虹の冠  第23話(07.Apr.2002 UP)

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 アティナルは焚き火の前にひざを立てて座りこむと、背中を丸めるようにひざにあごを乗せて、どんな夢を見たのか話し始めた。
 レフィコは焚き火を挟んだアティナルの対面に座って、身じろぎ一つせずに話を聞いている。エレナはアティナルのすぐ後ろに、控えていた。
「……それで、足の裏が濡れるのがわかったの。妙に生々しい感触だったわ」
 アティナルが話し終えて息を継ぐと、エレナが小さく声を漏らした。
「まあぁ」
「そういう夢を、よく見るのか?」
 レフィコの問いに、アティナルは首を傾げた。頭に手を当てて考えこむ。
「ええと、泉の夢はよく見るけれど……、どうだったかしら?」
(う〜ん、内容までは、あまり覚えていないかも)
「それじゃあ、これまでに見た泉の夢を思い出してくれ」
 レフィコがなんでもないことのように、さらりと言う。
「ええ〜!」
 アティナルは顔をしかめた。
(思い出せって言われても……)
 石の上で休んでいるラスカが、寝返りを打った。呼吸に合わせて胸にかけたポンチョが上下している。
 鼻をくすぐる香りに、アティナルは顔をあげた。焚き火から清涼感のある匂いが漂ってくる。アティナルはぼんやりと揺れる炎を見つめた。
 レフィコは素早く麻袋から鮮やかな緑色の粉を取り出すと、ぱらぱらと炎に振りかけた。赤い炎が一瞬藍青色に変わり、すぐに青緑色に変化する。
(あ、泉の色)
 アティナルの脳裏に、夢で見た森の中の泉が思い浮かんだ。
 鮮やかな青緑色の泉。空を覆い隠すように茂っている、背の高い木々。枝から垂れ下がる蔓植物。高木の幹の間に茂る下草やシダ。
 木の根元で、濡れたようにつやつやと輝く大きな葉。たっぷりと水を含んだ苔と、その間に生えている、ひらひらとした花びらのような形の白い茸。
 木々や草が折り重なるように、うっそうと茂った深い森。
(それなのに、妙に森の中が明るくて……)
「変よ」
 ぽつりとアティナルが言った。レフィコは射抜くような鋭い瞳で、アティナルを見つめた 。いつもは切れ長な目が、アーモンド形に丸く見開かれている。
レフィコは押し殺したよう な低い声で訊いた。
「どんな風に?」
「森の中なのに、アルパカがいたの。それも、一頭だけじゃなくて、群れで」
 アティナルの言葉に、エレナは首をかしげて訊いた。
「アルパカはぁ、高地にしか住まない動物ですぅ。アティ様ぁ、見たことありましたかぁ?」
 アティナルは眉を寄せて、首をひねった。
「リャマなら見たことあるわよ。だって、毛が白いのがアルパカでしょう?」
 アルパカも、リャマも、高地に住む動物だ。どちらも、柔らかな長い毛が、毛織物や編物に利用される。
「毛の色だけではぁ、アルパカなのかリャマなのかぁ、判らないですぅ」
「そうなの?」
 アティナルは目を瞬いた。エレナはにっこりと微笑んで言う。
「茶色や灰色のアルパカもぉ、いるんですよぉ」
 アティナルは腕を組むと、唇を尖らせて言った。
「とにかく、私の背丈よりも大きなアルパカ……か、リャマが、鼻がぶつかりそうなほど近くにいたのよ」
 エレナは目を丸く見開いて、自分の口を押さえるように手を当てて言った。
「まぁあ。怖かったでしょう?」
 アティナルは左右に首を振った。
「怖いっていうより、獣臭かったわ。臭いと思ったら、目が覚めたの」
「なるほど。匂いか」
 レフィコがポツリと言う。アティナルは頷いて言った。
「なんだか、起きてからも鼻に匂いが残っているような気がして、とっても嫌だったわ」
「それから?」
 レフィコが促すように言う。アティナルはあごに手を当てて、遠くを見つめるような目つきをした。
「ええと。別の日だけれど、泉のすぐ側に綺麗な宝石がたくさん並んでいるのも見たわ」
「どんな宝石?」
 レフィコの問いに、アティナルは目を閉じて、夢の光景を思い浮かべようとした。
「剣の先みたいな形がたくさん付いてトゲトゲしているの。色は薄い赤紫色よ」
「まぁあ、紫水晶でしょうかぁ?」
 エレナが首を傾げて言う。アティナルは目を開けると、青緑色の瞳でまじまじとエレナを見つめた。
「水晶って、泉の側で採れるの?」
 エレナはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「ええとぉ、……違うと思いますけどぉ」
「あとは?」
 レフィコが二人の会話を遮るように訊く。アティナルは眉間にしわを寄せて、考えこんだ。エレナが支えるように、アティナルの背中に手を当てる。
「そういえば」
 アティナルはひざを叩いて、言葉を続けた。
「……泉の畔に白鳥がいたの。真っ白な大きな羽根を広げていて、絵でしか見たことがないのに、なぜかすぐに伝説の白鳥だって判ったのよ」
「伝説の白鳥、か」
 そのレフィコの呟きに、今までにない響きを感じてアティナルは顔をあげた。レフィコは炎を映した瞳で、じっとアティナルを見ている。
「あ!」
(どうしよう。「伝説の白鳥」って、言ったらいけなかったかも)
 アティナルはあわてて目を伏せた。
「そういえばぁ……」
 エレナがのんびりと口を開いた。
「な、なあに、エレナ?」
 アティナルは少しホッとして、顔をあげた。
「前にぃ、見たっていう変な夢のことはぁ、お話なさらないんですかぁ?」
 アティナルは眉を寄せた。
「いつの夢?」
「ええとぉ、アティ様が倒れられたときですからぁ、一週間ほど前の話ですぅ」
(ええと、どんなのだっけ?)
 アティナルが思い出そうとしているあいだ、エレナは話し続けた。
「確かぁ……伝説の生き物がどうのってぇ、話しておいででしたぁ。ピューマとかぁ、翼の生えたコンドルとかぁ……」
 レフィコがわずかに、目を細めた。アティナルは思わず、叫んでいた。
「コンドルに翼があるのは、当たり前でしょ」
 エレナは驚いたように目を大きく見開くと、にっこりと微笑んで言った。
「えぇえ。ですからぁ、四枚の翼を持つコンドルですわぁ」
 アティナルは眉をひそめた。
「そうだった? 覚えていないわ」
(あのとき、夢なんて見ていたのかなぁ。ぜんぜん、思い出せない)
 エレナはこげ茶色の瞳で、アティナルを覗きこむようにしながら言った。
「そうですかぁ? アティ様ぁ、起き上がってすぐにぃ、怖い夢を見たってぇ、私に話してくださいましたぁ」
 アティナルは腕組みをして考えこんだ。
「う〜ん」
(どうして、思い出せないんだろう?)
「いつから、泉の夢を見ている?」
 レフィコの言葉が、アティナルの頭に響いた。
(いつから……)
 アティナルは頭を両手で抱えこんだ。
「アティ様ぁ?」
 エレナが心配そうに言う。
(だって、ずっと泉を探していたから。でも)
 アティナルはごくりと唾を飲みこんで、顔をあげて口を開いた。
「倒れた後よ。その前は……」
 アティナルはかすれ声で自信なさげに続けた。
「探していたのに、ぜんぜん夢に見なかったわ」
「なるほど」
 レフィコはおもむろに立ち上がると、焚き火の横の岩に一跳びで乗った。首から下げたエメラルド球が弧を描き、ほどけた銀の髪が風に広がる。
 呆気にとられて見つめるアティナルとエレナの前で、レフィコは岩の縁に立った。銀の髪が、弱い月明かりの下でやけに明るく輝いている。まるで、髪の毛一本一本が光を放っているかのようだ。
 レフィコは闇を見透かすように、目を細めて遠くを見つめている。時々頷くように顔を動かしている様子は、まるで、誰かと話をしているように見えた。
(……精霊がいるの?)
 アティナルとエレナは、声も出さずにレフィコの姿を見守っていた。
 やがて、レフィコはくるりと振り向くと、口を開いた。
「じきに夜が明ける。この辺りは濃い霧に覆われるから、太陽が中天に昇るまで出発できないだろう。だから、それまでのあいだ、身体を休めるといい」
「それがいいですぅ。アティ様ぁ。お休みくださいぃ」
 エレナは、岩に敷いていた布を持ち上げると、軽く叩いて敷きなおした。
「でも!」
 アティナルは眉を寄せると、膝を抱えた。
(また、変な夢を見たら嫌。怖い!)
「アティ様ぁ。お体を休めないとぉ、また倒れられたりしたらぁ、大変ですぅ」
 枕代わりに敷いていた毛糸の帽子を置きながら、エレナがゆっくりと言う。アティナルは寝床を用意するエレナを、横目で見ながら言った。
「だって、眠くないもの」
「アティ様ぁ?」
 エレナは腰に手を当てると、とがめるように語気を強めて言う。
 アティナルはため息をついて、辺りを見回した。焚き火からやや離れた岩の上に、寝ていたはずのラスカが起き上がって座っていた。
 ラスカはアティナルと目が合うと、悪戯っぽく笑って言った。
「出番か?」
「そうだな」
 レフィコが驚く風でもなく、即座に答える。アティナルは思わず大声で叫んでいた。
「ラスカ、起きていたの!?」
「まあ……、声がしたから」
 ラスカは瞬きをしながら言うと、傍らに立てかけていたアルパに手を伸ばした。
 アティナルは、声をひそめもせずに話していたことを思い出して、顔を赤らめた。
「いつから起きていたの?」
「さあ? いつだったかな」
 ラスカは寝癖のついた髪をかきあげながら言った。
「本の話をしていた頃だな」
 レフィコが横から淡々と言う。ラスカは片眉を跳ね上げて、目を見開いてレフィコを見た。
「そんなに前から起きてたの?」
 アティナルは目を見開いて、まじまじとラスカを見つめた。ラスカの髪に寝癖はついたまま。たった今、起きあがったばかりのように見える。
「ああ」
 ラスカはアルパに手を伸ばしたまま、うわの空で返事をした。目線はレフィコに向けたまま、目は心底驚いたかのように、見開かれている。
「……気づいてたのか」
 ラスカは独り言のように呟いた。レフィコはそれが当然のことだというように、さらりと言った。
「本当に寝ているかどうかくらい判る」
「ラスカったら、寝たふりをしていたの? 話に加わればよかったのに」
 アティナルの言葉に、ラスカはぽりぽりと頭をかいた。
「いや、出る幕じゃないと思ってさ」
「見てくださいぃ。もう、霧がぁ、出てきちゃいましたぁ」
 エレナが間延びしたようにゆっくりと言った。
 夜明け前の濃い紺色の空の下、ぼんやりと影のように見えている岩や対岸の景色が、少しづつ白霧に覆われていく。谷底から音もなく、大量の霧が流れてきていた。
「さあ、眠る時間だ」
 ラスカはそう言って、大きな手をゆっくりと動かした。アルパの弦が弾かれて、柔らかな音が辺りに響く。
「心地よい眠りのために、子守唄などいかがかな?」
 歌うように言いながら、ラスカは静かな音色を奏でた。
「アティ様ぁ」
 エレナに促されて、アティナルはゆっくりと寝床に横たわった。
 静かで穏やかなラスカの歌声が聞こえる中、アティナルは不思議な安心感に包まれて目を閉じた。
 やがて、石切り場は濃い霧に閉ざされた。乳白色の霧の中、アルパと歌声の織りなす静かな旋律がいつまでも聞こえていた。

 (続)    

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