虹の冠  第33話(25.Jan.2003 UP)

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 エレナは首を傾げてのんびりと訊いた。
「それはぁ、モラド族の『聖なる泉』ではないんですかぁ?」
「違うわよ。私が創ってしまったの!」
 アティナルはぴしゃりと言うと、自分のつま先を見つめた。泉の底だった地面は、まだ柔らかい。アティナルの革靴は、赤茶けた土に半ば埋もれるように沈んでいる。
(私の望みどおり、兄さまも元気に歩いていた……)
 アティナルはハッとして柔らかい地面を見回した。目線を落としたまま念を押すように訊く。
「この痕跡は、このまま森に残るのよね」
「そうだ」
 レフィコが忌々しげに言い放つ。ラスカはちらりとアティナルを見ると、頭をかきながら明るく言った。
「でもさ、いずれまた樹が生えて森になるだろ?」
「……森になったとしても、元通りではない」
 レフィコはそう言って、俯いているアティナルをちらりと見ると、付け足すように言った。
「知らずにやったことだ。お前を責めているつもりはない」
 ただ一人事情のわからないエレナは、困ったように眉を寄せて三人を見比べている。
 アティナルは顔をあげて、真っ直ぐにレフィコを見つめたまま口を開いた。
「『神のかけら』が創りだしたモノは、夢がはじけてもそのまま残るのでしょう?」
「そうだ」
 レフィコがぶっきらぼうに言う。
「それじゃあ、人の場合はどうなの?」
 アティナルの問いに、レフィコは眉をしかめた。アティナルは畳みかけるように続けて言う。
「夢の中に出てきた人はどうなるの? 『神のかけら』に創られたのならそのまま残るのでしょう? でも、どうして消えちゃうの?」
 レフィコは困ったように首をひねって言った。
「何の話だ?」
「だから、私が訊きたいのは……」
 アティナルはじれったそうに、腕を振り回しながら続けた。動きにあわせて、金色のおさげが肩の上で飛び跳ねる。
「夢の中に出てきた人は、夢がはじけた後でどうなるのかっていうことよ」
「なぜ、そんなことを気にする?」
「なぜって……、訊いているのは私よ!」
 レフィコは小さくため息を吐くと、口を開いた。
「『神のかけら』が創りだしたものは、初めはどんなものでも、不安定な存在だ。夢に登場したものは、繰り返し夢見ることによってしっかりとした形になる」
「形になる?」
 アティナルは首を傾げた。
「そうだ。だから、泉でも、人でも、創り出されて間もないものは、夢がはじければ一緒に消える」
 レフィコはそう淡々と言った。アティナルは頷きながら口を開いた。
「そっか。もう一人のエレナは、それですぐに消えちゃったのね」
(……でも、兄さまは? あの元気に歩いていた兄さまは、もっと繰り返し見ていれば元気な姿でここに居たの?)
「ただし、『夢見主』は別だ」
 アティナルは息を呑んで、レフィコを見つめた。レフィコは切れ長の目でじっとアティナルを見ながら、鋭く言う。
「夢見主は『神のかけら』に誘われた存在で、創られたのではない」
「でも、それじゃあ、夢見主は結局何なの? だって、誘われたっていっても、別の私も居たし、私はここに居る……わよ」
 アティナルは話しているうちに自信がなくなって、終いには呟くような小声で言った。
 レフィコが何かを読み上げるかのように言う。
「『神のかけら』の創り出したものが、繰り返し夢見られることで形になるように、『夢見主』は繰り返し夢を見ることで、夢の中にしか存在しえなくなる」
「まぁあ」
 エレナが悲鳴のような声をあげた。
 アティナルは目を見開いて、説明を続けるレフィコを見つめた。
「誘われた時に、訓練を積んでいない者は大抵、身体の自由が利かなくなる。やがて、夢見ているときと目覚めているときの境目が曖昧になっていく」
 ラスカはごくりと唾を飲みこんで、やがてかすれ声で言った。
「それであの時、嬢ちゃんが倒れたのか」
 アティナルは息を呑んだ。
(兄さまは大丈夫だったの? 夢がはじけたら、兄さまは消えた……?)
 アティナルはおさげを振り回しながら頭を左右に振って嫌な考えを振り払うと、口を開いた。
「夢見主は、目が覚めたらどうなるの?」
「夢の中に取りこまれていなければ、ごく普通に目覚めるだろう」
「それじゃあ、兄さ……」
 アティナルはハッとして自分の口を押さえた。
「ああ、無事に目覚めたようだな」
 レフィコがさらりと言う。
(良かった)
 アティナルは顔をほころばせた。
「でも……」
(兄さまは、夢に出てきたとおりに元気になれたの?)
「目覚めたら、どうなっているの? 実際の姿と違っていた場合、どうなるの?」
「どうもならない」
 レフィコはそっけなく言うと、ぷいっと横を向いた。目を細めて、もう一人のアティナル――青いドレス姿のアティナル――の向かった森の奥を見つめて、口を開く。
「行こう。時が経てば経つほど、後に残るものが増えてしまう」
「ああ、そいつは大変だ」
 ラスカが軽く言って、歩きはじめたレフィコの後に続く。
「アティ様ぁ。行きますよぉ」
 エレナがのんびりと言って、アティナルの手を取った。
「だって、だって……」
 アティナルはエレナの手を振り払って、叫んだ。
「『神のかけら』は願いを叶えるんでしょう? でも、希う人が夢見主になっちゃうなら、その人についての願いが叶わないじゃない。夢の中でだけなんて、詐欺よ!」
 レフィコはぴたりと立ち止まると、振り返った。薄暗い木立の間で、瞳が金に光る。
「誰が、『神のかけら』に願いを叶える力があると言ったんだろうな」
「誰って……」
 アティナルは額に手をあてて、『世界の不思議』を思い浮かべた。
(「使いこなすことができればどんな願いも叶うであろう」って書いてあったわ。あの本を書いたのは、誰なの?)
「俺も『神のかけら』は願いを叶えるもんだと思っていたぜ」
 ラスカはそう言って、頭をかきながら続けた。
「たぶん、過去に使った奴がいるんだろうな。そんで、そいつの願い事は叶ったんだよ。きっと」
 アティナルは目を見開いて、ラスカを見つめた。
「叶ったの? その人は使いこなすことができたから?」
「使いこなす? 望むままに夢を見るってことなら、俺には無理だな」
 ラスカが肩を竦めて言う。
「でも、望むままに夢を見たって、本当に願いが叶ったことにはならないわ。だって、夢の中だけでのことでしょう?」
 アティナルは握りこぶしをつくって叫んだ。
「お前が願いを叶えたいというのなら、『夢見主』となって、『神のかけら』がお前の望みのまま様々なものを創り、大地を変えて世界を覆いつくすまで夢を見続ければいい。やがて、お前という存在は夢の中に完全に取りこまれ、神のかけらと運命を共にすることになるだろう」
 レフィコは一気に言うと、森の奥を睨むように見つめながら、冷ややかに続けた。
「もちろん、俺は、それを阻止することになるがな」
 アティナルはその冷たい響きにどきりとすると、ごくりと唾を飲みこんで言った。
「私だって、どこまでも広がればいいなんて思っていないわよ。だいたい、そんなことになったら、私たちの国がめちゃくちゃになっちゃうわ」
「解っているならいい」
 レフィコはぼそりと言って、前を向いた。一つに束ねた銀髪が、弧を描いてしなやかに揺れる。
 一行はレフィコを先頭にして、森へと歩き出した。


 森の小道を歩きながら、レフィコの後ろを歩くラスカが前を見たまま言った。
「あのさ。さっきから気になってんだけど」
 アティナルは、ラスカの背中で揺れるアルパを見ながら、訊いた。
「なあに?」
「さっきの泉の側にあった、あのでかい実みたいなの、一体なんだったんだろうな」
 アティナルは、どきりとして胸を押さえた。ラスカが続ける。
「普通の木の実じゃないよな。なんか、中から人みたいなのが出てきそうだったし」
 アティナルは思わず、裏返った声で言った。
「そ、そうだったかしら」
 先頭を行くレフィコが、立ち止まりもせずに淡々と言う。
「あの樹は『神のかけら』の一端だ」
 アティナルは首を傾げて繰りかえした。
「一端?」
 ラスカはびくりと肩を震わせると、大声で言った。
「まさか、『神のかけら』は樹なのか?」
 レフィコが振り返りもせずに、低く言う。
「植物だ」
 アティナルは目を見開いて、歩きながら叫んだ。
「だって、どうして? この森になかったのでしょう? 植物だったら、持ち運べないじゃないの!」
 ラスカはぼりぼりと頭をかいて、言う。
「……いや。植物だって、根を掘れば運べるんじゃないのか?」
「えぇえ。それに、実がなるんであればぁ、それを運べば簡単ですしぃ」
 エレナが後ろから、のんびりと付け足すように言う。ラスカはポンと手を打って、叫んだ。
「そうか。さっきのでかい実を採っておけば、『神のかけら』が手に……」
「違う!」
 レフィコの鋭い声に、ラスカは口を閉じた。レフィコがくるりと振り向くのにあわせて、首から下げたエメラルド球が軌跡を描く。
「あれは『神のかけら』のほんの一部分。採っても何の役にも立たない」
 レフィコは抑揚を抑えた調子で言う。ラスカは頭をかきながら言った。
「そうか」
「でもあの樹、さっきの夢がはじけたら一緒に消えちゃったわよ」
 アティナルは首を傾げて言った。
「ああ、そういやそうだった」
 ラスカも大きく頷いて言う。
「消えたのではない。夢がはじけるのにあわせて、一部が枯れただけだ」
 レフィコはそう言って、再び前を向くと歩き出した。
「枯れた?」
 ラスカが歩きながら言って、首をひねる。アティナルは泉が涸れた後に散らばっていた灰色の枯れ枝を思い浮かべた。
 不意に、レフィコが足を止めた。
「なにかぁ、聞こえませんかぁ?」
 エレナはアティナルを庇うように前へ出ると、注意深く前方を伺う。
 アティナルは耳を澄ませた。唸るような、響く音が微かに聞こえる。
「何なの? 獣?」
 アティナルは不安になって、恐る恐る辺りを見回した。
「滝みたいな音だな」
 ラスカが、アルパを引き上げながら言う。
「滝?」
 アティナルは首を傾げた。
「ええとぉ、崖の上のような高い場所から急激に水が流れ落ちていることですぅ。特にぃ、水が大量だったりぃするとぉ、大きな音が響くものなんですぅ」
 エレナがにっこりと微笑みながら言う。アティナルは眉根を寄せて口を開いた。
「ちっとも想像できないわ。エレナは見たことがあるの?」
「ええとぉ、雨季のバージェ地方でぇ、大雨が降って泥水が崖を落ちている様子ならぁ、見たことがありますぅ」
 エレナは思い浮かべようとするように、ゆっくりと言った。
「ま、それも滝の一種だな」
 ラスカはそう言って頷くと、アティナルを見て続けた。
「ところで、嬢ちゃんは見たことないのかい? 特に大きな滝は荘厳で迫力がある。見といて損はないぜ」
 アティナルは顔をあげて、目を輝かせているラスカを見つめて微笑んだ。
「ええ。ラスカが勧めるなら、いつか見てみたいわ」
「でもぉ、なんだかぁ先ほどまでより音が大きくなっていませんかぁ?」
 エレナが小首を傾げて、腰の剣に手をかけたまま言う。
 アティナルは目を見開いて、音の聞こえてくる前方を見つめた。
 やや高い唸り声のような音は、少しずつ確実に、アティナルたちに近づいて来ている。
「滝じゃなかったか」
 ラスカがぽつりと言った。
 絶え間なく聞こえる音に混じって、枝の折れる音と潅木の次々と倒れる音が響く。
「アティ様ぁ。後ろへ下がっていてくださいぃ」
 エレナが剣に手をかけながら、緊張感のない調子で言った。
「……大きな獣?」
 アティナルはごくりと唾を飲みこんで、じりじりと後ろに下がる。
「来るぞ!」
 レフィコが鋭く叫んだ。

 (続)   

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