虹の冠  第25話(21.Apr.2002 UP)

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(呪術師!?)
 斜面を見上げたアティナルは、目を見開いてその場に凍りついた。
 黒い大きな岩の塊。鈍い音を立てながら、ゆっくりと転がり落ちてくる。
「アティ様!」
 エレナが鋭く叫んで、アティナルの上へ身を屈めた。まさにその時、庇のように突き出た大岩に岩の塊がぶつかって、突き上げるような揺れと轟音と共に、岩が砕けた。砕けて散った石のかけらが、あたりに降り注ぐ。
 アティナルはエレナの肩越しに、襲ってきた呪術師の姿を見た。岩だらけの山の中腹に、ぬっと大男が立っている。燃えるように赤い髪。紫色の染料で、陽に焼けた裸の上半身を覆うように描いている細かな模様。両腕を高く天に向かって振り上げて、威嚇するように歯をむき出している。
 アティナルはごくりと唾を飲みこんだ。
(たしか、トゥパクの横にいた妖術師……)
 男は異様に長く見える腕を振り上げたまま、猿の唸り声のような雄たけびをあげた。首に巻いた橙色の鳥の羽根飾りが、踊るように風になびいている。
 すぐに、岩の割れる嫌な音が辺りに響いた。上方の尖った岩に、再び岩がぶつかって砕けたようだ。
「おいっ。また石が降ってくるぜ。早く岩陰に!」
 ラスカが上ずった声で叫んだ。
「えぇえ」
 エレナはのんびり返事をしながら、素早くアティナルの手を握って引っ張った。
「さぁ。大急ぎですぅ」
 アティナルは促されて歩きながら、ちらりと斜面を見上げた。
 両手を地面につくようにして、軽々と駆け上がっていくレフィコの背中が見えた。転がり落ちてくる岩を、飛び跳ねるように右へ左へと避けながら。あらわになった銀の髪が陽光にきらめき、尾のように左右に揺れて見えた。
 大男は、近くの大岩に手をかけると、身体の大きさからはとても信じられないような身軽さで、跳びあがった。
「アティ様ぁ!」
 エレナは繋いでいたアティナルの手を離すと、強引に背中を押した。アティナルはよろめきながら、斜面から離れた岩の陰に身を潜めた。
 岩の割れる鈍い音。石の転がる音や跳ね返る音がひっきりなしに聞こえている。
 大男の耳障りな甲高い笑い声が、四方八方から迫ってくるように響き渡った。
 アティナルは眉を寄せて、膝を抱えた。
(嫌な声。……猿が鳴いているみたい)
 ラスカが興奮したように早口で言った。
「すごい。呪術戦だ」
 ラスカは喉を鳴らすと、岩陰から斜面をうかがいながら震え声で続けた。
「まさか、目にすることになるなんてなぁ」
 再び轟音が鳴って、ガラガラと石の転がる音が響いた。ラスカがあわてて首を引っこめる。三人の隠れている岩のすぐ横に、黒灰色の石が転がり落ちた。アティナルの手のひらほどの大きさだ。
 ラスカが叫んだ。
「おおっ。すごいギザギザだ!」
「ラスカったら、もしかして喜んでいるの?」
 アティナルが咎めるように言うと、ラスカはくるりと振り向いた。鼻腔を膨らませて、黒い瞳を輝かせて言う。
「呪術戦だぜ。噂でなら聞いたことがあるけれど、生で見れるなんて! それも呪術師同士が直に対決しているなんて、部族同士の戦いみたいじゃないか」
 アティナルは頬を膨らませた。
「だって、相手はトゥパクのところにいた妖術師よ。ラスカはレフィコが心配じゃないの?」
 ラスカは困ったように眉を寄せて、ぽりぽりと頭をかいた。
「……物音がぁ、止んだみたいですぅ」
 エレナがのんびりと言った。
「えっ?」
「あ!」
 アティナルとラスカは同時に叫んで顔を見合わせると、あわてて岩陰から顔を出した。
 辺りは静まり返っている。斜面に大男の姿も、レフィコの姿もない。
「どうなったんだ!?」
 ラスカは焦ったように言うと、大岩に手をかけてよじ登りはじめた。
「あ、待ってよ!」
 アティナルはラスカの横で、岩に手をかけた。
「アティ様ぁ、こちらから回るとぉ、上へ行けるみたいですぅ」  エレナが、石切り場の外を示して言った。アティナルは頷くと、エレナの側へ駆けて行った。
「あ、俺も行く!」
 ラスカは大あわてで、二人の後を追った。


 エレナを先頭に、アティナルたちはゆっくりと斜面を登っていった。低木の茂みを回りこんで、幹や草につかまりながら、歩きにくい急坂を斜めに登っていく。
「アティ様ぁ。ここに手をかけてくださいぃ」
 エレナに言われるまま、幹に手を伸ばしながら、アティナルは荒い息を吐いた。
(どうしてレフィコは、こんなところを簡単に登っていけたの?)
「おい。あそこだ!」
 ラスカが後ろで、息を弾ませながら言った。アティナルは目を見開いて、草薮を見つめた。
 藪の中で、レフィコが自分の二倍以上の背丈がある大男を組み伏せていた。  大男は紫色の模様の下の肌を紅潮させて、汗を流しながら歯軋りをしている。その一方、レフィコは涼しい顔で、男を見下ろしていた。
 レフィコは冷ややかに男の顔を見つめると、大男の首へ手を伸ばした。大男はレフィコの手に気づくと、身体を奇妙によじって逃れようとした。
「や、やめろ!」
 レフィコの白い手が、大男の首に巻きつけられた羽根飾りを握りしめる。腕にぐっと力がこめられて、小さな音と共に革紐がちぎれた。
 レフィコは橙色の羽根飾りをきつく手に握りしめて、淡々と言った。
「これで、お前は俺の支配下にある。次に挑むときには、この縛めを解くことからはじめるがいい」
 男は低くうめいて、顔を隠すように横を向いた。
(……支配? 縛め?)
 アティナルは首をひねった。後ろで、ラスカが興奮したように鼻を鳴らすのが聞こえる。
 大男は赤紫色の厚い唇をめくれあがらせて叫んだ。
「お前のせいだ!」
 レフィコは眉をひそめて、男を見つめている。大男は舌をもつれるようにしながら、まくし立てた。
「そもそも、お前がっ。皆が反対したのに、母なる腕の元を離れたりするから。そのうえ、呪術の修行などはじめて!」
 男はそこで言葉を切ると、唇を湿らせて続けた。
「仲間から知らせが来て、夕べ判った。……更に今度は、俺たちモラドの大切な泉を汚した!」
 レフィコは静かに言った。
「俺は、何もしていない」
 大男は鼻にしわを寄せると、歯茎をむき出すようにして叫んだ。
「お前だ! お前たち、白い肌の奴。お前たちがっ、悪い!!」
 アティナルは息を呑んだ。男の血走った目が、レフィコを通り過ぎてアティナルとエレナを見つめていた。
(な、なんなの? 泉って……どういうこと?)
 レフィコは大男のうえから身体をずらして、ゆっくりと立ち上がった。腕を組んで男を見つめる。
 大男は手を地面について、重たげに上半身を起こすと、肩を上下させて荒い息を吐いた。
 レフィコはすっと手を伸ばすと、大男の耳の後ろから小さな黒い塊をつまみだした。指を開くと、小さな羽虫が小さな羽音を立てながら青空へと飛び立っっていった。
 大男は虫の飛び行く軌跡を目で追いながら、苦々しげに呟いた。
「くそっ。『詞虫』か……」
 レフィコは鼻を鳴らして言った。
「俺のことを下に見て、侮るからだ」


 大男がよろよろと立ち去るのを見送って、アティナルとエレナ、ラスカは石切り場へ降りていった。
 先に斜面を駆け下りたレフィコが、一行を出迎えるように岩の上に座って待っていた。山高帽を頭に被り、先ほどの男から奪った橙色の羽根飾りを腰にぶら下げている。
 レフィコはぽつりと告げた。
「すぐに出発しよう」
「ええっ!」
 アティナルは大声をあげると、荒い息を吐きながら続けた。
「もう、疲れちゃったわよ」
「そうですぅ。少しだけぇ、休憩しませんかぁ?」
 エレナがゆっくりと言った。ラスカが軽い調子で言う。
「そう、そう。呪術師さまに訊きたいこともあるし」
 レフィコは小さく息を吐くと、口を開いた。
「少しだけなら待とう。だが、先を急がねばならない」
「もしかして……」
 アティナルはごくりと喉を鳴らすと、言葉を続けた。
「さっきの男が言っていた泉へ行くの? その泉って、『神のかけら』や変な夢と何か関係があるの?」
 レフィコはちらりとアティナルを見ると、ぼそりと言った。
「座らないと、身体が休まらない」
「そのとおりですわぁ。アティ様ぁ」
 エレナはのんびりと言いながら、素早く近くの石の上を布で払った。
(もう。言われなくてもわかっているわよ!)
 アティナルはエレナを軽く睨んで、しぶしぶ石に腰をおろした。エレナはその様子を見て微笑むと、すぐ隣りの地面へ座った。
 ラスカは、岩壁に立てかけていたアルパを持ってくると、地面に座りこんだ。
 アティナルはレフィコを睨みあげて言った。
「それで、さっきの質問の答えは?」
 レフィコは薄紫色の瞳で、アティナルをじっと見つめながら口を開いた。
「これから向かう場所は、確かにモラド族の聖なる泉だ」
(聖なる泉)
 アティナルはごくりと唾を呑んだ。夢でみた青緑色の泉が、ありありと目の前に浮かんで見えた。
「ただし、元々は『神のかけら』と全く関係のない泉だ」
 レフィコの言葉に、アティナルははっとして目を見開いた。
「か、関係ないって、どういうこと? 『世界の不思議』に描かれている泉って、そのモラド族の泉だったんじゃないの?」
 レフィコはじっとアティナルを見つめたまま言った。
「初めて絵を見たときから、聖なる泉に似ていると思っていた。恐らく、あの絵を描いた者は、聖なる泉を見たことがあったのだろう」
「それじゃあ、どうして関係ないの?」
 アティナルが首を傾げると、レフィコは小さくため息をついた。
「夕べ本の頁を全て読んでみたが、どこにもあの描かれた泉に『神のかけら』があるとは、どこにも書かれていなかった」
 アティナルは、思わず立ち上がって叫んだ。
「うそよ!」
 レフィコが淡々と言う。
「だが、『神のかけら』について書かれている頁にあのように絵があれば、関係があると考えるのも当然だろう」
「だって……」
 アティナルは握りこぶしを作ったまま、その場に立ち尽くした。
(だって、ずっと探していたのに……)
「アティ様ぁ。お座りくださいぃ」
 エレナがのんびりと言って、アティナルの手を下へ引っ張った。
「だって……」
 アティナルは眉を寄せると、のろのろと腰をおろした。ラスカが髪をかきあげながら口を開いた。
「なあ。関係がないってんなら、じゃあ、どうしてモラド族の泉を目指すんだ?」
 アティナルは頷いて言った。
「どうしてなの?」
 レフィコはちらりと東の方を見つめると、重々しく言った。
「元々は関係がない。だが、今は、あの本によって結び付けられている」
 アティナルは首を傾げた。
「う〜ん。もっと判りやすく言ってくれ」
 ラスカが髪をかきむしりながら言った。
「そうよ。わけが判らないわよ」
 アティナルも頷きながら言う。レフィコは眉間にしわを寄せて、視線を地面に落とすと、黙りこんだ。
(どうして、言わないの? もしかして、言えないことなの?)
 谷風が岩の間を吹き抜けていった。エレナの髪の間を梳いて、アティナルの後れ毛をなびかせる。
 ラスカがぽつりと言った。
「そういえば、あの呪術師、泉が汚されたって言ってたな」
「白い肌の者にって言っていたわよ」
 アティナルは頷きながら付け足した。レフィコはさっと顔を上げると、面白くなさそうに言った。
「書物を盗んだ者――白い肌をした者――が、聖なる泉にいるというだけだ」
 アティナルは目を瞬いた。
「そのベリオ家の人は、モラド族の泉を知っていたのね」
 アティナルの言葉に、レフィコはぶっきらぼうに言った。
「ああ。採掘場で働かされているモラド族は多い。聖なる泉の話は、聞き及んでいるだろう」
「働かされている!?」
 アティナルは首を傾げて、エレナにそっと耳打ちした。
「そんなこと、行われていたの?」
 エレナは軽く微笑むと、声をひそめて答えた。
「ベリオ家でぇ、力の強い森の部族の方々を雇っているという話をぉ、聞いたことがありますぅ」
 ラスカが首をひねって、呟くように言った。
「それじゃあ、盗んだ奴も、泉に『神のかけら』があると思ったってことか? でも、盗んだ書物をみれば、どこにあるのか判るんだろ?」
 レフィコはため息をついて、口を開いた。
「既に『神のかけら』は、その者の手にある。だから、急がねばならない」
「そんな!」
(もう他の人が手に入れているなんて!)
 アティナルは震え声で続けた。
「それじゃあ、『神のかけら』はもう、使われちゃったの?」
 レフィコは頷くと、薄紫色の双眸でじっとアティナルを見つめた。
「言ったはずだ。既にお前は巻きこまれている、と」

 (続)    

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