虹の冠  第37話(12.Nov.2003 UP)

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 マルティは目を瞬くと、アティナルを見つめながら言う。
「そんな風に興奮してはいけないよ。ほら、落ち着いて」
 アティナルは顔を赤らめると、叫んだ。
「だから、あなたが夢見主なの。あなたが夢を見ているのよ」
 マルティはゆっくりとした動作で立ち上がると、アティナルの顔を上から覗きこむ。
「ああ、大変だ。顔が真っ赤だよ。熱が出てきてしまったのかな?」
 アティナルは、差し伸べられたマルティの手を払いのけて叫んだ。
「どうしてわからないの。私の言っていること聞いていないのね!」
「もちろん聞いているよ。僕の可愛いお人形さん。君の美しい声は、小鳥の歌声のように僕の胸に響いて……」
 マルティは長々と言葉を続けている。
 アティナルは首を傾げた。
(前にも、こんな風なことがあったような気がするわ)
 アティナルは、一年前に離宮で行われたパーティを思い浮べた。


 パーティの賑やかな笑い声が、庭園まで漏れ聞こえてくる。
 アティナルは振り返って、明るい光を放つ大広間の窓を見あげた。外を見ている人は誰も居ないようだ。バルコニーにも人影はない。
 アティナルは独り微笑むと、軽い足取りで園内を歩き出した。
 四角く整えられた低木の間を通って、鮮やかな紅い花を咲かせている樹の下を潜って。
 夜気を含んだ冷たい風が心地よく髪を梳いていく。
 漂ってくる果物のような甘い香りに、アティナルは立ち止まった。
 花壇を埋め尽くすように咲いている小花が、月明かりに仄白く浮かび上がって見える。まるで、地上にも星を散らしたかのようだ。
「その花も可愛いけれど、夜空はもっと華やかで綺麗だよ」
 不意に後ろから声を掛けられて、アティナルは息を呑んだ。恐る恐る振り向くと、木陰に若い男が座っていた。
 宝石の飾りボタンのついた、派手なパーティ用の上着に、金の指輪や腕輪を身につけている。
 男はアティナルと目が合うと、小さな目を驚いたように見開いて、いそいそと立ち上がった。アティナルよりも頭が一つ分ほど大きい。
 アティナルは男から視線を逸らして、空を見あげた。
 紺青の空に宝石のような星々が輝いている。弓形の月は、黄金色だ。
「本当に、綺麗」
 アティナルがぽつりと呟くと、男がかすれ声で言った。
「夜空ももちろんキレイですが、姫様はもっと華やかで美しい。そして、星明りで見る姫様は、せいそでかれんで……」
 アティナルは喋り続けている男を無視して、空を見つめ続けた。王都の宮殿に残っている兄のレクトルも、もしかしたらこの夜空を見ているかもしれないと思った。
「ああ、姫様。今日は何て素晴らしい日だろう。美しい姫様とこうして夜空を眺めることが出来るなんて……」
 男は延々と、アティナルを賞賛する言葉を喋り続けている。アティナルはとうとう、遮るように大声で言った。
「静かにしてくれないかしら」
 男はぴたりと口を閉ざすと、熱っぽい眼差しでアティナルを見つめた。アティナルは眉を寄せて、口を開いた。
「さっきから失礼よ。あなた、誰なの?」
 男は肩を落とすと、咎めるように言う。
「忘れてしまわれたのですか? 先ほど広間でお会いしたばかりじゃありませんか」
 アティナルは首を傾げて応えた。
「そうだったかしら。ぜんぜん覚えがないわ」
「そうですね。仕方がありませんよ。あれだけ大勢の人と会って名前を聞かされれば、顔と名前が一致しないのも当然ですよ」
 男は頷きながら甲高い声で言う。アティナルは顔をしかめて叫んだ。
「失礼ね。一致しないんじゃないわよ。あなたのことはぜんぜん印象に残っていないって言っているの」
「ああ、姫様。そんな風に恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。僕はわかっていますから。あの時に……」
 男はそう言って、軽く微笑みながら続ける。アティナルは蒼ざめると、遮って叫んだ。
「何の話なの? 私の言葉、聞こえているの?」
 男はうっとりとアティナルを見つめながら、芝居がかった動作で喋り続ける。
「……父が僕の名を告げたとき、姫様は微笑みながら僕に『よろしく』と、仰ってくださった。兄たちにではなく、三番目の、この僕に」
「『よろしく』なんて、誰にでも言っているわよ!」
 アティナルはぴしゃりと叫んだ。男は、急に真顔になって声をひそめて言う。
「今のままでは、僕は姫様につりあわない。けれど、必ず姫様の期待に応えてみせますから、どうか、待っていてください」
「待つって、何を? あ、ちょっと!」
 男はアティナルに笑いかけると、背中を向けて歩き出した。
「待ちなさいよ。言いたいことを一方的に言って逃げるなんて、卑怯よ!」
 アティナルの声が届いていないのか、男は振り向きもせずに歩いていく。
「結局、あなたは誰なの?」
 男の背中が闇の中にとけこんで行き、アティナルの呟きだけが残された。


(あの時の男が、マルティ・ベリオだったのね)
 アティナルは小さくため息をつくと、マルティを見つめた。
(あの時とは少し顔が違うような気がするけれど、他人の話を聞いていないところなんてまるっきり同じだもの)
「ためいきなんかついて、疲れたんだろう? 座ったほうがいいよ」
 マルティは少しも悪びれずに、微笑さえ浮かべて言う。アティナルはじれったくなって叫んだ。
「だから、もう。少しは私の言葉を聞いてよ!」
「もちろん、さっきから聞いているよ。僕の可愛い人」
 アティナルはマルティをじろりと睨んだ。
「とにかく、あなたが悪いんだから。早く目を覚ましなさいよ!」
 そう叫んでから、はっとして口を押さえる。
(いま夢見主が目覚めたら、私はどうなるの? 私はまだ夢に見られているの?)
「そんなに興奮したら身体に悪いな。ほら、座って」
 マルティに言われるまま、アティナルは腰を下ろした。
「そう。それでいいよ、可愛い人。ああ、喉が渇いたな。果物でも食べようか?」
「果物?」
 顔を上げたアティナルは、目を見開いた。泉から濃い霧が漂ってきて、見る間に紫水晶の山を隠していく。
 背後から漂ってくる腐りかけの果物のような甘ったるい香りに、アティナルは振り向いた。
 すぐ後ろに生えている大きな樹が、ぶるぶると枝を震わせている。と、急に強い風が樹の方から吹きつけて、アティナルは思わず目を瞑った。
「ほら、ご覧」
 マルティの声に、アティナルは恐る恐る目を開けた。マルティが泉の方を手で指し示している。
 アティナルは息を呑んだ。泉の畔、紫水晶の山の隣に、オレンジのような黄色い果実の山がいつの間にか出現している。
(これが、夢見主の力なの?)
 マルティは立ち上がって果実の山に近づくと、一つ取って噛り付いた。
「爽やかだけど、少し酸っぱいかな。食べるかい?」
 アティナルが首を左右に振ると、マルティは首を傾げて続けた。
「それじゃあ甘い果物のほうがいいかい? それとも、何か飲み物でも出そうか?」
「いらないわ。喉も渇いていないし、お腹も空いていないから」
「そう? そういえば疲れているんだったね」
 マルティは顎に手を当ててしばらく考えこむと、口を開いた。
「それじゃあ柔らかいベッドでも用意しようか? それとも、立派な部屋もあった方がいいかい?」
 アティナルはあわてて叫んだ。
「そんなの、いらないわ!」
(これ以上、何かを創りだされたりしたら困るわ。森の中がめちゃくちゃになっちゃう)
「それじゃあ……」
 更に何かを言い出そうとするマルティを制して、アティナルは素早く言った。
「このまま、外にいた方がいいと思うわ。泉は綺麗だし、風が気持ちいいもの」
「そう? でも、何か欲しいものがあったらすぐに僕に言うんだよ。僕は何でも出来るし、何でも手に入れられる」
 マルティはそう言って、顔を歪めて笑った。アティナルはその笑顔にぞっとすると、顔をそむけた。
 ここから逃げ出したいと思うのに、身体が動かない。足にも腕にも力が入らなくて、立ち上がれそうにない。
(何のために私はここにいるんだろう? 私はやっぱり夢に見られているの?)
 吹き渡る風が梢を揺らし、泉に細波を立てる。草を掻き分ける音に続いて、小枝を踏み折る音が響く。
 マルティは顔を強ばらせると、泉の向こう側に広がる森を見つめながら忌々しげに呟いた。
「奴らが来たか」
「奴ら?」
 アティナルが訊くと、マルティは鼻を鳴らせて言う。
「ああ。うるさく飛び回る、影みたいな虫けらさ。君は気にしなくていいよ」
(もしかして、みんなが来たの?)
 アティナルは期待に目を輝かせて、森を見つめた。
 梢が揺れて、レフィコが飛び出してきた。泉の前でぴたりと足を止めると、一つに束ねた銀髪が弧を描いてはねる。
 続いて、スカートとエプロンを翻しながらエレナが走り出た。辺りを素早く見渡して、首を傾げる。
 最後にラスカがよろよろと出てきて、地面に膝をついた。ずっと走ってきたのだろう、肩で息をしている。
(良かった。みんな無事だわ)
 アティナルは急に身体に力が湧くのを感じて、立ち上がって三人に向かって手を振った。けれど、三人とも辺りを見回すばかり。アティナルに気づかないようだ。
 アティナルは伸び上がって、腕を大きく振り回した。
「君は、一体何をしているんだ?」
 マルティの鋭い言葉に、アティナルは手を止めた。顔をあげると、マルティが目を吊り上げて睨んでいる。
「な、なんでもないの」
 アティナルがあわてて言うと、マルティは立ち上がりながら口を開いた。
「あの中に気になる奴でもいるのかな? そうやって、あいつらを呼んでいるつもりか?」
 アティナルは首を左右に振ると、じりじりと後ろに下がりながら言う。
「違うわ。私は別に……」
 アティナルの背中が樹の幹に当たった。マルティは幹に左手を押し当てて、アティナルを上から見下ろしながら口を開く。
「呼んでも無駄だよ。奴らには僕たちの姿は見えない」
「え?」
 顔を上げたアティナルは、すぐ側にマルティの顔があるのに気づいて、顔をそむけた。
 マルティはアティナルの顎に右手をかけて、上を向かせた。金の髪が波打ちながら肩を滑る。
 マルティはアティナルの青緑色の瞳を覗きこみながら、薄い唇を開いた。
「今決めたよ。放っておくつもりだったけれど、影どもをひねり潰してあげよう。奴らは僕たちの邪魔をするからね」
「ひねり潰す?」
 アティナルが震え声で訊くと、マルティは奇妙に甲高い声で笑い出した。
 地面が下から突き上げるように揺れて、低い唸り声のような音が鳴り響く。枝の折れる音に、地響きが混じって聞こえてくる。
  (この音は、まさか……?)
 アティナルはマルティの肩越しに、泉の方を見つめた。
 泉の上に突き出すようにもたげている、大きな白い頭。三人がさっきまで立っていた泉の畔には、だらりと垂れ下がった尾が伸びて、木々がなぎ倒されている。
「天の蛇!」
 アティナルが思わず叫ぶと、マルティはにやりと口を歪めて言った。
「そう。あれこそが無敵で最強の生き物。伝説の『天の蛇』だ」
 マルティは再び甲高い笑い声をあげると、アティナルの顎から手を離した。
「ほら、あの愚かな影をご覧。あんな剣などで、天の蛇を傷つけられるはずがない」
 アティナルはマルティの視線を辿って、泉の畔を見つめた。剣を抜いたエレナが、真っ直ぐに天の蛇を見あげて立っていた。

 (続)   

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