虹の冠  第29話(27.Oct.2002 UP)

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 振り返ると、通り抜けた大理石の柱は樹木に変わっていた。
(まただわ)
 アティナルはぐるりと、薄暗い森の中を見回した。
 森の奥へ蛇行しながら古びた石の道が続いている。欠けて、黒ずみ、所々に草の生えた、隙間だらけの石畳。
(さっきは、もっと明るく感じたのに……)
 道の先だけが、ぼうっと白い光を放っている。
「なんだか、光がだんだん遠くなっていくみたいだな」
 アティナルの前を歩くラスカが、ぽつりと言った。
「そうよね。私も、そう思っていたの!」
 アティナルは大声で言うと、ラスカに追いつくように急ぎ足で歩いた。
 先頭のレフィコは、立ち止まって振り向くと、鋭く言った。
「急ぐぞ。あの光の場所で変化が起こっている。夢見主は今も移動中だ」
「やれやれ」
 ラスカは肩をすくめると、紐が緩んで傾いていたアルパを石畳へ下ろした。
「先に行くわよ!」
 アティナルはスカートの裾をはためかせながら、ラスカの横を駆け抜けた。
「アティ様ぁ、お気をつけくださいぃ!」
 エレナがゆっくりと言いながら、ラスカの横をしなやかな身のこなしで通り抜けていく。
「元気がいいよな」
 ラスカは二人に聞こえないように呟くと、アルパを背負い直した。大股歩きで二人の後を追っていく。
 走るにつれ、辺りは徐々に明るくなっていき、いつの間にか真昼のような陽光が石畳に樹影をくっきりと映し出していた。
(前にもこんな風に走ったような気がする……)
 アティナルは、なるべく樹木の影を踏むように走りながら、途切れ途切れに呟いた。
「なん、か、暑い」
「アティ様ぁ、お顔がとおっても真っ赤ですぅ。大丈夫ですかぁ?」
 エレナはアティナルと並んで走りながら、のんびりと言う。
 アティナルは返事も出来ずに小さく頷くと、レフィコの通ったとおりに太い樹木の横を回りこんだ。
「あ!」
 アティナルは荒い息を吐きながら立ち止まった。
 道の先が、キラキラと光っている。
 エレナはアティナルの横で立ち止まると、口元を押さえて感嘆の声を漏らした。
  「まぁあ」
「……聖なる泉?」
 アティナルはかすれ声で呟くと、肩で息をしながら、ゆっくりと水に近づいていった。
 水の色は、夜明けの空を溶かしこんだような、澄んだ深い青色。さんさんと降り注ぐ陽の光に、水面の細波が眩く輝いている。
「不気味な水だな」
 不意に足元から声が聞こえて、アティナルは身体を強ばらせた。
 地面にしゃがみこんだレフィコが、手を水に浸している。
「不気味?」
 身体を屈めたアティナルは、レフィコが手にすくいあげた水を見て息を呑んだ。
「青い!?」
「そう、青い水だ」
 レフィコは淡々と言うと、しぶきを飛ばしながら水を戻した。
「何が起きているんだ?」
 ようやく追いついたラスカが、対岸を指し示しながら言った。
 向こう岸に見えていた森が、ゆっくりと遠ざっていく。水はどんどんと広がり、木々の生えていた場所を青く塗りこめていく。
泉というよりは湖のような大きさだ。
「もう、向こう岸が見えなくなっちゃったわ」
 アティナルは目を見開いて、呟いた。
「どこかに夢見主がいるはずだ」
 レフィコが淡々と告げる。
「夢見主さんがいましたらぁ、どうすればいいのですぅ?」
 エレナがゆっくりと訊いた。レフィコは眉を寄せて水面を見回しながら言った。
「夢だと気づかせて、目覚めさせることだ」
「目覚めさせる?」
 アティナルはごくりと唾を飲みこんだ。
(そんなことをしたら、ここにいる私たちがぱっと消えちゃうんじゃないの?)
「でも、俺たちの姿は向こうさんに見えないんだろ?」
 ラスカは腕を組んで訊いた。レフィコは湖の中央を見つめながら、淡々と言う。
「全く見えないのではない。黒い影のように見えるだけだ。聴こうとしないかもしれないが、音は届く」
「へぇ、じゃあ、そいつの耳元で大きな音でも出してみるか」
 ラスカは髪の毛をかき回すと、背負っていたアルパを下ろした。
「誰もいないように見えますけどぉ、どこにいるんですぅ?」
 エレナは腰の剣に手を伸ばしながら、泉の周りを見回した。
「あそこだ」
 レフィコは、すっと腕を上げて、泉の中央を指し示した。
 横に広がるように枝を伸ばした一本の枯れ木が、ぽつりと水から出ている。その灰色の枝に、黒い大きな鳥が、翼を広げた姿のまま留まっていた。
「まさか、あの鳥!?」
 アティナルは、思わず大声で叫んでいた。
「そうだ」
 レフィコはそっけなく言うと、何のためらいもなく水の中に足を踏み入れた。
「おい。水ん中に入んなきゃないのか?」
 ラスカがあわてて訊く。
「大丈夫だ。かなり浅い」
 レフィコは振り向きもせずに言うと、水を漕いで歩き出した。
「待ってよ。夢見主って、人じゃなかったの?」
 アティナルは水際に足を踏み出して、叫んだ。レフィコは立ち止まりもしない。
「私のほうが良く知っているって、どういうことなの? 私は鳥になんて知り合いはいないわよ!」
 レフィコはちらりと振り返ってアティナルを見つめると、そのまま前を向いて青い水しぶきを飛ばしながら歩いていく。
「もうっ」
 アティナルはスカートを抓んで軽く裾を持ち上げると、水の中に入った。
「アティ様ぁ。お気をつけくださいぃ」
 エレナはアティナルを追って、スカートの裾を濡らしながら湖に入っていった。
「やれやれ。こんなところで水に入るはめになるとは思わなかったぜ」
 ラスカは呟きながら、おろしていたアルパを背負いなおした。皮の靴を脱いで紐を腰ベルトに挟んでぶら下げると、三人の後を追って水の中に入っていった。


 湖は浅く、底の小石がはっきりと見える。
 アティナルは滑らないように水の中を見つめながら、歩いていった。
「どおしてぇ、青い水なんでしょうねぇ」
 エレナがのんびりと呟いた。アティナルは、首を傾げた。
「青い水だと変なの?」
「変というより不自然ですぅ。……確かにぃ、熱い泉にはぁ、うっすらと色のついた水もありましたけどぉ。ここのはぁ、まるで顔料を溶かしたような色ですぅ」
 エレナの言葉に、アティナルはラスカと一緒に「聖なる泉」を捜し歩いてたどり着いた、緑色の熱泉を思い浮かべた。もう、遠い昔のことのような気がする。
「そういえばそうよね。でも、とってもきれいな色」
 アティナルは一面の青い水面を見回して、続けた。
「ねぇ、海は青い色なんでしょう? こんな風な色?」
 エレナは困ったように目を瞬くと、口を開いた。
「まだ見たことがありませんのでぇ、私には判らないですぅ」
「俺も、話にしか聞いたことがないな」
 ラスカが後ろから言う。
「そうよね。海は遠いもの」
 アティナルは宮殿の「白鳥の間」に描かれているフラスコ画を思い浮かべた。深い青色の海に浮かぶ、アティナルたちの先祖のいくつもの船。
(そういえば、あの画の青色って、この水の色に似ているわ。もしかして、夢見主って「白鳥の間」に入ったことのある人?)
 アティナルは水をはね散らして歩きながら、ぶんぶんとおさげを振り回した。
(まさか。……色が同じなだけよ。違うわ)
「それにしても、変な鳥だな」
 ラスカのしみじみと言う声に、アティナルは顔をあげた。
 いつのまにか、枯れ木に近づいていた。アティナルの頭ほどの高さの太い枝に、あの大きな鳥が留まっている。
 鉤型の鋭いくちばし。小さな頭にこげ茶色の胴体。今にも飛び立つばかりに広げた大きな翼。
「……コンドルみたいだけど?」
 アティナルは眉を寄せて、鳥を見あげた。翼だけがやけに薄っぺらで、そよ風にひらひらと揺れている。
「あの翼ではぁ、飛べるようには見えませんわぁ」
 エレナが首を傾げて言う。
 アティナルは鳥の鋭い目を見つめながら、呟いた。
「起こすっていっても、あの鳥、寝ていないわよ」
 鳥の前に立っていたレフィコは、くるりと振り向くと眉間にしわを寄せて、呆れたように言った。
「寝ている夢を見ていない限り、夢の中では起きているだろう? 違うのか?」
「ええと……?」
 アティナルはこめかみに指をあてて、首をひねった。
「とにかくぅ、話しかければぁ、よろしいんですよねぇ」
 エレナがのんびりと言う。
「まあ、大きな音でも出してみるか」
 ラスカは背負っていたアルパを慎重におろすと、胸に抱えるようにして高らかな音を鳴らせた。
 鳥は横を向いたまま微動だにしない。ラスカは続けて、明るい旋律を爪弾いた。
「あ、そうよ!」
 アティナルは手を叩くと、弾んだ声で言った。
「ねえ、ラスカ。踊りながら弾いてみたほうが、きっといいと思うわ」
 ラスカは手を止めると、まじまじとアティナルを見つめた。
「この、水の中でか?」
「そうよ。だって、相手には黒い影が見えるのでしょう? それなら、無視できないくらい動いて音を出せばいいんじゃないかしら」
 ラスカは眉を寄せて、口を開いた。
「それなら、俺がやらなくったって、嬢ちゃんが踊ればいいだろ」
「私が!?」
 アティナルが目を見開いて訊き返すと、ラスカは軽く片目を閉じて弦を弾きながら言った。
「とびっきり賑やかな曲はいかが?」
 ラスカの長い指が素早く弦を駆け巡り、リズミカルな曲が始まった。
「さあ、さあ、踊ってみなよ」
 ラスカがけしかけるように言う。
 アティナルは眉を寄せて、ぽつりと呟いた。
「そんなこと言ったって……、舞踏は苦手だもの」
「そうですわねぇ」
 エレナがすかさず頷きながら、小声で言う。
「アティ様はぁ、いつも礼儀作法のお時間にぃ、どこかへ逃げてしまわれますからぁ」
 アティナルはぷいっと横を向いて言い放った。
「礼儀作法と舞踏は関係ないでしょ」
「あらぁあ、ご存知ありませんでしたかぁ? 礼儀作法のお時間にぃ、舞踏の基礎知識を学ぶはずですけどぉ……」
 エレナの言葉に、アティナルがしれっと言う。
「そうだったかしら?」
「まぁあ、アティ様ったら!」
 エレナはため息混じりに言った。
「とにかく、踊るのは嫌よ」
 アティナルはそこで言葉を切ると、手を握りしめて一気にまくし立てた。
「大体、ふりふりのごてごての重たい服を着て、その上お腹はぎゅーぎゅー締めつけられて苦しくて、音にあわせて右足を出すとか出さないとか、はいっ顔をどっちに向けてとか、姫様笑顔を浮かべてとか言われて、ちっとも判らないしできないんだもの!」
 いつの間にか演奏をやめていたラスカは、ぽりぽりと頭をかきながら言う。
「いや、俺の言った踊りってのはそんな難しいのじゃなくてさ、音にあわせて身体を揺らすだけでもいいんだけどな」
「こちらの存在に気づいたようだ」
 レフィコが、警告するように鋭く言った。
「え?」
 アティナルが顔をあげると、鳥が鋭い黄色の目で、じっとアティナルを見つめていた。
「あなたは、誰なの?」
 アティナルが思わずそう言うと、鳥はどこか悲しそうな眼差しで、空を見上げた。
「どうして、あなたは鳥なの?」
 アティナルが再び訊くと、鳥は薄い翼をしきりに羽ばたかせて、首をぐるりと回した。
「飛び立たれては困る」
 レフィコが鋭く言う。
「そんな薄っぺらな翼じゃ飛べないわよ」
 アティナルが呆れたように言うと、ラスカがアルパを撫でながら言う。
「でもな、夢なんだから、何でもありだろ。あれでも飛べるんじゃないのか?」
 アティナルは首を傾げて口を開いた。
「でも、望みどおりの夢を見れるとは限らないでしょう? 悪夢だってあるんだから」
「ま、それはそうだな。とにかく、夢見主さんには起きてもらわなきゃないわけだ」
 ラスカがそう言った途端に、灰色の枯れ木が大きく揺らいだ。
「な、なんだ?」
「気をつけろ。夢がはじけるぞ!」
 レフィコが鋭く叫んだ。
 水面が大きく波立って、アティナルたちに押し寄せた。
「アティ様ぁ」
 エレナが素早く、アティナルの腕をとって支える。
「鳥がいないわ!」
 アティナルは目を見開いて、波にもまれながら枯れ木を見つめた。
 不意に、空にひびが入った。青い水、灰色の枯れ木、遠くにうっすらと見えている森、全ての光景に一斉に細かなひびが入って、まるでフレスコ画が剥げ落ちるようにぱらぱらと散っていく。
「水が消える」
 ラスカが呟くように言った。
 青い水は少しずつ周囲から消えてゆき、水底だった地面が露になっている。
「どうなっているの?」
 アティナルが訊くと、レフィコが淡々と答えた。
「夢見主の目が覚めたために、ここの水は、地表に留まっている力を失った」
 水は見る間に減っていき、地面に吸いこまれた後に、無数の白い枯れ枝だけが落ちていた。
「これで、終わり? 神のかけらは? 夢見主はどこなの?」
 アティナルが首を傾げると、レフィコは目を細めて対岸だった場所に広がっている草地を見つめた。
「あそこに夢見主がいるのね」
 アティナルはエレナの腕をとると、ゆっくりと岸に向かって歩いていった。
 緑色の草の間に、金茶色の髪の毛が見えている。
(やっぱり、ベリオ家の人なの?)
 伸ばした長い四肢が、ぴくりと動いた。ゆっくりと上半身が起きて、蒼白い若い男の顔がはっきりと見えた。
 アティナルは息を呑んで、立ち止まった。
「なんで……兄さまなの?」
 男はゆらりと立ち上がると、アティナルたちに背中を向けた。
「兄さま!?」
 アティナルはエレナの手を離して、男に向かって駆け出した。男はアティナルに気づかないのか、ゆったりとした足取りで森のほうへと歩いていく。
「あっ」
 アティナルは小石につまずいて、地面に手をついた。
「アティ様ぁ」
 すぐにエレナが駆けつけて、アティナルを助け起こす。
「待って。待ってよ、兄さま!!」
 レクトルは振り向きもせずに、森の中へと立ち去った。

 (続)   

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