よろずや「漂亮(ピオラン)」奇効奇談

〜酒喜愛老爺爺、九泉へ行く前に金酒を望むこと〜

 この世のどこかにその店はあるといいます。その名は「漂亮」。よろずやです。
 かの店で扱いし不思議な道具や薬の数々は、どんな悩みも解決し、どんな願いも叶えるというのです。


 暮色が迫り、人々が足早に家へ帰る頃。
 一人の老爺爺が、とぼとぼと路地を歩いていた。皺だらけの赤ら顔に、一つに束ねた長い白髪。小柄な身体を、土埃にまみれた茶色い服に包んでいる。
 老爺爺は酒家や小酒館の立ち並ぶ一帯に来ると、立ち止まった。小鼻を膨らませて、辺りの匂いを嗅ぐ。
「はぁ〜。久々の酒の匂いだぁ」
 老爺爺は腰を伸ばしながら呟いた。節くれだった手を衣袋へ入れて、今日手に入れたばかりの全財産三環を取り出した。
 近所の老婆婆に頼まれて、包丁を砥いで得た手間賃三環だ。老爺爺が久しぶりに手に入れた現金だった。
「あの老婆婆め。吝嗇なもんだから、まったく」
 老爺爺は、頭を振って続けた。
「これっぽっちの金じゃあ、果子酒一杯分にもならん」
 老人は三環を握りしめて呟くと、重い足取りで歩き出した。
 酒楼の露台から、賑やかな声が聞こえてくる。若者たちが、小酒館の派手な色彩の入り口を潜っていく。
 老人は羨ましそうに若者たちの背中を見送った。
 やがて、昔良く通った小酒館「古蝙蝠」の前に来ると、老人は大きくため息を吐いた。
「あ〜あ、俺も飲みてぇなぁ」
 ふと、「古蝙蝠」の横を見ると、小さな店があった。古びた漆喰塗りの壁に、色のあせた木製の看板がかかっている。
 原色を使った派手な酒館が多い中に、ひっそりと隠れ家のような佇まいだ。
「こんな店、前からあったか?」
 老爺爺は首を捻って、店の看板に近づいていった。
 板に焼き付けた文字は薄れていて、判別がつけにくい。老人は目を細めて、文字を声に出して読んだ。
「よろずや……『漂亮』?」
 目を凝らして見ると、脇に小さく墨で「どんな悩みも解決し、どんな願いも叶えます」と書いてある。
「ふ〜む。よろずやか」
 老爺爺は小さく唸ると、細く灯りの漏れている木戸を勢い良く開けた。


 埃と黴臭さの混じった匂いが、店に立ちこめていた。入ってすぐに天井まで届く高さの棚があり、埃を被った様々なものが並んでいた。
 繭玉、張子の動物、様々な模様の毛皮。玻璃瓶、大小の壷、様々な動物の陶器。石の塊、布袋や木箱、金属光沢を放つ棒状の物。何でできているのかも、何に使うのかもまったく判らない品物ばかりだ。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
 よく響く低い声と共に、店の奥から若い男が現れた。官吏が着ているような藍地に灰色の縁取りの踝丈の長衣を纏い、腰を白地の花鳥更紗の帯で留めている。
 端正な顔立ちで肌は白く、まばらに垂らした長い前髪の間から、切れ長な黒い瞳が覗いていた。
(ずいぶん若い。それに、眉目清秀だ)
 老爺爺が呆気にとられて見つめていると、男は静かな笑みを浮かべながら口を開いた。
「ここはよろずや『漂亮』。私は店主のワン・シィワンです」
 老爺爺は鼻を鳴らすと、無遠慮に店の中を見渡した。
 ずらりと並んだ品物の中に一箇所だけ、ぽっかりと空間が開いている。そこに、西域風の鉄製卓子と椅子が二つ置いてあった。卓子の上には、茶具が一揃い入った竹製の籠が一つ。
「どうぞ、休んでいってください。今、お茶をご用意いたしますから」
 店主が椅子を指し示しながら言う。老爺爺は眉を寄せた。
「お茶だと? 酒はないのか? 酒は」
「そうですねぇ」
 店主は自分の細い顎に手をかけて、考える仕種をした。それから、眉を寄せて言う。
「もちろん酒もございますが、なにぶん、商品ですので」
「それじゃあ、しかたがない」
 老爺爺は重い椅子をずらして、どっかりと腰掛けた。店主は松が彩色された蓋碗を取り出して、竹の茶則で翡翠色の茶葉を入れはじめた。
 老爺爺は、店主の動作を興味なさそうに見つめながら、唸るように言った。
「いつからこの店をやってんだ?」
「ずっと前からやっております」
 店主はそう言って、自分の蓋碗を用意する。老爺爺は首を捻った。
「ふ〜む。今まで気がつかなかったな」
「あまり目立ちませんから」
 店主が淡々と言いながら、水壷から碗へお湯を注いだ。
「ところでな、あの看板に書いてあったことなんだが」
 老爺爺が切り出すと、店主は軽く微笑んで言った。
「はい。どんなお悩みをお持ちでしょう? それとも、何か願い事でも?」
「そう。それだっ」
 老爺爺は身を乗り出すようにして、言葉を続けた。
「俺もな、もう経年老だ。いつ、九泉へ行くことになるやもしれん。だから、その前にどうしても、あの金酒が飲みたいんだよ」
「なるほど。金酒ですか」
 店主は頷きながら、蓋碗を老爺爺へ差し出した。老爺爺は蓋をずらすと、片手で持って一気にお茶を喉へ流しこんだ。
「ふぅ。美味い」
 老爺爺は唸るように言いながら蓋碗を卓子へ置いて、再びまくしたてる。
「だからな、金酒を飲む代金が欲しいわけだ。それもな、俺みたいな老爺爺でも、簡単にできるような方法でなくてはいかんぞ。昔はこれでも力自慢だったんだが、今じゃすっかり腰にガタが来てしまってな」
 店主は頷くと、訊ねた。
「あなたは色彩つきの夢を見ますか?」
 老爺爺は顔をしかめつつも答えた。
「もちろん。鮮やかな色彩の夢を見るぞ。これでも、若いころは、あちこち歩いたんでな」
 店主はそれを聞くと、すっと立ち上がった。すぐ横の棚から、両腕に抱える大きさの、箱のようなものを取り出す。
「なんだぁ、そりゃあ?」
 老爺爺は眉を寄せて、灰色の箱のようなものを見つめた。
 店主は卓子の上へ箱を置きながら、流暢に説明をした。
「これは、夢に見た色彩を布地に変える道具です。より色鮮やかな夢を見れば見るほど、美しい布地が出来上がり、高く売れることでしょう」
 老爺爺はぽんと自分の膝を打った。
「そいつはいい。やることもなくて寝てばっかりいる俺にぴったりだ」
「ただし」
 店主はそこで言葉を切ると、老爺爺を見つめながら淡々と告げた。
「一番好きな物についての記憶を失ってしまいます」
 老爺爺は首を捻って、口を開いた。
「その次は一体どうなるんだい?」
「次に好きな物について、忘れてしまいます」
「ふ〜む」
 老爺爺は唸った後に、頷いて言った。
「どっちにしろ、金酒が飲めるならそれでいい。幾らだ?」
 店主が淡々と言う。
「二十環です」
 老爺爺はあまりの安さに目を剥いた。しかし、手の中にあるのは三環だけ。
「貸してくれんか? 三環しか持っておらんのだ」
「判りました。では、十日ほど、お貸しいたしましょう」  店主はそう言って、老爺爺から三環を受け取ると、灰色の箱を差し出した。
「おお。それじゃあ、さっそく借りていくぞ!」
 老爺爺はひったくるように箱を受け取って、店主にくるりと背中を向けた。ちょうどその瞬間に、店主はニィっと口を歪めて笑った。
 老爺爺はもちろん、店主の様子に気づくこともなく、意気揚々と店を出て行った。


 その晩、老爺爺は夢を見た。
 高級酒楼の露台で、ゆったりとした川の流れを見下ろしながら、金酒を飲んでいた。酒杯が空になると、すぐに美女が舞うようにやってきて、爽やかな樹脂の香りの漂う金酒を杯へ注ぐ。川辺では桃の花が咲き乱れ、耳元には心地よい美女の笑いさざめき。
 次の日の朝。
 老爺爺が目を覚ますと、枕元に置いた灰色の箱から、桃紅色に花鳥更紗の美しい布地が長く垂れ下がり、床の上を這うように伸びていた。
 老爺爺は布地を巻き取りながら驚嘆した。
「これは、すごい!」
(一体どんな夢を見て、この布が出来たものか)
 老爺爺は首を捻って考えたけれど、どうしても思い出せなかった。
 果たして、布店へ持こむと、花鳥更紗は十二幣もの高値で売れた。
 老爺爺は、布地を生み出すあの箱を、借りるのではなく買い取ろうと、「漂亮」を探して街を彷徨った。特に酒館の立ち並ぶ一帯を何度も何度も廻ってみても、とうとう見つけられないままに夜が来た。
 老爺爺は「古蝙蝠」へ足を運んだ。
「おや、老爺爺。久しぶりだね。くたばっちまったかと思ってたよ」
 馴染みの服務員が、玻璃杯を拭きながら笑顔で言う。
「なんの、まだまだ生きておるぞぃ」
 老爺爺は服務台の前に座って、鼻一杯に息を吸いこんだ。
「おおう、酒の匂いだ。たまらんのぅ」
「いつものやつかい? それとも、金に余裕があるなら、金酒にするかい?」
「金酒? はて。金になら余裕はあるが、どんな酒だったかの?」
 老爺爺が首を傾げると、服務員は笑いながら玻璃杯に酒を注いだ。松の樹脂のような清涼感のある香りが漂う。
「ほう。これはぁ、爽やかじゃ。こんな美味い酒があったのかぁ」
 老爺爺は感嘆しながら、酒を飲んだ。服務員が笑いながら言う。
「またまた。老爺爺、なかなか演技派じゃないか」
 老爺爺は耳まで赤くしながら、上機嫌に言った。
「演技などしておらんぞ? こんな美味い酒はぁ、初めてだ」
 服務員はぽかんと口をあけて、玻璃杯を傾ける老爺爺をみつめた。やがて老爺爺が千鳥足で店を去ると、服務員は呟いた。
「あの老爺爺、とうとう惚けちまったのか」


 その晩、老爺爺は夢を見た。
 爽やかな風渡る湖畔で、西域風長椅子にもたれかかるように座り、玻璃杯を傾けていた。杯に入っているのは、もちろん、あの美味しい金酒。木々の美しい緑と青空が湖面に映り、細波模様を描いている。飲んでも飲んでも、杯が空になることはなく、いつの間にか金酒が注ぎ足してあるのだった。
 翌朝。老爺爺が目を覚ますと、緑色の美しい光沢のある布地が出来上がっていた。
 その夜も、老爺爺は「古蝙蝠」へ足を運んだ。
「おう、爺さん。今日も来たな。だいぶ懐が暖かいみたいだな」
 馴染みの服務員が笑いながら言う。
「もちろんだとも」
 老爺爺は衣袋を叩いて、たっぷり入っている硬貨を鳴らせてみせた。
「それじゃあ、今日も金酒にするかい?」
 服務員の言葉に、老爺爺は首を傾げた。
「金酒? 聞いたことがないぞ。どんな酒だったかの?」
「おいおい、老爺爺。昨晩たっぷり飲んだじゃないか。もう、忘れちまったのかい?」
「ふ〜む。そんな酒、飲んだったか……」
 老爺爺は呟きながら、首を捻った。服務員は大げさに首を振ると、玻璃杯に金酒を注いだ。老爺爺は受け取ると、小鼻を膨らませた。
「おお、なんていい香り」
 老爺爺は目を細めて続けた。
「こんな美味い酒があったとは、長生きして良かったのう」
 やがて老爺爺は、真夜中過ぎまで金酒を飲んで、足をもつれさせながら家路についた。


 その夜も、次の夜も、老爺爺は夢を見た。
 朝になると、出来上がっている布地を巻き取り、布店へ持っていく。そしてそのまま街の中を歩き回り「よろずや『漂亮』」を探すのだ。ぶらつきながら酒饅頭を頬張り、夕刻に小酒館「古蝙蝠」へ足を運ぶ。
 これを、毎日、まるで日課のように老爺爺は繰りかえした。
 やがて、九日目の朝が来た。
 朝から頭がぼうっとしていた老爺爺は、昼頃になってようやく布地を持って街へ出た。街の中は往来も少なく、布店にも他に客がいない。
 今日こそあのよろずやを見つけなければ。と思うのだが。どうにもこうにも寒くて仕方がない。
 陽春だというのに風が冷たく、老爺爺は歩き回っているうちにすっかり冷え切ってしまった。
 天が茜色に染まる頃、老爺爺はいつもより早く「古蝙蝠」へ向かった。早く酒を飲んで、身体を温めたかった。
「いらっしゃいませ」
 見たことのない若い服務員が老爺爺を迎えた。
「いつもの奴はどうした?」
 老爺爺の言葉に、服務員はため息混じりに言った。
「どうも、悪い西班牙風邪が流行っているみたいで。みんな罹っちまって、今日は休んでるんですよ」
「風邪かぁ。そういえば、今日は少し寒いな」
 老爺爺は肩を竦めた。
「気をつけたほうがいい。どうも、性質が悪いみたいですよ」
「そうだな。俺も、一杯飲んだら、早く寝るとするか」
 老爺爺は若い服務員の出した薬酒を飲んで、家へ帰った。身体の芯は温まっても、手足が冷たくてしょうがない。早々に布団を被って、丸くなって寝てしまった。
 その晩、老爺爺は夢を見た。
 雪花石膏の卓子に、色とりどりの料理が並んでいた。卓子の向こう側では、次々と演舞が繰り広げられていく。料理に舌鼓を打ち、次々と出てくる酒を飲み干していった。葡萄酒、黄酒、清酒、威士忌、伏持加酒。喉に沁みる程に強い酒だというのに、悪酔いすることもなく、心地よいほろ酔い気分がいつまでも続く。酒杯を片手に、頬を弛めっぱなしだった。
 翌日。
 昼になってようやく老爺爺が目を覚ますと、床を覆い隠すほど長い錦の布がのたうっていた。
「こりゃすごい。一体、どんな夢を見てこんな布が出来たんだろう?」
 老爺爺は首を傾げたが、どうしても夢の内容は思い出せなかった。
 布はこれまでにないほどの高値八十九幣で売れた。
 大金を手に入れた老爺爺は、首を捻りながら街の中を歩いていた。
「こんな大金、何に使ったらいいじゃろう?」
 考えても、使い道が思いつかない。
「おおい、老爺爺。いつもの、酒饅頭があるよ!」
 蒸したての饅頭を差し出しながら、若者が叫んだ。
 老爺爺は立ち止まって、まじまじと饅頭を見つめた。
「饅頭なんて、俺は食わんぞ」
「何言ってるんですか。酒饅頭ですよ?」
 若者は、老爺爺が首を傾げているのに気づいて、付け加えた。
「老爺爺。いつも、言ってたじゃないですか。『普通の饅頭は食わないけど、酒が大好きだから、酒饅頭だけは食べるんだ』って」
「酒なんて、知らん。それに、そんなもの食いたくもない」
 老爺爺はそう言い残して、とぼとぼと歩いていった。
 何もやる気が起きない。
 食欲も湧かない。
 やりたいことも、欲しいものも、何もない。
 老爺爺はため息をついて、今日手に入れたばかりの、ずっしりと重い貨幣を見つめた。


 この世のどこかにその店はあるといいます。その名は「漂亮」。よろずやです。
 かの店で扱いし不思議な道具や薬の数々は、どんな悩みも解決し、どんな願いも叶えるのです。
 安値のものから高値のものまでありますが、高すぎるときには頼めば貸してくれるでしょう。ただし、本当に支払うものは……。
 

(了)  

Top