「竜歌草」

 緑の林に挟まれた、一本の白茶けた道。東を見ると、道は立ち並ぶ木々の間をどこまでも真っ直ぐに続く。西は、曲がりくねって木立の影に消えていく。
 北の林は木々が太く、下草やシダが生い茂り、南の林は木々も草も細く緑の色も薄い。北側には森の一族が住まう領域があり、その影響でどんなに日照りが続いても、植物は勢いを失わないのだという。
 北側の林を、勢いよく少女が走ってきた。若葉色の長い髪と瞳、褐色の肌。灰色の樹皮のような服を着て腰から湾刀を下げている。耳から下げた薄桃色の耳かざりは、森の一族の少女であることをあらわしている。
 少女は立ち止まって、辺りをキョロキョロと見まわした。誰も居ないのを確認すると、葉を茂らせた広葉樹の幹に足をかける。一気にかけ登ると、道を見下ろせるいつもの枝に腰掛けた。
 木の枝に腰掛けて、道を行き交う人を眺めるのが、少女の日課だった。どこへ行くのか、どんな人たちなのか。想像で彼らの物語を思い描くのが、彼女の楽しみだった。

 少女の足元を、ガラガラという音と共に、赤や紫、緑色のまだら模様が通り過ぎた。こぼれ落ちそうなほど荷台に積み上げられた野菜や果物だ。東の町にあるという市場へ向かうのだろう。
 ふと、南側の林を見ると、黒服の男たちが歩いてくるのが見えた。肌の色は白い。この辺りの者ではない。恐らく西から来たのだろう。
 少女が見ている前で、黒服の男たちは木の影に身を隠した。一人…二人。草の中に身を沈めたのが三人。合わせて五人。何かを待っているのか、身動き一つしない。少女の存在には気付いていないようだ。
 音を立てないように、ゆっくりと、武器の存在を確かめる。
(あいつら、何を狙っているんだろう? もしも、大樹シエスを汚すようなことをするつもりなら、止めなくては…)
 再び道に目線を移すと、西の曲がり角から旅人風の男が現れた。と、待ち伏せている男たちが互いに目配せをするのが見えた。
 少女は目を丸くすると、心の中で呟いた。
(標的は、あの…旅人? たった独り相手に五人がかりなんて、あの旅人はよっぽど強い剣士か術者?…とても、そうは見えないけれど)
 旅人が近づいてきた。肩越しに見える背中が赤い。何か、赤いかたまりが張り付いている。…つやのある、ごつごつとした表面。
(あれは…翼!)
 少女が心の中で叫ぶのと同時に、男たちが道に飛び出していた。
「その紅翼竜を…こちらに渡してもらおうか」
 リーダー格の男が言い放った。一斉に抜いた剣先は、旅人に突きつけられ、白い光を放つ。
「危ないっ」
 少女は木から飛び降りると、湾刀を振りかざして男たちに向かっていった。
「なんだ、お前は!」
 男たちの囲みが崩れた。少女は一人の男の剣を地面に叩き落した。
「邪魔だてするようなら、容赦しないぞ!」
 そう叫んだ男の背荷物を切り払う。中から縄がこぼれ出た。反す切っ先を、その男の喉元に突きつけて少女は叫んだ。
「お前達こそ立ち去れ! ここの大地を血で汚したいか」
 男達はまじまじと少女の姿を見つめた。一人の男が上ずった声で言う。
「お、お前は…戦士部族か」
「それは俗称だ。私は森の一族…」
 言いかけたのを遮って、リーダー格の男が口を開いた。
「わ、私たちはなにも…大地を汚すなど、そんなつもりは全く…」
「では、立ち去れ!」
 少女が睨みながら湾刀を軽く引くと、男たちはじりじりと後ずさり、西へ向かって逃げ出した。

 パチパチパチ。
 少女が振り返ると、旅人は笑顔を浮かべて拍手をしていた。
「いやぁ、素晴らしい。ありがとう。助かりましたよ」
「いえ、大樹シエスの教えに従っただけです」
 少女が大まじめな顔をして言うと、男はプッと吹きだした。
「なに!?」
 少女がムッとして叫ぶと、男は白い手をひらひらとふりながら口を開いた。
「いやいや。まだ子供なのに、森の守護者のようなことを言うと思って…」
「子供じゃない、もう十三だよ」
「そうでしたか。いやはや」
 少女は眉を寄せて、旅人を観察した。目立たない茶色の服、肩に掛けた灰色のマント。腰に下げた幾つかの皮袋。やや質素な旅人。といった雰囲気だ。肩につく長さの黒髪。やや面長な顔は白く、切れ長な黒い瞳が目立っている。年齢は二十歳前後くらいだろうか。(見たところ、西方の民みたいだけれど、森の守護者と会ったことのあるような口ぶり…)
「街道が、領域内にあるなんて珍しいですね」
 男にそう言われて、少女は目をまたたいた。(この男、まだ若いのに森に詳しすぎる。どこまで話していいのだろう?竜を繋がずに連れている人に、悪人がいるとは思えないけれど…)
「この道は、境界域」
 そう、少女が短く答えると、男は大きく頷いた。
「では、領域は北側ですね」
 少女は息を呑んだ。
「どうして?」
「ああ、だって、あなたはそちら側から降りてきましたから」
 男はにっこり笑って北側の林を指差した。
「あっ」
 少女は、あわてて両手で口を押さえた。
(しまった。領域内じゃないのに、シエスの名を出してしまったのが間違いだった。よそ者に場所を知られてしまった…)
 少女の表情を察したのか、男は口を開いた。
「ああ。領域のことは誰にも言いませんよ。実は以前、森の一族の方と会ったことがあるんですよ」
「他の?」
「はい。彼らの名前を明かすことは出来ませんが」
 それを聞いて少女は頷いた。他の一族の秘密を守っているのなら、大丈夫かもしれないと思った。
 その時、男の背から影が飛び上がった。陽光を反射して翼が赤く輝いている。姿を追って天を見上げた少女は、金の瞳と目が合った。紅翼竜は上空をぐるぐると旋回すると、ふわりと男の肩に降り立った。男はため息を吐くと、竜の小さな尖った耳を撫でた。
「しかたのない奴です。自分に注目が集まらないと気に入らないみたいで、こうして自己主張するんですよ」
「へえ〜」
 少女は驚いた。間近で翼竜を見たのは初めてだった。人の心を読む神聖な生き物だ、と、大人たちに聞かされてきた。そうして作り上げてきた印象と、今、目の前にいる翼竜は、あまりにも違って感じられたのだ。
「…触ってみてもいいかな」
 少女が金の瞳を覗きこみながら言うと、紅翼竜は目を細めた。
「どうぞどうぞ」
 そっと手を伸ばして、背中に触れる。ひやりと冷たい。そっと指先を滑らせると、つるつるというよりもさらさらとしているのが判る。
 紅翼竜は金色が見えなくなるほど目を細め、喉を震わせた。


 赤い姿が高く飛び上がり、生い茂った緑の中に吸いこまれるように消えて行った。
「遅くならずに帰ってくればいいんだけど」
 道から逸れた北側の林の中に、旅人と少女は座っていた。紅翼竜が一日一度の食事に出かけたのだ。
「領域内は森の守護者が見まわっているから。さっきみたいな連中は入りこめないし、紅翼竜は大丈夫だよ」
 少女が木々の間から道を見つめながら言う。
「…そうですね」
 男の声が、すぐ近くから聞こえたような気がして、少女は戸惑った。見られているような気がする。
「なぜ、そんなに一生懸命、道を見ているのです?」
「なぜって…それは」
 少女は顔を赤らめて黙りこんだ。
 男は続けて質問した。
「将来は、森の守護者になるの?」
 少女は首を横に振った。
「森は大好きだけれど、いつかここを出ようと思っている」
「それじゃあ、…その時のために道を見ているのですね」
 そう、男に言われて、少女は目を丸くした。
 その時のために…。
 心の中で、男の言葉を反芻してみる。
 その時は、いつなんだろう。どうして、道のことを、旅のことを考えるとき、いつも「いつか」って思うんだろう。どうして「今」ではないんだろう?
 なにかが足りない…そんな気がする。
 その時、風を切るような音がして、紅翼竜が帰ってきた。
「ずいぶん早かったじゃないか」
 男が笑顔で右腕を出す。と、紅翼竜は音もなく、男の肩に止まって翼を畳んだ。
 少女は、眩しそうに目を細めた。
「ここは豊かな森ですね。こいつも、美味しい花がたくさんあって、大満足みたいですよ」
 男の言葉に合わせるように、紅翼竜は目を細めた。
「仲がいいんだ…。うらやましい」
 思わず出た自分の言葉に、少女はあわてた。
「あ…深い意味はなくて、こんなこと言うつもりじゃなくて…」
 男はにっこりと微笑むと腰の袋から小さなものを取り出した。
「これをどうぞ」
「?」
 少女が受け取ったのは、親指の爪程の大きさで、薄茶色の小さな楕円形のモノ。
「とてもいい香りの花を咲かせる種ですよ」
「タネ?」
「はい。とても珍しいものですが、助けてもらったお礼に」
 少女は手の中で、珍しいという種を転がした。その辺に転がっている木の実のように見える。
 男はまじめな顔をすると、両手で筒を作り、少女の耳に近づけた。
「竜歌草」
 と、囁くように言った。
「りゅうかそう?」
 少女が大きな声を出すと、男は口の前に人差し指を立てた。
「しーっ。静かに」
「?」
「珍しくて貴重なんです。花も一度しか咲きません。他の人には内緒にしておいてください」
「これが?」
 少女は首を傾げると、男は笑顔を浮かべた。
「とても綺麗な瑠璃色なんですよ」
「るり色?」
「ああ、空の青よりもずっと濃くて、紫に近いような…色。種を育てて、実際に見てもらえば判りますよ」


 少女は種をもって二日程あちこちをうろうろした。結局、道とは反対側の境界域に種を植えた。大樹シエスの影響範囲…つまり、領域内に植えれば、世話をしなくても植物はよく育つ。けれど、旅人に「他の人にはないしょ」と言われたことが気になって、誰にも見つからないように、育ててみることにしたのだ。
 最初の十日間は、芽が出ずに少女をヤキモキさせた。
 芽が出てからは、毎日川から水を汲んで、人目を避けて運んだ。
 葉が出て育ってくると、日当たりが良くなるように、周りの植物の葉を摘んだ。
 一月経つと上へ伸びるのが止まり、少女をあわてさせた。
 竜歌草は、少女の膝位の丈で、裏側に棘のある、ふちがぎざぎざの小さな葉をいっぱい茂らせていた。辺りに生えている、ありふれた雑草によく似ていた。
 やがて、一番上の葉の陰に、小さな丸いものが出来ているのを発見した。
 蕾だ。
 それからは、いつ花が咲くのかと、一日中植物を見て過ごした。
 いつのまにか、道を見るのを止めていた。

 蕾は白く大きく膨らんで垂れ下がってきていた。もう少しで、そう、今日あたり咲くかもしれない。
 少女が急いで駆け出そうとすると、腕を捕まれた。
「あんた、毎日どこに行ってるの? たまには剣の練習もしないと、腕が鈍るわよ」
 振り向くと、この前まで東方の国で傭兵をしていた、年長の女性が立っていた。
 少女が黙っていると、女性は続けた。
「あんたさ、まさか男でもできたんじゃないよね」
 少女は驚いて息を呑んだ。
「毎日いそいそと出かけちゃってさ」
 少女が黙っていると、女性はため息混じりに口を開いた。
「…ほんと、よその男には気を付けなよ。この村で育つと騙されやすいんだから」
 言いたいことだけ言うと、女性は少女の腕を離した。
 少女は竜歌草の元へ走りながら、自然と頬が赤らむのを感じた。
 私は…瑠璃色がどんな色か、どんな花か見たいから育てているだけ。たった一度しか咲かないっていうから、見逃さないように見に行っているだけ。別に、あんな、名前も知らない旅人のことなんて…何ともない。

 どこからか果物のような甘い香りが漂ってくる。
 もしかして!
 少女が急いで草を掻き分けると、一枚の花びらが、少し持ち上がっていた。
 予想どおり、甘い香りは竜歌草の花弁から漂っていた。
 少女が座って見ている前で、花びらが、一枚、また一枚と、ゆっくりとめくれ上がり、何枚も幾重にも重なり合った白い花が、姿を現した。
 ますます濃い芳香に、頭が痺れてくる。
 息を止めて花の中を覗いてみる。中も白い。黄色の花粉が見えるだけで、真っ白な花だ。
 …どこが、瑠璃色なのだろう?
 少女は喉が熱くなるのを感じた。
 あの男に、旅人に、騙されたのだろうか。…それとも、育て方を間違ったのだろうか。
 ふっと影が過った。
 空を仰ぎ見ても、何も見えない。
 視線を花に戻す。と、風を切る音とともに。
「!」
 少女は息を飲んだ。
 むせ返るような香りが漂い、やがて消えた。
 金の瞳が少女を見つめている。もごもごと口元が動き、やがて喉が鳴った。
 花を…竜歌草を食べちゃった!
 少女は男の言葉を思い出した。
「とても綺麗な瑠璃色なんですよ…」
 そうだ、あの人は、瑠璃色の花なんて一言も言っていなかった。
 瑠璃色なのは…。
「…翼竜」
 少女が囁くように呼ぶと、翼竜は目を瞬いて、高い澄んだ声で鳴いた。
 そっと手を伸ばし、頭部に触れてみる。翼竜はおとなしく、じっとしていた。旅人がしていたように、耳の後ろを撫でてみる。翼竜は目を細めて、もっと撫でてくれとでもいうように、小さな頭を突き出した。
 少女は翼竜を撫でながら、旅人のことを思い浮かべた。
 この竜歌草の花は、瑠璃色の翼竜の好物なのだろうか?
 どうして、あの人はこんな珍しい植物の種を持っていたんだろう?
 あの紅翼竜とも、花が縁で知り合ったのだろうか?
 いつの間にか翼竜は、少女のひざの上に体を預けて、すっかり寛いでいた。
 気持ち良さそうに目を瞑っている翼竜を見て、少女はいつも道を見ていたときのことを思い出した。
 旅に出たい、という強い思いがあるのに、何かが足りないと感じていた。
 その何かが判るまで、見つかるまで、「いつか」のままで「今」は来ないような気がしていた。足りなかったのは…。
 翼竜がまるで少女の心を読んだかのように、頭を持ち上げた。金の瞳が、じっと少女を見ている。もしかして…。
「一緒に行ってくれるの?」
 高い声で短く鳴くと、金の瞳を細めた。
「本当に?」
 こんどは頷くように、瑠璃色の頭を上下に振った。
「うれしい!」
 少女は腕を回して、そっと翼竜を抱きしめた。
 うれしい。うれしい。とっても嬉しい。
 足りなかったのは、独りで旅に出る勇気。欲しかったのは、一緒に行ってくれる誰か。相棒が見つかった今、旅にでよう。
 少女は腕を離すと、翼竜の顔を覗きこんだ。
「あなたのこと、なんて呼んだらいい? 私はね、私の名前は……」

-end-

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