「鉱晶洞でまどろむ竜」−Minion−

●章目次

第1話

第2話

第3話

第4話

第5話

第6話

第7話

◆第1話
 吹き渡る風に、明るい橙色の小花が揺れた。
 小さな花々に彩られた灰緑色の丘。のんびりと草を食む羊の群れ。
 なだらかな丘はやがて茶色の岩肌に変わり、荒々しい高い峰へと到る。
 雲ひとつ無い青空を、隊列を組んだ翼竜が悠々と飛び交っていた。銀色の翼を持つ、人造の翼竜「銀竜」だ。
 背に乗った「銀竜乗り」たちが手綱をひくと、銀竜は一斉に翼をきらめかせて旋回した。
 ここは、シェネガエラ王国の北東に広がる乾燥した丘陵地帯。新人の「銀竜乗り」や「銀竜使い」が、一人前を目指して日々訓練を積む飛行習練場だ。
 横一列になって飛んでいた銀竜のうち、一つが列から離れた。背に乗っている少年の、赤毛の頭が小さく見えている。
「また、あいつだな!」
 見張り塔から銀竜を見つめていた男が叫んだ。
 やや背の低い男が、目を細めて相づちをうつ。
「ガディエの奴、気を失ってなけりゃいいですね」
 列を離れた銀竜は、どんどんと岩峰へ向かって小さくなっていく。
「何やってんだ!!」
 男は届かない叫び声をあげて、白髪混じりの頭を抱えた。


 うっそうと茂った針葉樹の森の中に、明るい光が射している場所があった。
 真新しい白い傷跡がついた幹から、透明な樹液がにじみ出ている。
 折れた枝の下には、生成り色の服を着た少年が、象牙色の手足を投げ出し仰向けに倒れていた。赤い髪の間からのぞく、八角形の額飾りが白銀色に輝いている。
 やや離れた場所で、木漏れ日に鈍く輝く大きな塊があった。大樹の幹に翼を寄りかからせるようにして、暗銀色の竜が静かに横たわっている。
 少年のまぶたが、ぴくりと動いた。
 続いて、指先、足、頬がわずかに動き、少年はゆっくりと目を開いた。眩しそうにまばたきを繰りかえす。
 やがて、のどぼとけが大きく動き、少年はエメラルドの瞳を見開いた。両手を地面に突いて飛び起きて、辺りをあわてたように見まわす。
 竜に気づくと、少年は一目散に駆け寄った。
「ぎ、銀竜!」
 折れてぶら下がっているじゃまな枝を払いのけて、少年は真剣な眼差しで、手で確かめるように撫でながら竜の全身を確かめていく。
 鳥の羽根が一枚一枚重なっているような形に溝のついた硬い翼。すべすべしている細長い尾。銀竜乗りが座りやすいように窪みのついた、鱗のような模様のある背。
 ひときわ光を反射する白銀色の額。尖った鼻と、そのすぐ横から伸びているヒゲのような手綱。目のよう見える、表情のない二つの黒い窪み。
 少年は小さくため息をつくと、身を屈めて翼の下へ頭を突っこんだ。引っかき傷だらけの手を伸ばして、冷たい胴体を確かめる。
 やがて、顔をあげた少年は、針状の枯葉の貼りついた顔をほころばせた。
「外側はなんともないな。あとは、動きさえすれば……」
 少年は伸び上がるようにつま先立ちをして、竜の冷たい背中に両手を当てた。
「ちっ。だめか」
 少年は舌打ちして、左腰に下げていた黒い杖をとりだした。両手でしっかりと握りしめて、杖の先を竜の背に向ける。
 少年の額飾りが、黄色い光を四方に放った。同時に杖が、少年の手元から次第に白金色に変わっていく。
 弾かれたように杖が揺れて、先端から黄緑色のまばゆい光が放たれた。銀竜の背に命中すると、四散して竜全体を包み込んでいく。
 蒼ざめた顔をして杖を握りしめていた少年は、ふらりと前のめりに倒れた。黒色に戻った杖が手を離れて地面に転がる。
 黄緑色の光がかき消えた後に、竜の姿はなかった。


(木の香り?)
 ガディエはうっすらと目をあけると、エメラルドの瞳で辺りをみまわした。
 板張りの壁は煤けて黒ずんでいる。高い天井の梁から吊り下げられた草花の束が、どこからか吹きこむ風にゆらゆらと揺れている。
(ここは……?)
 ガディエはひりひりと傷む腕を伸ばして、腰をさぐった。
(杖が! どこかに落とした!?)
 あわてて毛布を跳ね飛ばして、ガディエは上体を起こした。急に目の前が真っ黒になり、頭がしまるように痛い。身体の節々がずきずきと痛む。
「気がついた?」
 軽やかな声だ。
 ガディエが驚いて声の方へ顔を向けると、外に向けて開けられた木製の窓の前に、黒い影が立っていた。影はゆらりと動き、高い声で言った。
「起き上がらないほうがいいよ。倒れていたんだから」
 影に見えていたのは、藍色の服に身を包み、同色の布を頭に巻いた少女だった。年の頃は、ガディエと同じ、十五歳くらいだろうか。
 褐色の肌に、濃いまつげに縁取られた二重の大きな目。瞳は濡れたように黒く輝いている。藍色の布の下から、わずかにのぞいた巻き毛は金茶色だ。
「倒れていただって?」
 ガディエは痛む頭を抱えたまま、少女の言葉を繰り返した。
「そう。覚えていない?」
 少女はこげ茶色の眉根を寄せて、続けた。
「あなたは黒森の中に倒れていたのよ」
「……森」
 ガディエはようやく、森の中に銀竜と墜ちたことを思いだした。
(そうだ。ありったけの光の力を使って、銀竜を隠した。使ったことのない大きな力だったから、理術の後に身体の力が抜けて……)
 ガディエは痛む頭をさすった。
「ほら、頭が痛いんでしょう。寝てなさい」
 そう言うなり、少女はガディエの顔へ向けて、白い物を投げてよこした。
「うわっ」
 白い物は、水しぶきを散らしながらガディエの鼻にまともにぶつかった。剥ぎたての樹皮のような、清涼感のある香りが鼻を刺激する。濡れた冷たい感触に、ガディエは顔をしかめた。
「それで冷やしておいたほうがいいよ。コブになってるから」
 少女は、自分の後頭部を手で示しながら言う。ガディエはムッとして叫んだ。
「乱暴だな!」
「あら、ごめんなさい。でも、さっきから寝てなさいって言ってるのに、従いそうになかったから」
 少女は少しも悪びれずに言った。しかたがなく、ガディエは枕元に布を敷いて、その上へ頭を置いた。なんとなく、頭の痛みが和らいだような気がする。
(問題は、ここがどのくらい習練所から離れているか……だ)
 ガディエはごくりと唾を飲みこんで、口を開いた。
「あの、ここはどこなのかな」
 少女は大きな目を瞬いた。
「すっかり忘れてた」
 咳払いを一つすると、少女はゆっくりと頭を垂れて言った。
「伝説の『竜の主』様、ヌトへようこそ。私は村の長からあなたの世話を頼まれたノトゥラと申します」
「『竜の主』だって!?」
 ガディエは思わず、大声を出していた。
(まさか、飛んでいたところを見られていたのか……)
 遥か昔、大型の翼竜を家畜のように操って大空を自由に行き来していた「竜の主」と呼ばれる一族がいたという。翼竜自体が珍しく、めったに見かけることのない今では、吟遊詩人の創作したおとぎ話なのだとさえ、言われていた。
 ノトゥラは小首をかしげて言った。
「違うの? あなた、竜に乗っていたでしょう」
 ガディエはごくりと唾を飲みこんだ。
(そうだ。銀竜を知らないなんて、ここはよその国に違いない)
 ガディエは動揺を悟られないように、顔を反対へ向けた。顔が火照り、髪の生え際から汗が噴きだしてくる。
(勘違いしているなら、このまま「竜の主」のふりをしたほうがいいのだろうか?)
 ガディエは覚悟を決めると、ノトゥラの方を向いてカラカラに渇いた口を開いた。
「確かに竜に乗っていたよ。いや、伝説の『竜の主』なんて言うから、ちょっと戸惑って……」
 ノトゥラは大きな目を輝かせながら言った。
「だって、伝説よ。村中で感動しているの。本当に、竜に乗った人が現れるなんて思ってもみなかったから」
 ガディエは息を呑んだ。
(ノトゥラだけが、「竜の主」だと勘違いしていると思っていたのに、村中でだって?)
 シェネガエラとの国境に近い町や村なら、シェネガエラの最強部隊「銀竜」と「銀竜乗り」の噂くらい知っているはずだ。
(ここは、どこなんだ!?)
 ガディエは叫びたい気持ちを抑えて、震え声で訊いた。
「ここの村、ヌトはどの辺りにあるのかな」
「わからない。私は村から出たことは一度もないし、地図にも載っていないって言う話だから」
 ノトゥラの返事に、ガディエは目を見開いた。
「どこかの領土じゃないのか?」
 ノトゥラは首を振って言った。
「判らない」
 ガディエは息を吐き出した。
 ノトゥラの話しぶりは、嘘をついたりごまかしたりしているようには感じられなかった。
(……ということは、よほど遠くまで来てしまったのか? すぐに墜ちたように感じたのに)
 ガディエは上体を起こして、ノトゥラの腕越しに、窓の外を見つめた。屋根が並ぶ向こうに、黒々とした森が見えている。
(あれが、銀竜と墜ちた森か)
「夕食のときに呼びにくるから、それまで休んでいて」
 ノトゥラはそう言って、扉へ歩いていった。取っ手をつかんでドアを開けながら、顔だけをガディエへ向けて言う。
「あ、忘れてた。あなたの名前、まだ聞いてなかった」
 ガディエがあわてて言うと、ノトゥラは眉をよせた。
「ガ…ガテ?」
「ガ・ディ・エ」
 ゆっくりと言い直す。ノトゥラは首をひねった。
「言いにくい名前ね。ティエって呼ぶから」
 ノトゥラはガディエの返事も聞かずに部屋をでると、大きな音を立てて扉を閉めた。
 ガディエは深くため息をつくと、身体を横たえた。
 杖は、森の中に落ちているのだろう。おそらく、隠した銀竜のすぐ側に。
(早く拾いにいかないと……)
 杖は、理術を行うための大切な道具だ。杖がないと、光の力を集めても使うことができない。
 ガディエは頭を右手で押さえた。
(杖は、頭痛が治まったら拾いに行けばいい。それよりも、問題なのはここの場所だ)
 ノトゥラが話した言葉は西方商用語。シェネガエラと共通だ。だが、濁り音が発音しにくいというなら、北方の土地かもしれない。
 ガディエは目を閉じて、授業で習ったはずの北方の地形を思い浮かべてみた。
 シェネガエラの北の国境。それから……。
(だめだ。習ったことなんて、すっかり忘れている)
 考えているうちにガディエは、いつの間にか眠っていた。


◆第2話
 蝋燭が明々と灯され、部屋の中は飴色の柔らかな光に照らし出されていた。
 煤けて真っ黒な太い横木がむき出しの天井。切り出した灰色の石を敷きつめた床。石で囲まれた大きな暖炉では、小さな紅い炎が舌を出している。
 ヌト村の長は暖炉に背を向けて、恰幅のいい身体を椅子の背にもたれかからせるように座っていた。その頭上の漆喰塗りの壁には、立派な鹿の角と大ぶりの長剣が二本吊るされていた。
 ガディエはテーブルを挟んで、長の真正面に座っていた。大きなテーブルは、料理の載った皿で埋め尽くされている。
 木製の椀に入った黒いスープ。深皿に入ったポロポロとした白い粒々。青い皿が透きとおって見える、白くて薄い小片。平らな皿に盛ってある赤く細長いもの。板に山盛りになった紫色のいびつな塊。
 どれも、ガディエの見たことのない食べ物ばかりだ。
 ガディエは戸惑って、ヌト村の長を盗み見た。長は、濃いレンガ色の肌に深い皺が刻まれた手で、木製のさじを口に運んでいた。
「伝説の『竜の主』様、食事がお口に合いませんか?」
 声の主は、ガディエの右手側に座っている太い中年女性だ。
 長の妻だろうか。
 安っぽく光る緑色の服の上に、小さな半透明の石のついたネックレスや腕輪を何重にも身につけ、目の周りを青く化粧していた。
 ガディエはあわててテーブル上の木製のさじを右手でつかみながら言った。
「いえ。見たこともない料理があるので……」
「ああ、これね」
 夫人は太い黄褐色の腕を伸ばして、赤い糸状のものを示した。いくつも重ねた腕輪が、ぶつかり合って軽い音を立てる。
「これは、黒森の中に生えるキノコですのよ。歯ごたえがとてもいいのです」
「キノコ……ですか?」
 ガディエは首をかしげた。キノコという言葉を聞いたのも初めてだし、見たのも初めてだった。
 長が頷きながら、のどの奥から搾り出すようなかすれ声で言った。
「ふむ。乾燥した土地で育った伝説の『竜の主』殿なら、キノコを初めて見るのかもしれぬな」
(乾燥した土地だって!?)
 ガディエは息を呑んで、長を見つめた。
 暗い照明のせいか、長の落ち窪んだ目は肌の色に溶けこんでいて、表情がわからない。
 ガディエは目を伏せて、テーブルの下で汗ばんだ左手をきつく握りしめた。じっと見ていたら、こちらの考えていることをすべて見透かされてしまいそうな気がした。
(まさか、シェネガエラのことを言っているのか?)
 シェネガエラは乾燥した土地が多い。特にガディエの生まれた南部と飛行習練場のある北東部は、乾燥が激しい地方だ。
 ガディエが黙っていると、夫人が大げさな身振りをつけて言った。
「まあ! 食べたことがないのなら、ぜひ食べてみてご覧なさいな。ヌトでは、季節によって様々な色や形のキノコが採れますの」
 ガディエは恐々、赤いものを匙ですくいとって口へ入れた。予想していた臭みはない。こりこりとした歯ざわりで、薄く塩味がついているようだ。
「どうです? 美味しいでしょう?」
 夫人にじっと見つめられて、ガディエはただ頷いた。
 ガディエは顔を上げるのが嫌で、黙々と薬草汁のような苦いスープを飲み、穀類らしき粒々を口へ運んだ。その間、辺りには皿や匙のぶつかり合う音だけが聞こえていた。
 食事の間中ガディエはずっと、手と口を動かしながら考えこんでいた。
(この男は、俺がシェネガエラの銀竜乗りだと判っていて、わざと知らないふりをしているのかもしれない)
(もしかして、シェネガエラと敵対する国に墜ちてしまったのだとしたら?)
 考えても、ガディエは何も結論を出せなかった。
 しばらくして、食事を終えた夫人が後方の台所へ振り向いて叫んだ。
「飲み物を持ってきなさい!」
 すぐに隣室から、ノトゥラがあらわれた。カップの並んだ木製の板を、両手で持っている。
 ガディエの前にも一つ、薄茶色の液体の入ったカップが置かれた。
 長や夫人が飲むのを見て、ガディエはカップを持ち上げてみた。花粉のような甘い匂いがする。
 ガディエがカップを覗いていると、夫人が言った。
「キイの実に甘く味をつけたものですよ」
 ガディエは、キイという実がどんなものなのか判らなかったけれど、口へ流しこんだ。甘酸っぱい味が喉に染みて、咳きこむ。
 すぐにノトゥラが駆けつけて、水の入ったカップを差し出した。
「これをどうぞ」
 ガディエは小声でお礼を言って、大急ぎで水を飲んだ。
「そういえば、『竜の主』殿は、どちらから来なさったのかな」
 長がじっとガディエを見据えながら訊いた。
(そら、来た)
 ガディエはすぐに口を開いた。訊ねられるだろうと、予想していた質問だった。
「パチシャです。竜に乗っている間に風に流されて、方向を見失ってしまったのですが、この村ヌトはどの辺りにあるのでしょうか」
「パチシャか。聞いたことがない」
 長のその答えも、ガディエが予想していたとおりだった。
 本当の町の名はパヂシャという。ガディエの生まれ育ったシェネガエラ南方の小さな町だ。濁り音が発音しにくいことを考え、発音を変えて話したのだ。
「ヌトがどの辺りにあるかということじゃが、わしもよく知らぬのだよ。わしらはみな、この小さな山村で生まれ育ち、そのまま一生を終える。空からでも見れば、よく判るのかもしれぬがな」
 長の言葉に、ガディエはちらりと夫人の方を盗み見た。あの、身に着けている宝石もひらひらとした布も、全てこの村で手に入るというのだろうか。
 ガディエの視線に気づいたのか、長は咳払いをして言った。
「ところで、どちらへ行かれるところじゃったのかな」
 ガディエは手に持ったカップをじっと見つめた。
(予想しておくべきだったのに、考えてもみなかった)
 適当な地名を言おうと考えても、何も言葉が思い浮かばない。ガディエはじっとりと手のひらが汗ばむのを感じながら、口を開いた。
「あの、どこへというのではなく……。その、練習をしていたのです」
「ほほう。練習とな」
 長の声色に思わず顔をあげると、鋭い灰色の瞳が射るようにガディエを見つめていた。ガディエは目線をそらすと、生え際から流れてくる汗を手で拭った。
 長の瞳が光を増したように見えた。
(失敗だ。練習なんて言って、これじゃあ、習練場から来た新人銀竜乗りだって言っているようなものじゃないか)
 ガディエは、残っていた水を一気に飲みこんだ。
「おお、そうだ。これを見つけたのじゃった」
 長は大げさな動作で立ちあがると、部屋の隅の棚から細長い棒を手に取った。くるりと振り向いて、ゆっくりとガディエの側へ歩み寄る。
 緊張して身を硬くしていたガディエは、長の手にあるものを見て、思わず叫んでいた。
 真っ黒い杖の柄で、紋章がきらりと輝いた。太陽を象った二重の八角形をしたシェネガエラの紋章だ。
 椅子をひっくり返して立ち上がったガディエに、長が杖を差し出した。
「やはり、これは『竜の主』殿のものじゃったか。近くに落ちておったのでな」
 長は頷きながら静かに言った。ガディエはあわてて杖を受けとった。杖は手に吸い付くように馴染む。傷もないようだ。
 ガディエはほっとしながらも眉を寄せた。
 シェネガエラの銀竜乗りだと判っている敵国の者なら、武器であるこの杖をたやすく渡すだろうか? どこにも細工をしている様子もない。
「ところで、伝説の『竜の主』殿の竜はどこにおるのかな?」
 ガディエは驚いて、杖を取り落とした。高い音を立てて、杖が床を転がる。あわてて身を屈めて杖を拾おうとすると、長は付け足すように言った。
「『竜の主』殿が乗っていた、あの、銀色の竜のことじゃよ」
 ガディエは蒼ざめると、震える手でなんとか杖をつかんだ。
(銀竜だとまで判っていて、なぜ?)
「……ど、どこにいるのかわかりません。はぐれてしまいました」
 それだけ答えるのが精一杯だ。
「ふむ」
 まるで、ガディエの答えを予想していたかのように、長はあっさりと返事をした。
 拍子抜けして立ち尽くすガディエに、長は口元を歪めて笑った。
「実は、そなたにやって欲しいことがあるのじゃ。詳しいことは明日、話すとしよう」


 ガディエは暗い部屋の中で寝返りをうった。
(あの長は、俺がシェネガエラの銀竜乗りだと気づいているのか?)
 判らないことだらけだ。ここがどこなのかも判らない。わかるのは、街道から外れたどこかの山間の小さな村だろうということぐらいだ。
 ガディエはため息をつくと、ゆっくりと起き上がった。手探りで窓に近づくと、そっと板を左右へ押し広げる。
 ぼんやりとした月明かりが部屋の中へ射しこんできた。身を乗り出して外を見つめても、並ぶ家々に灯りも見えず、外は静まりかえっている。
 ガディエは窓枠にもたれかかって、飛行習練場のことを思い浮かべた。
 いつも怒鳴ってばかりいる教官。高い場所が苦手なガディエの飛行訓練に付き合ってくれた先輩。一緒に訓練していた新人銀竜乗りの仲間たち。
(帰ったら、銀竜を壊してしまったことを思いっきり怒られるんだろうな)
 ガディエはため息をついた。
 銀竜はシェネガエラ王の宝に等しい。新しく銀竜を造りだす技は、伝説の術者『銀竜を創りし者』と共に失われてしまったのだ。
(怒られるだけじゃ済まないかもしれない。もしも、銀竜が直らなかったら、罰を受けるかも……)
 静かに横たわっていた銀竜の姿を思い浮かべて、ガディエは闇の中に一層黒々と広がる影のような森を見つめた。
(本当に、帰れるだろうか? 俺がここに墜ちたことを、教官たちは見つけてくれているんだろうか?)
 冷たい風が窓から吹きこんできて、ガディエは窓を閉めた。
 寒気を覚えながら、毛布の中へもぐりこむ。眠れそうになかった。


◆第3話
 月明かりに照らされる家並を、ガディエは見つめていた。昨晩見た時と同じように、窓下の道には人影がない。
 夕べ一睡もしなかったというのに、今夜もまた、眠れそうになかった。
 ガディエは窓を閉めると、廊下に出た。
 真っ暗で、何の物音も聞こえない。長の家の者はみんな寝静まっているのだろう。
 ガディエは「銀竜乗りの杖」の先に、理術で小さな白い光を灯した。
 杖を床に向けて足元を照らしながら、木造のらせん階段を静かに降りていく。体重を次の段に乗せた途端に、板が音を響かせた。
 ガディエは灯りを手で包むようにして隠して、耳を澄ませた。人が起きだす気配はない。
 誰かに出会うこともなく、ガディエは家の外へでた。
 湿り気を帯びた風が吹いている。
 ガディエは杖の灯りを消して、弱い月明かりの中を歩き出した。日中はあんなに眠かったのに、今は不思議なくらい頭がはっきりとしている。
 ガディエは、日中、長に連れて行かれた洞窟を思い出していた。
 褐色の針状葉が厚く積もった黒森の小道を抜けると、赤茶けた小山があった。
 長は百年以上前に居たという「悪い」術師の話をした。そして、術師が封印した洞窟の「扉」を解くように言ったのだ。
 伝説の「竜の主」が、理術を使えたという話は伝わっていない。
 やはり、長はガディエがシェネガエラの「銀竜乗り」だと判っていて、あの封印を解くようにと頼んでいるのだろう。ヌトの宝が眠っているという、あの洞窟を。
 ガディエはため息をついた。
 ふと気づくと、村の外れまで来ていた。木を組んで作った動物よけの柵の向こうに、森が広がっている。
(本当に、狭い村だ。それに、本当に四方を森に囲まれている)
 シェネガエラから助けがこなければ、ガディエは自力でここを出なければならないのだ。
 ガディエは身体の向きを変えると、柵に沿って村の周囲を歩きはじめた。
 ノトゥラが「よそ者が村に入りこんで、囚われている」と、言っていた。うまく見つけることができれば、村の位置を聞きだせるかもしれない。
 柵に沿って歩いて行くと、古い木造の家畜小屋があった。厚い木製の扉は、下部と上部に手が入りそうなほどの隙間が開いている。
 これまでにも、同じ造りの小屋はいくつもあった。だか、ここだけ、扉に別の板が打ち付けてあり、荒縄で厳重に巻いてある。まるで、何かを閉じ込めているかのように。
 ガディエは辺りをそっと見回して、誰も見ていないのを確認してから扉に近づいた。
 そっと、扉を叩いてみる。
「……誰だ?」
 しばらくしてから、ためらいがちな低い男の声が答えた。
「あなたは、ヌト村の人ですか?」
 念のために聞いてみると、すぐに否定の声があがった。ガディエははやる心を押えながら、小声で訊ねた。
「それじゃあ、この村がどこにあるのかわかりますか?」
 しばしの沈黙の後に、男は言った。
「ここから出してくれたら、教えてやってもいいぞ」
 ガディエは試しに、荒縄を引っ張ってみた。が、きつく結んであり、どこかで切らなければ、ほどけそうにない。
「切るような道具が何もなくて」
 ガディエの答えに、男は馬鹿にしたように言った。
「お前は、銀竜乗りだろう? そんな簡単なこともできんのか」
 ガディエは思わず叫びそうになって、口を押えた。
「な、なんで……?」
 男は淡々と答えた。
「村の連中が、銀色の竜が落ちてきたと騒いでいたからな」
(この男を出して、大丈夫なんだろうか?)
 ガディエは不安を感じながら、扉を見つめた。この中に囚われている男がシェネガエラの民でないのは確かだ。シェネガエラの民なら、銀竜乗りをお前呼ばわりしたりしない。
「おいっ、早くしろよ。ここの連中は朝が早いぞ」
 男が脅すように言う。
 ガディエは暗い空を仰ぎ見た。まだ、夜は明けそうにない。
(ともかく情報は、欲しい)
「いま開けるから、少し離れててくれ」
 そう、ガディエは声をかけて、杖の先を扉に向けた。
「わかった」
 男の返事が聞こえる。
 ガディエは素早く、杖を斜めに走らせた。
 荒縄と板が真っ二つになった。
(この切断面はまずかったか?)
 真っ直ぐに切れている板を見て、ガディエはため息をついた。刃物では、こうきれいに切れないだろう。
「おい、いいのか?」
 焦ったような男の声が言う。ガディエは扉に手をかけて、ゆっくりと引いた。
 月明かりに照らされて、痩せて背の高い男の姿が現れた。髭は肩に届く長さに伸びて、顔は土気色。頬がげっそりとこけている。
 男はガディエの姿を見て、口を歪めてつぶやいた。
「ガキか……」
 ガディエはムッとして、杖の先を男に向けた。
「おい。出してやったんだから、約束を守れよ」
「あぁ、わかっている」
 男はぼさぼさの髪をかきあげながら、続けて言った。
「ここは、エスティアの北だ」
「エスティア!」
 思いがけない国名に、ガディエは目を見開いた。
 エスティアは、シェネガエラの南東、スデステハド山脈の向こう側にある小国だ。南を海に、残りの三方を山脈に囲まれた、陸の孤島だった。
(まさか、銀竜であの山脈を越えたっていうのか?)
 岩だらけの山肌を思い出して、ガディエは頭を横に振った。……とても信じられない。
「うそだろう?」
 思わず問い返したガディエの言葉に、男は小声で答えた。
「うそじゃない。とにかく、明るくならないうちに、ここから離れよう」
 ガディエと男は柵をよじ登って、村の外に出た。
 暗い木立の中を並んで歩きながら、男は早口で喋った。
「ずっとあのオンボロ小屋に閉じこめられてたんだ。食事は一日に一回だけで、それもゆでた草みたいなものばかりだった。エスティアの貝料理が恋しくてたまらなかったよ」
 ガディエは用心深く男へ杖の先を向けたまま、訊ねた。
「どうして、あの村へ?」
「宝の噂を聞いて探していたんだ。そうしたら、ここの村の連中に閉じこめられちまったってわけだ」
 男はやけにじょう舌で、ガディエが口を挟む間もなく話しつづけた。
「それでな、『ヌト』っていうのは古い言葉で『隠し事』っていう意味があるんだそうだ。森に隠れた村にぴったりすぎる名前だよな。ところで、長に何か頼まれなかったか?」
 ガディエは思わず立ち止まって、男の横顔を見つめた。樹木のつくる影が濃く、男の表情は見えない。
 男は足を止めてガディエを振り返ると、口を開いた。
「……いや、洞窟の扉は、どうしても開かなかったからさ」
「洞窟を見たのか?」
 ガディエが訊くと、男は頷いて言った。
「ああ。お前も見たんだろ?」
 ガディエは頷いてから、付け加えた。
「入り口だけで、中は見ていない」
「そうか。中は赤黒い岩壁で、扉は柔らかそうな手触りなのに、刃が立たないんだよ」
「柔らかそう?」
 ガディエは眉を寄せた。
(術師は、どんな術で封印したのだろう?)
「……なあ、ここから先は、暗すぎて歩きにくい。灯りをつけてくれないか?」
 男の言葉にガディエは頷いた。下ろしていた杖の先を持ち上げて、光を灯す。
 白い光を受けて、男の落ち窪んだ黒い目がギラギラと輝いて見えた。
「そんな素直だと、命取りになるぜ、坊や。あばよ!」
 男はガディエに背中を向けて、森の奥へと走り去った。
「あっ」
(しまった!)
 あわてて杖の先を男に向けたガディエは、光を灯したままなことに気づいた。術は一度に一つしか使えない。
 光を消している間に、男の姿は闇に紛れて見えなくなっていた。
 ガディエは暗い森の中に、一人取り残された。


◆第4話
 黒森を見下ろす丘の上に、ガディエとノトゥラはいた。
 二人の足元で白い小花が咲き乱れ、小さな赤い実が房なりにぶらさがっている。
 ノトゥラは丸い実を丁寧にカゴに入れていた。実を摘むたびに甘酸っぱい香りが立ちのぼる。
 大きな石に腰かけたガディエは、手をかざして南に広がる森を見つめていた。
 どこまでも続く濃い緑色の森。まるで、果てがないように見える。そして、森の中のどこかに、銀竜が横たわっている。
(このまま時間が経てば、もう銀竜を探し出せないかもしれない)
 やがて、樹木の傷は癒えて、枝や下草が生い茂る。暗い森の中、誰にも気づかれることもなく、森の動物にも見出されることもなく、壊れたままで……。
 ガディエはため息をついた。
(どうにかして、ここを出なければ……)
 だが、自力で出るには、あの森を突っ切らなければならない。どこまでも続く暗い森の中を。
(道を知らなければ絶対に無理だ)
 ガディエは眉間に皺を寄せて、腕を組んだ。
(あの男は、きっと道を知っていたんだろうな)
「あ〜あ」
 ぼやきが思わず、声になって出ていた。
「なに? お腹でも空いたの?」
 ノトゥラは赤い実を手に持ったまま、つっけんどんに訊いた。
 黒い瞳でにらむように、ガディエを見ている。気が立っているのか、表情が険しい。ガディエは困惑して、視線を辺りに漂わせた。
 ノトゥラの脇にある籠には、まだ底のほうにしか実が入っていない。あの小さな実でカゴをいっぱいにするのは大変だろう。
「訊いてるんだから、返事くらいしてよ」
 イライラした調子でノトゥラが言う。
「それ、手伝おうか?」
 ガディエが言うと、ノトゥラはぱっと目を輝かせた。
「本当に?」
 そう口に出してからすぐに、ノトゥラは付け加えた。
「でも、『竜の主』様にキイの実採りを手伝わせたなんて知れたら、奥様に思いっきり叱られるね、きっと」
「言わなきゃ知れたりしないだろ」
 ガディエはつぶやくように言って、石から飛び降りた。そのまま手を伸ばして、近くの実を摘み採る。
「あ、それはだめだよ。まだ黄色いもの」
 ノトゥラは別の真っ赤な実を指差した。指先が、実と同じ赤色に染まっている。
「こういうのを選んで採らなきゃ」
「面倒だなぁ」
「しょうがないじゃない。前にティエが飲んだ飲み物だって、こうやって熟したキィの実だけを集めて作ったものなんだから!」
 ノトゥラはぴしゃりと言うと、黙々と実を摘んでいく。ガディエは肩をすくめると、なるべく赤い実を選んで摘みとりはじめた。
 やがて、太陽が高く昇る頃、カゴが赤い実で埋めつくされた。
「頑張ったよね」
 ノトゥラは腰に手を当てて、満足そうに言う。
「ああ。大変な仕事だったな」
 ガディエは赤く染まった右手をひらひらと振って見せた。
「あ、大変!」
 ノトゥラはガディエの右手首をつかんだ。
「この色、なかなか落ちないのよ」
「えっ?」
 驚くガディエの手を、ノトゥラは引っぱった。
「早く洗わなきゃ!」
 ガディエは引きずられるようにして、丘を流れる小川まで連れて行かれた。
 澄んだ水に手を入れると、驚くほど冷たい。
 ノトゥラはガディエの手を離して、小川の縁に生えている肉厚の小さな葉を何枚もちぎった。
「これを水につけて、よく揉んで!」  ガディエは言われるまま、受け取った葉を揉んだ。手の中にミルクのような汁が出て、ヌルヌルとする。
「その白い汁で手を洗うと、落ちるから」
 見ると、ノトゥラは濃紺の袖をまくりあげて、同じように手を洗っていた。
 ガディエは葉を地面に捨てると、ヌルヌルとした汁で手をこすった。 あっという間に汁が薄紅色に染まる。汁を川で洗い流すと、赤色がすっかり落ちていた。
「すごいなぁ」
 感心しながら、ガディエは手を振って水を飛ばした。
「ちょっと、顔にかかったじゃない!」
 ノトゥラは顔を手で押えながら叫んだ。
「え? ごめん」
「ごめんじゃないでしょ」
 ノトゥラは屈んで川に手を入れると、ガディエに向けて水を弾き飛ばした。
「わっ。何するんだよ!」
「何って、仕返しでしょ」
 ノトゥラはさらりと答えた。
「仕返しってなぁ、謝っただろ、さっき」
「いいの。なんでも!」
 ノトゥラは笑いながら言って、再びガディエに水を飛ばした。
(なに考えてるんだか……)
 ガディエは眉を寄せて、ノトゥラを見つめた。
 褐色の肌の上で、水滴がキラキラと輝いている。濃い藍色の布の下から覗く金茶色の巻き毛が、耳元で揺れている。
 ふっくらとした薄紅色の唇をいたずらっぽく尖らせて、ノトゥラは言った。
「ほらっ!」
 しなやかな動きで、細い腕が水に伸びる。
 ガディエは、あわてて飛び退った。草の葉ではねた飛沫が足にかかる。
「いいかげんにしろよな!」
 ガディエは顔をしかめて、水を汲んだ。
「なによ、やる気?」
 ノトゥラは再び水に手を入れた。


 やがてびしょ濡れになった二人は、靴を脱いで川のそばに仰向けに寝転んだ。
 真っ青な空に、綿のような雲がぽっかりと浮かんでいる。陽射しは強いが、山から吹き降ろす風が冷たくて心地よい。
「こんなにはしゃいだのって、久しぶり」
 ノトゥラは頬を上気させて、粗い息を吐きながら言った。
「ああ。俺もだよ」
 ガディエは応じながら、顎をあげて風に顔を向けた。
 岩だらけの山肌は、ところどころが白く霞がかかったように見える。あそこにも、キイの花が咲いているのだろうか。
 やがて、規則的な息づかいが聞こえて、ガディエは横を向いた。
 ノトゥラはガディエの方を向いて、ひざを抱えるように身体を丸めて横になっている。頭に被っていた藍色の布を顔にかけて、眠っているようだ。
(朝早くから毎日大変そうだからな)
 いつもノトゥラを厳しく叱責している夫人の顔が思い浮かんで、ガディエは顔をしかめた。早くに両親を亡くしたノトゥラは、長の家に引き取られて、住みこみで働いているのだという。
(しばらく寝せておいたほうがいいか)
 ガディエは再び仰向けになると、眩しそうに明るい緑色の瞳を細めた。前髪の間から覗いた八角形の額飾りが、キラキラと白金色に輝く。ガディエは八角形部分に陽光が当りやすいように、赤毛を後ろになでつけた。
 理術を使うためには、この額飾りに光の力を貯めておかなければならない。
 額が熱くなるのを感じながら、ガディエは空を見つめた。
 墜ちてから、五日。シェネガエラからの助けは、まだ来ない。
 ここがエスティアのどれくらい北にあるのかは判らないけれど、海を回って陸を北上するなら、おそらく十日以上かかるだろう。
 でも、銀竜だったら……。銀竜だったら、あっという間だ。ガディエ自身が、半日も経たずにここへ堕ちたのだから。
 ガディエは空を見回した。見えるのは雲ばかり、飛ぶ鳥の影さえ見えない。
(前にも、今みたいに晴れた空を見ていた……)
 ガディエは目を細めた。
 地面に頭を突っこむような姿勢で着陸した銀竜の横で、首が痛くなるほど、空を見ていた。
 初め、視界いっぱいの青空に、小さな鳥のような影が現れた。やがて、影はどんどんと迫り、銀色の翼がきらめき、先輩の銀竜乗りが現れた。
「どうして、居場所が判ったのですか?」
 驚いて訊くガディエに、先輩はニヤリと笑って答えた。
「お前のような、下手くそがいるからな。ちゃんと、どこにいるか判るようになっているんだよ」
(あれは、シェネガエラ国内でしか効かないものだったのだろうか)
 ガディエはため息をついて、身体を起した。
 丘を流れる小川は、曲がりくねりながら黒森の中へ消えている。やがて、森の途中で右に反れて、滝となって崖下へ注いでいるという。
(川沿いに下っていけば、シェネガエラへ戻れるだろうか?)
 ガディエは、立てた膝の上で腕を組み、顎を乗せた。
 視界の左隅に、赤茶けた土の山が見えている。切り立った山へ連なる斜面の途中の、小さく盛り上がった土の山だ。あの下に、封印された洞窟がある。
 ガディエは腕の中に顔を埋めた。
 「悪い」術師は、水の理術師だったのだろう。扉は「水」の力で封印してあった。
(解き方は、もう、判っている)
 だが、ガディエはまだ、封印を解くつもりはなかった。長には「封印を解くためには時間が必要だ」と、言ってある。
 こうして、封印を解くのを引き延ばしている間に、助けが来ればいい……。
 ガディエは祈るような気持ちで、もう一度空を見あげた。


◆第5話
 開け放たれた窓から爽やかな風が吹きこみ、食卓の上に青葉の香りを残した。
 芋の粉で作ったという平たいパンを小さくちぎりながら、ガディエはちらりと窓の外を見た。隣家の壁の向こうに、雲一つない青空が見えている。
(晴れてしまったか……)
 ガディエは平静を装いながら、ちぎった灰色の固まりを口へ運んだ。硬くてぼそぼそとしていて、まるで喉の掃除をしているようだ。
 なんとかパンを飲みこむと、ガディエはぼんやりと食卓の上を見つめた。
 木製の椀に入った川藻入りスープ。中央に盛られた若芽と木の実のサラダ。山のように積み上げられた、不揃いなパン。かわりばえのない朝食だ。
(今日は何て言えばいいだろうか?)
 ガディエはスープに手を伸ばした。
(昨日までみたいに、天気を言い訳にできないし……)
 黄色がかったスープに、薄紫色の川藻が糸くずのように広がっている。小川の底に集まって生えている藻で、火を通すまでは緑色をしているという。
「伝説の『竜の主』殿!」
 長がかすれ声で呼んだ。
(そら、来た)
 ガディエはゆっくりと顔をあげた。長は、猛禽類のような鋭い目でガディエを見つめたまま、身ぶりで窓の方を示した。
「二日ぶりに晴れたようですな」
 ガディエは、たった今、初めて気がついたというように、窓の外を見つめた。
「いい天気になりそうですね」
 淡々とガディエが言うと、長のこめかみがひくひくと動いた。
 長は、椅子を倒しながら勢い良く立ち上がり、節くれだった手で食卓を叩く。パンくずが飛び跳ね、皿ががぶつかり合った。
「今日こそ、洞窟へ行くのじゃろうな!?」
 長は、強い調子で念を押すように言った。その横で、朝から厚化粧をした夫人が、黙々とスープをすすっている。
 ガディエはうつむいたまま、小さく息を吐き出した。
 ガディエはこれまでの十日間、色々な理由をつけて、封印を解きに洞窟へ行くのをずっと先延ばしにしてきた。だが、シェネガエラからの助けは、まだ来ない。
(やはり、自分でなんとかするしかないのか?)
 椀が飛びはねて、ガディエは顔をあげた。
 長が、両手の拳で食卓を叩いたようだ。
 ちょうどキイの実の入ったカップを置こうとしていたノトゥラが、驚いて身をすくませた。心配そうに眉を寄せて、ガディエと長を見つめている。
 長は真っ直ぐにガディエを睨んだまま、獣が咆哮するような声で怒鳴った。
「聞いておるのか!?」
 イライラと、腕を小刻みに震わせている。
(もう、これ以上伸ばせそうにない……)
 ガディエは大きく息を吸ってから、ゆっくりと告げた。
「陽が高く昇ったら、洞窟へ行こうと思います」
 長は、濃い眉を上げてガディエをまじまじと見つめた。
「…封印を、解きに、か?」
「はい」
 ガディエの答えに、長は更に訊いた。
「今すぐに、か?」
 ガディエは首を横に振った。少しでも先に延ばしたかった。
「今日の昼頃に行きます」
 長は大きく息を吐きだすと、つぶやくように言った。
「判っておるならいい」


 ノトゥラは箒を片手に持って、そわそわと屋根裏に続く階段を見あげていた。朝食を済ませたガディエが、屋根裏部屋に一人でこもって出かける準備をしている。
「あら、ノトゥラ、こんな所で何やってるの!」
 ノトゥラが振り向くと、気難しい表情の長と、眉を吊り上げた婦人がいた。
「あの……。申し訳ありません!」
 頭を下げて、ノトゥラは小走りに夫人の横を通った。
「心配なんでしょ、あの伝説の『竜の主』が」
 思いがけない夫人の言葉に、ノトゥラは立ち止まった。夫人は、冷たい目でノトゥラを睨むように見ながら、口元だけに笑みを浮かべて続けた。
「そんなに気になるなら、ついていっていいのよ」
「……本当ですか?」
 ノトゥラは瞳を輝かせて訊いた。
「ええ。いいわ。その代わり、早く掃除をすませてしまって」
「ありがとうございます!」
 ノトゥラは頬を赤らめて、食堂へ走り去った。夫人は紅を塗った唇を歪めて、長に目配せをした。
「ほら、ね」
 長は、苦虫を噛み潰したような顔で、ノトゥラの走り去った方を見つめていた。


 水の滴る音が遠くで響いた。
 洞窟の入り口からの光が届くぎりぎりの場所で、ガディエは立ち止まった。ここから先は暗闇。灯りが必要だ。
 ガディエはすぐ後ろをついてきているノトゥラの方を振り向いた。アーチ型に切り取られた光の中央に、黒い影のようにノトゥラが立っていた。いつもと同じ藍色の服を身にまとい、藍色の布を頭に被っている。
 ノトゥラの身体越しに見えている洞窟の外は、白茶けた土だけが見えている。先ほどまで入り口に立っていた、ヌト村の長と屈強な村の男たちはどこかへ立ち去ったようだ。
「洞窟の中って、涼しいのね」
 ノトゥラは良く響く高い声で言った。
「ああ。湿り気があるから」
 ガディエは答えながら、杖を握りなおした。
(灯りをどうしようか……)
 杖を灯りにすると、他に術が使えなくなってしまう。あの男を逃がしてしまった時のように。
「あのさ、ノトゥラ。何か……。そうだな、キラキラするようなもの、持ってないかな?」
 ノトゥラは首をかしげた。
「あるけど、どうするの?」
「それ、見せて!」
 ガディエは手を差し出しながら勢いこんで言った。
「どうするのかって、訊いてるのに」
 ノトゥラはぶつぶつ言いながら、腰にさげた袋の中から小さなものを取りだした。ガディエは受けとって、入り口から射しこむ明りにかざした。薄黄色の硝子玉が一つついた首飾りだ。
 ノトゥラはちらりと入り口を振り向いて、誰もいないのを確認してから言った。
「今日の朝食後に、あの奥様が私にくれたのよ」
 ガディエは、いつも飾りを何重にも身に着けている夫人の姿を思い浮かべた。
「これだけじゃないの。他にも腕輪を二つ。今まで何一つくれたことがないから、びっくりしたわ!」
「…ああ。なるほど」
 ガディエは大きくうなずいた。
(封印が解ければ、安物の首飾りなんて用済みってわけか)
「なによ。独りで納得しちゃって」
 ノトゥラは声を荒げた。
「いや。つまり……」
 ガディエは頭をかきながら続けた。
「ここの奥には、とても価値のあるもの――宝か何かが隠されてるってこと」
「宝物が!?」
 ノトゥラは身を乗り出して、洞窟の奥を見つめた。
「いや。たぶんね」
(そして封印が解けてしまえば、おそらく俺もこの安物の首飾りと同じ……)
「ねぇ、行こう! 早く見てみたい」
 ノトゥラが先になって、真っ暗な中に足を踏みだした。
「待って。これで、灯りを……」
 ガディエは手に持っている首飾りに杖を近づけた。硝子玉に白い灯りを点ける。と、光は黄色味を帯びた光の環となって、洞窟の中に広がった。
(こうして物を光らせておけば、杖で自由に術が使える)
「わぁ、きれい!」
 ノトゥラはきょろきょろと、濡れて所々が赤く見える黒ずんだ土壁を見回した。濃紺の布の下からはみ出た柔らかそうな巻き毛が、飴色に眩しく輝いている。
「さあ、これはノトゥラが持っていて」
 ガディエは光っている首飾りをノトゥラへ手渡した。
「あれ? 熱くないんだ」
 ノトゥラは黒い瞳を大きく見開いて、首飾りをいじりまわした。
「ああ。首にでもかけておいたほうが、じゃまにならなくていいかもしれない」
 ガディエに言われるまま、ノトゥラは首飾りを首にかけた。濃紺の服の襟元で、硝子玉が明るく輝く。ノトゥラの瞳に、光が映っている。
 ノトゥラは手で目元を覆うようにして瞬いた。
「これじゃあ、眩しすぎるわ」
 首飾りを外したノトゥラは、自分の手首にぐるぐると巻きつけた。
「ああ、そのほうが、辺りが良く見えるね」
 ガディエが頷きながら言う。二人は横に並んで、でこぼこな洞窟の地面を歩いていった。
 赤黒かった壁は、象牙色のぼこぼことした石肌に。柔らかい土の床は、そこここに円錐形の石筍のある、硬い床に変わった。
 融けた蝋のような壁は、灯りで飴色に輝いて柔らかそうに見える。けれど、触ると硬い。すべすべしていそうで、表面に細かな葡萄状の凹凸がいくつもある。
「中がこんな風になっているなんて……」
 ノトゥラはため息をついて、洞窟の中を見回した。ノトゥラが腕を動かすのにあわせて、天井から下がった大小の氷柱状の石が黄金色に輝く。
「ああ。俺も、初めて見たときは驚いたよ」
 ガディエは頷きながら言った。
 更に奥へ進むと、床に青灰色の薄膜が散っていた。踏みつけると、簡単につぶれて粉々になった。
「何かの欠片?」
 小首を傾げて床に手を伸ばしたノトゥラは、黒い目を大きく見開いた。
「あ、あれは何?」
 洞窟の先をふさぐ灰色の壁を指差しながら訊く。
「封印だ」
 ガディエは短く答えると、つかつかと近寄っていった。
「封印……」
 ノトゥラはこわごわと、ガディエの後ろから近づいていった。なめらかな灰色の壁は、光を浴びると全体で波打つように動いた。
「きゃ!」
 ノトゥラは小さく悲鳴をあげて、後退った。
 封印の動いた場所に細かなヒビが入り、その下の濡れたように輝く白いものが覗いている。
 ガディエは手の平で、灰色の壁を押した。小さな音を立ててヒビが一気に全体に走り、灰色の薄壁が粉々になってパラパラと地面に散った。
 中から現れたのは、小刻みに震える白い半透明な壁。
 中央部に薄桃色の丸い塊があり、そこから無数に細長い管のようなものが出ている。四散する管の中を、水のような液体が脈打ちながら流れていた。
 ガディエは確かめるように、壁を指先で押した。指は柔らかく沈み、強い弾力で押し返された。
 指の下で、白い小さな塊が流動した。
(やはり、水の理術で作り出した壁)
「……な、何なの、それ」
 ノトゥラが震え声で訊いた。
「水の封印だ」
 ガディエはぼそりと言う。ノトゥラは両手を合わせるようにして、声を絞り出した。
「なんだか、気持ち悪い。……生きてるみたい」
「ああ。生きているのかもしれない」
 ガディエは頷きながら言うと、壁を握りこぶしで突いた。ブルブルと壁が震えて、中で薄桃色の塊が動いた。
(やはり、あの塊が核だ)
 剣でも斧でも、破ることができなかった理術で作られた壁。少々の傷がついても、核の再生力ですぐに塞がってしまうだろう。
「今、封印を解くから。少しさがっていて」
 ノトゥラは頷いて洞窟の壁に身体をぴったりと沿わせた。
 ガディエは杖を両手で持って、振りかざした。薄桃色の核に狙いをつける。
 杖の先端がかすかに青白く光る。と、封印の中央に丸く穴が開き、その縁が黒く焦げた。穴の周りで液体が波立っている。
 小さな亀裂音と共に、透明な液体が勢いよく噴きだした。
「危ない!」
 ガディエはとっさにノトゥラの方へ飛びさがると、杖を振って「光の障壁」を張った。
 液体がまるで触手のように広がって、石の欠片と混じりあいながら障壁に襲いかかる。
 足の下が揺れて、ガディエはあわてて壁に肩をついた。肩の痛みをこらえながら、必死で「光の障壁」を保つことに集中した。轟音の中に、ノトゥラの上げる甲高い悲鳴が混じっている。
 やがて耳の中で尾を引いていた音が消え去り、ガディエは顔を上げた。
 嵐のような風は通り過ぎたようだ。
 ガディエは張りつめていた腕の力を緩めると、きつく握っていた手を緩めた。「光の障壁」が明滅しながらかき消える。
「う……ん」
 すぐ後ろでくぐもった声が聞こえて、ガディエはあわてて振り向いた。
「ノトゥラ、大丈夫?」
 ガディエの後ろでうずくまっていたノトゥラは、ゆっくりと顔をあげた。蒼ざめた顔で、辺りをきょろきょろと見回す。
 天井から下がっていた氷柱状の石も、床にあった石筍も、折れて吹き飛んでいた。
「封印は?」
 ノトゥラが立ち上がりながら訊く。どこも怪我はないようだ。
「解けたよ」
 ガディエは小さく言うと、奥へ向かって歩き出した。早く、どんな宝が隠されていたのか見たかった。
「あ、待ってよ!」
 ノトゥラがあわてて、ガディエを追う。
 先を歩くガディエが、ふいに立ち止まった。
「どうしたの?」
 ノトゥラはガディエの横に出て、はっと息を飲んだ。
 急に広くなった広間のような洞窟内に、青緑色の水が溜まっている地底湖がある。その上の空間を、無数の鳥の羽根のような白い小片がふわふわと漂っていた。柔らかい産毛のような針状の突起は、触ったら簡単に壊れてしまいそうだ。
「雪みたい」
 ノトゥラは、舞い落ちる欠片を受け止めようとするように、両腕を前へ差し出した。
 洞窟の天井が割れたように開いていて、射しこむ光に欠片がまばゆく輝く。
 ガディエは眩しさに目を細めて、上を見つめた。
(さっきの爆風が、洞窟の天井を吹き飛ばしたんだろう)
 残った天井の所々に、途中で折れた氷柱状の石が残っている。洞窟の奥には、水中から伸びて天井につながった青灰色の柱がいくつも並んでいる。もう少しで天井に届きそうな、水中から出た石筍もある。
 それらの柱、壁、天井の全てが、灰青色の滑らかな皮膜のようなものに覆われていた。欠けた断面は、陶器か、半透明な硝子のようだ。
 開いた天井の縁にはヒビが入り、尖ったギザギザが残っている。まるで、割れた卵の殻のようだ。
 二人の立つ右手側、地底湖のほぼ中央部に、波紋が起きた。
(何だ?)
 波紋が次第に大きく広がるのを見て、ガディエは杖を握りなおした。
 水面に黒い影がゆっくりと近づいてくる。
「生き物」
「えっ?」
 ノトゥラがガディエの方を向いた。
(大きすぎる!)
 水が波のように大きくうねって、二人の足元へ押し寄せた。そして、水を滴らせながら現れたのは、まばゆい黄金色に輝く大きな頭部。
(……竜!?)
 ガディエはごくりと喉を鳴らした。
 額の上に、白金色の十二面体の結晶がいくつも並んで、所々に虹色が浮かんでいる。尖った長い耳の先には、白い針状の結晶が放射状に伸びている。
 頬の辺りは一面、硝子状の半透明な赤紫色に覆われていた。
 続いて現れた長い首から背中にかけて、まるで鶏冠かたてがみのような白い珊瑚状の結晶が走っていた。
(まさか)
 結晶に覆われた身体。銀竜よりも大きな頭部。
(絶滅したと言われていた、幻の……)
「石竜!」
 ガディエはかすれた声で叫んだ。


◆第6話
 石竜はゆっくりと金色の頭をもたげた。頬の辺りを覆っていた赤紫色の薄膜に亀裂が走った。
 ぱらぱらと薄い欠片が落ちて、石竜の金色のまぶたがゆっくりと開く。孔雀石のような深い緑色の瞳が現れた。ぎょろりと瞳が動いて、絹のような光沢のある瞳が静かにガディエとノトゥラを見下ろす。
 二人は声も出せずに、身じろぎもせずに、時が止まったように竜の顔を見つめていた。
(銀竜とはぜんぜん違う)
 ガディエの脳裏に、竜について学んだ内容が思い浮かんだ。
〈石竜――身体に石の結晶が生える大型の竜。きわめて大人しい性質。鉱水の湧いている場所を好み、主に山地に住む古い長命種。身体に結晶ができるのは、鉱水に浸るためだといわれている。宝石を採る者たちによって石竜は洞穴などに閉じこめられ、狩られ、激減した〉
 各地の伝承を集めて旅をして歩いたというサベル著作の分厚い本「伝承の系譜」の中の最終章「竜について」。暗記するのに苦労した本の中で「竜について」だけは、簡単に覚えられた。読みながら、この竜がどんな姿をしているのだろうと想像したものだ。
(こういう顔だったのか……)
 ガディエはゆっくりと手を握りしめて、震え声で呟いた。
「本物の竜だ」
 石竜の耳がぴくっと動き、針状の結晶がぱらぱらと舞い落ちた。竜の視線がガディエを捕らえた。何も映さない銀竜の瞳とは大違いの、命のかよった輝き。
(生きた竜だ。それも……今、目の前に!)
 かつて大陸中を飛びまわっていたといわれる竜は、今ではすっかり数を減らしていた。特に、シェネガエラでは、乾燥した気候のためか見かけることすら少ない。
 伝説の「銀竜を創りし者」でさえ、竜を求めて各地を歩きまわり、旅の果てにようやく白竜に出会ったのだという。
「竜……」
 ノトゥラは、かすかな吐息のような声を漏らした。濃いまつげに縁取られた黒い瞳を輝かせて、魅入られたように石竜を見あげる。
 両手をにぎり合わせて、ノトゥラはそっと目を閉じた。すぐにまぶたを開ける。
 ノトゥラは瞬きを繰り返した。それでも、見えている光景は変わらない。
「夢みたい」
 ノトゥラはうっとりと目を細めた。
 石竜はノトゥラの声に反応するように、首を少しだけ傾けた。
「私の言葉がわかるの?」
 ノトゥラはささやくように言って、冷たい水の中へ足を踏み入れた。一歩、二歩、と石竜へ近づいていく。
 急に大きく水が波立って、水面にゆらりと金色の影がにじんだ。
 はっとして立ち止まったノトゥラに、ガディエは駆け寄った。
「ノトゥラ!」
 大きな音を立てて水を散らしながら、輝く大きな翼と胴体が現れた。ノトゥラの持つ灯りに、石竜の結晶がまばゆく輝いている。
 虹色の揺らめきのある、金属光沢のある青色の鉱石に覆われている胴体部分。折りたたんだ状態の翼の表面には、鮮やかな緑色の細かな結晶の集まり。黄金に煌めく針状の晶癖を内包している透明な結晶。赤い大きな結晶は、紅玉だろうか。
「すごい……」
「きれい」
 目を見開いて見つめる二人の足元へ、冷たい水が押し寄せる。
 石竜は重たげに前足を持ち上げると、水と一緒に細かな水晶や鉱石の欠片を振りまきながら、一歩踏み出した。地面が軽く揺れて、水が更に大きく波立ち、青く輝く竜の胴体が現れた。
「おーい!」
 上から叫び声が聞こえて、ガディエは眉を寄せて見あげた。
 ふわふわと漂う羽根のような欠片の上から、細かな土ぼこりが降り注いでいる。大きく開いた天井の縁から、覗きこむように見下ろしている三人の影が見えた。
「伝説の『竜の主』殿! その竜を倒してくださらんか?」
 聞き取りにくい、かすれ声。ヌト村の長だ。
 ノトゥラは身をすくませるようにして、こわごわと上を見た。
 長は繰り返した。
「その悪い竜を、倒してくださらんか?」
 ノトゥラははっとして、石竜とガディエを見比べた。
(「竜の主」と呼んでおいて、竜を倒せだって?)
 ガディエはわなわなと肩を震わせた。
(銀竜乗りだとわかっていて、いいように利用する気なんだろ!)
「断る!」
 ガディエが叫ぶと同時に、何かが勢いよく上から飛んできた。はっとして杖を構えた時には、きしむような音を立てて、石竜が首を動かしていた。竜の背筋に当たった矢は、白い結晶の欠片を散らしながら跳ね返った。
(威嚇か。先に攻撃しておけばよかった!)
 ガディエは素早く、矢の飛んできたほうへ杖を振りあげた。杖の先端が白く輝き、「見えない火線」がほとばしった。だが、その力は上へ届くことなく、洞窟の奥の壁にぶつかって石柱を砕いた。
(なぜだ!?)
 ガディエは瞳を見開いて、ぼう然と杖の先を見つめた。
(確かに、手ごたえがあった。術には失敗していない。なのに、なぜ? 上へ向けたのに、あんなに低いほうへ?)
 上を仰ぎ見たガディエの瞳に、矢をつがえた男の姿が映った。
「ノトゥラ、ふせて!」
 ガディエは急いで杖を旋回させ、『光の障壁』を張った。
 矢が降ってくる代わりに、長の怒鳴り声が響いた。
「お前たちにも分け前をやろうと思っておったのに、どうしても、わしの頼みをきく気がないようじゃな」
 声が終わると同時に放たれた矢は、障壁に阻まれて小さなきらめきを残しながら消滅した。
 ノトゥラが不安そうに身をすくめる。ガディエは急いで言った。
「動かないで。危ないから」
 ノトゥラは息を呑んで、矢の降ってくる方を見あげた。
 ゆっくりと舞い落ちてくる雪のような薄片の向こうに、影のような長たちの姿が見えた。


 石竜のいる穴を取り囲む、土手のような赤土の上に男たちは立っていた。竜の頭の側に三人。背中側に二人。狩猟用の弓を抱えていた。
 次々と放たれた矢は、ガディエとノトゥラに届く前に、白く輝きながら消えていく。
「だめだ。なんでかわかんねぇけど、矢が消えちまいます!」
 矢をつがえながら若い男は叫んだ。
「どうなってんだ!」
 他の男も、途方にくれたようにわめく。
 一歩下がった場所に立っていた長は、顔をしかめて土手の縁に近づいた。土手の縁には、洞窟の中を覆っていた灰青色の石が割れて、剣のように鋭い断面がむきだしになっている。
 長は身体を屈めて、慎重に下を覗きこんだ。右腰に帯びた二本の長剣が、互いにぶつかりあって鈍い音をたてる。
 まばゆい結晶に包まれた竜の姿は、水面に映って二重にぶれて見えていた。そのそばにいるガディエとノトゥラを、ぼんやりとした弱い光が包んでいる。
「光の理術じゃな」
 長はかすれ声でぼそりと言った。
「なんですか、そいつは?」
 大男が弓を構えたまま、長を見つめる。
 長はそれには答えずに、うなずきながら言った。
「ふむ。石でなら通用するかもしれぬな」
 後ろを向いた長は、土手の下に控えていた男たちに命令した。
「おぬしら、急いで石を拾って来い!」
 男たちがばらばらと駆け出していくのを確認すると、次に長は弓を持った男たちに命じた。
「攻めの手を休めぬようにするのじゃ。反撃の隙を与えぬようにな!」


 次々と降ってくる矢に、ノトゥラは不安そうに石竜を見上げた。時おり竜の背や翼に矢がぶつかり、欠けた結晶と矢が水へ落ちる音が聞こえる。
「……ひどい」
 ノトゥラの呟きが聞こえたかのように、石竜は首を動かした。石竜の身体へ降り積もっていた欠片が、ヒラヒラと水面へ舞い落ちる。
「長い間ずっと、独りっきりで閉じこめられていたのでしょう?」
 石竜は深い緑色の瞳にノトゥラの持つ灯りを映している。ノトゥラは漆黒の瞳を潤ませて、石竜を見つめていた。
「寂しかったよね。ひどい仕打ちだよね」
 石竜の額の結晶に矢が当たって、高い音を立てた。白金色の結晶はびくともせずに、矢だけが跳ね返る。石竜は軽く目を閉じて、すぐに開いた。
 ノトゥラは震え声で言った。
「あの人たちは、今度は殺そうとしている……」
 ガディエは傍らから静かに言った。
「宝石が狙いなのさ。鉱水に長く浸かると、石竜には宝石が生えるというから」
「それじゃあ、宝石だけ採ればいいじゃない!」
 ノトゥラはガディエにかみつくように言った。
「いや。おれに向かって言われても……」
 ガディエはもごもごと口を動かすと、目を伏せて杖を握りなおした。
(だいたい、あんな矢で石竜を倒せるわけがないのに)
 ガディエはふと顔をあげて、硬そうな竜の身体を見つめた。金属光沢の有る青い結晶に囲まれた胴体は、まるで鎧をまとっているように見える。
(石竜はなぜ、飛びたたないんだ? どうして、矢からかばってくれたんだろう?)
 鈍い音が響いて、ガディエは振り向いた。続けざまに、すぐ近くに大きな石が落ちて、水が大きく跳ねた。
「石!」
 ガディエは恐る恐る上を見た。
 身を乗り出すようにした男たちが、次々と石を投げつけてきた。 床に当った石は音を立てて飛び跳ね、「光の障壁」に当った石は明るい橙色に輝きながらゆっくりと消えた。
 ガディエは舌打ちをすると、杖を握る手に力をこめて「光の障壁」へ送る力を増した。すると、石はすぐに、矢のときと同じように消え去った。
 その時、高く澄んだ音が辺りに響いた。
 ガディエの目の前で、鮮やかな赤い欠片が四方に飛び散った。竜の翼の紅玉に、石が当ったのだ。


「宝石に傷をつけるなと言っておろうが!」
 長は握りこぶしを震わせて、怒鳴った。石を抱えた男たちは、不満そうに顔を見合わせた。
「ちょっとくらい、いいじゃありませんか」
 一人が言うと、すぐに他の男たちも続けた。
「そうですぜ。一つや二つ欠けたって、あんなにいっぱいあるじゃありませんか」
「あの、大きな身体全部が宝石なんだ。やっと不味い飯ともおさらばだ!」
 一人の男が、ひときわ大きな石を持ち上げて言った。
「いっそのこと、こいつを竜の頭にぶつけてみましょうか」
 他の男たちは口々に同意した。長はイライラした様子で、早口で怒鳴った。
「ええい。ばか者が! 石なんぞで竜はびくともせんわい! 早く小僧を狙うんじゃ」
 男たちは顔を見合わせて、ぶつぶつと文句を言った。
「狙うのが難しいんですよ」
「だいたい、あんな小僧っこ一人に、なにができるっていうんです?」
「そうですぜ。あの妙な力だって、そのうち尽きちま……」
 長は最後まで言わせずに、ぴしゃりと言い放った。
「誰も解けなかった封印を解いたのは、あの小僧じゃぞ!」
 男たちはため息をつきながら、手持ちの石を落とした。


 ガディエは杖を握る手を代えた。じっとりと汗ばむ手のひらを、服の袖でぬぐう。
(こうしてただ守っていても、いずれ力は尽きてしまう。それに、集中力がいつまで持つか……)
 ガディエは髪をかきむしった。どうにかしなければいけないのは判っていても、考えがまとまらない。
 指の関節を曲げ伸ばししながら、ガディエは小さくため息をついた。
 ノトゥラは石竜の瞳を見つめて、ささやき続けていた。
「私たちのことは気にしないで。あなたは飛べるのでしょう?」
 石竜はわずかに身じろぎをした。透きとおる細かな欠片が、パラパラと辺りに散った。
 ガディエは顔をあげて、石竜の翼を見つめた。半開きの翼の裏側に、びっちりと水晶のような結晶ができている。
(もしかして、これ以上翼が広がらないのか?)
 ガディエはごくりと唾を飲みこんだ。
(……あの結晶が)
「逃げて。お願いだから!」
 ノトゥラが両手をあわせて、懇願するように叫んだ。ガディエは間髪いれずに言った。
「無理だよ、ノトゥラ」
 ノトゥラは目を見開いてガディエをにらんだ。
「なに? 竜を逃がしてあげようと思わないの?」
「いや。そうじゃな……」
 言いかけたガディエに、ノトゥラがたたみこむように言った。
「竜を何だと思ってるの? 『竜の主』さんにとって、竜はただの乗り物? そういえば、あなたが落っこちちゃって行方知れずの竜はどうなったの?」
 ガディエは黒森の中に隠した銀竜のことを思い出して、ため息をついた。
 ノトゥラは腰に手をあてて、言い放った。
「黙ってないで、何か言いなさいよ」
 その時、小石がガディエの足元に飛んできて、地面にめりこんだ。ガディエが横を向いて話しているあいだに、障壁が不安定になったようだ。
 ガディエは杖を握りなおしながら言った。
「ノトゥラ。石竜は飛ばないんじゃなくて、飛べないんだ」
「どういうこと?」
 ノトゥラの疑問に答えずに、ガディエは「光の障壁」を安定させるのに集中した。
 ガディエの逆立った赤毛は、ノトゥラの持つ灯りに反射して燃える炎のようだ。真剣な眼差しで杖の先端を見つめている。ノトゥラは黙って、ガディエの言葉を待った。
 やがて顔をあげたガディエは、ぼそりと言った。
「翼の裏。結晶がこびりついているだろ」
 ノトゥラが頷くのを見て、ガディエは続けた。
「その結晶が邪魔で、翼が開ききらないんだよ。きっと」
 石竜は、まるで「その通り」だと言うように、頭を垂れた。
「それじゃあ、結晶を削ればいい? 小刀でできる?」
 ノトゥラは懐から、果物の皮をむくのに使うような小刀を出した。
「ああ。何もないよりいい」
 降り注ぐ石の間隙をぬって、ガディエは「光の障壁」を消した。二人は竜の翼の下まで駆け込んで、まばゆく輝く結晶を削りとる作業を始めた。


「奴ら、隠れちまいましたね」
 石を手に持ったまま、一人の男が途方にくれたように言った。
 土手から見下ろすと、ガディエとノトゥラの二人はすっかり石竜の翼の陰になっている。何をやっているのかすら見えない。
 長は口元を歪めて笑うと、土手から身を乗り出すようにして叫んだ。
「今なら、命だけは助けてやるぞ」
 返事はない。長は続けた。
「どうせ、術の力も尽きたんじゃろう?」
 長がそういい終わるか終わらないかのうちに、下から何かが飛んできて、土手の縁をかすめた。縁が切りとられたようにきれいになくなっていた。
 長は声もなく、その場に尻もちを着いた。
「大丈夫ですかい」
 そばにいた男があわてて、石を下へ投げ捨てて長へ駆け寄った。


 大きな水音が響いて、ノトゥラは薄紫色の結晶を削る手を止めた。竜の後ろ側に、大きく水がはねている。石が落ちたようだ。
 ノトゥラはガディエが杖を握っているのに気づいた。
「どうしたの?」
 巻き毛についた硝子のような破片を払いながらノトゥラが訊いた。
「顔を出したから狙ってみたんだけど、難しいな……」
 ガディエはため息をつくと、足元に落ちていた灰色の石で、大きな薄黄色の結晶を叩き割った。ノトゥラは何も言わずに、結晶を削る作業を再開した。
 弱まっていた硝子球の輝きが、ふいに消えた。
 手元を照らしていた光がなくなって、辺りは急に薄暗くなった。
(灯りを点したほうがいいだろうか?)
 ガディエは額飾りを指でなぞった。わずかに熱を感じて、ため息をつく。
(日陰にいると、あまり力を集められないから……)
「大丈夫」
 声に顔をあげると、ノトゥラが黒い瞳でガディエを見つめていた。
「灯りがなくても見えるから」
 まるで、ガディエの心を読んだように言う。
「判った」
 ガディエはほっとすると、結晶を削りはじめた。


「なんて恐ろしい力だ」
「この切り口を見ろよ」
 土手の縁の切断面を見つめながら、男たちが呟いた。
 男たちは石を投げこむのを止めて、見張り一人を残して後ろに下がった。むやみに下から見える場所に立っていて、狙われたらたまらない。
「やっぱり、あいつを小屋から逃がしたのも、あの小僧に間違いありませんぜ」
 その言葉に、長は不機嫌に鼻を鳴らせた。
「そんなことは、判っておる!」
 男たちは顔を見合わせて、口々に不安を言い合った。
 長は腕を組んだまま、重々しく言った。
「じきに日が暮れよう。暗くなれば『光の術』も、効かなくなるじゃろうよ」
 西の空で、筋状に伸びた低い雲が、うっすらと色づいていた。


 翼の下で作業をする二人へ、再び呼びかけがあった。
「そのまま隠れていても無駄だ。今ならまだ命は助けてやるぞ」
 長の声ではない。
ガディエは杖をつかんで上を向いた。翼の向こうに、うっすらと橙色に染まった空が見えていた。
(もう夕方か。光の力は集められなくなるな……)
 ガディエは小さく息を吐き出した。
「ノトゥラ、戻ってきなさい。お前はヌトの者だろう? 恩を忘れたのか?」
 再び声が言った。ノトゥラは顔もあげずに、黙々と結晶を削り続ける。
 ガディエは杖を持ったまま、声の主を探して上を見回した。どこか離れた場所から大声で言ったのか、どこにも人影が見えない。
(今夜を乗り越えられれば、なんとかなるかもしれない)
 ガディエは再び石を握りしめて、結晶を叩き折った。


◆第7話
 朱色の輝きを残して、太陽が山蔭に沈んだ。
 急速に闇が迫ってくる中、ガディエとノトゥラはまだ必死になって、右翼の裏側についた結晶を削っていた。大きな結晶はだいぶ取り除き、透明で細かな結晶だけがまだ残っている。
「あと、もう少し!」
 ノトゥラが励ますように元気に言う。
「ああ。暗くなったから、灯りをつけようか」
 ガディエはノトゥラから首飾りを受け取って、硝子球に光を灯した。
 すぐ近くで黄金色の反射が目に飛びこんできた。ガディエは眩しさと驚きに息を呑んだ。
「石竜!」
 ノトゥラの歓声に、石竜は緑色の瞳を煌めかせる。いつの間にか石竜が、まるで作業を見守るかのように二人の側へ顔を近づけていた。
「もう少しで、右翼が開くと思う」
 ガディエの言葉に、石竜はゆっくりと瞬きをした。
「もしかして……、もう、こっちの翼はいいの?」
 ノトゥラは右翼を触りながら訊いた。言葉がわかるのか、石竜はわずかに鼻先を下げた。
(言葉が通じる……?)
 ガディエがぼうっと石竜の顔を見つめていると、ノトゥラが腕を引っ張った。
「ほら。早く、もう一つの翼をやらなきゃ」
「……ああ、うん」
 二人は石竜の首の下を通り抜けて、水に靴を濡らして折りたたまれた左翼の下へ行った。
 ガディエは作業をしやすいように、翼の真下の水中へ灯りを置いた。
 水面で黄色味を帯びた光が輪になって輝き、まるで小さな満月のようだ。光に照らされて、胴体を覆う青い結晶が光輝を放つ。
「わぁ……」
 ノトゥラはその場に凍りついたように立ち止まった。
 上のほうが騒がしい。バタバタと走り回る音。遠くから話し声のような音が聞こえる。
 ノトゥラははっとすると、眉間に皺を寄せて翼の下の薄桃色の結晶を削りはじめた。ガディエは銀色の柱状の結晶を折ろうとしながら、上の様子を伺った。闇の中に小さな炎の舌が、ちろちろと見えている。
(火を焚いた……。そろそろ動きがあるだろう)
 ガディエは注意深く、周囲を見回した。
 視界の端で、何かが動いた。ガディエは目を細めて闇の中を見つめた。
 石竜がゆっくりと首を動かした。鼻を向けた先で、人影が揺らぐ。
(いた!)
 ガディエは相手に気取られないように片手で結晶をつかんだまま、腰の杖に手を伸ばした。
 相手はじりじりと近づいてくる。ガディエは間合いを計って杖を振った。杖の先が青白く輝き「見えない火線」がほとばしる。
 小さなうめき声をあげて、相手が倒れた。
「なにがあったの?」
 ノトゥラは結晶を削る手を止めて、眉を寄せてガディエを見た。
 ガディエは厳しい表情で早口に言った。
「ノトゥラはなるべく石竜の陰に。明るい場所にいて」
「闇討ち?」
 ノトゥラは震える声で訊いた。
「ああ。暗闇に乗じて、片をつけるつもりらしい」
 ガディエの言葉にノトゥラは大きく頷いた。
「判った。コツはつかんだから、急いで削るね」


 ノトゥラが結晶を削る音と欠片が水中へ落ちる音が響く中、ガディエは結晶を手折りながら、周囲を警戒していた。
 何かが隅のほうで光った。
 ガディエは杖を手に「見えない火線」を撃った。地面に当って、石がはぜる微かな音が響く。
(ちっ!)
 ガディエは息を殺して、相手の位置を探った。反射光はもう、見えない。相手は既にどこかへ回りこんだのだろうか。
 ガディエはごくりと唾を飲みこんだ。杖を握る手の平が、じっとりと汗ばむ。
(どこだ、どこだ。どこにいる?)
 じっと目を凝らしていると、石竜の胴体の向こう側で、水面に波紋が広がるのが見えた。
(あんな所に!)
 相手はノトゥラの背後に回りこむつもりなのだろう。
 ガディエは杖を握りなおした。光の術の力は既に半分。「見えない火線」を何度も撃てば、光を灯すことすらできなくなってしまう。
 ガディエは息を整えると、相手に狙いを定めた。敵の持つ、短剣がわずかに煌めいた。
(今だ!)
 ガディエは「見えない火線」を放った。
 低いくぐもった声。同時に、水の跳ねる音が響いた。
(……残り、九回)
 ガディエは杖を手に、肩で息をした。
 空に昇った月が、蒼白い光でぼんやりと辺りを照らしている。石竜の身体も色を失って、鈍い銀白色に輝いていた。
 薄黄色の光に照らされた翼の下では、ノトゥラ汗をにじませながら結晶を削り続けていた。透きとおる結晶の根元に小刀を振り下ろす。衝撃に手が緩んで、するりと小刀が滑った。
「あっ」
 ノトゥラが声を漏らすと同時に、小さな音が響いて小刀が床に落ちた。
 ガディエははっとして振り向いた。反射的に、音の方へ杖の先を向ける。
 杖の延長線上には、金の巻き毛をべったりと顔に貼り付けた、褐色の肌の少女がいた。
「……なんだ。ノトゥラか」
 ガディエは身体の緊張を解いてつぶやいた。
「なんだじゃないでしょ!」
 ノトゥラは声だけは威勢良く言うと、自分の腕をもみほぐした。慣れない作業をずっと続けているためか、腕は張って熱を持っている。
「ごめん」
 ガディエは小さく言って、手近な結晶に手を伸ばした。
「いいから。奴らが近づかないように、見張ってて!」
 ノトゥラはそう言い放つと、長袖のまま腕を水に沈めて冷やした。


 結晶を削る音が、規則的に聞こえている。
 ガディエはちらりと、空を仰ぎ見た。空の色は濃青色。先ほど見たときよりも明るい。
(長たちはきっと、太陽が昇る前に仕掛けてくるだろう)
 その時、ただならぬ気配を感じて、ガディエは土手の上を見つめた。
 真っ黒な人影がぐらりと揺らぐ。と、身体をくの字に折り曲げるようにして、落下してきた。
「何だ!?」
 杖を向けて見守っていると、水中へ落下した男の体から白煙が立ち上った。
 焦げ臭い嫌なにおいが、辺りに立ちこめる。
「きゃー!」
 ノトゥラは小刀を持って結晶に手をかけたまま、恐怖に目を見開いた。
(炎の術!?)
 ガディエは杖の先を上へ向けた。
「よう! 銀竜乗り。封印は解けたみたいだな」
 どことなく聞き覚えのある、低い男の声だ。ガディエは耳を疑った。
(銀竜乗りだって?)
 土手の縁に右足をかけて、精悍な顔つきの痩せた男が見下ろしていた。
 ガディエの瞳が、大きく見開かれた。
「あの時の男!」
 伸び放題だった髭と髪を整えて、かなり雰囲気が変わっていたが、確かにガディエがヌト村で逃がした男だった。
「苦戦してるようじゃないか、なあ? 加勢してやろうか?」
 男はにやりと口を歪めた。抜け目のない狡さと凄みの混ざった顔だ。
(嘘を言うな!)
 ガディエは舌打ちをした。
「竜を征伐に来てやったぜ」
 男の黒い瞳がギラギラと輝きを増した。
(征伐? 炎の術師の他にも理術師が来ているのか?)
 ガディエは杖をきつく握りしめた。
「マンティトのご領主様のご到着だ!」
 男は顔を上げて、西を見つめた。
 色のさめたような景色の中で、花咲く丘を埋めつくすように、槍を手にした軽装兵が続々と集結していた。白い小花を踏みにじりながら隊列を整えている。
「兵の数は二百だぜ! 理術師部隊までいるぞ!」
 男が叫んだ。
 命乞いの声や悲鳴が、洞穴の入り口から響いてくる。
 身を竦めて立ちつくすノトゥラのそばへ、ガディエは駆け寄った。きつく杖を握りしめる。
(「見えない火線」を撃つなら、残り三回。…くそっ。太陽が昇りさえすれば)
 静かに佇んでいた石竜が、ゆっくりと首をもたげた。


 空がゆっくりと白みはじめた。東の空に低く垂れこめた雲が、青紫色に染まり、雲上の縁が黄色味を帯びている。
 蒼い空の一角を切り取ったように、音もなく影が現れた。青紫色の光を反射する竜の頭だ。
 竜が滑るように右へ旋回するのにあわせて、東の空を映しだした大きな左翼が煌めく。竜の背に乗った人影がちらりと見え、続いて銀青色に輝く長い尾が現れた。
 続いてもう一つ。……二つ。薄暗い空を悠々と舞う。
 三つ。四つ。大きな翼を翻して、上空を旋回する。
 続いて五体の翼竜が現れた。先に現れた竜よりずっと小さく、大型の鳥くらい。竜の長い尾を追うように、つき従って行く。
 全ての竜が隊列を整えて、円を描くようにガディエたちのいる洞窟の上を滑空した。
「まさか……銀竜!」
 滲んだような薄紫色の雲の上から、黄金色の陽光がこぼれた。空を舞う銀竜の翼が光を反射して、鈍い飴色にきらめく。
 五体の銀竜のうち三体が、隊列を離れて兵の居並ぶ丘へ向かった。飛びながら三体の小銀竜を間にはさみ、横一列に隊列を整える。
 銀竜は翼をたたむと、獲物を狙う猛禽類のように急降下した。旋風を巻き起こしながら、兵の頭上をかすめるように飛ぶ。
 兵の間から悲鳴が上がった。ぬるぬるとする薄茶色の液体が降り注いだのだ。
「これは……油!?」
 急上昇に転じた銀竜の背で、銀竜乗りが身体をよじった。振り向きざまに杖を後方に差し向ける。杖の先端が青白く輝いた。
 杖の先にいた兵が、くぐもった声を出す。倒れた兵の皮鎧に真っ黒な焦げ跡が生じ、すぐに身体が舐めるような炎に包まれた。銀竜が投下した油に引火したのだ。
「うわー!!」
 炎から逃れようとする兵たちと、何が起こったのかわからずにいる兵たちが押し合いへし合いしている間に、紅い炎が次々と燃え広がっていく。
「火だ。逃げろー!」
 三人の銀竜乗りたちが次々に放つ「見えない火線」で、あちらこちらで火の手があがった。
「ばかな!」
 きらびやかな鎧に身を包んだ壮年の男は、ぼう然と立ち上がった。
 眼下に広がる丘では、炎が勢いを増しながら広がっていた。恐怖と苦痛に顔を歪めた兵たちが散り散りに逃げ惑い、次々と倒れていく。
 逃げようと、怒鳴り声をあげながら小剣を振り回す者。火脹れの顔で泣き叫ぶ者。背中に炎をつけたまま、丘の斜面を転がり落ちる者。
「領主様、危のうございます!」
 そばに控えていた水の理術師が、手を振り上げた。理術師の両手からキラキラと輝く液体がこぼれ出て、領主と自分の周りに「霧の障壁」を張った。
「奴ら、光の術で狙っております。私めの、この術で防げるはず」
 「霧の障壁」の一部が、金色にきらめいた。銀竜乗りの放った「見えない火線」を防いだようだ。
「ご安心なされい。大丈夫ですぞ」
 術師が声高に宣言した正にその時、三体の銀竜が口を開いた。
 三方から青白い「光の砲撃」が放たれる。
 領主と術師の姿は、霧の障壁もろとも輝きながら消えうせ、地面には黒焦げの跡だけが残された。


 洞穴を囲んだ理術師たちは、空を飛ぶ銀竜にめがけて攻撃を仕掛けていた。
「くそっ。ちょこまかと素早い奴め!」
 炎の理術師は、手に持った火炎が吹き上がる筒を振り回した。銀竜は身軽に火炎をかわして飛びまわる。別の理術師の放った火柱も、銀竜に悠々と避けられた。
 弓兵の射った矢は、銀竜に届かずに弧を描いて下降するばかり。
 銀竜乗りは杖を持つ手を下方に迫り出して、「見えない火線」でなぎ払った。
 応戦していた兵や理術師の身体が真っ二つに寸断されて、黒い断面を見せながら地面に転がった。火炎の吹き上がる筒が、理術師の手から転がり落ちる。
 地面に生じた焦げ筋は、術主を失って暴走した炎に飲みこまれた。
 ガディエはノトゥラから小刀を受け取って、必死で結晶を削りとっていた。顔中に石の破片を浴びながら、ひたすら腕を動かしつづける。ノトゥラも痛い腕を我慢しながら、手で結晶を折りとろうとしていた。
 洞穴の周りを紅蓮の炎が包み、熱風が入り口から吹きつける。冷たかった地底湖の水は、温まって湯のようになっていた。
 ガディエが大きな柱状の結晶を砕くと、石竜の翼が小刻みに震えた。
「石竜が!」
 ノトゥラがガディエの横へ駆け寄って叫んだ。
 翼の下に張り付いた結晶に亀裂が走った。
「危ない!」
 二人は翼の下で身を寄せ合った。
 翼が結晶の欠片を撒き散らしながら開き、巻き起こった風に水面が大きく波立った。吹き上がった石の欠片が、炎に触れてまばゆく金色にきらめく。
 石竜は、炎に縁どられた丸い空を見あげた。
「……なんか、臭う」
 ノトゥラが鼻を抑えた。辺りには金属臭がたちこめている。
「石竜が、翔ぶぞ!」
 ガディエは叫んだ。
 石竜は前足を曲げて、前傾姿勢をとった。促すように二人の方へ顔を向ける。
「乗れって言うの?」
 ノトゥラは石竜の深い緑色の瞳を覗きこむように見つめた。石竜は鼻先を下げて、目を細めた。
「急げ、ノトゥラ!」
 ガディエはノトゥラの背中を押しあげた。ノトゥラは石竜の体の結晶につかまりながら首へ乗った。すぐにガディエもよじ登る。
 石竜は頭をもたげると、両翼を空へ向けて高々とあげた。
「しっかりつかまっていて、ノトゥラ」
 ガディエは石竜の首にしっかりと腕を巻きつけて叫んだ。ノトゥラはガディエの胴に手を回す。
「貴様ぁ!」
 洞穴を覗きこむように男が立っていた。焼けただれた顔が煤で黒ずみ、潰れた片目から血が流れている。
「行かせるかっ!」
 男は渾身の力をこめて、手に持った槍を振りあげた。
 ガディエは男に杖を向け、ありったけの術力で「光の砲撃」を放った。


 石竜は高くあげていた翼を一気に振り下ろした。
 輝く朝陽を浴びながら空高く上昇していく。
 百年の長きまどろみから醒めた竜は、軽々と空を舞った。

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15.Jun.2001-04.Sep.2001 UP
17.Mar.2002 改稿
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