虹の冠  第38話(24.Nov.2003 UP)

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 エレナは天の蛇へ向かって走り出した。太い胴体へ切りかかる。が、剣は厚い皮膚に弾かれて、傷一つつけられない。
 エレナは素早く飛び退ると、剣を腰の鞘へ戻した。
 天の蛇はゆっくりと首を曲げて、鼻先をエレナへ向けた。ガラス球のような紅い眼で、無表情にエレナを見下ろしている。
「よし、おまえの強さを見せつけてやれ!」
 アティナルの耳の側で、興奮したマルティが叫んだ。
 天の蛇の鼻先から頭頂部にかけて、切りつけたような紅い筋が一つ走る。と、ぱっくりと二つに割れて、毒々しい真っ赤な口が現れた。
 天の蛇は口を開いたまま、威嚇するようにエレナへ向かって頭を低く突き出す。頭の上で銀の冠が煌めく。
 エレナは地面を蹴って、真っ直ぐに天の蛇へ向かって駆け出した。
 天の蛇の口から、轟音を立てて白い風が吹き出す。風を浴びた草が、みるみる白く凍りついていく。
(エレナ!)
 アティナルは息を呑んで、祈るような気持ちでエレナを見つめていた。
 エレナは素早く横へ飛んで風を避けながら、ジグザグに天の蛇へ向かって走っていく。
「ええい。ちょこまかと!」
 マルティは顔を真っ赤にして叫んだ。
 天の蛇はエレナを狙って顔を低く下げ、左右へ動かし続けている。けれど、動きが緩慢すぎて、エレナには当たらない。
 エレナは天の蛇の首の下へ駆けこむと、屈んだ。紺色のスカートがふわりと翻り、白い細い足が覗く。
 エレナは素早く取り出した手斧を振りかざした。
 アティナルは思わず、口元を押さえた。
(エレナったら、今までどこに斧なんて隠していたの?)
「ええい、そんなもので傷がつくものか!」
 マルティが早口に叫ぶ。
 エレナは天の蛇の首元を下から切りつけた。高い音が鳴って、斧の刃が欠け、回転しながら欠片が飛んでいく。
 エレナは斧を投げ捨てると、蛇の口を避けて駆け出した。森の側で、レフィコが何か叫んでいる。
 天の蛇は風を吐くのを止めると、胴体を引きずりながらエレナを追って動きはじめた。地響きに泉の水が勢い良く波立ち、飛沫が跳ねる。
 白鳥は鋭い鳴き声を上げると、翼を不恰好にはためかせながら、よろよろと水から上がって逃げ出した。
「ほら、ごらん。奴らには何もできやしない。これで君も、誰が王様かわかっただろう?」
 マルティはアティナルの方を振り向くと、勝ち誇ったように言う。アティナルはマルティを睨みながら口を開いた。
「あなたが、王様ですって?」
「そう。何でも、僕の思い通りさ」
 マルティはニヤッと笑いながら言うと、アティナルの顎に手をかけた。上を向かせて、上から覗きこみながら続ける。
「もちろん、君もね。可愛いお人形さん」
(嫌だ。気持ち悪い……)
 アティナルは顔をしかめて、マルティの手を払いのけようとした。だが、逆に手首を強くつかまれて、磔のように背中を樹の幹に押し付けられた。
「嫌。離して!」
 アティナルは叫びながら、身体をよじって腕に力をこめた。
「ほら。暴れてはいけないよ」
 マルティが笑いながら言う。アティナルはキッとマルティを睨みながら、叫んだ。
「私はあなたのお人形じゃないし、あなたは王様じゃないわ」
 マルティは甲高い笑い声を上げながら口を開く。
「あの伝説の『天の蛇』がなぜ僕の命令を聞くんだと思う? 僕が王様だからに決まっているだろう?」
「違うわ。あなたが夢見主……」
 アティナルははっとすると、あわてて口をつぐんだ。
「君にもようやく、誰が王様かわかったようだね」
 マルティは息がかかりそうなほど顔を近づけると、アティナルの瞳を覗きこみながら言う。アティナルは蒼ざめて、顔をそむけた。
 マルティの肩越しに、重たげに胴体を引きずっている天の蛇が見える。
(私、何をしているのかしら……)
 アティナルはため息をついた。
 天の蛇は地響きを立てながら、エレナたちを追っている。胴体に押し潰されて、泉の周りに生えている木々が次々と倒れていった。
(私、何をためらっているのかしら。危険だっていうことはわかっていたのに)
「僕の可愛い人。君が大人しくしているなら、君のことを女王様にしてあげるよ」
 マルティがうっとりとした調子で言った。アティナルはマルティを無視して、天の蛇を見つめ続けた。
 天の蛇は動きを止めると、頭を低く垂らした。口から放たれる白い風に、草や枝が次々と白く凍りついていく。
 アティナルはごくりと喉を鳴らした。
(私が夢に見られているかどうかなんて、夢見主が目覚めたらどうなるかなんて、そんなの心配している場合じゃないわ)
 マルティは森の様子など気に留めもせずに、喋り続けている。
「二人っきりで暮すんだよ。そうだな……、森の中に贅沢で立派な宮殿を建てようか。美しい宝石や珍しい花々で飾ろう。ユニコーンやライオンや伝説の生き物たちを従えて……」
 アティナルは、レフィコの言葉を思い出した。
『方法はある。ただし、非常に危険な方法だ』
(そうよ。他に方法がないんだもの。私がやるしかないんだわ)
 アティナルは顔をあげると、まっすぐにマルティを睨みながら叫んだ。
「マルティ・ベリオ。あなたは王様じゃないわ。あなたはただ、夢を見ているだけなのよ!」
 マルティはアティナルをごつごつとした幹に強く押し付けると、怒気をこめて言う。
「何を言いだすんだ、君は」
 アティナルは手の痛みに涙を浮かべた。血が滲んでいる。マルティは続けて言った。
「君は自分を何だと思っているんだ?」
「私は姫よ。コロナデリス王国の姫。あなたのような、ベリオ家の三男ごときに指図を受けるいわれはないわ」
 アティナルはキッとマルティを見据えながら続けた。
「あなたは、自分の夢の中で王様になっているだけ。これは、夢なの。あなたの見ている夢にすぎないのよ!」
 言い終えたアティナルは、目を閉じた。
(これで、マルティはきっと目覚めるはずよ。私は消えてしまうかもしれないんだわ)
「君は、何か勘違いをしているようだな」
 マルティの声が冷たく響き、アティナルは目蓋を開いた。すぐ目の前に、マルティのどんよりと曇った小さな目がある。
 マルティは鼻を鳴らすと、喋り続ける。
「王様は僕だ。君じゃあない。君は黙って僕の言うことを聞いていればいい」
 マルティが言い終わった途端に、木の葉がざわめいた。細長い蔓が上から垂れてきて、アティナルの胴体と手首に巻きつく。
 アティナルが悲鳴をあげると、マルティは声高に告げた。
「王様の言いつけを聞かない人形には、お仕置きが必要だな」
 蔓が伸びてアティナルの細い足首を締め上げる。アティナルは思わず叫んだ。
「痛い。止めて!」
 マルティはニタニタと下品な笑いを浮かべながらアティナルを見つめている。
 蔓がきしみながらアティナルの両足を引っぱりあげた。前へ蹴り上げた格好で両足が宙に持ち上がり、スカートがまくれ上がる。
 上半身は仰向けに倒れたような格好になり、首に強い力がかかる。耐えられずに顎が上がり、長い金の髪がうねりながら垂れ下がった。
「放しなさいよ!」
 アティナルは叫びながら、手足を動かそうとした。けれど、蔓はますますきつく巻きつき、身体を締め上げる。スカートは更にまくれ上がり、白い太ももが覗いている。
 マルティは目を細めて、笑いながら言った。
「なかなかいい格好じゃないか。しばらくそうしているといい」
「マルティ・ベリオ。あなたって、最低ね」
 アティナルは精一杯大きな声で叫んだ。けれど、マルティは聞こえていないのか、アティナルに背中を見せて泉の方を向く。
 アティナルは首を曲げて、なんとか泉の方を見つめた。
 天の蛇が唸るような翼の音を立てながら、長い尾を引きずって泉の周りを移動していく。その向かう先にエレナが、すっと立っていた。
 背中から取り出した黒い鉄筒を、抱えるように斜めに捧げ持つ。口で何かを噛み切り、筒の中央部に詰めた。
「あれは、まさか……」
 マルティは震え声で呟いた。
 エレナは筒を縦に持ち、どこからともなく取り出した細い棒で何かを詰めこむ。再び筒を捧げ持つと、ゆっくりと狙いを天の蛇に定めた。
「だ、駄目だ。銃なんかやめろ!」
 マルティが上ずった声で叫ぶ。
 轟音が鳴り響き、エレナの持つ鉄砲から白煙が立ち昇った。
 天の蛇はぴたりと翼の動きを止めた。頭がゆっくりと傾ぎ、銀の冠が滑り落ちる。冠は煌めきを放ちながら泉に落ちた。
 天の蛇の胴体が真っ二つに裂けて、凄まじい轟音を立てながら泉の中へと折り重なって倒れていく。水飛沫が吹き上がり、波が次々と畔に押し寄せてくる。
 空から一筋の明かりが射して、泉に虹がかかった。
(倒したの?)
 呆然と虹を見ていたアティナルは、ふと、蔓の戒めが緩んでいるのに気づいた。蔓の中から最初に手を外し、次いで足首の蔓を外していく。
 最後に、胴体に巻きついた蔓を外して、アティナルはようやく自由になった。顔をあげて辺りを見回すと、マルティが蒼ざめた顔で立ち尽くしている。
(あの馬鹿男!)
 アティナルは肩を怒らせて、つかつかとマルティに近づいて行った。マルティの頬を思いっきりひっぱたきながら叫ぶ。
「いつまでも勝手な夢なんか見てるんじゃないわよ!」
 マルティの頬にひびが走った。マルティの体から一直線に入ったひびは、細かく枝分かれをしていき、天の蛇や泉を覆い隠すように広がっていく。
 地面が波打つように揺れて、アティナルは眩暈を覚えた。
(夢がはじけたんだわ。私は……やっぱり消えてしまうの?)
 空が、地面が、歪んで見える。目の前がにじんだような虹色に染まって見える。
 アティナルは目を閉じると、ぺたりと座りこんだ。
 目蓋の裏に、笑っているラスカの顔が思い浮かぶ。次に、怒ったような顔のレフィコが思い浮かんだ。
 エレナがエプロンを翻しながらくるりと回る。顔を真っ赤にして走るじいの顔が見えて、執務室に座る父王と王妃の姿も見えた。
 最後に、優しい笑顔を浮かべている兄レクトルの顔が思い浮かんだ。


(何?)
 誰かが肩を揺すっている。アティナルはうっすらと目を開いた。
「アティ様ぁ!」
 エレナが心配そうな表情でアティナルを覗きこんでいる。
「エレナ?」
 アティナルは目を見開くと、辺りを見回した。
 キラキラと輝く青緑色の水を湛えた泉。濃い緑色の深い森。
 灰色の枝が散らばっている中で、レフィコが何かを拾いあげている。
「私、大丈夫だったの?」
 アティナルが訊くと、エレナがにっこりと微笑みながら口を開いた。
「えぇえ。とおっても心配したんですよぉ」
「ま、無事でよかったよな」
 すぐ近くでラスカの声が聞こえて、アティナルは首を傾げた。ラスカの大きな手が、しっかりとアティナルの肩を抱きかかえて身体を支えている。
 アティナルは顔を赤らめると、あわてて身体を起こした。毛糸の帽子がずり落ちて、二本のおさげが飛び跳ねる。右ひざと両手がずきっと痛み、アティナルは思わず顔をしかめた。
「おいおい、大丈夫か? 無理するなよ」
 ラスカが灰青色の瞳で覗きこみながら、心配そうに言う。アティナルは包帯の巻かれた両手を見つめながら早口で言った。
「大丈夫よ。あ、そういえば、夢見主はどうなったの?」
「その方ならぁ、まだあちらにおりますわぁ」
 エレナが手で示しながらのんびりと言う。アティナルは眉を寄せて、エレナの示すほうを見た。
 泉の畔、紫水晶の山の隣に男が一人横たわっている。
「死んでいるの?」
 思わずアティナルが訊くと、エレナは首を振って応えた。
「いぃえぇ。目は開いているんですけどぉ、何を言ってもぜんぜん聞いてないみたいですしぃ、空ばかり見ているんですぅ」
 アティナルはゆっくりと立ち上がると、男の方へ近づいて行った。
 金色の巻き毛に、そばかすだらけの丸顔。尖った小さな鼻に、茶色の小さな目。
 アティナルは首を傾げた。
(なんだか、顔が違うわ。さっきまでよりも、どこか変よ)
「あなたは、マルティ・ベリオなの?」
 アティナルが声をかけると、男は急に飛び起きた。アティナルに向かってニタッと笑いながら、口を開く。
「ああ、もちろんだよ。僕の可愛いお人形さん」
 アティナルはぞっとして鳥肌を立てると、手を握りしめて叫んだ。
「いつまでも夢を見ているんじゃないわよ。あなたの望むお人形みたいな女の子なんて、世界のどこにもいないんだから!」

 (続)   

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