁ? 本当にぃ、これを降りるんですかぁ?」
 逆立つ髪を押えながら、エレナがのんびりと訊く。レフィコは黙って頷いた。
「冗談だろ。水路かなんかじゃないのか?」
 ラスカがぼさぼさの髪をかき回しながら言った。
 崖の斜面に、真っ直ぐに下降していく水路のような溝がある。よく見ると、積み重ねた石の間に苔が生えたり、所々崩れている個所もあるようだ。
「古くは水路だったかもしれない」
 レフィコは淡々と言うと、石畳に手をついて水路跡の中へ降りた。溝の深さは、レフィコの腰のあたりまである。
 レフィコは斜面を少し下ると、促すようにアティナルたちの方を無言で向いた。
「もう、出発ですかぁ?」
 エレナがのんびりと訊く。
「夕方になると、風がもっと強くなる。だから、その前に、下に着いていないと危険だ」
 レフィコが下を見たまま淡々と言った。アティナルは首を傾げて訊いた。
「でも、レフィコは、いつも夜に通っているんでしょう?」
「いやいや。こいつは無事でも、俺たちは呪術師じゃないから、ムリさ」
 ラスカはそう言って、慎重にレフィコの後ろへ降り立った。水路の両脇にアルパがぶつからないように傾ける。
(呪術師って、私たちと違うの?)
 アティナルは首を傾げた。
「アティ様ぁ。降りますよぉ?」
 エレナが後ろからアティナルを支えるように押えた。アティナルは頷いて、水路へ降りた。エレナが続く。
「滑りやすいから、気をつけてくれ」
 レフィコはそう言って、先に立って降りていった。
 アティナルは水路脇の石に掴まりながら、ゆっくりと足を進めていった。


 やがて、一行は突き当たりに着いた。崩れた石と土砂が水路の溝を埋めて、小さな水溜りが出来ている。
 斜面はだいぶ緩やかになり、辺りには低木や草が生い茂っていた。
 水路を出たアティナルは、腕を伸ばしながら呟いた。
「疲れたぁ」
 石に掴まって身体を支えながら歩いてきたので、肩と腕が強張っている。エレナは後ろを向いて、眩しそうに目を細めた。
「エチセリアが見えますぅ!」
 上方に向かって真っ直ぐに伸びている石の水路。その上でエチセリアの家々の壁が、傾きはじめた太陽に照らされて黄色く輝いていた。
 ラスカは土砂の上へ登ると、背負っていたアルパを下ろした。大きめの石に腰かけて、アルパを撫でながら呟く。
「傷がついちまうかと思って心配したけど、よく無事だったなぁ」
「本当ね」
 アティナルが頷きながら言った。レフィコがぼそりと言う。
「精霊の力だ」
「なんだって!?」
 ラスカは目を見開いて、まじまじとレフィコを見つめた。
「あんたの歌を気に入った精霊がいるのさ」
 レフィコの言葉を聞いて、ラスカはあわてて立ち上がった。アルパを抱えるように持ったまま、あたふたと周囲を見回す。
(精霊がいるの?どこ?)
 アティナルも、きょろきょろと辺りを見回した。
「これからぁ、どう行くんですかぁ?」
 エレナは水路から出ながら、首を傾げて訊いた。
 レフィコは谷へ背を向けると、右方を指して言った。
「ここをまっすぐ行くとポステだ。藪をこいで行かなければならないが、すぐ着く」
 続いて、レフィコはもう一方を指し示した。
「向こうへ行くと、古い石切場だ」
 石切場へは、人の歩いた跡が、なだらかに下りながら続いている。
「石切場は遠いの?」
 アティナルの問いに、レフィコは口を開いた。
「暗くなる頃は着けるだろう」
「野宿よりは、宿に泊まりたいがなぁ」
 頭をかきながらラスカが言う。
「でもぉ、ポステにはぁ、トゥパクさんの手がぁ、伸びているかもしれないですぅ」
 エレナの言葉に、レフィコは頷いて言った。
「ポステへ泊まるのは危険だ。ポステ側へ降りても、そのまま通り過ぎて野宿しなければならないだろう」
「やれやれ。しかたがないか」
 ラスカはため息混じりに言った。
「いつもは野宿で平気だって言うのに、珍しいね。ラスカ」
 アティナルの言葉に、ラスカは頭をかいた。
「宿の親爺が、ただで泊めてくれる約束だったんだよ」
 アティナルは腕を組んで叫んだ。
「そう。アルパを弾いて、またチチャを飲むつもりだったのね!」
「いや、チチャは別に……」
 ラスカはもごもごと言いながら、助けを求めるようにレフィコの方を向いた。
「遅くなるぞ」
 レフィコはぼそりと言って、先に立って歩き出した。ラスカがほっとしたような表情で続く。
「もう。チチャのことばっかり考えているんだから」
 アティナルは唇を突き出すようにして呟くと、大股でラスカの後を歩いていった。

 (続)    

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