銀竹彩

「カフィールさん、頼みますって」
 声をひそめながら、アージュは懐から陶製の酒瓶を取り出した。
「無理だよ。明日の夜が当番なのに、今夜もじゃあ、寝る時間がない」
 答えながら、ついついアージュの手元に目がいってしまう。
 アージュの持ってくる酒は、この田舎町では手に入らないものが多い。彼の実家は酒屋なのだ。
 アージュはこちらを見透かしたかのように、酒瓶を俺の目の前で振って見せた。
「これ、南方の珍しい酒なんですよ。竹の風味がついてるんです」
「竹は珍しいな。この辺りには生えてないから」
 そう答えると、アージュはにんまりと口を歪めた。
「今日の夜番を代わって貰えるなら、お礼にこれを」
「しかし…」
 言いよどんだ俺を遮って、アージュが続けた。
「大丈夫ですよ。明日の昼は僕が代わりますから。先輩は昼の間に寝ていればいいんですよ」
 勝手なことを言う。
 俺は咳払いをすると、アージュを睨みつけた。
「明日の夜番と交換だな。もちろん酒つきでだ」
 アージュの顔が、みるみる赤みを帯びた。
「ひどいですよ。今日はどうしても行かなきゃないのに!」
「だから、明日の夜にやれと言ってるんだ」
 俺の言葉に、アージュは両手で顔を覆った。
「明日の夜はお祭りですよ! ずっと前から予定があるのに…」
 ああ、そういえばアージュは、粉屋の娘と付き合っているんだっけ。
 一緒に見物でもする約束があるのか。
「じゃあ、素直に今日、夜番をすればいいだろう」
 アージュは顔を覆ったまま、哀れな震え声を出した。
「だめです。キーマが、首を長くして待ってるってのに」
「キーマだって! 粉屋んとこはどうしたんだ? 別れたのか」
 アージュは顔から手を放して、目を瞬いた。
「まさか。ちゃんと明日の夜に会いますよ」
 平然と言い放つアージュの言葉に、俺は言葉を失った。
 こいつ…。
「だから、今夜も明日の夜もだめなんですよ。カフィールさんは、どうせ、暇なんだから代わってくれてたっていいじゃないですか。これ、差し上げますから」
 アージュは、酒を俺の腕に押し付けた。
 どうせ、暇…。
 そうだよ。どうせ。
 どうせ、俺には一緒に過ごすような相手なんかいないし…。
「それじゃあ、よろしく〜!」
「あ、待てよ!」
 気が付いた時には既に、アージュは外へ飛び出していた。
 
 
「あいつも馬鹿だよな。こんな狭い村なんだから、すぐにどっちにもばれるに決まってんのに」
 ぼやいてから、負け惜しみなことに気づいて俺はため息をついた。
 アージュは村中の女の子にモテる。
 同じ警備師だというのに、ずいぶんな差だ。
 このあたりでは珍しい、南方の浅黒い肌色と彫りの深い顔立ちが魅力なのだろうか。
 ふと、アージュの出て行った扉を見ると、床に吹きこんだ粉雪が残っていた。
 酒で体を温めたほうがいいか。
 俺は酒瓶を撫でた。
 栓を開けると、つんと青臭いような香が鼻を刺す。
 なるほど。竹の香りはこんな風だったか…。
 ほんの数回しか見たことない、竹の姿を思い浮かべる。
 俺は瓶に直接口をつけて、酒を喉へ流しこんだ。
 香りが口いっぱいに広がる。
 嗅いだよりも、ずっとすがすがしくさっぱりしている。
 瓶から口を離すと、自然と笑みがこぼれた。
 この酒があれば、二晩くらい平気なような気がしてくる。
 いやいや、それじゃあ、アージュの思う壺だ。
 栓をして、一応戸口から見えない場所に瓶を置くと、ストーブに薪を放った。
 炎は形を変えて、舐めるように薪を飲みこんだ。
 前はいつも、この炎を見ていた。
 俺は苦笑いを浮かべた。
 王国の平和を守る「警備師」だということに、以前は誇りを持っていた。
 試験で選ばれ、訓練を受けたのだという、自負もあった。
 正義感も持っていた。
 けれど、今では、当たり前のように、仕事場である詰所の中で酒を飲んでいる。
 一晩中起きていなければならない「夜番」なのに、眠くなったら寝てしまう。
 この村へ来たばかりの頃は、一晩中起きて見張っていた。
 特に冬は。
「寝ててもいいんだよ。みんなそうしてるから」と先輩に言われても。
 雪が積もると、夜が明るい。
 闇に閉ざされたほうがいい。
 他の季節には寝てしまっても、冬は必ず起きていた。
 長い冬の夜には。
 風の吹く夜はいい。木立の音がするから。
 吹雪くと、うるさいくらいに。
 雪の降る夜はまだいい。小さな音がするから。
 降るさまを見ている間に朝が来る。
 晴れ渡った夜はだめだ。静かすぎる。
 吹雪が止んだときにも。
 月が明るい夜は特に。
 窓の外を見ても、何も聞こえない。何も動かない。何も変わらない。
 どこまでも白い世界。
 窓に背を向けて、ただ火だけを見張りつづける。
 薪が燃えつきないように。
 炎の音や暖かさを感じながら。
 積んでおいた薪の数を数える。
 夜の間に薪が尽きてしまわないだろうか。
 いつも不安だった。
 夜がいつまでも終わらないような気がしていた。
 
 前に誰かが言った。
「静かなのが怖いのは、喧騒の中で育ったからじゃないか」と。
 そうかもしれない。
 王都に程近い町の、繁華街の傍に家があった。
 昼のほうが静かなくらいで、夜はいつも賑やかだった。
 互いに関心を持たなくても、知らない人が通り過ぎるだけでも、物音があればいい。
 誰かの存在を感じることさえできれば。
 
 ふと、アージュの姿が思い浮かぶ。
 今年の春にここへ来たばかりなのに、村にずい分馴染んでいる。
 今ごろは暖かい部屋の中で、つんとした美人のキーマと過ごしているのだろうか。
 俺はため息をつくと、立ち上がった。
 広場へ面している丸い小窓へ近づく。
 雪は止んだようだ。
 ふと、雷塔にどのくらい雪が積もったのか気になった。
 雷塔は明日の祭りの主役だ。
 粉雪なら積もらないはずだけれど。
 外を覗きこむ。
 雷塔は見えない。
 じっと見ていると、雪面で何かが光った。
 額を厚ガラスに押し当てて、目を凝らす。
 まただ。
 何かが青く光った。
 青い光なんて…。
「まさか!」
 ガラスが白く曇る。
 あわててガラスを拭って覗きこむ。
 もう、何も光らない。
「…気のせいだよな、きっと」
 口に出して言ってみる。
 酒に酔ったのかもしれない。
 俺はストーブの傍へ行くと、毛布を被って背中を丸めた。

「おはようございます!」
 大声と共に、勢いよく扉が開いた。
 俺は眠い目をこすりながら、入ってきた少年を見つめた。
 布包みを両手に抱えて、腰に藁で包んだ筒を下げている。
「ああ、ジズルか。おはよう」
 そう言って俺は毛布を被った。
 眠くてたまらない。
「あれ、カフィールさん? ってことは、アージュさん、またサボってるんですね!」
 ジズルは大きな声で言いながら、俺から毛布をはぎ取った。
「だめですよ、カフィールさん。宿舎に戻って眠ったほうがいいですよ」
 ジズルがもっともなことを言う。
「でも、今日の昼番でもあるんだよ。夜番がアージュだから、ここに居ないと」
 そうだ。そうでないと、今夜もここに居なければならないじゃないか。
「無茶ですよ。それに、アージュさんのことだから、今晩もきっと女の人と約束してますよ。一緒にお祭りを見ようって」
 ジズルの言葉に、俺はため息をついた。
 今夜はサルジュ・イードゥの日。
 雷塔に飾りをつけて、年に一度のにぎやかな祭りが繰り広げられる。酔っ払いがあふれて、けんかや小競り合いが起こる、一年のうちで最も警備師が忙しい日だ。今日の夜番は所長と二人で行い、雪の中を歩き回らなければならない。
「勘弁してくれ」
 俺がぼやくと、ジズルは布包みを押し付けてきた。
「冷めないうちにどうぞ」
 朝食だ。
 ジズルは毎朝、食堂から警備師詰所へ食事を運んでいる。
 将来、警備師になりたいのだという。
 俺がひざの上で布包みを広げると、ジズルは木製の椀に藁筒の中身を注いだ。
 ジズルは明るい笑顔を浮かべて、椀を差し出す。
「はい」
 俺は黙って受け取ると、暖かいスープを喉へ流しこんだ。
 体の芯から暖かくなるのを感じる。
 懐に昨晩の竹酒をしまいながら、前々から疑問に思っていたことを口に出した。
「毎日、俺みたいなだらけた警備師の姿を見ていて、幻滅しないか」
 ジズルは目を見開いて、首を傾げながら答えた。
「それは、まあ、警備師にもいろいろな人がいるんだってことが判りましたよ。けど、僕は僕の理想の警備師になれればいいと考えているんです」
「あ、でも。カフィールさんはだらけてない真面目な警備師だと思いますよ」
 そう付け加えて、ジズルは笑った。
「真面目な警備師ねぇ」
 俺は苦笑いを浮かべた。
 ちょうど食事の済んだ頃に、大あわてのアージュが駆けこんできた。
「カフィールさん。交代しますから、休んでてくださいよ」
 俺はため息をついて、ジズルと一緒に詰所を出た。
 雪を蹴り散らしながら広場を通っていく。
 広場の中央に聳え立つ雷塔が、陽光を反射して眩しい。
 俺は目を細めて見上げた。
 氷に包まれた金属の柱が何本も天に向かって伸びている。
 柱は一番高い天辺で一つに集まり、歪んだ形の支柱が互いを支えている。
 何に使われていたのか、何で出来ているのかさえ判らない塔。
 よく雷が落ちることから、いつしか雷塔と呼ばれるようになったのだという。
「今年も大きな氷柱ができてますね」
 ジズルが支柱から垂れ下がる大きな氷柱を指差して言った。
 氷柱から滴り落ちる水滴が、雪面に大きな水溜りを作っている。
「そうだな。今年の祭りも何事も無く終わればいいんだが」
 俺が呟くと、ジズルは眉を寄せた。
「実は、夕べ変なものを見たんです。僕」
「変なもの?」
「はい。夜中に厠に起きたときに、青く光るものを見たんです」
 ジズルの言葉に、俺は胸騒ぎを覚えた。
 少年の家も、広場に面している。
 もしかして…。
「広場で?」
 俺の言葉に、ジズルは身を乗り出した。
「カフィールさんも見たんですか! 良かった。誰に言っても信じてくれなくて」
「いや、その。見間違いかと思ったんだが」
 俺の言葉に、ジズルは激しく首を振った。
「そんなことありませんよ。僕も見ました。光はだんだん近づいてきて、ぼんやりと女の子の姿になったんです」
 俺は首を傾げた。
 女の子だって?
「俺が見たのは、ただの青い光だったが…」
 ジズルは首をひねった。
「だんだん僕の家のほうに近づいていたから、詰所からは少し遠いですもんね」
 そして、残念そうに付け足す。
「惜しいなぁ。カフィールさんも見ていればすぐにわかったのに」
「何が?」
 俺の言葉に、ジズルは手招きして耳を近づけるように合図した。
「何だ?」
 体を屈めると、ジズルは声を潜めて言う。
「『遺宝』ですよ、きっと」
「なんだって?」
 思わず大声を出すと、ジズルがあわてた。
「だめですよ、カフィールさん。静かに」
 聞き間違いかもしれない。
「もう一度言ってくれ」
 ジズルは再び『遺宝』だと繰り返した。
「まさか、そんなはずないだろう」
 俺の言葉に、ジズルは残念そうにうな垂れた。
「だから、カフィールさんも見ていれば、すぐに判ってもらえたのになぁ」
「だが、『遺宝』があるなんて、誰も信じないぞ」
 俺の言葉に、ジズルは口を尖らせた。
「父も兄たちも口を揃えて言ってましたよ。全ての『遺宝』は王都に集められた。町の中から地面の下まで探し尽くされて、もう、残っているのは動かない遺物だけだって」
 そう。今もどこかに「遺宝」が眠っているなんて考えは、もうおとぎ話でしかない。
 王都の研究施設以外に「遺宝」はない。子供でも知っている事実だ。
「俺もその通りだと思うよ」
 俺の言葉に、ジズルは握りこぶしを振り回す。
「でも、埃に埋もれた遺物が、何かの拍子で動き出すことがあるって聞いたことがありますよ」
「それは、二十年位前の話だな。どこかいじったくらいで動く遺物なら、とっくに調べて王都へ行っているさ」
 ジズルは大きなため息をついた。
「カフィールさんも、その辺の大人とたいして変わりないんですね」
 捨て台詞のように言い残して、ジズルは走り去った。
 
 その辺の大人って…。
 やれやれ、これまで何だと思っていたんだろう。
 俺は苦笑いを顔に張り付かせて、宿舎へと雪道を歩いていった。

 灯りを持った人が次々と窓の外を過ぎる。だいぶ人が集まってきたようだ。
 そろそろ祭りが始まる。
「見回りに行ってきます」
 頷く所長を残して、俺は詰所を後にした。
 
 雷塔の飾りつけはすっかり終わったようだ。
 赤や青の細長い布が、柱に巻かれ垂れ下がっている。布の結び目には、黄色の実がついた小枝が挿され華やかだ。
 なぜ雷塔を飾るのか、今はもう誰にもわからないのだという。祭りの目的も意味もわからずに、ただ浮かれ騒ぐ夜。
 既に酒を飲んでいるのか、焚き木を囲む男たちの顔は赤い。
 鮮やかな模様の編みこまれた毛糸の帽子を被っている子供たちが、はしゃいで雪を散らしながら走り回っている。
 広場の端をゆっくりと歩いて行くと、香ばしい匂いが漂ってきた。
 食堂だ。
 炙った鶏の匂い。それとも、燻した腸詰の匂いだろうか。
「カフィールさん」
 呼び声に振り向くと、ジズルが立っていた。
「何だ?」
 ジズルは近寄って背伸びをすると、俺の耳に小声で囁く。
「見つけたんですよ。昨晩の女の子」
「女の子…?」
 俺の言葉に、ジズルは眉を寄せた。
「昨日、青い光を見たでしょう? その時に光っていた女の子」
「…ああ」
「確かめに行きましょうよ!」
 ジズルは俺の返事も聞かずに俺の服を引っ張った。
「ああ、判ったって。伸びるから止めろ」
 俺は足早に歩いていくジズルの後ろを、黙ってついていった。
 白い布を肩に掛けた少女が、村人の輪から少し離れた場所に立っていた。
 頭をすっぽりと覆う赤い帽子の下から、茶色の長い髪の毛が覗いている。
 厚い毛糸の手袋をした両手で何を持っているのか、一生懸命大きな黒い瞳で覗きこんでいる。
 年の頃は十三、四歳くらいだろうか。
「どう見ても、普通の娘だがな」
 ぼそりと言うと、ジズルが口を尖らせた。
「この村の娘じゃありませんよ」
「…それは判っている」
 どうも、ジズルが見間違ったとしか思えない。
 昨夜どこかであの少女を見かけて、夢にでも見たんじゃないだろうか。
「あっ!」
 ジズルが小さく声を漏らした。
「何だ?」
 俺の問いに、ジズルが呆れたように言う。
「今の、見てなかったんですか?」
「考えごとをしてたんだよ」
 俺の言葉に、ジズルは唸った。
「光ったんですよ、あの子の手が」
 俺は目を丸くして少女の方を見つめた。
 手が光るだって?
「きっと、遺宝を持ってるんですよ」
「まさか!」
 口をついてでた俺の言葉に、ジズルはため息をついた。
「カフィールさんが確かめないなら、今すぐ、僕が確かめて来ます!」
 そう言い捨てて、少女のほうへ大股で歩いていく。
「お、おい。待てよ」
 ジズルを追いかけようとしたとき、怒声が聞こえてきた。
 横を向くと、雷塔の近くに大きな人だかりが出来ている。
 視線を戻すと、既にジズルは少女のすぐ近くにいた。
「喧嘩だー」
「警備師を呼べ!」
 人だかりのほうで誰かが叫んでいる。
「やれやれ」
 俺は急いで人垣のほうへ歩いていった。
 中年の男二人が赤い顔をして殴りあっている。
 俺は間に割って入って怒鳴った。
「いいかげんにしろよ、馬鹿どもがっ!」
 動きの止まった二人を引き離し、雪の上に引きずり倒す。
 言っても効き目がないのは判っていても、ついつい怒鳴ってしまう。
「まだ祭りが始まったばかりだっていうのに、なにやってんだ」
 焦点の定まらない眼でぼんやりとこちらを見つめていた一人が、ふらりと立ち上がった。そのまま、聞き取れない言葉を呟きながら千鳥足で立ち去る。
 残された男は雪の上に横になると、寝息を立てて眠り始めた。
 ったく、こんな所で寝たら死ぬぞ。
「誰か、こいつを家に運んどけ!」
 見物人の中から若者が前に出ると、二人がかりで男を抱え上げた。
 
 そういえば、ジズルはどうしただろう?
 辺りを見回しても、姿はない。
 先ほどの場所には、もう少女もいないようだ。
 俺はぐるりと広場を回って、詰所へ戻った。
 扉を開けて中へ入る。
 と、アージュが一人で座っていた。
「…なんだ、粉屋の娘はどうした?」
 俺の言葉に、アージュはようやく顔を上げた。
「カフィールさん。交代しますよ」
 棒読みのように、アージュが言う。
「交代? あんなに嫌がっていたのに」
「所長にはもう話しました。今日は忙しくしていたほうが、僕にとっていいみたいで」
 力の抜けた声でアージュが言う。
 おそらく、彼女たちに二股がばれたかなんかしたんだろう。
「そうか。じゃあ、まあ、しっかりやれよ」
 俺はアージュに背中を向けて、扉を開けた。
「…お祭りなんて興味ないって、言っていたのに。キーマが…」
 ぶつぶつとアージュが呟いている。
 俺は静かに扉を閉めて外へ出た。
 さて、どうしたものか。
 そういえば、まともに祭りを見物したのは一回くらいしかないな。
 今日は酒でも飲みながら見物するか。
 先ほどの香ばしい匂いを思い出して、俺は食堂に向かった。
 どっしりとした木製の扉を押すと、程よい湿気が体を包みこんだ。
 油や香辛料の混ざり合った匂いが店内に充満している。席はほぼ埋まっていて、人々のざわめきや食器やスプーンのぶつかり合う音が辺りに響いていた。
「あれ、カフィールさん!」
 声のほうを向くと、ジズルが立ち上がって叫んでいる。
 近づいてみると、先ほどの少女が席に着いていた。
 テーブルの上には、皮付ジャガイモや腸詰が盛られた大皿が乗っている。
 あいつ、うまいことやってるじゃないか。
 俺が席を探して辺りを見回していると、ジズルがやってきた。
「カフィールさん、夜番は平気なんですか?」
「アージュがやるってさ」
 俺の言葉に、ジズルは眼を丸く見開いた。
「へぇ、珍しい」
「お前、席に戻れよ。女の子を一人にしとくもんじゃないぜ」
 少女のほうへ顎をしゃくって俺が言うと、ジズルはきょろきょろと辺りを見回した。
 誰も注目していないのを確かめてから、俺の耳元へ顔を近づけて小声で言う。
「あの子の持っているの、たぶん『遺宝』ですよ。でも、僕はあまりよく判らないから、カフィールさん見てみてください」
「えぇ!?」
 思わず大きな声を出した俺を、ジズルが睨んだ。
「一緒のテーブルに来てください。見せますから」
 
 少女は青い布の被さった、小さな平たいものを取り出した。
「タリカっていう名前です。気をつけて、落とさないように」
 俺は少女に言われるまま、両手で受け取った。
 あっけないほど軽くて、表面がすべすべしている。
 少女の温もりが移っているのか、ほのかに暖かい。
 このままでは、遺宝なのか遺物なのかわからない。この布を退けてみないと。
 俺は辺りを見回した。幸い、食事や会話に忙しくてこちらを見ている者はいない。
 だが…。
「タリカ。この人、警備師なんだって」
 少女が小声で言う。
 すると、青い布の下で微かに光が点滅し、声が聞こえた。
「警備師…。判らないな。今、思い出している。そういう職業があったかな」
 確かに、青布の下から声が聞こえた。
 こんなちっぽけなものが、言葉を…。
「カフィールさん」
 後ろからの突然の声に、俺は思わず立ち上がって振り向いた。
「ご、ごめんなさいよ、忙しくて。な、何か飲みますかい?」
 驚いた店主が、後ずさりながら言う。
「あ、ええと、蒸留酒でも」
 俺の言葉に店主は頷いて、そそくさと去っていった。
「今の、見てなかったよな」
 椅子に座りながら言う。ジズルが頷く。
「大丈夫だよ。それより、やっぱり『遺宝』?」
 ジズルが目を輝かせて言う。
「そうみたいだな」
 認めるしかない。
 俺の見たことのある「遺宝」とはだいぶ違う形だが、間違いないだろう。
「これを、どこで?」
 俺の言葉に、少女は形のいい眉を寄せた。
「物扱いしないで。タリカって呼んでよ」
「えーと。それじゃあ、タリカはどこにいたのかな」
 少女はタリカを布越しに撫でながら言う。
「おじいちゃんの物置小屋の中」
 ジズルは俺を肘で突っついた。
「ほら。眠っていたものが何かで動き出すこともあるって。僕の言うとおりだったでしょう」
 得意げに言う。
「そうだったな」
 俺はため息をついた。
 新しく「遺宝」を発見したとなると、大手柄だ。だが…。
「お前はどうする気だ?」
 俺は小声でジズルに尋ねた。
「どうって、何が?」
 ジズルはきょとんとした顔でこちらを見ている。
「全ての『遺宝』は王国の宝だ。発見者には謝礼金が与えられる」
 報告した警備師には名誉が。
 俺の言葉に、ジズルは困った表情を浮かべて、少女の方をチラッと見た。
「お金なんて別に…」
 そういえば、こいつ金持ちの三男坊だっけ。
「だめよ!」
 少女はテーブルを叩いた。
「タリカは私が守る。誰にも渡さないからっ」
 まずい。
 辺りがざわついている。
 どうやら目立ってしまったようだ。
 二人を先に立たせて、俺はジャガイモと腸詰を布に包んで懐に突っこむ。
 店主から酒を受け取って外へ出た。
 松明を手に持った少女たちが、雷塔の回りに集まっている。
 高らかにドラが鳴らされると、少女たちは歌いながらゆっくりと雷塔の周りを回り始めた。
 俺たちは、広場の隅の丸太に腰を下ろした。
「タリカは、お金になんか代えられないんだから!」
 少女はがっちりと腕の中にタリカを抱えている。
「そうだな。誰にも渡したくないなら、誰にも見せないように気をつけることだ」
 俺の言葉に、少女は大きな眼を益々大きく開いて、こちらを見上げた。
 少女はためらいがちに口を開く。
「取り上げないの?」
「…取り上げてもしょうがないから」
 俺はそう答えて、ポケットに突っこんだ布包みを取り出した。
 ジャガイモを皮付のままかじる。
「しょうがない?」
 ジズルが首を傾げた。
「ああ。所長の手柄になっちまうからね」
「でも、見逃しちゃったら、罰を受けない?」
 ジズルが心配そうに言う。
「お前さえ黙ってりゃ大丈夫だな」
 俺の言葉に、ジズルは何度も頷いた。
「絶対に言わないよ。言ったってどうせ、誰も信じてくれないしね」
「ありがとう」
 少女が笑顔を浮かべた。
 ジズルは顔を赤らめると、あわてて雷塔の方を指差した。
「ほら」
 歌が終わって、次々と雷塔の根元に松明が積み重ねられた。
 下から照らされて、氷柱が明るく輝いている。
「きれいね」
 少女がため息混じりで呟くと、タリカが点滅した。
「本当だ。こんな光景、今までに見たことがないよ」
 氷が熱で融けはじめて、滴がぽたぽたと落ちはじめた。
「あんなに見事な氷柱なのに、どうして融かしてしまうの?」
 少女が首をかしげる。
「ジズル、知ってるか?」
 俺の言葉に、ジズルは首を振った。
「タリカは?」
 タリカは点滅を繰り返し、やがて言葉を発した。
「判らない。氷柱について知っていることは、『銀竹』という別名があるということだけだ」
「『銀竹』?」
 少女は首を傾げた。
「銀色の竹か。うまい表現だな。だが、この辺に竹は生えていない」
「竹? 私、見たことがないよ。タリカは知ってるんだ」
 少女の言葉に、タリカは点滅する。
「それじゃあ、今度は竹を見に行こう。春になったら」
「そうだね。春に。それまでに、もっと色々なきれいなものを、タリカに見せてあげる」
 そう言って、少女はにっこりと微笑んだ。
「いいなぁ、仲が良くて」
 ジズルがぼそりと呟く。
 俺は頷いて、酒を口に流しこんだ。
 連中に取り上げられてなかったら、俺とあいつもこんな風だったんだろうか。
 円筒形の小さな「遺宝」
 俺は頭を振ると、腸詰をかじった。
 あいつのことなんか、いまさら思い出してもしょうがない。
 頭の中から追い払おうとするのに、まぶたから離れない。
 隠していたのに、あいつらに無理やり取り上げられた。
 体中を殴られて、謝礼金さえ貰えなかった。
 
「いいなぁ。僕もタリカみたいなのが欲しい」
 その言葉に、俺はジズルの背中を叩いた。
「そうかな? お前がタリカになりたいんじゃないのか」
「えぇっ。やだなぁ、なに言ってるんですか、カフィールさん!」
 ジズルがあわてた。
「もう、酔ってるんでしょう」
 そう言って、ジズルは俺の背中を叩き返す。
「…そうかもしれない」
 さっきから、あいつの姿が見えるから。
 
 あいつは王都で、誰かに名前を付けてもらったんだろうか。
 今も無事に動いているんだろうか。
 青紫色の長い髪。白い肌にはかなげな青い瞳。
 真っ白な翼を持った少女。
 紫色の光を放ちながら、銀色の筒の端から現れた。
 言葉を話し、動き、生きているかのようだった。
 触れることのかなわない、あの幻。

−end− 

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