虹の冠  第36話(05.Oct.2003 UP)

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「我々は夢と同じもので織りなされている」
 レフィコの瞳が、僅かに金色の光を帯びる。アティナルは、その不思議な光を見つめながら、次の言葉を待った。
 雨音がぴたりと止んだ。風が枝を揺らしながら、青臭い水の匂いを運んでくる。
 レフィコは驚きに目を見開いて、一呼吸置いてから口を開いた。
「我々は夢と同じもので織りなされている」
 静まり返った森の中に、レフィコの言葉が吸いこまれていく。
 風が止んだ。
(何が起こったの?)
 アティナルはレフィコから目を逸らすと、辺りを見回した。
 葉の擦れる音も、水の滴る音すらも聞こえない。森中の生き物が息を潜めているかのようだ。
 アティナルは空を見あげた。
 天の蛇は、空に浮かんだまま身じろぎもしない。翼も動いていないようだ。
(どうなっているの?) 
「……なぜだ? まさか、解らないのか?」
 レフィコが静けさを破って、呟いた。アティナルは首を傾げて訊いた。
「何が?」
 レフィコが眉間にしわを寄せて、呆れたように言う。
「先ほどの言葉だ。お前は、まさか、意味が解らなかったのか?」
「いつも、難しい言い方ばかりするんだもの。ちっとも解らないわよ!」
 アティナルは顔を赤らめて、叫んだ。レフィコは目を細めると、冷淡に言い放つ。
「少しは自分で考える努力をしてみたらどうだ?」
 アティナルは顔をしかめて、レフィコを睨んだ。ラスカが、首をひねりながら口を挟む。
「なんだか、どこかで聞いたことがある台詞だな」
 アティナルはぱっと瞳を輝かせると、ラスカの方を向いた。
「本当? どこで?」
「確か……」
 ラスカは腕を組んで考えこみながら、続ける。
「白い肌の金持ち連中の屋敷で、演劇とかいうやつで出てきたぜ」
「演劇?」
 アティナルは呟くと、首を傾げた。
(……確か、兄さまの部屋から観たわ)
 アティナルは目を瞑ると、王宮で見た演劇を脳裏に思い浮かべた。
 中庭には仮設舞台が設けられ、城の人々は中庭を囲む回廊や建物の窓へ詰めかけている。
 舞台に立つのは、海の向こうから来たという三人の役者。
 左側には髭を生やした厳めしい顔の中年男。右側には、若い男女が寄り添うように立っている。
 中年男は、アティナルたちの方へ横顔を見せて、長い台詞を言っていた。
(あの中年男の役は、何て言ったかしら。確か『プ』ではじまる名前よ。プ……プアぺロタ? じゃないし)
 不意に、中年男がアティナルのほうを向いた。いつの間にか、頭からすっぽりと白い布を被った老人の姿に変わっている。
 老人は、鋭く光る黒い瞳でアティナルを真っ直ぐに見詰めながら、口を開いた。遠くから聞こえてくるような、囁くような声で言う。
「我々は夢と同じもので織り成されている。なぜなら……」
(夢と同じ……?)
 アティナルは急に襲ってきた強烈な眩暈に、顔を覆った。
「まぁあ!」
 珍しくあわてたようなエレナの声が聞こえる。
「向こうだ。急いで追うぞ!」
 レフィコの声が、やけに遠くから聞こえた。
(息が苦しい。どうなっているの?)
 アティナルはつかまるものを探して、必死に手足を動かした。
 伸ばした手は虚しく風を掻き、大地を踏みしめるはずの足は、虚しく空を蹴った。


(誰?)
 むせ返るような甘い香りが漂っている。
「大丈夫かい? 頭を打ちやしなかったかい?」
 耳のすぐ近くで、囁き声が聞こえた。
(聞きなれている声だわ)
 アティナルはゆっくりと目を開けた。すぐ目の前で、何かが陽光に眩く輝いている。
(何なの?)
 アティナルは目を細めた。キラキラと煌めく小さな石が、目の前にぶら下がっている。
(……宝石?)
 眩い輝きの後ろに、ぼんやりと人影が見えていた。上体を屈めて、横からアティナルの顔を覗きこんでいるようだ。
 アティナルは顔をしかめて、身体を動かそうとした。けれど、腕も、足も、頭も、やけに重い。指先が僅かに、ぴくりと動いて、尖った草に触れた。
(ここは、どこなの?)
「ああ、無理をしてはいけないよ、僕の可愛い人」
 やや舌足らずの声が、なだめるように言う。喋っているのは、若い男のようだ。
「誰?」
 アティナルが訊くと、がっかりしたような声で男が言う。
「忘れちゃったのかい? それとも、まだ頭がぼんやりしているのかな。僕は、マルティ・ベリオ。君の恋人のマルティだよ」
(ベリオ……? 恋人なんていたかしら。でも、この人は、ずっと側に居たような気がするわ)
 アティナルはぼんやりと考えると、再び目を瞑った。
「そう。君は倒れたんだからね、まだ横になっていなければ駄目だよ」
 男は甘い調子で喋り続けている。アティナルは、温かい手がそろそろと頬を撫でる感触に、ぞわりと鳥肌を立てた。
「いや〜〜〜!」
「ど、どうしたんだい?」
 影が揺らいで、あわてたような声が言う。
 アティナルは目を開けると、両手を地面に突っ張って勢いよく上体を起こした。金色の髪のひと束が、ふわりと肩にかかる。
 足を投げ出すように座ったまま、アティナルは男を睨みあげた。
「何なの? 何をするつもり?」
 男はアティナルと目が合うと、小さな目を落ち着きなく動かした。そばかすだらけの丸顔を、金色の巻き毛が取り囲んでいる。
 腕には銀の腕輪をつけて、首から下げた革紐に滴型にカットしたアクアマリンをぶら下げている。
 男はアティナルを抱きすくめようとするように、両腕を広げて口を開いた。
「僕はただ、君のことを心配していただけだよ。僕の可愛いお人形さん」
「そうなの?」
 アティナルは首を傾げながら訊く。
「もちろんさ」
 男はそう言って、瞳が見えなくなるほど目を細めて、微笑んだ。
(そうよね。マルティはいつも、私のことを考えてくれているんだもの)
 アティナルは男に向かって小さく頷いた。
「判ってくれたのかい? ああ、良かった」
 男は両手をにぎり合わせて、心底嬉しそうに言う。
(そういえば私、今まで何をしていたのかしら?)
 アティナルは辺りを見回した。
 すぐ側に、青緑色の水を湛えた泉。後ろには、深い森。畔には、剣先のように尖った赤紫色の水晶が、山のように積み上げてある。
(どこかで見たことのある光景ね)
 アティナルは眉を寄せた。
(……当然よ。いつも見ていたんだもの)
 アティナルたちのいる周辺だけが、やけに明るい。その向こうは、乳白色の霞に包まれている。
 すぐ後ろの太い樹木の枝に、白い鳥がとまっている。翼を閉じた格好で、枝をしならせながらゆらゆら揺れている。
(あれは、白鳥ね。でも、どうして伝説の白鳥がいるのかしら?)
 泉の畔を大きな黒茶色の鳥が歩いている。二枚の翼を広げて、残りの二枚の翼は閉じたまま、よたよたと近づいてくる。
(四枚翼のコンドル……?)
 アティナルは首をひねった。
「どうしたんだい、そんな表情をして」
 男の声に、アティナルは顔をあげた。
 男は、小さな目でじっとアティナルを見ながら、続ける。
「君にそんな表情は似合わないな。……もしかして、どこか痛むのかい?」
 アティナルは小さくため息をつくと、口を開いた。
「私、いつも何をしていたのかしら。ちっとも、思い出せないわ」
 男はアティナルの言葉を聞くと、落ち着きなく視線を漂わせた。泉を見つめながら、ぼそりと言う。
「君は……、どうしたのかな。なんだか、すっかり口調まで変わってしまった」
「そうなの? 私はよく判らないわ」
 アティナルはそう言って、自分の膝を見つめた。
 ふわりと広がる真っ白なスカートが、膝までまくれ上がっている。むき出しになった素足に、尖った草の葉がくすぐったい。
(私、靴を履いてなかったかしら?)
「それじゃあ、僕が教えてあげよう」
 男はアティナルの顔をじっと見つめながら、続けた。
「いいかい。君は本当は、もっと気品のある喋り方で、おしとやかで、いつも笑顔を浮かべていて……」
 アティナルはスカートを引っぱって膝を隠すと、呟いた。
「私、こんな格好をしていたかしら?」
 男は口をつぐむと、アティナルのつま先から全身をじろじろと見回した。と、小さな目を見開いて、アティナルの頭を指さしながら叫ぶ。
「一体、なんだ。それは。どこから来たんだ?」
 アティナルは驚いて、頭に両手を載せた。
 柔らかく温かな手触り。ふわりと、甘く優しい香りが漂ってくる。
(プアペロタ……)
 アティナルはいきなり立ち上がった。裸足で草を踏みしめて、男を睨みながら力いっぱい叫んだ。
「思い出したわ。ベリオ家のマルティ。あなたが、あなたが、夢見主よ!」

 (続)   

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