よろずや「漂亮(ピオラン)」奇効奇談

〜繊細な舌を持つ厨工、新点心を考えること〜

 この世の何処かに其の店は在るといふ。其の名は「漂亮」。
 彼の店で扱いし不思議な薬や道具は、あらゆる悩みを解決してしまうのだといふ。

 静かな水面をゆっくりと、手漕ぎの小船が滑り行く。
 苔の生えた石造りの太鼓橋。
 膝まで水に浸かり洗濯をする老婆。歓声を上げながら水浴びをする子供たち。
 ここは、水路が縦横に走る、古い水郷の町。
 この町に暮らす者たちは、遥か昔から変わらない生活を続けているのだという。
 さて。

 水辺に立ち並ぶ建物の一つに「香甜飯館」があった。
 香草料理と点心が人気の店で、近くの都市からわざわざ食べに来る者もいるという。
 その、煙のたなびく飯館の水路に面した戸口から、青菜の載った籠を抱えた男が一人出てきた。
 中背で肩幅が広く、薄褐色の肌色をしている。
 鼻腔の膨らんだ鼻。骨ばった四角い顎。吊り上った細い目。濃い眉。
 男は石段を降りると、水際へどっかりと腰をおろした。
 骨ばった太い指で、青菜を一株ずつ丁寧に水路の水で洗いはじめた。
 この男、名をシェトウという。
 食材豊かな南方の町出身の二十二歳。
ここ香甜飯館で厨工の修行を四年続けている。
 いかつい風貌に似合わず、料理に入っている材料や調味料をたちまち当ててしまう繊細な舌の持ち主だ。
 その舌ゆえに、彼には夢があった。
 それは、素材と調味料の調和の取れた、美味しい新作料理を考え出すこと。
 なにしろ、彼の舌は少しの腐敗や調味料の不調和を見逃さない。よって、これまでに、どんな料理を食べても、心から美味しいと感じたことがなかったのだ。
 シェトウは全ての青菜を洗い終え、立ちあがって腰を伸ばした。
 すぐ目の前を、老人の乗った小船が通りかかった。
 水路に棒を突きたてて、悠然と船を進めていく。
 シェトウの足元を見つめた老人は、欠けた前歯を剥きだして叫んだ。
「お?青菜か。今日の午飯は青菜炒かぁ?」
「いや。紅焼肉青菜ですよ」
 シェトウの返事に老人は口元を拭った。
「そいつはいい。あんたの店の紅焼肉は好物なんじゃよ。後で食べに行くからなぁ、取っておけよお」
 叫びながら、老人はシェトウの前を通り過ぎていった。
 
 シェトウが青菜を抱えて飯館へ入ると、先輩厨師が待ち構えていた。
「おお、シェトウ。ちょうど良かった。待ってたんだ」
 先輩厨師は、鍋の中身を小皿に盛った。
 黒っぽい小さな肉の塊から、煮汁がとろりと垂れる。
「いつもと同じ作り方をしたのに、なんだか風味が違うんだよ」
 シェトウは小皿を受け取ると、口の中へ流しこんだ。
 幾つもの調味料が、舌の上に広がる。
 豚、醤、八角、生姜、長葱、肉桂、それから…。
「蜜が違います。それと花椒が少し足りないです」
 シェトウの言葉に、先輩厨師はあわてて鍋に花椒を振り入れた。
 そして、くるりとシェトウを振り向くと、眉を寄せた。
「いつもどおりに蜜を入れたはずだが?」
「今日、新しい瓶を開けませんでしたか? いつもの物より金花草の風味が強いですよ」
 そのシェトウの言葉に、先輩厨師は歯を見せて笑った。
「そんな違いが判るのは、お前だけだよシェトウ。さあ、紅焼肉完成だ。皿をどんどん持って来い!」
 
 紅焼肉青菜の載った皿を運びながら、シェトウはため息をついた。
(この紅焼肉は失敗作だ)
(楽しみにしてくれていたあのお年寄りに申し訳ない)
 厨房の出口に皿を置いたシェトウは、店内を見渡した。
 すると、大勢の客の中に、あの老人の姿があった。
 口いっぱいに紅焼肉を頬張り、目を細めて堪能している。
 そのとろけそうな表情に、シェトウは大あわてで厨房へ戻った。
(これが、これが、美味しいだって?)
 先輩厨師の目を盗んで、鍋の中から肉片を取り出すと、口の中へ放りこんだ。
(違う。風味が駄目だ。不調和だ)
「おい。青菜が足りないぞ。急いで洗って来い!」
 先輩厨師の言葉に、シェトウは急いで肉を飲みこむと、籠を抱えて外へ出た。
 こんな風にシェトウはいつも、菜を洗うか、力を生かして餃子の皮をこねる毎日だった。味見をすることはあっても、調味を任せてもらうことはない。火の前に立つことも無く、刀工もしない、一番下っ端の見習厨工。
 シェトウは青菜を洗う手を休めて、空を見上げた。
(どこかに、誰か、本当に味の判る者がいるはずだ)
(あの老人や先輩厨師たちのように、あんな味では満足できない者が、どこかに)
「おお〜い。シェトウ、急げ!」
 厨房で、先輩厨師が悲鳴のような声で叫んだ。
 シェトウはあわてて、青菜を水に突っ込んだ。

 次の日の朝。
 シェトウは先輩厨師のお供で、隣町の市場まで来ていた。
 色とりどりの、摘みたての菜が積み上げられている。その向こうには、絞めたばかりの鶏や骨つきの肉が並んでいる。
「その茄子。艶のいいところ。それと、青椒をくれ」
 先輩厨師が品定めをしている間、シェトウは物珍しそうに辺りを見回していた。
 真っ赤な番茄。刺の鋭い黄瓜。粒のこぼれそうな玉米。
 ふと、顔をあげたシェトウは、眩しさに目を細めた。
 よく見ると、広告画の文字が金色に輝いている。
「異味新的、創作点心評判大会」
 シェトウは思わず、広告画に駆け寄った。
「評判大会だって!?」
 広告画は、市場を囲む柵に張り巡らすように貼られている。
 まだ、貼ったばかりなのか、金色の文字が濡れているかのように見えた。
 シェトウが広告画を見つめていると、傍らで香瓜を売っている男が、得意げに説明を始めた。
「三年にいっぺん、この町で開かれてるんだ。見物人も試食できるし、とにかく、大勢の厨師が集まって、お祭りみたいに賑やかなんだぜ」
「どんな風に行われるんだ?審査人は?参加資格は?」
 シェトウが早口に尋ねると、男はあわてて両腕を振った。
「そんな、審査人が誰かなんて知らないって。ただ、選ばれた創作点心は、厨師の名前と一緒に町の年鑑に載るみたいだけど」
 シェトウは眉をしかめて、ずいっと男に近づいた。
「それから?」
「そ、それから…・、見物人と、審査人が一つづつ選ぶんだったかなぁ」
「それから?」
「そ、それから、えっと」
「参加条件は?」
「い、いや。どうだったかなぁ。もう、いいだろ。そんなに顔を近づけないでくれ。怖いよ」
 男は泣きそうな表情になって、懇願した。
「謝謝」
 シェトウは男から離れると、再び広告画に見入った。
(これはいい。審査人というからには、舌が肥えているに違いない。力を認めてもらえる機会だ)
(問題は、参加条件だが…・)
「おーい。おーい!」
 遠くで、誰かが叫んでいる。
「おーい。シェトウ! そんな所で何やってんだ!」
 シェトウがあわてて振り向くと、先輩厨師が真っ赤な顔をして、菜や水果が山盛りの荷車を引っ張ってきた。
「これは、お前の仕事だろ! 何やってんだよ」
「すみません」
 シェトウが急いで荷車に近づくと、先輩厨師は顔を歪めた。
「なんだ、創作点心評判大会の広告画じゃないか」
 シェトウは見透かされたような気がして、顔を赤らめた。
「うちの店からも、誰か出るんだったかな。まさか、お前が出たいって言うんじゃないだろうな、シェトウ」
「え? 私でも出られるんですか?」
 シェトウが上ずった声で訊くと、先輩厨師は吐き捨てるように答えた。
「そりゃあ、まあ、申し込めば誰でも出られる大会だがな。もし、お前が出るってんなら、店の名前は出すなよ。絶対だぞ」
 その、先輩厨師の言葉を、シェトウは最後まで聞いていなかった。
(誰でも参加できる)
(認めてもらえるいい機会だ。やっと機会が巡ってきたんだ!)

 真夜中。
 月明りの射し込む香甜飯館の中に人影が一つ。
 薄暗い厨房の中で、忙しそうに腕を動かしていた。
 部屋の中には、針葉樹の樹皮のような香りが漂っている。
 ぐつぐつと煮える鍋の中身は、小さな四角い塊と白金色の液体。
 気泡がはじける度に、甘酸っぱいような香りが広がる。
 鍋の傍らで、力を込めて面粉を捏ねていた男は、手を休めて鍋の中を覗きこんだ。
 匙子で煮汁をすくい上げ、口へ運ぶ。
「だめだ。不調和だ!」
 男は外にまで聞こえる大声を出して、匙子を放り投げた。
 
 
 餃子の皮をこねていたシェトウは、手を休めると欠伸をした。
「はぁあぁぁ〜」
 今日、シェトウは、朝から何十回も欠伸を繰り返していた。
 厨司努が、餃子の餡を味つけしながら口を開いた。
「今日もか。何なんだ、あいつは。やる気あるのか?」
 厨工たちは、餡を皮で包みながら口々に言った。
「この間から、ずっとあんな調子で」
「あいつ、夜中に何かやってんだぜ。きっと」
「今日の皮は特に酷いぜ。ほら、すぐにちぎれちまう」
 そう言って、男は餃子の皮を広げて見せた。
 一人の厨工が口を開いた。
「そういえば。夕べ、厠に行ったら、誰かが厨房で『不調和だ!』って叫んでた」
 他の厨工たちは、一斉に手を止めた。
「まさか。夜中に修行してるってのか?」
「あいつ、何を練習したって、材料を無駄にするばかりじゃないか」
 その言葉に、他の厨工たちは一様にうなずいた。
 一年程前に、シェトウに刀工をさせたことがあった。だが、シェトウは、形に少しの狂いもなく切れないと「失敗だ」と言って捨て、一つの菜を切るのに何刻も費やした。よって、彼が香甜飯館で刀工をしたのは、たったの一日だけだったのだ。
 黙々と餃子を蒸していた厨師が、ぼそりと言った。
「あいつ、明日の『創作点心評判大会』に出るって言ってた…・」
「何だって!」
 厨司努が手を止めて叫ぶと、厨師は口を開いた。
「店の名前は出さないようにと、念を押しておきましたから」
「当たり前だ。店の看板を背負って出られたら迷惑だ!」
 そう、厨司努は怒鳴った。
 
 酒を出さない香甜飯館の夜は早い。
 酒楼がこれから賑わいだすという頃に、店じまいがはじまった。
 他の厨師や厨工たちが、忙しく行き交い、明日の仕込みをしている。
 そんな中、シェトウは先輩厨師に話しかけた。
「市場を覗いておきたいので、先に帰りたいのですが」
 先輩厨師は、ため息混じりに応えた。
「お前、いいかげんにしておけよ。新点心にうちこむのもいいけどな、皆に迷惑かけてるぞ」
 シェトウは、先輩厨師ににじり寄って懇願した。
「すみません。今日、明日だけなので、なんとか」
 先輩厨師は顔をそむけて言った。
「判った。判ったから、明後日からはもう、仕事中に欠伸なんてするなよ」
 
 シェトウはぶらぶらと小さな市場を歩いていた。
(何か、何かがあるはずだ)
 煤油灯に照らされて、鋳物屋の鍋が金色に染まっている。
 玩具や布から魚や香辛料まで並べられている、雑多な市場だ。
 買い物客はまばらで、既に店じまいをはじめた露店もある。
(作り方は間違っていない。材料も間違いない。何か、調和させるのに必要なものがあるはずなんだ)
 ふと、辺りが薄暗いのに気づいたシェトウは、あわてて振り返った。
 考え事をしながら歩いているうちに、いつの間にか市場を通り抜けてしまった様子。
(困ったな。大会はもう、明日だというのに)
 シェトウは腕組みをして、大きなため息をついた。
(市場に戻っても、何を探せばいいのやら)
 ふと、どこからか漂ってくる微かな香りに、シェトウは辺りを見回した。
 すぐ近くに、戸の隙間から灯りの漏れている古びた店がある。
 シェトウは店の戸口に近寄って鼻腔を膨らませた。
(ここから香りが出ている。何の店だ?)
 戸の横に立て掛けられた板に、「よろずや『漂亮』」と、彫ってある。
 その文字の下に、墨で「あらゆるお悩み解決します」と、書き加えてあった。
(よろずやだって? あらゆる悩みを解決するだって?)
 シェトウはごくりと唾を飲みこんだ。
(解決できるというのなら、解決してもらおうじゃないか)
 シェトウはよろずやの戸を潜った。
 灯にぼんやりと照らされた店内は、鈍く光る棒状の物や箱で埋め尽くされていた。
(この店は、何を売っているんだ?)
 シェトウが店内を見回していると、店の奥から背の高い男が出て来た。
 白い肌に漆黒の髪。
 薄い唇は僅かに紅く、長い前髪の間から切れ長の黒い瞳が覗いている。

(役者みたいな顔だ)
 シェトウがまじまじと見つめていると、男は口を開いた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。私はここ『漂亮』の主、ワンです」
 抑揚のない、低い声だ。
「ここは何を売っている店ですか?」
 シェトウが訊ねると、店主は微笑を浮かべた。
「お悩みを解決する、薬や道具を扱っております」
「薬や道具ねぇ」
 シェトウが足元の箱を覗きこもうとすると、店主は口を開いた。
「どうぞ、こちらへ。お茶でも飲みながらゆっくりしていってください」
「いや。のんびりしている時間はないんだ」
(そうだ。もう、市場のどの店も閉まってしまう)
 シェトウは両手を振って後退った。
「そうですか? 九龍木のいいお茶があるんですが、残念です」
 店主の言葉に、シェトウは足を止めた。
「九龍木だって? あの幻の古木の?」
「ええ」
 平然と言う店主に、シェトウはにじり寄った。
「まさか。あれは貢茶じゃないか。手に入るわけがない」
「そうですね。でも、あるんですよ。飲んでみますか?」
 シェトウは疑いながらも、飲んでみることにした。
 シェトウが古びた布張りの椅子に腰掛けると、店主は茶具を運んできた。

 店主の一挙一動を、シェトウはじっと見つめていた。
 茶壺に入れられた茶葉は、普通の青茶に見える。
 小さな茶杯にお茶が注がれると、微かに甘い香りが辺りに漂う。
 シェトウは勧められるのを待たずに、茶杯を手に取った。
「ああ、いい香りだ」
 シェトウはお茶を一口飲みこんだ。
「これは、素晴らしい」
 シェトウは思わず、茶杯を持ったまま立ち上がった。
「初めてだ。こんなに調和している味は、本当に初めてだ!」
 シェトウの言葉に、店主はにっこりと微笑んだ。
「味の判る方に飲んでいただけて、とても嬉しいです」
 シェトウは椅子に座りなおすと、ゆっくりと時間をかけて青茶を飲んだ。
 一滴も残さずに飲み干すと、シェトウはゆらりと立ち上がった。
 卓子に両手を置いて、店主に向かって大声で話しはじめた。
「これが、私の目指しているものなんです。あなたなら判るでしょう? この世の中に、なんと不調和な味が溢れていることか。こんなに美味しいお茶を飲んだのは生まれて初めてですよ」
 店主が黙って見つめていると、シェトウは続けた。
「不調和な味のものを平気で出すような店じゃだめなんです。だから、調和している新点心を作って、隣町の新点心評判大会に出たいんだ。なのに、どうやっても不調和で、何かが足りないのに、それが何なのか判らない」
 シェトウはそこで言葉を切ると、卓子を拳で叩いた。
 茶具がぶつかり合って、小さな音を立てた。
「だから。だから、その悩みを、解決してもらいたくて、ここへ来たんです」
 店主は形のいい眉を寄せた。
「何かが足りないと言われましても、話を聞いただけでは判りかねますが」
 シェトウは、新点心の材料や作り方を細かく説明した。
「困りましたねぇ。私は厨師ではありませんから。ですが、九龍木の茶葉が判るほどのあなたなら、明日の大会は無理でも三年後には完成させられるのではありませんか?」
 店主の言葉に、シェトウは再び卓子を叩いた。
「あらゆる悩みを解決するって、看板に書いてあったじゃないか!」
 店主は茶具を庇うように、そっと持ち上げた。
「逃げるのか? 看板に偽りを書いているのか?」
 シェトウは吊り上った目をますます吊り上げて、店主を睨みつけた。
 店主はゆっくりと立ち上がって、シェトウに訊ねた。
「あなたは、調和のとれた新点心を作りたいのですか? それとも、新点心評判大会で優勝したいのでしょうか? それとも、優勝して町の年鑑に名前を載せたいのでしょうか?」
 シェトウは少し考えてから、こう答えた。
「調和のとれた新点心だ」
(それが作れさえすれば、優勝できるし、年鑑に名前だって載るに違いない)
「ご自分の舌よりも、このよろずやの商品に頼るというのですね?」
 店主が念を押すと、シェトウは大急ぎで頷いた。
「では、今、ご用意いたしましょう」
 店主は茶具を携えて、店の奥へ引っこんだ。
 シェトウは落着きなく、卓子の周りを歩き回った。
(あんなに珍しい茶葉があるくらいなら、市場なんかでは手に入らない調味料や食材があるに違いない)
 シェトウは期待のこもった目で、店の奥を見つめた。
(そうだ。九龍木の茶葉があるくらいなら、献上用の珍しい水果や西域の品があるかもしれない)
 やがて、店主は小さな玻璃瓶を持って戻ってきた。
 中には真っ黒い小さな粒が入っている。
「それは、何です? 見たことがない。西域の香辛料ですか?」
 シェトウの言葉に、店主は首を振った。
「判りません。これは名前も、産地も判りません。が、必ず、あなたの新点心の味を補うことができるでしょう」
 シェトウは首を傾げた。
「味見させてもらえますか?」
 店主は頷いて、シェトウの手の平に一粒置いた。
 シェトウはそっと口に入れた。
 香りも味もない。
「これは?」
 シェトウが訊くと、店主は静かに答えた。
「それは、熱を通したときに効果が現れます」
「なるほど。それで、値は?」
「十二環です」
 シェトウは、珍しい品にしては安いと思いながら、お金を払って店を出た。

 すでに辺りは真っ暗で、道を歩く者の姿も見えない。
「よし。急いで味を完成させるぞ」
 シェトウは小走りで、香甜飯館を目指した。
 さて。

 晴れ渡った藍天の下、大勢の厨師たちが広場へ集まっていた。
 大きな中式鉄鍋を軽々と片手で担いでいる大男。籠いっぱいの、菜や水果を抱えている中年女性。布包みを引っかけた天秤棒を担ぎ、人の間を縫うように通っていく老人。
 この辺りでは見かけない水果を調理台に並べている男や、輝く金色の髪をした西域人までいる。
 この、出身地も年齢も様々な者たちは、全員が「創作点心評判大会」への参加者だった。
 さて。
 
 人であふれている広場の中を、シェトウはよろよろと歩いていた。
 鍋や菜刀の入った大きな布包みを背負い、酒瓶や面粉など材料の入った籠を抱えている。
「あ!」
 何者かに押されてよろめいたシェトウは、側にいた若者にぶつかった。
 男は、シェトウをにらんで怒鳴った。
「おい、気をつけろよ! せっかく持ってきた花がつぶれちまうだろ」
 点心を飾るつもりなのか、男は両腕いっぱいに桃色の花を抱えていた。
「対不起」
 シェトウが謝ると、男は鼻を鳴らせて大股で立ち去った。
(えーと、零二七号はどこだ?)
 シェトウは目を擦りながら、自分の調理台を探して歩いた。
 夕べ遅くまで新点心を作っていたために、眠くて眠くてしょうがない。
 他の厨師や厨工たちが調理台に材料を並べはじめている中、ようやくシェトウは自分の番号を探し当てた。
(やっとあったぞ。急がないと)
 もつれる指で、背負っていた布包みを解く。
 丁度その時、調理開始を知らせる銅鑼が、高らかに鳴り響いた。
 菜をきざむ音や、鍋を打ち鳴らす音が聞こえてくる。
 シェトウは大あわてで菜刀や鍋、切菜板を取り出した。
 菜刀を手に持って、梨を切り分けていく。
(ゆっくり、ゆっくりだ。慎重に。曲がらないように)
 肉の焦げる香ばしい匂いが鼻を刺激する。
(あぁ、だめだ)
「この形じゃ不調和だ!」
 そう、叫ぶと、シェトウは不揃いな形の梨を床へ捨てた。
 再び梨を取り出して、切りはじめる。
 こんどは、横から甘い杏仁の匂いが漂ってきた。
(ああ、気が散る。くそっ)
 シェトウは再び足元へ梨を落とすと、足で踏みつけた。
 あちらこちらで火工がはじまったのか、広場は熱気に包まれていた。肉や花、水果、香辛料や醤などの混じりあった匂いが漂っている。
ずっと梨と格闘していたシェトウは、ようやく思った通りの形に切り終えた。
 鍋に切った梨を敷き詰め、杜松子酒をたっぷりとかけて、蜂蜜を垂らす。
 懐から小さな玻離瓶を取り出すと、中の小さな黒粒を鍋に入れた。
 銅鑼の音が響きわたった。
(もう、試食が始まるのか?)
 シェトウが顔をあげると、札を持った少女たちが嬌声をあげながら通り過ぎた。
(急がなければ)
 シェトウはあわてて竈に火をつけると、面粉の塊を取り出した。
「わしはいつも、これが楽しみじゃて」
 目の前を老人たちが通り過ぎた。
「わあ、いい香り。どれから食べようかなぁ」
 続々と、札を持った人たちが歩いてくる。
 この、札を持っている人々は、お金を払って参加する一般審査人だ。
 点心を食べ比べて、気に入った点心の調理台の側面へ札を貼る。
 この札が多いほうから五番目までの点心が、特別審査人の前へ出されるのだ。
 シェトウは急いで面粉を切り分け、丸い形に伸ばした。
 鍋の中では、黒い小さな粒が少し膨らんできている。
「あら、ここはまだのようね」
「向こうへ行ってみようかのう」
 シェトウの手元を覗きこみながら、人々は通り過ぎていく。
 既に隣の調理台には、いくつか札が貼られていた。
 まだ点心が出来上がらないシェトウの調理台には、当然一つも札がない。
(こんなに、時間が足りないなんて…)
 シェトウは額に汗をにじませながら、皮に鍋の中身を詰めていく。
 皮が破れて、熱い煮汁が指にかかった。
(冷めてからじゃないとだめだ。破れてしまう)
 シェトウは早く冷めるようにと、手で扇ぎながら、黒い粒を割らないように鍋の中身をかき回した。
 
 ようやく冷めた梨と黒い粒を、シェトウは皮で包んでいった。
 香菜を敷いた蒸篭に点心を五つ入れて蒸していく。
 出来上がった点心を一つ口へ入れて、シェトウは叫んだ。
「好! 調和している!」
 残りを皿に載せて、調理台の前へ置いた。
(早く誰か食べてくれないかな)
 もう既に札を貼ってしまったのか、調理台の前を通る人はまばらだ。
(冷めてしまうじゃないか)
 シェトウは皿を手に掲げて、誰か居ないかと見回した。
 左二つ隣の調理台前に、少女や女性ばかりの人だかりがあった。
「きゃー。シン様〜」
「次は私よ。押さないでよ!」
 調理台の横には、幾つもの札が重ねて貼られている。大賑わいだ。
(なんだ? 点心じゃなくて、面の良さで決める気か?)
 シェトウが目を吊り上げて見ていると、大きな影が現れた。
「嫌ー。あんなに囲まれてるなんて、どうしてどうして? あれじゃあ、私の番なんて、きっといつまで待っても来ないじゃないの〜。もう、お腹空いているのにぃ」
 声の主を見ると、かなりふくよかな少女が立っていた。
「お嬢さん。これをどうぞ」
 シェトウが皿を差し出すと、少女は目を輝かせた。
「わぁ。かわいい! お花みたいな形。それに、なんて奇麗な翡翠色!」
 少女は一つ口へ入れると、目を細めた。
「何て言ったらいいの、この味。口の中で何かが弾けた!」
 その言葉を聞いて、シェトウはニンマリと笑った。
(そう、そう。それが、あの黒い粒)
 少女はもう一つ、口へ入れた。
「なんだかいい香りぃ」
 少女はもう一つ、口へ入れた。
「うん、甘すぎなくて辛味もあって、夏にぴったりな味ね〜」
 少女はもう一つ、口へ入れた。
「美味しい。いくらでも食べれちゃう!」
「おい。それくらいにしておかないと、せっかく少し痩せたのに、また太ってしまうぞ」
 父親らしき男が近づいて、少女の腕を押えた。
「離してよ、父。いいじゃない。だって、こんなに小さいよ」
 少女はシェトウの手から、蒸したばかりの点心を一つ奪いとった。
 それは確かに、少女の肉付きのいい手に比べると、とても小さく見えた。
「いくら小さくたって、いっぱい食べてしまったらだめだろう」
 父親は一生懸命、少女をなだめようとしている。
「嫌。だって、せっかくこの町へ寄ったのに、いろんな点心を食べずに帰っちゃったらもったいないもの。ずっとずっと、霊峰参拝や高名漢方医訪問ばかりしてきたから、たまには息抜きしないと〜。ますます食べるの、我慢できなくなっちゃうに決まってるもの」
 少女は一気に言うと、シェトウの点心を美味しそうに平らげた。
 その様子を、横で見ていた老婆が声をかけた。
「その緑色の、そんなに美味しいのかね?」
 少女はにっこりと微笑んで、シェトウの調理台に札を貼った。
(やった!)
「謝謝!」
 シェトウがお礼を言うのと同時に、少女は手を差し出していた。
「ケイファ。もう、いいだろう」
 呆れ顔で父親が言う。
「私にも一つおくれ」
 老婆も手を差し出した。
「謝謝。少しお待ちを!」
 シェトウは大急ぎで、点心を蒸した。
 
 その少女がきっかけになって、シェトウの点心はどんどんと減っていき、調理台には札が貼られていった。
 最初に作った分では足りなくなり、お客を待たせて作ることもしばしばだった。そうすると、皮を丸く伸ばす時間が足りずに、形の崩れたものも出さざるをえなかった。
 それでも、シェトウの点心は大好評で、調理台の側面は札で埋め尽くされていった。

 高らかに銅鑼が二回、打ち鳴らされた。
 一般審査終了の合図だ。
 係の者がやってきて、シェトウの調理台に貼ってある札を数えはじめた。
 シェトウは首を回して凝りをほぐすと、他の調理台の様子を見つめた。
 左隣は、札が数枚しかない。その向こうは、少女や女性が集まっていただけあって、札がはためいているのが見える。
 やがて、一般審査人一番人気の番号から、発表されていった。
 シェトウは目を瞑って、祈るような気持ちで聞いていた。
「…零二五号。第位、零三九号。第五位…」
(あぁ、残り一つだ。駄目だったか…)
 シェトウはがっくりと頭を垂れた。その時。
「零二七号」
(え?)
 シェトウは辺りをきょろきょろと見回した。
「以上の番号のものは、創作点心を審査人一人につき一つ、人数分仕上げるように」
 発表が終わり、選ばれなかった者たちは、後片付けを始めた。
 シェトウはなおも、辺りを見回した。
 自分の番号を聞いたような気がしたが、自信が持てなかったのだ。
 両隣の者が荷物をまとめる様子を、ぼうっと見つめていたシェトウは、とつぜん声をかけられて飛び上がった。
「すみません。ずっとあなたのところの点心が気になっていたんです。もし、良かったら食べさせてもらえませんか」
 見ると、目深に布を被った背の高い男が立っていた。
「あぁ。判った」
 シェトウは短く返事をして、残っていた点心五個を蒸篭に入れた。
「途中から勢い良く追いこんでいましたね」
 男はそう言いながら、背負っていた布袋を調理台の上へ置いた。
(どこかで見たことがあるような気がする)
 シェトウはじっと、男の顔を見つめた。布の下から細い顎と口だけが見えている。
(口元だけじゃ判らないな)
 シェトウが悩んでいる間に、点心が蒸しあがった。
「どうぞ」
 男は皿を受け取って、にっこりと微笑んだ。
「この皮、普通の翡翠餃子とは違いますね。不思議な香りがする」
 男は細長い指で摘むと、上品に口へ運んだ。
「素晴らしい!」
 男は低い声で感想を言うと、残りの点心もきれいに食べた。
(はてな、声も聞いたことがあるような気がする)
「さすが、選ばれる人は違いますね。これからも頑張ってください」
 その男の言葉に、シェトウは目を瞬いた。
(…そうか。選ばれていたんだ)
 ふと見ると、既に男の姿はなかった。
「そうだ。審査人の分を用意しないと!」
 シェトウは調理台を見た。
 作り置きしていた点心は既にない。残っている面粉を伸ばして包む必要がある。
 シェトウはせっせと皮を伸ばすと、鍋を覗きこんだ。
「不得了!」
 シェトウの顔から血の気が失せた。
 あわてて玻離瓶を見る。が、中には一粒も残っていない。
 シェトウは鍋の中を必死でかき回した。
 やはり、どこにも黒い粒はない。
(どうしよう。あれがないと、不調和だ!)
 シェトウが頭を抱えていると、係りの男がやってきた。
「どうしました。具合でも悪いのですか?」
「いえ、いいえ。何でもありません」
 シェトウが手を振ると、男は咳払いをした。
「もうそろそろ、時間ですよ。早く仕上げてください」
(仕方がない。今ある材料だけで作るしかない…)
 シェトウはのろのろと鍋に近づくと、皮で包み始めた。
(そうだ、特別審査人は何人だったろう?)
 人がいなくなって見通しの良くなった広場を見回すと、一段高い場所に五人座っていた。
(五人だって!?)
 シェトウは、先ほどの男に点心を五個出したことを思い出した。
「あいつが来なければ、特別審査人の分もあったのに!」
 シェトウは悔しくて、手にもっていた点心をきつく握りしめた。
 指の間から、飴色の液体がこぼれ出た。
 やがて、審査の時がきた。
 特別審査人の前に、一般審査で五位だったシェトウの点心が並べられた。
 シェトウは半ば諦めの気持ちを抱きながら、審査人を見つめていた。
(不調和な味に決まっている)
「形は悪いけど、しっかりとした皮で、辛味が効いているわね」
 着飾った女性が感想を漏らした。
「森を抜ける風のように爽やかですな」
 そう、口ひげを蓄えた男が言った。
「甘味と酸味、そして辛味が絶妙じゃの」
 小柄な老人が唸った。
(まさか、あの粒がなくても調和していたっていうのか?)
 シェトウはあわてて調理台を見つめた。
 皮も面粉も残っていない。鍋の煮汁も僅かだけ。
 シェトウにはもう、味を確かめる術がなかった。
 
 すべての試食が終わり、審査人は集まって話し合った。
 やがて、審査人の一人、恰幅のいい中年の男が立ち上がった。
「発表します。第三十三回創作点心評判会の優勝者は、零零四号、ラォイー」
 広場の外から、割れんばかりの拍手が聞こえてきた。
 一般審査に参加した人々が、事の成り行きを見守っていたのだ。
 シェトウはがっくりと肩を落とした。
(終わった)
「花を型押したラォイーの布丁は、これまでの布丁の常識を打ち破った新しい味で、華やかな見た目・香味・舌触り・清涼感、どれをとっても素晴らしいものでした」
 審査人が評を言う中、シェトウはのろのろと調理台を片付けた。
 高原から涼しい風が吹き降ろす中、シェトウは「香甜飯館」のある隣町へと帰ってきた。
 荷物は朝より軽いはずなのに、やけに重く感じられる。
(疲れた…)
 シェトウは歩くのが嫌になって、荷物を降ろすと水辺へしゃがみ込んだ。
 水面が紅色から薄紫色に染められている。
(そういえば、今日はとてもいい天気だったな)
「おぉ?あんた。『香甜飯館』の厨工じゃぁないか」
 顔を上げると、見覚えのある老人が、船の上から叫んでいた。
(この前の、紅焼肉好きの老人…)
「はぁ」
 シェトウが気の抜けた返事をすると、老人は棒を操ってシェトウの傍へ近づいた。
「なんだ、なんだ。荷物なんか抱えて。まさか店を辞めちまおうってんじゃないだろうなぁ」
「いえ。ちょっと隣の町まで行って来ただけです」
 シェトウがそう返事をすると、老人は目を丸くした。
「隣町だってぇ? もしかして、創作点心なんとやらってぇのに行ったのかぁ」
「はぁ」
 そう返事をしてから、シェトウは先輩厨師に言われたことを思い出した。
「い、いえ。その」
「どぉれ、店まで乗せてってやらぁ。どんなの作ったのかぁ、ひとつ食わせてみろや」
 老人は強引にシェトウを船に乗せて、「香甜飯館」へ向かった。
 裏手に着くと、いつもシェトウがやっている「菜洗い」をしている厨工がいた。
「あれ? シェトウ、遅かったな。お前の仕事、いっぱい溜まっているぜ」
 シェトウが船を下りると、老人は大きな声で叫びながら去って行った。
「すぐに行くからなぁ。創作点心、用意して置けよお!」
 シェトウが黙って突っ立っていると、厨工が詰め寄った。
「まさか、『創作点心評判大会』へ出たって、喋ったのか!?」
「いや、そんなつもりはなくて、その」
「何考えているんだよ。この!」
 厨工はシェトウの腕を乱暴に掴むと、厨房へと引っ張っていった。
 先輩厨師や厨司努が無言で見つめる中、シェトウは大急ぎで点心を作った。
 間に合わせの材料で。もちろん、黒い粒があるはずもなく、丁寧に形を揃えている時間もない。それでもどうにか、煮汁を冷まし、皮で不恰好な花の形に包んだ。
 点心を蒸している間に、先輩厨師は口を開いた。
「随分と早く作業できるようになったな。驚いたぞ」
「まだまだ手際も形も悪いがな」
 そう、厨司努が付け加えた。 
出来上がった点心を、まず厨司努が口に入れた。
「うむ。悪くない」
 続いて、先輩厨師も試食した。
「へえ。なかなか美味しいじゃないか」
 シェトウは二人の顔を見比べてから、一つ食べてみた。
(…やはり、不調和だ)
「お客さんが待っているから、早く持っていけよ」
 先輩厨師に促されて、シェトウは渋々蒸したての点心を運んでいった。
 店内は、軽く夕食を取る人々で賑わっていた。
 シェトウが蒸したての点心を運んでいくと、翡翠色と花の形に女性客たちが振り返った。
「おぉ。奇麗な色じゃぁないか」
 老人は点心を一つ口へ放り込んだ。
「んん。うまい」
 老人は残りの点心を一気に口へ入れた。
 目を細めて、ゆっくりと噛みしめている。
 その幸せな表情に、シェトウは見覚えがあった。
(いつか、紅焼肉を食べていた時の表情だ)
 老人は目をあけると、にっと歯を見せて笑った。
「美味しいじゃぁないか。なぁ、これからも食べに来るぞ」
「謝謝」
 そう、シェトウはぼんやりと答えた。
 こうして、シェトウの作った創作新点心は、「香甜飯館」の品に加えられることとなった。
 注文が殺到して、作るのが追いつかないほどの人気ぶり。
 シェトウは毎日毎日、せっせと新点心を作るのだった。
 心の中で「不調和だ!」と、叫びながら。

(了)  

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