虹の冠  第39話(30.Nov.2003 UP)

 マルティは目を瞬いて、驚いたようにアティナルを見つめている。アティナルは続けて叫んだ。
「周りをよく見なさい」
 折れた枝をぶら下げたままの木。森の中を切り開いたように、なぎ倒されて横たわっている木々の山。
 涙のような樹液を流し続ける折れた幹。森の中に道のように残っている、天の蛇の胴体の通った痕跡。
(森も、泉も、もう元通りにならないんだわ)
「みんなあなたが悪いのよ!」
 アティナルの宣告に、マルティは息を呑んだ。アティナルを見つめながら震え声で言う。
「僕が?」
 アティナルはぴしゃりと言った。
「そうよ。決まっているでしょ」
「僕はどうしてここにいるんだろう? なんだか、ずっと長い夢を見ていたような気がする」
 マルティは独り言のように呟いた。アティナルはイライラしながら言う。
「ただの夢じゃないわよ。覚えていないの? あなたが神のかけらを使ったから、こんなことになったのに」
「神のかけら……。そうだ。願いを叶えたくて埋めてみたんだった」
 マルティは首をひねると、アティナルをうっとりと見ながら続けた。
「そうか、願いが叶ったんだ。だから、姫様がここに居るんですね」
 アティナルは呆気にとられて、マルティを見た。マルティは熱い眼差しでアティナルを見つめながら言う。
「ああ、二つに結った髪型もお似合いですね。ほつれたような後れ毛がまた、なんともいえない雰囲気で……」
「嫌だ。何言うのよ!」
 アティナルは蒼ざめると、じりじりと後ろに下がった。
「アティ様ぁ、大丈夫ですかぁ?」
 エレナが素早く近づいて、さっとアティナルを隠すように前へ出る。アティナルはホッとして、エレナの背中にしがみついた。
「あらあらアティ様ぁ」
 エレナは笑顔で言うと、マルティを睨むように見ながら続けた。
「そうですわねぇ。この方にはぁ、何を言っても無駄みたいですからぁ、ベリオ家とぉ、交渉することにしたほうがよろしいかとぉ思いますぅ」
「そうね。そうするしかないわね」
 アティナルはため息混じりに言った。
「話は済んだのか?」
 レフィコが淡々と訊く。アティナルは振り返って頷いた。
 レフィコはマルティに近づくと、マルティの襟元をつかんだ。
「な、何だお前は。何をする!」
 マルティは裏返った声で叫ぶ。レフィコはぐいっと手を持ち上げてマルティを宙へ浮かせると、ぱっと手を放した。
 マルティは悲鳴を上げながら、もんどりうって地面に倒れた。
 レフィコはマルティを見下ろしながら、押し殺したような低い声で訊く。
「書物はどこだ?」
 マルティは落ち着かない目でレフィコを見あげて、問い返した。
「書物?」
「『神のかけら』について書かれた書物だ」
 レフィコが重々しく言う。マルティは首を横に振りながら口を開いた。
「知らない。そんなもの、知らない」
 レフィコは薄紫色の双眸で、冷たく見下ろしている。マルティは重ねて言った。
「本当に知らない。見たこともないんだ。信じてくれ」
「でも、エチセリアの呪術師は、あなたが盗んだって言っていたわよ」
 アティナルが言うと、マルティは目を大きく見開いて叫んだ。
「盗むだなんて、とんでもありませんよ! 姫様。僕はただ、エチセリアの呪術師から『神のかけら』を買っただけですから」
「買った?」
「買っただと?」
 アティナルとレフィコは、同時に叫んで顔を見合わせた。
「まぁあ、なんていうことでしょうかぁ」
 エレナが少し遅れて、のんびりと言う。
「あいつね。あのトゥパクから買ったのね」
 アティナルはそう言いながら、口ひげを生やしたトゥパクのいやらしい笑みを思い浮かべて寒けを覚えた。
 マルティが首を傾げて、口を開く。
「ええ。確か、そんな名前だったような気がしますよ」
「あいつ、何で盗まれたなんていったんだろうな」
 ラスカが首をひねりながら言った。レフィコが淡々と言う。
「恐らく、書物も誰かに売ったのだろう。それを、盗まれたことにしておいて、他の呪術師に言いふらしたのだろうな」
 アティナルはわなわなと肩を震わせながら叫んだ。
「呪術師のくせに、何て奴なの!」
「トゥパクさんはぁ、こういう結果になるってぇ、予想つかなかったんでしょうかぁ」
 エレナがのんびりと言う。アティナルは首を傾げると、眉を寄せて応えた。
「無理よ。だって、トゥパクについている精霊は『銀貨』っていう名前なんだもの」
「そういうことだ」
 レフィコはぶっきらぼうに言うと、山高帽の縁を跳ね上げて、ちらりと空を見た。再び目深に帽子を被って、不機嫌に言う。
「そろそろ行くぞ。ぐずぐずしていると暗くなる」
「まぁあ、そうですわぁ」
 エレナが空を見あげながら、ゆっくりと言う。
「そうね」
 アティナルは小さく呟いて、泉を見つめた。
 泉の水量は、半分ほどに減ってしまっている。畔にある紫水晶の山だけが、やけにキラキラと光を放っていた。
(現れたばかりの果物の山は残っていないわ……)
「そういえば、天の蛇は消えたのよね。白鳥はどうなったの?」
 アティナルの問いに、ラスカが指さしながら言う。
「白いでかい鳥なら、四枚翼の鳥と一緒に居るぜ」
 アティナルはラスカの指す方を見た。樹木の根元に、翼を広げた白鳥と、二枚の翼を広げて残りの二枚の翼を閉じたままのコンドルがいる。
「この鳥たちは残ったのね?」
 アティナルの問いに、レフィコがぼそりと言う。
「ああ。繰り返し夢に見られたのだろう」
 アティナルは首を傾げて訊いた。
「あの鳥たちはどうなるの? ここで無事に生きていけるのかしら?」
 レフィコはちらりと二羽の鳥を一瞥すると、そっけなく言う。
「無理だろう。ここに住むのに適していない、不自然で歪んだものたちだ」
「そんなの可哀想よ。どうにかできないの?」
 アティナルはレフィコを見つめながら訊いた。レフィコは抑揚のない調子で淡々と言う。
「自然を生き抜く力のない命は、消えるしかない」 
「そんなの酷いわ。私が連れて行くから!」
 アティナルは力いっぱい叫んだ。レフィコはため息をつくと、呟く。
「好きにしろ。だが、時間がかかるようなら置いていくぞ」
 アティナルは急いで鳥たちの方へ駆け寄った。二羽の鳥は逃げることもなく、首を上げてアティナルを見つめている。
 アティナルはそっと手を伸ばして、白鳥とコンドルの首を撫でた。滑々とした感触は、前にも触ったことがあるように思えた。
「さあ、私の後をついてくるのよ」
 アティナルが歩きながら言うと、二羽の鳥は広げた翼でバランスをとりながら、よちよちとついてくる。
「慣れているもんだな。すげぇなぁ」
 ラスカがやけに感心したように言う。アティナルはにっこりと笑って言った。
「なんか、前からこの子たちのことを知っているような気がするの」
「行くぞ」
 レフィコは宣言すると、さっさと歩き出した。そのすぐ後ろを、二羽の鳥を引き連れたアティナルが歩いていく。次にエレナ、最後にラスカの順番だ。
 一人泉の畔に取り残されたマルティは、情けない声で叫んだ。
「ま、待ってくれ、君たち。姫様、僕を置いていかないで〜!」


 うっそうと茂った森を歩いて五日。一行はようやく森を抜け、石の道に出た。
「ああ、ようやっと見覚えのあるところに出たな」
 しんがりを歩くラスカが、大きく伸びをしながら大声で続ける。
「ここを行くとあの『彷徨う街』に出るだろ」
 先頭のレフィコが、ぴたりと立ち止まった。振り向きながら口を開く。
「覚えているならちょうどいい。後はお前に任せる」
「え?」
 すぐ後ろを歩いていたアティナルは、目を見開いてレフィコを見つめた。
「いきなり何を言い出すの?」
「俺はエチセリアに用事がある。お前たちはこのまま道を行き、丘陵地帯を回って南方街道へ出るといい」
 レフィコはそういうなり、駆け出した。背中で銀の髪が尾のように揺れている。
「あ、ちょっと。待ちなさいよ!」
 アティナルは叫びながら駆け出した。けれど、すぐにレフィコの背中はどんどんと離れていき、やがて見えなくなった。
「アティ様ぁ。大丈夫ですかぁ?」
 追いついたエレナが、首を傾げながゆっくりと訊く。
 肩で息をしているアティナルは、ため息混じりに呟いた。
「なんなのよ。もう」
「仕方がないですぅ。先を急ぎたいみたいでしたからぁ」
 エレナが笑顔を浮かべて、のんびりと言う。アティナルは頷いて応えた。
「そうね。マルティが歩けないおかげで、ずいぶんと時間がかかったもの」
 息を切らせながら歩いてきたマルティが、目を輝かせて言う。
「姫様。僕の名前を呼びましたか? 呼びましたよね。聞こえましたよ」
「うるさいわね。あなたは、鳥の後ろを歩くようにって言っているでしょ」
 アティナルは顔をしかめて叫んだ。
 白鳥が鳴き声を上げながら、必死に道を歩いてくる。そのすぐ後を、コンドルがよろよろと追いかけてくる。
「ほらほら。いきなり走ったりすると、この鳥たちが大変だぜ」
 ラスカは一番後ろをゆっくり歩きながら言った。アティナルはため息混じりに呟いた。
「そうね。ゆっくり行くしかないのよね」

 
「彷徨う街」を出てから三日後。アティナルたちは石畳の道を歩いていた。
 アルパを背負ったラスカが先頭を歩き、次がアティナル。その後ろを白鳥とコンドルがついて行く。
 次にエレナが、マルティを引っ立てながら歩いていた。休憩中に一度逃げ出そうとしたマルティは、腰に紐を巻かれている。そして、逃げ出せないように、いつもエレナかラスカに引っ立てられていた。
 先頭を歩くラスカが、弾んだ声を出す。
「街が見えるぜ。もうすぐだ」
 アティナルは顔を上げて、目を輝かせて言った。
「今日は久しぶりに、屋根のあるところで眠れるのね」
「えぇえ。そうですわぁ、アティ様ぁ」
 エレナがゆっくりと言う。腰に紐を巻かれて、エレナに引っぱられながら歩いているマルティが、情けない声を出した。
「あのぅ。この紐は取ってもらえないんでしょうかね」
「当たり前でしょ」
 アティナルは振り向いて、ぴしゃりと言う。マルティは手を握り合わせて懇願した。
「ああ、姫様。どうか、どうか、お慈悲を」
「マルティさぁん、何度言ったらわかるんですかぁ? 『アティ様』とお呼び下さいとぉ、何度も申し上げたはずですけどぉ」
 エレナが笑顔を張り付かせたまま、マルティを振り返って言う。マルティは蒼ざめると、口を開いた。
「すみません。そうです、そうでした。これからは気をつけますから、どうかこれを外してくださいよ」
 アティナルはマルティを無視して、ずんずんと歩いていく。マルティは尚も言い募った。
「どうか、アティ様。お願いしますよ。だいたい、鳥が繋がれていないのに、僕が繋がれているなんて変じゃありませんか」
 その時ちょうど街から出てきた旅人たちが、アティナルの後ろを歩いている鳥たちを見て歓声を上げた。
 好奇の目でじろじろと見つめながら、すれ違う。
「ほら。変な目で見られていますよ。僕のような身なりのいい、育ちのいい男を繋いでいるからですよ」
 マルティは囁くように言った。アティナルは後ろを振り返りもせずに、言い放つ。
「馬鹿じゃないの。誰もあなたなんか見ていないわ。今までにすれ違った人たちも、みんな鳥たちを見ているのよ!」
「そうですかね。僕を見ているんだと思いますけどね」
 マルティは不満そうにぶつぶつと呟いた。
 一行はようやく石門を通って、街の中へ入った。
「さてと。宿を探したほうがいいか」
 ラスカはきょろきょろと辺りを見回しながら呟く。
「私が探してきますからぁ。マルティさんを押さえていてくださいぃ」
 エレナはのんびりと言いながら、マルティを引っぱっていた紐を素早くラスカへ手渡した。
 二人の幼い子供が、怖々とアティナルの側へ近づいてきた。アティナルの後ろの二羽の鳥を、物珍しそうに見つめながら言う。
「うわー。真っ白な鳥だ」
「どうしてこの鳥は歩いてるの?」
 二人の子供に話しかけられて、アティナルは眉を寄せた。
(何て言ったらいいのかしら)
「確か、白鳥って言うんだよな」
 ラスカがアティナルに確認しながら言う。アティナルはにっこりと笑って、口を開いた。
「ええ、そうよ。珍しい鳥なの」
「ふ〜ん。すっごいねー」
 一人が頷きながら言う。もう一人が、興奮して叫んだ。
「あれ、こっちの鳥は翼が四枚もあるよ!」
 通りに居た数人の大人たちが振り向いた。
「おお、本当だ」
「もしかして、伝説に出てくる鳥じゃないか?」
 家の中からも人々が出て、通りに集まってきた。
「やけに大人しいもんだな」
「あんたがたは一体、何者だね?」
「どこからこの鳥を連れてきなすった?」
 アティナルたちは、ぐるりと周りを取り囲まれてしまった。
「うわ。こりゃすげぇな。一体どうすりゃいいんだ?」
 ラスカがアティナルの耳元で囁く。アティナルは首を振りながらぽつりと言った。
「わからないわ」
(困ったわ。こんなときにエレナったら、どこまで行ったのかしら)
「はぁい。道をあけてくださぁ〜い。通してくださ〜い!」
 エレナの声が凛と響いた。
 人垣が二つに割れて、エレナを先頭に数人の男女が歩いてくる。
 一人の男が、口火を切って言った。
「アティ様! ご無事だったんですね」
 女が大げさに両手を合わせて言う。
「本当に良かったですわ。さあ、お疲れでしょう。こちらでゆっくりとお休み下さい」
「どうなっているの?」
 アティナルが眉を寄せて言うと、エレナはにっこりと微笑んで口を開く。
「待機していた護衛の方々ですわぁ。これでもう、すっかり安心ですからぁ」
 アティナルは首を傾げた。
「どうして? 何でそんなことになっているの?」
「大人しくこっちへ来い!」
 マルティがぐいぐいと紐を引っぱられながら引っ立てられていく。アティナルが振り向くと、ラスカがぽりぽりと頭をかきながら突っ立っていた。
「ラスカは? ラスカはどうなるの?」
 アティナルが訊くと、エレナはにっこりと微笑んで口を開いた。
「えぇえ、もちろんお部屋を用意しておりますわぁ。お礼も準備しておきますしぃ、今夜はお酒でも飲んでくつろいでくださいぃ」


 どこかで戸のきしむ音が鳴っている。アティナルは暗闇の中でぼんやりと目を覚ました。
 そっと起き上がって、窓を覗く。空は群青色。辺りはまだ薄暗い。夜明け前のようだ。
 アティナルは窓に顔を近づけて、通りを見下ろした。
 ぽつりと人影が見える。背中に何かを背負って、ゆっくりと通りを歩いていく。
(ラスカ!?)
 アティナルは手探りで服を探すと、急いで頭から被った。大あわてで靴を探して、やっとのことで履くと忍び足で部屋を抜け出す。
 階段を降りて外へ飛び出す。通りに人影はない。
 アティナルは人影の歩いて行った方へと駆け出した。金の髪がうねりながら横へ広がる。
(私に黙って行っちゃうつもりだったの?)
 アティナルは顔を真っ赤にして、必死に走った。静まり返った街に、靴音がやけに高く響く。
 やがて、前方に小さく人影が見えた。アルパを背負った男の背中だ。
(あの背中は、やっぱりラスカよ)
 アティナルがそう確信したとたんに、男がぴたりと足を止めた。くるりと振り向く。
 ラスカは青灰色の目を細めてアティナルを見つめると、ぼさぼさの髪をかきあげながら言った。
「嬢ちゃんか。一人で出歩いたりしちゃだめだろ」
「だって……、ラスカが」
 アティナルは荒い息を吐きながら、ラスカに近づいて行った。
「……行っちゃうから」
 息も切れ切れに言うアティナルの頭を、ラスカはそっと撫でながら訊いた。
「どうしてわかったんだ?」
「だって、夕べ変だったもの。あんなに好きなチッチャをぜんぜん飲まなかったし、頼まれた演奏だって断っていたじゃない」
 アティナルは一気にまくし立てた。ラスカはアティナルの頭から手を離すと、頷きながら言う。
「そういや、そうだよな。でも、よく見ているもんだな」
「どうして? エレナの言っていた礼金だってまだ貰っていないのに、もう行っちゃうの?」
 アティナルが首を傾げて言うと、ラスカは笑いながら口を開いた。
「そうだな。金ならもう充分に貰っているし、今回はなかなか珍しい思いをさせてもらったから、それで充分さ」
「そう……。それで、どう? 新しい歌は創れそうなの?」
 アティナルは無理に明るい声を出して訊いた。ラスカはにっと笑って、口を開く。
「ああ。できそうな気がするぜ。銀の髪の呪術師の話と、神のかけらの話、それから、冒険をするお姫様の話さ」
 アティナルは目を輝かせて言った。
「私も? 私も歌に出してもらえるの?」
「ああ、もちろん。世間知らずでお転婆で、勇敢なお姫様の活躍する話さ」
 ラスカが笑いながら言う。
「あら、世間知らずでお転婆ってところが余計よ」
 アティナルは笑いながら、真顔になって付け足した。
「でも、歌ができたら絶対に聞かせてね。約束よ、ラスカ」
 ラスカはぽりぽりと頭をかきながら頷いた。踵を返して、アティナルに背中を向けると、歩き出しながら口を開く。
「いつか俺の創った歌がお姫様のお耳に入るように、がんばりますか」
 アティナルは顔を真っ赤にして言った。
「そういうことじゃないわよ。私は、ラスカの歌を直接聞きたいって言っているの!」
 ラスカは振り向くと、ひらひらと手を振って、再び前を向いて歩いていく。
 アティナルはラスカの背中に向かって叫んだ。
「約束だからね!」
 ラスカの背中がどんどんと小さくなっていく。アティナルはいつまでも見つめ続けた。
 やがてラスカの姿は、薄闇の中に溶けるように見えなくなった。
「大丈夫ですかぁ、アティ様ぁ」
 すぐ側で声がして、アティナルは目を見開いた。エレナの姿が滲んで見える。
「まぁあ、アティ様ぁ」
 エレナはのんびりと言いながら、素早く布を取り出してアティナルの涙を拭いた。


 暖炉で赤々と炎が燃えている。テーブルに載せられた陶製のカップから白い湯気が立ちのぼる。
 レクトルはゆっくりと上体を起こして、クッションにもたれかかった。
 旅の話を終えたアティナルは、テーブルに手を伸ばしてカップを手に取った。椅子に深く座りなおして、甘いチョコラーテを一口飲む。
 レクトルは金茶色の長い髪をかきあげて、掠れ声で訊いた。
「それで、白鳥と四枚翼のコンドルはどこにいるんだい?」
 アティナルは青緑色の瞳を大きく見開いて、ふっくらとした唇を開く。
「今まで森にいたから、中庭がぴったりだと思ったの。でも、まだ外は寒いでしょう?」
「そうだな」
 レクトルはちらりと窓の外を見つめた。高原地方の早春はまだまだ寒い。新芽の芽生えはまだ遠く、寒風が窓を揺らしながら通り抜ける。
「だから、今はお部屋の中にいるのよ。暖かくなったら外に出してあげるの。本当はね、どちらも寒い所の鳥なんだって。でも、あの二羽はセルバ生まれだから、寒さに弱いかもしれないって父さまが言っていたわ」
 アティナルは一息に喋って、チョコラーテを飲んだ。
「暖かいセルバの離宮で飼ったほうが良かったんじゃないのか?」
 レクトルの言葉に、アティナルは顔を上げた。
「でも、そうしたら兄さまに見せられないもの。それに、二羽とも私の後をついて来たがるの」
 アティナルは首を傾げて、付け足した。
「父さまの話では、二羽とも創られたときから、私に従うようにできていたんじゃないかって言うのよ」
 レクトルは身じろぎをすると、息を吐き出しながら口を開く。
「そうか。マルティ・ベリオが夢の中で、アティナルを喜ばせるために生み出した鳥だったわけだ」
 アティナルは頷いて、すっかり冷めた残りのチョコラーテを喉に流しこんだ。
「そのマルティ・ベリオはどうなったんだい?」
 レクトルが首をひねって訊く。アティナルは目を見開いて、早口で応えた。
「父さまがマルティの不始末をベリオ家に伝えて、採掘場で働かせられていたモラド族を解放させたのよ。でも、聖なる泉や森中をめちゃくちゃにしてしまったんだもの。もっと色々要求しても良かったと思うわ」
 レクトルは苦笑しながら言う。
「私の見た勝手な夢も、森を壊してしまったわけだ」
 アティナルはカップを両手で握りしめながら言った。
「違うわよ。マルティが『神のかけら』を埋めたから悪いんだもの。兄さまは全然悪くないわ」
 レクトルは苦笑いを浮かべて、テーブルに手を伸ばした。水差しを持ち上げて、ガラスカップに注ぐ。
 レクトルは水を飲むと、口を開いた。
「ところで、『神のかけら』は最後にどうなったんだい?」
 アティナルは眉を寄せて、言った。
「『神のかけら』はすっかり枯れていたわ。夢が弾けた後で、森の中に何箇所も枯れた木があったのよ。そしてね、マルティが埋めた場所には、種が一つ残っていたの」
「そうか。それじゃあ、まだ危険なものが残っているんだな」
 レクトルは眉を寄せて言う。アティナルは首を傾げて、明るく応えた。
「大丈夫。レフィコがちゃんと保管しているはずよ。もう、夢に見たり見られたりすることはないわ」
「そう。それならいいな。あの時は、体調も悪くて、起きていても眠っていても、ずっと悪い夢を見続けているような気がしていた」
 レクトルはそう言って、カップの水を飲み干した。
「兄さまも、大変だったのね」
 アティナルはため息混じりに言うと、首を傾げると続けた。
「私は、夢に見られる存在になったまま、夢と一緒に消えちゃうかもしれないと思った」
「『夢に見られる存在』か。そういえば、何かの本に書いてあったな」
 レクトルはそこで言葉を切ると、青い瞳でじっとアティナルを見つめた。
「なあに。兄さま?」
 アティナルが首を傾げながら言う。
「『王とは、はかない虹の冠を戴いた姿をもって臣民に夢見られるもの』なんだよ」

 End   

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