虹の冠  第22話(26.Mar.2002 UP)

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 炎が赤々と燃えていた。
 灯りに誘い出された小さな羽虫が、金色にちらつきながら炎に飛びこんでいく。
 庇のように突き出た岩の下で、アティナルは岩壁に寄りかかり、足を焚き火の方へ投げ出すように伸ばして座っていた。毛糸の帽子を被ったまま、ひざの上に碗を抱えて、右手に木のさじを持っている。
 アティナルのすぐ横に、エレナが寄り添うように座っていた。二人のやや離れた壁にアルパを立てかけて、ラスカが胡坐をかいている。レフィコは焚き火の横の四角い岩の上へ腰掛けて、空を見ていた。
 アティナルのまぶたがゆっくりと下がってきて、青緑色の瞳を隠した。手の力が緩んで、スカートの上へさじが滑り落ちる。
 エレナはすばやく手を伸ばして、アティナルのひざの上の碗を押さえた。
「アティ様ぁ、スープがぜんぜん減ってませんわぁ」
 エレナの声に、アティナルはうっすらと目を開けた。さじを拾うと、碗の中の黒褐色のスープをかきまわす。
 アティナルは緩慢な動作でスープをすくって、口へ運んだ。口当たりは甘く、飲みこんだ後で舌にほろ苦さが残る。レフィコの作った、乾燥芋と薬草のスープだ。
(もう……だめ)
 アティナルは目をしょぼつかせると、口を開いた。
「ねむい……」
 アティナルは呟くように言って、頭を岩壁に押し付けた。
「困りましたわねぇ」
 エレナはのんびり言いながら、アティナルのひざから碗を除けて、手の中からさじを抜き取った。荷物から厚布を取り出して、切り出したような平らな岩の上へ敷く。
「アティ様ぁ?」
 エレナの呼びかけに、アティナルはぼんやりと目を開けて、すぐに布の上に横になった。
「あらあらぁ、いつもこうでしたら、とっても楽ですのにぃ」
 エレナはぶつぶつと言いながら、アティナルの帽子を脱がせて枕代わりに頭の下に敷く。アティナルは細く目を開けて、すぐにまた閉じた。
「『いつも』とは?」
 レフィコがぼそりと訊くと、エレナがにっこりと笑って言った。
「いつもはぁ、それはもう『虫がいる』って、とにかくぅ大騒ぎするんですう」
「虫か……」
 レフィコは呟いて、薄紫の双眸を細めてアティナルを見つめた。
「ま、嬢ちゃん、今日は疲れたんだろ。俺も、眠いよ」
 ラスカはそう言って、あくびをした。レフィコは山高帽を脱ぐと、淡々と言った。
「俺が見張っているから、休むといい」
 ラスカが眉を寄せて訊く。
「獣がいるのか?」
「いや。火を焚いていれば、獣は近づかない」
 レフィコの返事に、ラスカは頷いて言った。
「じゃあ、交代するから起こしてくれ」
 レフィコが首を振るのにあわせて、一つに束ねた銀色の髪が肩の上で飛び跳ねた。
「火を見張るのではなく、呪術師の動向を探るつもりだ」
 ラスカは息を呑むと、声を絞り出した。
「呪術か……」
 唾を飲みこんで、言葉を続ける。
「それじゃあ、俺の出る幕はないな。ありがたく休ませてもらうぜ」
 ラスカは石の上へごろりと横になって、ポンチョを被った。
 レフィコは腰の皮袋から褐色の粉をつかみ出すと、手を伸ばして火にくべた。火の粉を巻き上げながら、炎が橙色に燃え上がり、樹脂のような匂いが広がった。


 太い幹に巻きついた蔓の葉が大きく揺れて露を滴らせた。
 霧のたちこめる森の中、金の長い髪を揺らしながらアティナルは歩いていた。
 樹木も、草も、濡れてつやつやと輝いている。苔に覆われた地面を踏むと、じわっと水が染み出てくる。
(足の裏がくすぐったい……)
 アティナルはいつの間にか裸足だった。薄くてひらひらとした白い膝丈のドレス一枚だけを身に着けている。
 歩いていくにつれて、唸るように低く聞こえていた音が遠ざかっていった。行く手から、誘いこまれそうな甘い香りが漂ってくる。
 森の中は霧がかかっているのにやけに明るく、遠くまで見渡せた。
 やがて、木々の向こうに、ぼんやりと青緑色の帯が現れた。泉だ。向こう岸は白い霧に隠れて見えない。
(とうとう、見つけた!)
 アティナルは駆け出そうとして手足を動かした。体が重い。足が思うように前へ行かない。
(どうなっているの?)
(神のかけらはどこ?)
「アティナル」
 遠くから声が聞こえた。アティナルは泉と同じ色の瞳で、辺りを見回した。
「アティナル」
 森中に柔らかく響く呼び声。
(早く行かなきゃ)
 アティナルはゆっくりと足を前へ進めた。もどかしさを感じながら、一歩一歩踏みしめるように。
(早く、早く、早く)
「行ってはだめだ!」
 その声は、はっきりと響いた。奇妙に甲高い、力強い声。
 アティナルは振り返った。まばゆい白い光が、アティナルの瞳を射抜いた。


   アティナルは眩しさに、目を覆うように手を振り上げた。先ほどまでの重い動きが信じられないほど、素早い動作だ。
(あれ?)
 炎のはぜる音が小さく響いて、アティナルは恐る恐る目を開けた。
 眩しい光など、どこにもない。焚き木の炎と、岩の向こうに見える細い月が、ぼんやりと辺りを照らしているだけ。
(さっきまで森にいたのに……)
 アティナルは手を下ろして、目を瞬いた。
(……夢?)
 はっとして上体を起こすと、アティナルは自分の足を見た。編み上げの革靴をしっかりと履いている。それなのに、足の裏には柔らかな苔を踏んでいた感触が生々しく残っている。
 アティナルは急に寒気を覚えて、自分の肩をぎゅっと腕で抱きしめた。
(なんだか、怖い)
 アティナルはイヤイヤをするように首を振った。
(前にもあの泉の夢を見た。それも、何度も!)
 ふとアティナルが顔をあげると、いつの間にか焚き火の向こう側にレフィコが座っていた。照り返しに顔と髪を輝かせながら、アティナルをじっと見ている。
(なあに? 何なの?)
 アティナルが怖くなって辺りを見回すと、心配そうに見つめている茶色の瞳と目が合った。
 ほっとしてアティナルは口を開いた。
「起きてたの? エレナ」
 エレナはそっとアティナルの額に手を当てて、首を傾げた。
「アティ様ぁ、大丈夫ですかぁ?」
「何が?」
「お顔の色がぁ、優れないですぅ」
 エレナは心配そうに、アティナルの顔を覗きこんで、続けた。
「それにぃ、夢の中で悪者とでも戦ってらしたのかぁ、暴れておいででしたぁ」
 アティナルはさっと頬を赤らめて叫んだ。
「あ、暴れてなんかいないわよ!」
 自分で上げた大声に驚いて、アティナルは辺りを見回した。ラスカはポンチョを被ったまま肩を上下させて寝入っている。レフィコは無表情に、アティナルたちを見つめたままだ。
 アティナルは、声をひそめて言った。
「夢の中で、走りたいのに足が思うように動かなかったの」
「まぁああ、そうだったんですかぁ」
 エレナが微笑みながらのんびりと言う。
「早く行きたかったけど、なぜだか行けなかったのよ」
 アティナルはそう言って、ため息をついた。
「どこへ?」
 レフィコが炎を切り裂くように鋭く訊いた。アティナルは戸惑って、揺れる炎を映したレフィコの瞳を見つめた。
 レフィコは再び訊いた。
「どこへ行こうとしていた?」
 アティナルは上ずった声で問い返した。
「どこって……、夢の中で?」
「そうだ」
   レフィコがぶっきらぼうに言う。アティナルはごくりと唾を飲みこむと、口を開いた。
「泉。本の絵にそっくりな泉だったの」
「本?」
 レフィコが眉間にしわを寄せて言った。
 アティナルは頷くと、枕元においてあった荷物を手繰り寄せた。袋の中から、ずっと大事に持ち歩いている「世界の不思議」を取り出す。レフィコに見えるように本を掲げて、表紙の泉の絵を指し示しながら言った。
「この絵にそっくりで、真っ白な霧がかかっていたわ」
(まるで霧が光っているみたいに明るかった)
 レフィコは顔をしかめて呟いた。
「白い霧か」
 深刻そうなレフィコの様子に、アティナルはあわてた。
「でも、あの……。ずっと、この泉を探していたから、だから、夢に見ただけだと思うわ」
「探していただって?」
 レフィコが首を傾げる。アティナルはごくりと唾を飲みこんで、消え入りそうな声で言った。
「だって、あの……、泉にあるんでしょう? その、『神のかけら』が」
 レフィコはゆらりと立ち上がった。
「お前たちの本には、そう記されているのか?」
 アティナルは息を呑んだ。
(ずっと信じていたのに、泉じゃなかったの?)
 レフィコは素早く動いてアティナルの横へ来ると、本を取り上げた。
「あっ」
 アティナルはあわてて立ち上がった。レフィコは何食わぬ顔で次々と項をめくっていく。
(あれ?)
 レフィコの視線が文字の上を斜めに走るのを見て、アティナルは思わず疑問を口に出していた。
「字が読めるの?」
 レフィコはちらりと顔をあげてアティナルを見ると、口を開いた。
「師匠の元で、『神のかけら』についての伝承を書き記す手伝いをしていた」
「まぁあぁ、それではぁ、読むだけではなくて書けるんですねぇ」
 エレナが大げさに感心したように言う。アティナルはムッとして、エレナを見つめた。
(私だって、簡単な文くらいなら書けるわよ)
「師匠から文字の読み書きを教わった」
 レフィコは目を細めて、言葉を続けた。
「文字など必要ないという呪術師は多い。確かに、生活していくうえで文字は必要ないし、呪術を文字で表現することもできない。けれど、『神のかけら』については、その力の危うさを伝えるためにも、記録しておく必要があるのだと、師匠は言っていた」
 いつになく熱のこもった口調だった。アティナルは不安げにレフィコを見つめた。
「『神のかけら』の力って、危険なの?」
 レフィコはその問いに答えずに、逆に訊ねた。
「お前は、『神のかけら』の力を何に使う?」
 アティナルはごくりと唾を飲みこんだ。
(……兄さま)
 ふいにアティナルの目の前に、兄のレクトルの姿が見えた。王宮の中庭に面した部屋で、ベッドの上に上体を起こして座っている。
 レクトルは手元を照らすランプの灯りで、なにやら難しそうな分厚い本を読んでいた。
 王宮のある高原地方は既に乾季に入り、中庭の木々も葉を落としている。寒さが厳しいのか、レクトルは厚手の毛布を身体に巻きつけて、アルパカの肩掛けを羽織っていた。
 レクトルの蒼白い大きな手が、ゆっくりとした動きで項をめくる。真剣に文字を追う青い瞳が、ふいに止まった。少しやつれた顔をあげて、窓の外を見つめた。
 紫色の唇が動いて、声にならない言葉をかたどった。
「アティナル……?」
(兄さま!)
 アティナルはぎゅっと自分の喉を押さえた。声を出してはいけないような気がした。
「アティ様ぁ。どうされたんですかぁ?」
 エレナの声。
「え?」
 アティナルは目を丸くして、横を向いた。のんびりとした口調とは裏腹に、真剣な目をしたエレナがいた。
(あれ? さっきまで、兄さまの側にいたのに)
 焚き火の向こうに見える薄暗い石切り場の光景。湿り気を帯びた風。低く絶え間なく聞こえる、風の唸り声。
(ここは、兄さまのいる王宮から、とっても遠い場所)
 アティナルは信じられなくて、目を瞬いた。
(夢だったの? どうして? 私、起きていたのに!)
「お前は、既に巻きこまれているのだな」
 レフィコが淡々と言った。
「どういうこと?」
 首を傾げるアティナルに、レフィコが言う。
「お前の見た夢を詳しく話してくれ。それが、手がかりになる」

 (続)    

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