虹の冠  第24話(14.Apr.2002 UP)

Next     

「う〜ん」
 アティナルは小さく唸り声をあげて、毛布を抱えこむように押さえながらごろりと横を向いた。鼻をくすぐる香ばしい匂いに気づいて、細く目をあける。
(……眩しい)
 アティナルは眉間にしわを寄せて、手の甲でごしごしと目を擦った。
「アティ様ぁ。お早うございますぅ!」
 エレナはおっとりと言いながら、素早くアティナルの側へ歩み寄った。太陽を背に、こげ茶色の瞳でアティナルを覗きこむように見つめる。影がさして、アティナルは目を瞬いた。
「お早う、エレナ」
 眠そうな声で答えながら、アティナルはゆっくりと身体を起こした。膝を立てて座ると、毛布をを引っ張りあげながら、膝の間に顔を埋めるように伏せる。
(なんか、目がうまくあかない……)
「あらぁあ、アティ様ぁ。もう少しぃ、お休みになられますかぁ?」
 エレナが首をかしげながら訊くと、アティナルは欠伸まじりに答えた。
「なんだか、寝足りなりような気分なのよ」
(もっと眠っていたい……)
「それはそうですぅ。明け方まで起きていたなんてぇ、アティ様はぁ、初めてですものねぇ」
 エレナは頷きながら、しみじみと言った。
「なによ。これくらい平気よ!」
 アティナルは無理に顔をあげると、両腕をめいいっぱい上へ伸ばした。
「おう、嬢ちゃん。お早う」
 ラスカが振り向いて、陽気に言った。焚き火の前にしゃがんで鍋の中身をかき回しながら、顔だけをアティナルの方へ向けている。
 アティナルは、目をしょぼつかせながら言った。
「お早う、ラスカ」
「よく眠れたか?」
 ラスカは歌うときのような柔らかな声音で訊いた。アティナルの耳に、優しい歌声がよみがえって、ラスカの言葉と重なるように響いた。
(そういえば、ずっとラスカの歌が聞こえていた……)
 アティナルは毛布を握りしめて目を見開いた。
(白霧の中で目を覚ましたときにも、歌声が聞こえたから怖くなかった)
 アティナルは頬が火照るのを感じて、毛布を顔の側まで引っ張りあげた。
(もしかして、ラスカ、ずっと起きてて歌っていてくれたの?)
 ラスカは困ったように眉を寄せて、訊ねた。
「怖い夢でも見ちまったのか?」
 アティナルはあわてて、口を開いた。
「怖い夢なんて、ぜんっぜん見なかったわ」
 そう言ってから、消え入るような小声で付け足す。
「ラスカの歌が聞こえて、とても安心できたわ」
「そうか。そいつは良かった」
 ラスカは照れたように、鼻の頭をこすると、焚き火のほうを向いた。アティナルはなんとなく気恥ずかしくて、うつむくと毛布のしわを伸ばしはじめた。
「あらぁ、アティ様。それぇ、乾しますからぁ、貸してくださいぃ」
 エレナはぱっと毛布を取り上げて、近くの岩の上へ広げた。アティナルは小さく息を吐いて、立ち上がった。
 霧はすっきりと晴れ上がり、切り立った岩壁の間に真っ青な空が見えている。太陽が中天に達して、石切り場の岩に陽光が照り返していた。
 アティナルは、まだ火照っている頬に手を当てた。
(なんか、変な感じ。まだ、目が覚めていないのかも)
 崖の下から、何か黒いものが音も立てずに近づいてくる。アティナルは、よく見ようと爪先立ちをした。
(獣?)
 草をかき分けて石切り場へあがってきたのは、いつもの黒い山高帽を被ったレフィコだった。膨らんだ革袋を両手に持っている。
「何が入っているの?」
 アティナルが声をかけると、レフィコは立ち止まった。指で帽子のひさしを軽く持ち上げて、薄紫色の瞳でちらりとアティナルを見つめる。レフィコは再び帽子を目深に被ると、戸惑って立ちつくすアティナルの側へ近寄った。
「な、なによ!」
 アティナルは精いっぱい威勢良く言った。レフィコは黙って袋を持ち上げると、横に振ってみせた。ちゃぷちゃぷと水の音がする。アティナルは目を丸くして訊いた。
「下まで行って汲んできたの?」
「まさか」
 レフィコは鼻で笑うと、言葉を続けた。
「夕べのうちに、木の葉を使って水が集まるようにしておいただけだ」
「ふ〜ん?」
(木の葉をつかう? よく判らないわ)
 アティナルは首を傾げて訊いた。
「普通の水と違うの?」
 レフィコが呆れたように言う。
「同じだ」
「じゃあ、それ、少しわけてちょうだい」
 アティナルは両手を差し出しながら言った。レフィコは黙ったまま、袋の口を緩めた。アティナルが差し出した両手に、透きとおった水を注ぐ。
「ありがとう」
 アティナル小さくお礼を言って、両手一杯に溜まった水に顔をつけた。飛沫を辺りに散らしながら、顔を洗う。
「アティ様ぁ」
 エレナが素早く柔らかな布を差し出して、アティナルの顔を拭った。
 アティナルは顔をあげると、微笑みながら言った。
「いま、起きたみたいな気分よ」
「まぁあ、アティ様ったら」
 エレナはそう言って、さらさらの髪を揺らして笑った。
 やがて、アティナルたちは焚き火を囲んで、遅い朝食を採りはじめた。エレナが堅パンを全員に手渡し、ラスカが温めた昨日の残りのスープを盛り分ける。
 アティナルは、コチコチに堅いパンをスープに浸し、スプーンでくずして柔らかくしてから口へ運んだ。
 黙々とスープを食べていたレフィコが、ふと顔をあげた。薄紫色の双眸で、東南側に広がる斜面を見上げる。
 鳥の羽ばたきのような音が響いて、小さなものがひらひらと舞いながら、アティナルの目の前へ落ちてきた。明るい緑色の、何の変哲もない形をした木の葉だ。
「なに、これ。どこから来たの?」
 アティナルが拾おうと手を伸ばすと、素早くレフィコが横から手を伸ばして葉を掴んだ。
「どこからか落ちたんだろう。気にするな」
 ぼそりとレフィコが言って、葉を後ろに投げ捨てる。
(鳥?)
 アティナルは空を仰いだ。吸いこまれそうなほど澄んだ青空が広がっている。鳥の姿はどこにも見えない。
「アティ様ぁ。冷めてしまいますぅ」
 エレナに急かされて、アティナルはスプーンを口へ運んだ。
 食事を終えると、ラスカとエレナが大急ぎで荷物を片付けはじめた。
 二人の様子を呆気に取られて見ていたレフィコは、何かを思い出したように、近くの大岩へ 飛び乗った。しゃがみこむように腰を落として、一段高くなった岩肌へ両手を突き、顔を斜面 の方へ向けている。
 ラスカは大きく欠伸をすると、地面に座りこんだ。
「もう、昼ですからぁ。急がないとぉ、遅くなりますぅ」
 エレナがのんびりと言いながら、素早く手を動かしている。アティナルは、忙しそうに動き回る二人とレフィコを見比べて、眉を寄せた。
(レフィコ、何しているんだろう? まだ出かけないの?)
「準備できたぜ」
 ラスカが、アルパを背負いながら言った。レフィコは岩の上から動かない。
「マダ、デカケナイノ?」
 レフィコが振り向いて、睨むようにアティナルを見つめた。
(え? 私、何も言っていない……)
 アティナルはきょろきょろと辺りを見回した。
「オソクナッチマウゼ!」
 怒気を含んだラスカの声音に、アティナルは身をすくませた。けれど、ラスカは怒った様子もなく、アルパを背負ったまま岩壁にもたれかかっている。
「まだだ。急がなくていい」
 レフィコがぼそりと言った。
「そうか」
 ラスカはあっさりと言って、アルパを下ろした。
「あぁあ!」
 エレナがいきなり叫んだ。アティナルとラスカは、目を丸くしてエレナを見つめた。レフィコまでもが、驚いたように見ている中、エレナは荷物の中から櫛を取り出した。
「すぅっかり忘れてましたぁ! アティ様ぁ、おぐしが乱れてますぅ」
 アティナルはあわてて、自分の頭を押さえた。
「いいわよ。どうせ、帽子か布で髪を隠すんでしょう?」
「あらぁあ、アティ様ぁ。そんなことではぁ、ダメですわぁ」
 エレナは人差し指を立てて言うと、のんびりと続けた。
「見えないところにもぉ、気を配るのがお洒落っていうものですぅ。たとえばぁ……」
(エレナの話って、長いのよね)
「ペチコートとかぁ、見えないからといってぇ……」
 アティナルはため息をつくと、まだ話し続けているエレナに、諦めたように言った。
「わかったわよ。早く髪を直してよ」
 エレナはぱっと顔を輝かせると、にっこりと微笑んだ。
「はいぃ。ではぁ、さっそくぅ」
 エレナは嬉しそうに、もつれたアティナルの髪を櫛で梳っていく。アティナルは髪が引っ張られるたびに顔をしかめて、髪を梳きおわるのを待った。
 二人の様子を呆気に取られて見ていたレフィコは、何かを思い出したように、近くの大岩へ飛び乗った。ラスカは大きく欠伸をすると、地面に座りこんだ。
 髪を梳きおわったエレナは、アティナルの後ろにまわって、金色の髪を一本のおさげに結っていく。
「はぁい。できましたぁ」
 エレナはくるりと濃紺のスカートを揺らしてアティナルの前へまわると、にっこりと微笑んで言った。
「とおってもぉ、お似合いですぅ」
 アティナルは頬を膨らませて、顔を背けた。
(いちいち言わなくてもいいのに。……なんか、恥ずかしいじゃないの)
 アティナルはそっと、伺うようにラスカを見つめた。ラスカは、アルパを掴んで、蒼い顔をしている。
(え?)
 アティナルが驚いて見つめていると、ラスカはいきなり立ち上がると、レフィコの側へ走っていった。
「急いで出発しよう。ここにいたら、だめだ。酷いことになっちまう」
 ラスカが早口でまくし立てるように言う。アティナルは後ろから訊いた。
「どうしたの?」
 ラスカはくるりと振り向いて、アルパをぐいっと突き出した。
「あっ!」
 アティナルは目を大きく見開いて、アルパを見つめた。アルパの木部が、黒ずんでボロボロに腐り、穴まで開いている。ぐずぐずに崩れた穴の中から、小さな白い虫の卵がぽろりと落ちた。
「き、きゃ〜〜!!」
 アティナルは大声で叫んで、後ろに下がった。
「アティ様ぁ。大丈夫ですかぁ?」
 エレナが素早く、アティナルの身体を後ろから抱きかかえるようにして支える。
「よく見ろ。なんともない!」
 レフィコは大きな声で言って、すっと腕を伸ばしてアルパに触れた。
「……あっ」

 ラスカが上ずった声を出した。  アルパの木部は、きれいな灰茶色をしていた。どこも腐っていないし、穴など開いていない。
(うそ!)
 アティナルは、まじまじとアルパを見つめた。ラスカはアルパを撫でながら呟いた。
「いったい、どうなってんだ?」
 レフィコは山高帽を軽く持ち上げて、一人一人確認するように視線を合わせた。それから、口元に笑みを浮かべると、淡々と言った。
「座って、話でもしていようか」
「話?」
 ラスカが当惑したように眉を寄せる。アティナルは首を傾げた。
(なんなの?)
 レフィコはするりと岩から降りて、三人の間に降り立った。おもむろに腰を下ろす。促すような薄紫色の瞳に見つめられて、三人は座りこんだ。
「ずっと、訊きたいことがあったんだが……」
 レフィコはそう言いながら、荷物の中から「世界の不思議」を取り出した。
「あっ。夕べから、ずっと持っていたのね」
 アティナルが言いながら手を出すと、レフィコは頷いて本を手渡した。アティナルは本の表紙を指でなぞった。
(大切な本なのに、しまうのをすっかり忘れていたわ)
「この本は手で書かれたものではないのだな?」
 アティナルは首を傾げた。
(手で書かれたって、なに?)
 エレナが大きく頷いて、のんびりと言う。
「そうですぅ。絵はぁ、手書きで着色したものですがぁ、文字はぁ印刷したものですぅ」
「印刷?」
 アティナルが首を傾げる。エレナはにっこりと微笑むと、右手の人差し指を立てて、教師がよくやるように振りながら言った。
「いいですかぁ? アティ様ぁ。書物にはぁ、手書きで書かれたものとぉ、それを書き写したもの、それからぁ……印刷されたものがぁ、あるんですぅ」
 アティナルは眉を寄せると、目を瞬いた。
「ええと……?」
(お兄様がいつも読んでいた本は、どうだったっけ?)
 ラスカは話に参加しないことに決めたのか、荷物の中から布を出して、黙々とアルパの手入れをはじめた。
「なるほど。一度に大量の書物を作る方法があると聞いていたが、『印刷』というのか」
 レフィコが頷きながら言った。エレナは笑顔で答える。
「はいぃ。そうですぅ」
「では、この本を持っている者は多い……と?」
 レフィコが言うと、エレナは頷いた。
「えぇえ。広くみんなに読まれている本だと思いますわぁ」
「そうよね」
 アティナルはあいづちを打つと、続けた。
「乳母もよく、『世界の不思議』に出てくるのとそっくりな話を、寝物語に聞かせてくれたもの」
 ラスカがふと顔をあげて口を開いた。
「寝物語か。面白そうだな。俺に教えてもらえれば、もっと大勢の人に歌って聞かせて、広めてやれるのにな」
「ラスカ、文字のお勉強する?」
 アティナルがそう訊くと、ラスカは目を逸らして、アルパを磨きはじめた。
「では、あの書物を盗んだ者も持っているのか?」
 レフィコの言葉が鋭く響いた。
「……あの書物?」
 アティナルが首を傾げると、レフィコは淡々と言う。
「そう。『神のかけら』について師匠と俺とで記した、この世に一つだけの書物」
(たった一つだけ……)
 アティナルは、手に持つ「世界の不思議」を撫でるのを止めて、ごくりと唾を飲みこんだ。
(私の本は、また手に入れることができる。でも、レフィコの言う書物は、どこにも代わりがない……)
 レフィコは畳みかけるように続けた。
「ずっと、トゥパクの口ぶりが気になっていた。お前たちは、書物を盗んだ者を知っているのか?」
 アティナルは思わず、エレナの方を見た。
「えぇえ。ベリオ家のぉ、かたですぅ。トゥパクさんがぁ、確かに言ってましたぁ」
 エレナがゆっくりと言う。レフィコは帽子の下から射るようにエレナを見つめた。
「ベリオ家……。カンテロの近くで石を採掘している連中だな?」
「はいぃ。よくぅ、ご存知ですわぁ」
 エレナが感心したように言う。
「ならばやはり、その泉を知っている」
 レフィコがぼそりと言った。
「え?」
 アティナルははっとして、レフィコを見つめた。
(その泉って……?)
 アティナルが訊こうとしたとき、レフィコは弾かれたように立ち上がった。
「やっと来る。お前たちも気をつけろ」
 ぼそりとレフィコが言う。
「何が?」
 思わず、アティナルは訊いていた。
「呪術師」
 そう、レフィコは言うなり上体を屈めると、一気に東の斜面に続く岩へと飛びあがった。

 (続)    

Back         TOP         NEXT