虹の冠  第32話(23.Nov.2002 UP)

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(誰かが『夢見主』によって、誘われようとしている……)
 アティナルの頭の中で、レフィコの言葉が虚ろに響いた。
 アティナルは腕を組んで、樹の下の二人を見つめた。
 淡いピンク色のナイトドレスを着た、アティナルとそっくりな顔の少女は、レクトルにべたべたと甘えている。
 二人とも、アティナルたちに気づいていないどころか、頭上のカボチャのような大きな実にも気づいていないようだ。
 アティナルは眉間にしわを寄せると、唇を尖らせた。
「私は、あんな風にしないもの。あれは、私じゃない。ニセモノよ!」
「確かに、見せられて気分のいいものではない。認めたくない気持ちはわかる」
 気難しい顔でレフィコが言う。アティナルは肩を怒らせて叫んだ。
「認めるって、何よ。違うって言ってるでしょ!」
 ラスカがぽりぽりと頭をかきながら、独り言のように言う。
「まあ、違うにしろ何にしろ、どうにかして『夢見主』さんには起きてもらわなけりゃないわけだ」
「それはそうよね」
 アティナルは二本のおさげを揺らして頷きがながら言った。
「また、演奏でもしてみますか」
 ラスカはくるりと泉に背を向けて、背負っていたアルパを下ろした。
 その時、実の亀裂が広がって、中の人物がずるりと滑った。
 茶色のズボンをはいた右脚がだらりと下がり、わずかに緑と紫色のポンチョの端が覗いている。
 アティナルは息を呑んだ。
(あれは、ラスカ!!)
 アティナルは頬を赤らめると、ちらりとラスカを振り向いた。泉に背を向けているラスカは、まだ気づいていないようだ。
(どうしてラスカが誘われるの?)
 アティナルはじわりと汗ばむ掌を握りしめて、実をにらむように見ているレフィコに訊いた。
「どうすればいいのか、早く教えて」
 レフィコはゆっくりとアティナルを振り返ると、眉をひそめて言った。
「さっきから言っている通りだ。目覚めてもらうしかない」
「そうじゃなくて」
 アティナルは焦って、握りこぶしを振りながら続けた。
「具体的なことを訊いてるのに。もう! 謎めいたことばっかり言って、ちっともどうすればいいのか判らないじゃない!」
 アティナルはそう叫びながら、急に駆け出した。レクトルと、自分にそっくりな少女に向かって。
「待て。近づくと、危険だぞ!」
 レフィコが珍しく大声で叫ぶ。
 アティナルは泉のほとりの柔らかい草原を駆けながら、心の中で祈った。
(起きて。ニセモノなのか、何なのかわからないけど、今すぐ起きるのよ!)
 大きな実に近づくにつれて、甘い香りが強まる。
 アティナルはどうすればいいのかも判らないまま、二人の方へ近づいていった。
「誰だ?」
 足音を聞きつけて顔をあげたレクトルは、目を見開いて呟いた。
「アティナル?」
(兄さま……)
 アティナルは、息を切らせて立ち止まった。
「なあに、兄さま?」
 ナイトドレス姿のアティナルは、気だるそうに言って顔をあげた。と、口をあんぐりとあけて、青緑色の瞳でアティナルを凝視する。
「どうなっているんだ?」
 レクトルは、二人のアティナルを見比べた。着ている服や髪型が違うだけで、二人とも瓜二つの顔をしている。
 アティナルは魅入られたように、もう一人のアティナルの瞳を覗きこんだ。
(私の姿が瞳に映っていない……。私の方が、影だったの?)
 急激な眩暈に、アティナルは目を閉じた。目を閉じているのに、周りがぐるぐると回転しているのがわかる。


「アティナル? 顔色が悪いけど、大丈夫かい?」
 すぐ側で聞こえるレクトルの声に、アティナルは目蓋をゆっくりと開いた。もう一人いるはずの、アティナルの姿が見えない。
(何が起こったの?)
 レクトルが心配そうにアティナルを覗きこんでいる。懐かしい青い瞳。やさしい、良く知っている笑顔。心地よい、甘い香り。
(兄さまがいれば、何も心配いらないわ)
 アティナルはにっこりと笑って応えた。
「なんともない。大丈夫よ」
「そう? ならいいけど」
 レクトルは首をひねって言葉を続けた。
「それにしても、妙だな。さっき、誰かがそこに立っていたような気がした」
「なあにそれ。変なの」
 アティナルはそう言いながら、長い金色の髪を邪魔そうにかきあげた。
(変ね。髪をおろしていたっけ?)
「そうだね。気のせいかな」
 レクトルは顎に手を当てて言うと、目を細めて笑う。アティナルも一緒に笑いながら、首を傾げた。
 先ほどから、周りが何かうるさい。音は聞こえないけれど、何か影のようなものが、光を遮ってちらちらと動いている。
(さっきから、何が飛んでいるの? 虫じゃないわよね)
 アティナルは、怖々辺りを見回した。
(何も、ないわよね?)
 続いて、上を見たアティナルは、思わず声を漏らした。
「あっ」
 大きな水色の花の間に、大きな緑色の実がぱっくりと口を開けている。その隙間から、一人の男とアルパがずり落ちそうになっていた。
(あれは……ラスカ?)
 あわてて、アティナルはラスカの姿を探して泉の周りを見回した。レクトルの他は誰もいない。レフィコの姿も見えない。
(どうして、大事なことを忘れていたんだろう? 目を覚まさなくちゃ。すぐに、起きなきゃ)
 急に、アティナルの目の前が真っ白になった。たまらず目を閉じたアティナルは、何かに弾き飛ばされたのを感じた。
「気をつけろ!」
 レフィコの声が鋭く響く。
 アティナルは目を開けた。いつの間にか、隣りにレフィコが居る。
 泉の水面に無数のひびが走り、周りの景色もろとも細かく割れてはがれ落ちていた。パラパラと落ちるかけらの下に、横たわっている金髪の少女の姿が垣間見える。
 実をならせていた樹木はしおれ、泉の水がどんどんと消えていく。
「前のときと、同じか」
 ラスカがアティナルの後ろで呟く。
 草の上に横たわっていた少女は、ゆっくりと立ち上がった。鮮やかな青色のドレスに、首飾りや耳飾で着飾った、長い金髪の少女。
「まだ、あそこに居るわ!」
 アティナルは、水のすっかり消えた泉の底に降り立った。柔らかい赤茶けた土に灰色の枯れ枝がいくつも散っている中、急ぎ足で歩き出す。
「待て。危険だ」
 レフィコが、アティナルの腕をぐいっとつかんだ。
「放してよ。行っちゃうじゃないの!」
 アティナルはレフィコを振り切ろうと、腕に力をこめた。が、レフィコががっちりとつかんでいて、動かすことも出来ない。
 その間に、青いドレス姿のアティナルは、振り向きもせずに森の奥へと歩みさっていった。
 もう一人のアティナルの姿が見えなくなると、レフィコはようやくアティナルの腕を放した。
 アティナルはおさげを振り回しながら、勢い良く振り向いた。
「どういうことなの?」
「まだだ。お前はまだ、夢に見られている」
 レフィコは、アティナルを射るように見ながら重々しく言う。アティナルは首を傾げた。
「見られている?」
「そう。お前の一部は、まだそこにある。もう一人の自分に近づきすぎると、さっきのように一つになって、ただの夢見られる存在になってしまうぞ」
 レフィコが低く脅すように言う。蒼ざめたアティナルは、震え声で訊いた。
「そうなったら? もしかして、夢が弾けたら消えちゃうの?」
「分からん。だが、お前の言うとおりになるかもしれない」
 レフィコはそっけなく言うと、身を屈めて、足元にいくつも落ちている灰色の枯れ枝を一つ拾いあげた。
(消えちゃうかもしれないの……?)
 アティナルは不安になって、自分の肩を抱きしめた。
(私はなに? さっき立ち去ったのも私? 私は本当はどこにいるの?)
 レフィコはしげしげと枯れ枝を見つめた後、枝をつかんだまま手を握りしめた。枝は簡単に折れて、木切れが地面に散った。
 アティナルは空を見上げて、目を細めた。
(さっきの、ナイトドレスを着ていた私はどこへ行ったの? もしかして、消えちゃったの?)
 アティナルは枯れ枝を見つめているレフィコの横顔を見た。
(訊いてみたい。けれど、怖い)
 レフィコはさっと顔をあげると、森の中を見つめた。がさがさと藪をかき分ける音がする。
 つる植物の下を潜って、木立の間からエレナが出てきた。アティナルの顔を見て、にっこりと微笑みながら言う。
「あらぁあ、思っていたよりもずうっと近くに居たんですねぇ」
「エレナ!」
 アティナルは思わずエレナの頭を見あげた。こげ茶色の髪が風になびいている。ヘアーバンドはしていない。
 エレナは首を傾げて、口を開いた。
「ついさっきまでぇ、剣を交わしていたはずなんですけどねぇ。相手が急に消えてぇ……」
「急に消えたの?」
 アティナルは早口で訊いた。けれど、エレナはいつもの調子でのんびりと話し続ける。
「それでぇ、……私が手ににぎっていたはずの剣もぉ、腰の鞘に納まったままだったんですぅ」
 アティナルはため息をついた。
(でも、エレナは私と違う。『夢見主』じゃなかったもの)
「アティ様ぁ? 大丈夫ですかぁ?」
 いつの間にか、エレナがアティナルの横に降り立って、心配そうに覗きこんでいた。
 アティナルは顔をあげると、明るい声で言った。
「ここにね、さっきまで青緑色の泉があったの。ここは、泉の底だったのよ」
 エレナは目を瞬いて、自分の周りを見回した。
「泉ですかぁ?」
「そう。『世界の不思議』に描いてあるのと、そっくりな泉だったわ」
(たぶん、『夢見主』の私がそう望んだから……)

 (続)   

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