虹の冠  第28話(16.Oct.2002 UP)

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 アティナルは首を傾げた。
(夢の中……?)
「アティ様ぁ。歩かないとぉ、はぐれてしまいますぅ」
 エレナはアティナルの腕を取って、のんびりと言った。レフィコの姿は、既に暗闇にまぎれてしまっている。
 アティナルはエレナにぴったりと身体を寄せて背中に腕を回すと、急ぎ足で歩き出した。
 黒々とした樹冠の上で星々が弱々しく光っている。立ち並ぶ樹木は、陽の明るいときに目にしたよりもずっと大きく、覆いかぶさってくるかのようだ。
 風はなく、夜行性の動物も虫も、息を潜めているかのよう。聞こえてくるのは、藪をかき分ける音と布ずれの音。
(なんだか、息が苦しい)
 アティナルは不安になって、エレナの背中の服を強く握りしめた。
「アティ様ぁ、大丈夫ですかぁ?」
 エレナは小声で、いつもののんびりとした調子で言う。
「え? ええ。大丈夫よ」
 アティナルはそう答えると、大きく息を吸った。
「どうした、大丈夫か?」
 ラスカが後ろから、小声で訊く。アティナルはちらりとラスカの声の方を振り向くと、頬を赤らめて言った。
「なんでもないの。ただ、考えごとをしていて……」
「あらぁあ、そうだったんですかぁ」
 エレナの間延びした言い方に、アティナルはむきになって大声で言った。
「だって、夢の中って言われても、どういうことなのか判らないもの!」
「そうだなぁ。確かに、急に暗くなっただけで、今までの森とあまり変わりなく感じるよな」
 ラスカは頷きながら言った。
「ここは森の中でもあり、夢の中でもある」
 淡々と言うレフィコの声に、アティナルは闇の中をにらんだ。
 僅かな月明かりに照らされて、つる植物の絡まった樹木の幹がぼんやりと見えている。ゆらりと、樹の陰からレフィコが現れた。薄紫色の双眸が、獣のように光っている。
「そんな、謎かけみたいな言い方、ちっとも解らないわ」
 アティナルはエレナの手を振り払うと、握りこぶしをつくって言った。レフィコはアティナルからラスカに視線をうつすと、口を開く。
「確かに、ここはまだ変化していない」
 レフィコはそこで言葉を切ると、辺りを見回しながら続けた。
「ここはまだ夢の周辺部。夢見主に意識されていない部分だ。意識されるようになれば、周りに見えるものも変わるだろう」
 アティナルは二本のおさげを振り回して首を横に振ると、唇を尖らせた。
「そんなの、解んない。難しすぎるわよ」
 レフィコはぼそりと言う。
「夢見主に近づけば、じきに解る」
「その夢見主っていうのからして、解らないのよ!」
 アティナルは大声で言うと、腰に手をあててレフィコをにらむように見つめながら、早口でまくし立てた。
「夢見主って、夢を見ているからには眠っているのよね? 主っていうからには、神様みたいなもの?」
 レフィコは黙ったまま、ちらりとアティナルを見た。アティナルは続けた。
「私たちが夢の中に入ってるってことは、その夢見主が私たちの夢を見ているのでしょう? 主はずっと眠ったまま? 主の目が覚めたら、私たちは消えちゃうの?」
「うん? 誰が俺たちの夢を見ているだって?」
 ラスカが頭をかきながら言う。
「だから、その夢見主が、よ!」
 アティナルはムッとして叫んだ。
「おやおや、俺たちは、誰かさんの見てる夢に過ぎないっていうのかい?」
 ラスカがからかうような調子で言う。
「えっと……?」
 アティナルは瞬きを繰り返すと、首を傾げた。背筋がぞくりと冷たい。顔から血の気が引いていくのがわかる。
(これまでの私は、夢だったの?)
「夢は眠っている間にだけ見るものではない。お前は既に、あの石切り場で体験している」
 レフィコの言葉が鋭く、力強く響いた。
「あっ」
 アティナルは上ずった声をあげると、唾を飲みこんだ。
(私、あの時、兄さまの夢を……)
 アティナルは頭を左右に振った。
(夢っていう感じじゃなかった。兄さまのことを考えていたら、兄さまの姿が目の前にはっきりと見えた……)
 レフィコは鋭い瞳で暗い森を見渡すと、口を開いた。
「俺たちは夢に紛れこんだ異質な存在、つまり招かざる客のようなもの。夢見主にはまだ、黒い影としか捉えられないだろう」
「なんだ。大きな音を出したらまずいのかと思って、緊張して歩いてたぜ」
 ラスカはぽりぽりと頭をかきながら言った。
「あらぁ。それでぇ、さっきから小声で話してらしたんですねぇ」
 エレナは大きく頷いて、ゆっくりと言う。
 アティナルは改めて、森の中を見回した。すぐ横の樹木の先は暗闇。何が潜んでいるのかもわからない闇。
(招かれざる客……)
 アティナルはごくりと唾を飲みこんだ。思わず、疑問が口をついて出る。
「夢見主が、私たちに気づいたらどうなるの?」
「出会ってみなければわからない」
 ぽつりとレフィコが言う。
「わからないの!?」
 アティナルが叫ぶと、レフィコはため息混じりに淡々と言った。
「排除しようとするかもしれないし、積極的に取りこむのかもしれない。或いは、ただ、無視するのかもしれない」
「それで、まずは、その夢見主さんとやらを探そうってわけだ」
 ラスカが頷きながら言った。


 レフィコを先頭にして、アティナルたちは再び暗い森の中を歩きはじめた。
「夢っていえば……」
 しんがりを歩くラスカが、唐突に話しはじめた。
「俺の見る夢ってさ、いつも急に場面が変わっちまうんだよな。それも、もうちょっとで上手く行くって時に限って、さ」
「何がもうちょっとで上手く行くの?」
 アティナルは前を向いて歩きながら、訊いた。
「そうだなぁ。例えば、演奏があと少しで終わりそうってときや、ご馳走が運ばれてくるのを待っているときさ」
 ラスカの答えに、アティナルは笑いながら言った。
「やっぱり食べ物なのね!」
「やっぱりってことはないだろ」
 ラスカが困ったように言う。アティナルは、眉尻を下げて頭をかいているラスカの顔を思い浮かべて、くすくすと笑い続けた。
「あ〜あ。話すんじゃなかったぜ」
 ラスカが呟く。アティナルは慌てて、口を開いた。
  「私はね、いつもじゃないけど、同じ場所の夢を繰り返し見たりするわよ。実際にはそんな場所はなくて、行ったこともないんだけど、見ているうちにね、知っている場所だって判るの」
 アティナルはそこで言葉を切ると、首を傾げて続けた。
「同じ場所なんだけど、少しずつ違うところもあるの。小川の流れている場所が少し違っていたり、新しく壁や柱が並んでいたりするわ」
「へぇ〜。同じ場所ねぇ、そういうの面白いな」
 ラスカが頷きながら言う。アティナルは調子に乗って、歩きながら続けた。
「なんかね、夢に地図があるような感じなの。石段を登りきった先は高台になっていてね、そこから見える夕焼けがとっても綺麗なの!」
「まぁあ。アティ様ってぇ、そういう夢を見ていらしたんですねぇ」
 エレナがしみじみと言う。
「な、なによ、エレナ!」
 アティナルは頬を赤らめると、傍らのエレナをにらむように見つめた。
「あれ?」
 アティナルは目を瞬いた。
 森の先のほうが、ぼんやりとした光に包まれている。
「近づいたようだ。急ごう」
 レフィコは後ろを振り返りもせずに言うと、すたすたと光のほうへ近づいていく。アティナルたちは急いで、レフィコの後を追った。
 木立の間を通り抜けると、開けた場所に出た。
 明るく輝く三日月に照らされて、露に濡れた地面がきらめいている。
 甘酸っぱい香りを放つ、漏斗型の紅い花々。地面に散らした星のような、一面に咲き乱れる黄色い小花。
 中央部にある大理石の水盤からは、噴水が勢い良く上がって水しぶきを散らしている。
(この光景は……)
 アティナルは息を呑んで、後ろを振り返った。
「あっ!」
 アティナルは思わず、叫んでいた。先ほど通り抜けた木立が、いつの間にか大理石の柱に変わっている。
「すごいな。金持ちの屋敷の中庭か?」
 ラスカが、周りを取り囲む列柱を見回しながら言う。
 アティナルは目を見開いて、エレナを見つめた。エレナは、眉をぎゅっと寄せて辺りを見回している。
  (どういうこと? ベリオ家の人が、宮殿の中庭に入ったなんて聞いたことがないわ)
 アティナルはぽつりと言った。
「夢見主って、ベリオ家の人じゃなかったのね」
 アティナルは落ち着きなく辺りを見回しながら呟いた。
「これは、誰の夢なの?」
 レフィコは顔をあげて、薄紫色の瞳でじっとアティナルを見つめながら言った。
「さあ。お前のほうが良く知っているんじゃないか?」
「……わたしが?」
 アティナルはどきりとして、手を握りしめた。
(どういうこと?)
「誰もいないんじゃないか?」
 ラスカが中庭を歩き回りながら言う。
「そう、夢見主は向こうへ移動したようだな」
 レフィコは淡々と言うと、明るい光の漏れてくる列柱の先を示した。
「いよいよ、夢見主さんとやらの、おでましか?」
 ラスカがやけに嬉しそうに言いながら、光の方へ歩いていく。
(もう。面白がっているんだから)
 アティナルは頬を膨らませると、柱の間を通り抜けた。

 (続)   

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