よろずや「漂亮(ピオラン)」奇効奇談

〜青年人玻璃匠人愛慕之情に悩むこと〜

 この世のどこかに、そのよろずやはあるそうです。
 その取り扱う不思議な薬や道具は、どんな悩みも解決し、どんな望みも叶えるのだとか。
 さて。


 窯の中で緋紅色の火焔が勢い良く燃えている。
 じっと窯の前に立っている男の汗で濡れた肌を、ぎらぎらと炎が照らし出していた。
 四角いしっかりとした顎。高い鼻梁と奥に引っこんだ二重の目。こげ茶色の髪が貼りつく顔は、煤と炎の照り返しで紅と黒の縞模様に見えている。
 男は窯の坩堝に鉄筒の先を入れて、どろどろとした飴色の玻璃種を取り出した。鉄筒に口をつけて、宙で回転させながら息を吹きこむ。
 玻璃種は一気に膨らむと、いびつな球になって破裂し、石床に落ちた。玻璃種の塊が音を立てて、白煙を立ち上らせる。
「また失敗か」
 男は舌打ちしながら言って窯の前を離れると、鉄筒を木台に横たえた。袖で、額の汗を拭う。
「きゃー。タオシー様ぁ!」
「気を落とさないでー」
 タオシーが振り向くと、工房の戸口にびっしりと、顔を紅潮させた姑娘たちが並んでいた。
「この綿布を使ってくださいぃ」
 一人の姑娘が、鮮やかな紅牡丹模様の布を振って叫んでいる。タオシーは、厚底の涼鞋を石床に高く響かせながらゆっくりと戸口に向かった。
「私のを使ってー!」
「私が先よ〜」
 色とりどりの小さな絹布を振りながら、姑娘たちは押し合いへし合いをしている。タオシーは眉を寄せて、姑娘たちに近寄った。最初に叫んだ姑娘の綿布を受け取りながら言う。
「謝謝」
 姑娘たちは、一斉に悲鳴のような嬌声をあげて騒ぎ立てた。
「きゃ〜〜」
「好看! 好看!」
 タオシーは姑娘たちに背中を向けて、派手な布で顔の汗を拭いながら窯の前へ戻る。と、仲間の匠人が、自分の鉄筒でタオシーの落とした玻璃種を突きながら言った。
「お前はいいよな。良品を作ろうが、失敗しようが、女人に歓迎されて」
 床の玻璃種は既に冷えて、虹藍色のひび割れた塊になっていた。タオシーが黙っていると、匠人は続けて言った。
「なあ、判ってんだろ? 玻璃種も免費じゃねぇんだぜ」
 タオシーは顔を顰めて、口を開いた。
「わかっているさ」
「どうだか」
 匠人は捨て台詞を放つと、坩堝から玻璃種を取り出して自分の作業台へ戻って行った。
 タオシーはため息をついて、床の玻璃の塊を涼鞋で蹴った。玻璃片が軽い音を立てて床に散らばる。
 近ごろタオシーは作業に集中できずにいた。なぜか、ぼんやりとしてしまい、気がつくと失敗しているのだ。
 細口の玻璃瓶を作ろうとすれば、強く挟みすぎて瓶の口を閉じてしまい、玻璃杯に取っ手をつけようとすれば杯がひしゃげる。やっと出来たと思った玻璃杯は底が歪んで卓子に立たず、熱い玻璃板を細工のために鋏で切れば、役に立たない切り屑ばかり。
 タオシーは自分の頬を両手でぴしゃりと叩いて気合を入れると、鉄筒を取りに行った。
「物憂げな顔も素敵〜!」
「嗚呼。タオシー様ぁ。がんばってー」
 耳に飛び込んでくる姑娘たちの声援を追い出すように頭を振って、タオシーは鉄筒を持って窯の前へ戻った。
「よし。上等な品を作ってやる。あの姑娘に似合う玻璃杯を」
 タオシーは鉄筒を持ったまま、ぼんやりと姑娘リウメイの顔を思い浮かべた。
 細い顎の細面。珠のような艶やかな肌に、美しい黒髪。大きな黒い瞳に宿る知的な輝き。桜花紅色の小ぶりの唇。嬌声を上げるような下品なことはしない、高雅な姑娘だ。
 タオシーは玻璃杯の図案を頭の中に思い浮かべた。
「よし」
 頷いて、鉄筒を坩堝へ入れる。途端に煙が出て、鉄筒の先がじゅうじゅうと音を立てて燃えはじめた。
「唖!」
 タオシーはあわてて鉄筒を持ち上げた。鉄筒の先にわずかな玻璃種と灰がついている。火傷しないようについている、口をつける木製の部分が燃えてしまったようだ。
 助手の一人がぱたぱたと涼鞋を鳴らせて駆け寄ってきた。
「何事ですか?」
 タオシーは鉄筒の両端を見せながら言った。
「これじゃあ、火傷してしまう。代わりの鉄筒が必要だな」
 助手は呆気に取られてタオシーと鉄筒を見比べた後、ため息混じりに言った。
「判りました。師父を呼んで来ます」
 踵を返そうとする助手を、タオシーはあわてて呼び止めた。
「おい、待てよ。代わりに使える鉄筒があればいいんだぜ?」
「一般人じゃないんですから。鉄筒を逆さに坩堝に突っこむ匠人なんて前所未聞ですよ」
 助手は片眉を上げて言い捨てると、背中を向けて立ち去った。
「やれやれ、困ったな」
 タオシーはぽりぽりと頭を掻いて呟くと、床に落ちていた玻璃の塊を拾って桶に捨てた。


 姑娘チュン・リウメイは、次々と立ち昇る白い湯気の中に座っていた。流れる湯の中に腰まで浸かり、つんと上向きの胸も露に、熱気に肌を晒している。しっとりと濡れた黒髪から雫が滴り、瑞々しい肌はほんのりと桃色。
 リウメイがいるのは、温泉郷シュイリウの中心にある石灰華の山だ。斜面に露出した白い岩は湯によって自然にできた石灰棚といわれ、浅い湯船を幾つも重ねたような階段状をしている。
 この石灰華の山を管理しているチュン家は、石灰棚の中頃に柵を設けて、その下だけを遊客に公開していた。
 リウメイのいる場所は、柵のずっと上、遊客からは見えない場所だ。チュン家の女人はここの湯の美肌効果で、選美大会で優勝する美女を何人も輩出している。
 リウメイもチュン家歴代の女人に違わず、近隣の都市や町で行われる選美大会での優勝を総なめにしていた。十九歳となった今では、遠い土地からもわざわざ求婚に来る男人がいるほどだ。
 リウメイは湯からあがると、毛巾で身体を拭いた。浴巾を羽織り、濡れた髪を毛巾で包んで結い上げ、山肌に刻んでつけた石段を降りていく。
 柵の下に来たリウメイは、湯から立ち上がる大きな影に思わず立ち止まった。
「嫌〜〜!! もうっ。何なのよ、何なのよ、これ。こんなに浅かったら、足しか入んないー」
 大きな影は大声で言いながら振り向いた。恐ろしく太った姑娘だ。
 リウメイが驚いて見ていると、姑娘はドスン、ドスンと足を踏み鳴らして叫んだ。
「もう。減肥、美肌効果があるからって、わざわざ遠くから来たのにぃ。これじゃあ、詐欺よ。嘘つきよー!!」
「やめてください」
「落ち着いて」
 チュン家の女使用人たちが四人がかりで姑娘を止めようとしている。けれど、大粒の涙を目に浮かべた姑娘は、足を踏み鳴らし続け、その度に石灰棚が大きく揺れた。
 一人の使用人がリウメイの姿に気づいて叫んだ。
「大変です、リウメイ様。石灰棚が壊れてしまいます!」
 リウメイは頷いて、姑娘の前へ飛び出した。
「私を見て!!」
 凛と響いた声に、姑娘はぴたりと動きを止めた。
「私はチュン・リウメイ。毎日ここの湯に浸かって育ったわ」
 姑娘は涙のたまった目で、リウメイをじろじろと見ながら答えた。
「私、私はリー・ケイファ」
 リウメイは頷くと、姑娘の丸い肩に手を置いて口を開いた。
「ねえ、よく聞いて、ケイファ。ここのお湯はね、美肌には浸かるのが良いけど、減肥には飲んだほうが効果が大きいの」
 リウメイが説明すると、姑娘は目を大きく見開いた。
「本当に?」
「ええ。本当よ」
 リウメイの言葉に、姑娘はにっこりと微笑んで言った。
「大謝!」
 太くなければ、さぞや美しい顔立ちに違いないと思わせる笑顔だ。姑娘は勇んで、石灰棚を降りていった。
「当地を楽しんで行ってね」
 リウメイは姑娘に向かって呼びかけた。
「助かりました、リウメイ様」
 女使用人の一人が、心底ほっとした顔で言った。別の女使用人も頷きながら言う。
「本当にリウメイ様がいらして、助かりましたわ」
 リウメイは淡々と言った。
「当然のことをしただけよ。ここが壊れたら、困るもの」
 中年の女使用人がしみじみと言った。
「痩せたら、かわいらしい顔立ちなんでしょうにねぇ」
「あんなに太い女人がいらっしゃるなんて、思ってもみませんでしたわ」
 リウメイは使用人たちの話に頷きながら、口を開いた。
「そうねぇ。でも、美しさのためには努力が必要なのよ」
 使用人たちは互いに顔を見合わせた。リウメイが常々、呪文のように繰りかえしている台詞だ。
 リウメイは黙りこんだ使用人たちを残して、石灰棚を降りていった。リウメイの姿が見えなくなると、使用人たちは輪になって囁きあった。
「そりゃあね。リウメイ様くらい、肌や顔にお金も時間も注ぎ込めればいいわよねぇ」
「そうそう。この間なんか、肌に良いからって、南方からわざわざ水果を取り寄せたって話よ」
「リウメイ様の美容にかける情熱って、半端じゃないわよね」
 リウメイは、朝早くにシュイリウの中を走り、老婆婆たちと一緒に八極拳で身体を鍛え、湯に浸かって汗を流すことを日課にしている。食事は肌に良いものを中心に様々な食材を平均的に摂り、美肌のために決して夜更かしはしない。
「最初は、選美大会で優勝するために努力しているんだと思っていたけど……」
「もうみんな優勝しちゃったものね」
「それでもまだ、とり憑かれるたように続けていますものねぇ」
 中年の使用人が頷いて、しみじみと言った。
「年頃だっていうのに、好きな男人の一人もいないなんて……」
「変わり者よねぇ」
 四人は声を揃えて言うと、顔を見合わせて笑い出した。


 タオシーは木桶を抱えて、ぶらぶらとシュイリウの町の中を歩いていた。桶の中には、白い毛巾と着替えが入っている。
 鉄筒の事件で師父はすっかり呆れ果て、「今日の午後はもういいから帰れ。注意力が戻るまで工房へ来るな!」と言ったのだ。
 タオシーは舌打ちをして、煤で汚れた髪をかきあげた。いつもは煩く付きまとう姑娘たちも、今日はさすがに静かになってタオシーを遠巻きにしている。
 タオシーは気まぐれに取り巻きの姑娘たちへ愛想を振り撒いたり、数人と食事に付き合ったことはあった。けれど、自分から女人に近づくとなると、どうすればいいのかちっとも判らない。ましてや、リウメイの姿を見かけると緊張してしまい、声をかけることはおろか近づくことすらできないのだ。
 タオシーはぐるりと路地を回って、町の中心に向かった。石灰棚の温泉には、リウメイが入りに行くという噂だ。上手くすれば湯上りのリウメイに会えるかもしれない。
 白い湯気が立ちこめる石灰棚に近づくと、麓の入浴券売場の小屋の周りに大勢の人が集まっていた。
 タオシーは人ごみに近づいて、ひょいっと覗きこんだ。背が高いうえに厚底の涼鞋を履いたタオシーは、人々の頭越しに覗きこむことが出来る。
 小屋の横に、丁香紫色の毛の大きな塊があった。もこもこと動くところからすると、丁香紫色の毛巾を巻いた人物の背中だろうか。
「何なんだ?」
 タオシーの呟きに、すぐ側の老婆婆が振り向いた。ぎょろりと眼をむいてタオシーを見あげ、大げさに身体を揺すって説明をはじめる。
「なんと、見たこともないほどの肥えた姑娘が上から現れてな、湯をがぶがぶと飲みはじめたんじゃ」
「湯を飲むだって? ここのをか?」
 タオシーは首をひねって訊いた。源泉は石灰棚の上にある。チュン家では、源泉から汲んだ湯を瓶に詰めて、美肌・減肥水として販売しているのだ。
 老婆婆はタオシーの質問に答えずに、うっとりと眼を細めて言った。
「お前さん、なかなか男前じゃな」
「い、いや……」
 タオシーはじりじりと後ろに下がった。老婆婆はしわの寄った薄い唇を広げて、にたにたと笑いながら言う。
「あんた独り身じゃな? もったいないのう。わしが結婚しておらなんだら……」
 タオシーは最後まで聞かずに、一目散に逃げ出した。
 金色の鳥や龍で飾られた派手な旅館の並ぶ通りを過ぎて、タオシーは素朴な造りの客桟が居並ぶ狭い通りに出た。客桟から出た数人の湯治客が、タオシーを見あげながら通り過ぎる。
「なんでぇ。上背が高いと思ったら、厚底か」
 一人の男人が、タオシーの足元を見て呟いた。
 道の突き当りには、石灰棚とは別の源泉から湯をひいている小さな温泉がある。
 タオシーは、だだっ広い場所で大勢の旅客と一緒に湯に入るより、数人でのんびり湯に浸かる方が好きだった。まだ陽が高い今時分なら、他の客はほとんどいないに違いない。
 タオシーは脱衣所へ通じる木戸を引いて中へ入った。衣袋に手を突っこんで、湯賃のニ環を取り出す。
 と、タオシーは手を止めて、まじまじと周囲を見回した。
 壁一面の棚に、煤けた木箱や古ぼけた紙箱が並んでいる。箱の中からは、鏡面のように輝く丸みを帯びた青いものや、獣の爪のようなもの、鋏の先のようなものが突き出ていた。
 間違えたと思ったタオシーが、引き返そうと戸に手をかけたとき、低い声が響いた。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
 タオシーは手桶を身体の陰に隠すようにしながら、ゆっくりと振り向いた。
 若い男が一人立っていた。すっと背筋の伸びた立ち姿。涼鞋を脱いだタオシーと同じくらいの背丈だ。湖緑色の毛織の長衣に金糸刺繍の黒帯を締めて、礼装のように隙のない装いをしている。
 タオシーは思わず、煤で汚れた青色の上衣と袴子を見つめた。
 男は整った白い顔に微笑を浮かべて口を開いた。
「ここはよろずや『漂亮』。私は店主のシン・シャオフーです」
 店主は胸に手を当てて、大仰に頭を垂れた。
「よろずやですか。色々なものがありますねぇ」
 タオシーは桶を背中に隠したまま、さり気ない風を装って呟いた。店主は切れ長な眼を細めて、口を開いた。
「はい。当店では特に『古老的文明』時代に作られた品を取り扱っております」
「古老的文明だって!?」
 息を呑んだタオシーは、桶を取り落とした。高い音を立てて桶が転がり、白い毛巾と灰色の上衣、袴子が散らばる。
 「古老的文明」時代には、今では想像も出来ないような技で、不思議な様々な道具や薬が作られていたという。今では、それらの品はほとんど残っておらず、発見されれば目の飛び出るほどの高値で取引されるのだとか。
(そうか。道理で、店主がやけに綺麗な格好をしているわけだ。そんな高級品を扱うんじゃあ、しょうがない)
 タオシーが考えている間に、店主は素早く桶を拾いあげていた。毛巾と衣の塵を払って、丁寧に畳んで桶に入れる。
「どうぞ」
 桶を差し出されて、タオシーは少しあわてた。
(こんな高そうな店に、俺は不釣合いだぞ)
「謝謝」
 タオシーは小声で礼を言いながら、奪うように桶を受け取った。そのまま後ろに下がって、戸に手をかける。と、木のささくれが手の平に刺さって、タオシーは首をひねった。
(高級な品を扱う割には、やけに店が破濫だな)
「どうぞ、お茶を入れますから、ゆっくり見ていってください」
 店主が後ろから声をかけた。
(見るだけなら免費だからいいか)
 タオシーは店主の勧めるまま、店の奥の西域風革椅子に腰掛けた。桶を椅子の下に隠すように置く。龍の螺鈿細工の卓子は、よく磨かれて艶々と光っていた。
 店主は陶製の湯壷と二つの玻璃杯を運んできて、卓子に置いた。丸く束ねた緑色の茶葉を杯に一つずつ落として、湯を静かに注ぎいれる。茶葉は一度浮かび上がった後、僅かに沈んだ。ゆっくりと花が咲くように茶葉が開くのに合わせて、ほんのりと黄色に染まった。
「さあ、どうぞ」
 店主に勧められて、タオシーは玻璃杯を手に持った。杯は驚くほど薄く、軽い。気泡の一つも見えず、まるで玻璃ではない別の素材で出来ているかのようだ。
 タオシーはそっと唇をつけて、お茶を口に含んだ。微かに青臭く、舌の上に甘みが長く残る。
(すばらしく美味しいお茶だ。だが、それよりも……)
「この玻璃杯は?」
 タオシーの言葉に、店主は軽く微笑んで口を開いた。
「古くから当店に伝わる品です。緑茶にあうので、いつも使っているのです」
 タオシーは店主の言葉に頷きながら、玻璃杯を撫で回した。
 店主は首を傾げて口を開いた。一つに束ねた黒髪が、はらりと肩にかかる。
「やはり、玻璃匠をなさっている方は、お茶よりも玻璃杯の方が気になりますか」
 タオシーは顔をあげて、店主を睨むように見つめながら訊いた。
「なぜ、玻璃匠だと?」
「あなたの手を見れば判ります」
 そう言って、店主は微笑んだ。タオシーは思わず、自分の手を見つめた。工房を出るときに洗ってきたというのに、爪は煤で黒ずみ、あちこちに火傷の痕が残っている。
(おまけに、この涼鞋だしな)
 タオシーは笑った。玻璃片で怪我をしないように、玻璃工房で働くものはみな厚底の涼鞋を履いている。涼鞋が一番慣れているタオシーは、外を歩くときもいつも履いていた。
 店主は流れるような所作で玻璃杯を傾けると、口を開いた。
「何かお悩みをお持ちではありませんか?」
(悩み……)
 タオシーは再び自分の両手を見ると、口を開いた。
「前はあんなに簡単だったのに、考えなくても出来たというのに、玻璃が上手く吹けなくなってしまった」
「それはお困りでしょう。何か、原因に心当たりはございますか?」
 店主の言葉に、タオシーは僅かに頬を赤らめて頷きながら応じた。
「気になって仕方がない姑娘がいる。彼女のことが頭に浮かんで、何も手につかなくなって失敗ばかりしてしまう」
「なるほど。では、これなどいかがでしょう?」
 店主は身を屈めると、灰色の石片を卓子の上へ置いた。
「これを身につけている間、一番好きな物について忘れていることができます」
 タオシーは何の変哲もない石片を見つめて訊ねた。
「これが『古老的文明』時代の品なのか?」
「はい。これは二十五幣です」
 淡々と店主が言う。タオシーはまじまじと石片を見つめた。川原にでも落ちていそうな、何の変哲もない石だ。
(確かに、玻璃工房に居る間だけ石を身につけていれば、失敗せずにすむ)
 けれど、温泉へ入るだけのつもりだったタオシーは、十環しか持ちあわせていなかった。
「これがそんなに高いのか」
 タオシーがため息混じりに言うと、店主はくるりと後ろを向いた。
「では、こちらがお役に立つかもしれません」
 箱から光沢のある月白色の布片を取り出して、卓子の上へ乗せる。
「この布を顔に貼り付けると、一瞬だけ相手の好みの姿になることができます」
 タオシーはまじまじと、布片を見つめた。
(一瞬だけ姿が変わるだって? 何かの役に立つのか?)
「これは、六十八幣です」
 店主の言葉に、思わずタオシーは叫んだ。
「さっきよりも高いじゃないか!」
「困りましたねぇ」
 店主は少しも困っていない表情で言うと、再び後ろを向いた。
「こちらの薬などいかがでしょう?」
 店主は陶器の小瓶を取り出すと、蓋を開けて緑色の丸薬を一粒取り出した。
「この丸薬は、飲み込んではいけません。口の中で噛み砕き、好きな相手に向けて息を吹きかけるのです」
「吹きかけるとどうなるんだ?」
「あなたの『愛募之情』が、相手からあなたへの『愛慕之情』に変わります」
 タオシーはまじまじと丸薬を見つめた。よく薬店にある胃腸薬と大して違わないように見える。
「これは、三十環です」
 店主は淡々と値段を告げた。
「三十環? これはずいぶんと安い」
 タオシーの言葉に、店主は首を傾げた。
「そうですか? では、十五環ではいかがでしょう?」
 タオシーは目を見開いて店主を見た。
(いきなり半値!?)
 タオシーが黙っているのを勘違いしたのか、店主は更に口を開いた。
「では、八環ではいかがでしょう?」
 タオシーはごくりと唾を飲みこんだ。
(こんなに安くなるなんて『古老的文明』時代の物のはずがない。何の効果もない贋物なのかもしれない)
 タオシーは衣袋を探った。
(けれど八環なら、騙されたと思って試してみてもいい)
 タオシーは八環を卓子に置きながら言った。
「その丸薬を買おう」
「では、こちらをどうぞ」
 店主は丸薬を小さな布袋に入れて差し出した。絹のような光沢のある乳白色の布袋だ。
 タオシーは桶を持って立ち上がると、袋を受け取った。
「謝謝」
 礼を言ってタオシーは、素早く店内を突っ切った。店主はタオシーの背中を見送りながら、ニィっと口を歪めて笑った。


 外に出ると、いつもの見慣れた客桟が並ぶ狭い通りだった。
(変だな)
 タオシーはくるりと振り向いて、たった今出てきた戸を見つめた。
 古びた板戸の横に、黒い文字で「万害有効的温泉浴池・一名二環」とある。
「何だって?」
 タオシーは思わず戸を押して中へ入った。
「おや、タオシー。珍しく早いな」
 湯上りの若い男が、軽くうねる黒髪をかき上げながら言った。シュイリウの演舞場で旅客に、滑稽な剣舞を見せているシャンウだ。暑いのか、だらしなく胸元をはだけて、貧弱な胸板を露にしている。
「ここは、温泉だよな?」
 タオシーは思わず、シャンウに話しかけていた。
「当たり前だろう。何を言ってるんだ?」
 シャンウが目を見開いて言う。タオシーは顎を撫でながら呟いた。
「変だな。さっきまで、『古老的文明』時代の品を扱うよろずやがあったんだよ」
 シャンウウは目を白黒させて、呟いた。
「頭でも打ったか?」
 タオシーが首をひねって奥へ歩いていくと、シャンウが後ろからついて来ながら言った。
「なあ。あんたは最近調子が悪いみたいだけど、俺はずっと好調だぜ。相変わらずリウメイ以外の姑娘は俺にぞっこんだしな」
(リウメイ?)
 タオシーは片眉を上げて、シャンウを見つめた。
「あんたがそんなんじゃあ、競争相手として面白みがない。もっと励んでもらわないとな」
 シャンウは薄ら笑いを浮かべて言った。タオシーは呆れたように、シャンウを見つめた。
(誰が競争相手だって? 大体、何に励むんだ?)
 シャンウはタオシーと同じくらい姑娘に歓声を上げられていた。ただし、シャンウへの声は「得悪心!」や「嫌〜!」など否定的な声が中心だ。それをどう勘違いしているのか、シャンウは勝手に姑娘の歓迎されていると思い込んでいるらしい。
「まあ、がんばってくれよ」
 シャンウはタオシーの肩をぽんぽんと叩いて、調子外れの鼻歌をしながら戸口へと立ち去った。
(だから、何をがんばるんだ?)
 タオシーは呆れながらも、口には出さなかった。口に出したが最後、シャンウの訳の判らない説明を長々と聞かされるはめになってしまう。
「二環」
 服務台の老爺爺に言われて、タオシーは衣袋を探った。湯賃を台に置き、脱衣室へ向かう。
(夢でも見ていたんだろうか?)
 桶の中には確かに、丸薬入りの布袋がある。
(獣にでも化かされたんだろうか?)
 布袋や拾ってもらった綿巾に鼻を近づけて匂いを嗅いで見たけれど、獣くささは全くなかった。
(変なこともあるものだ)
 タオシーは首をひねった。


 温泉を出たタオシーは、ぶらぶらと賑やかな通りを歩いていた。一度家によって桶を置き、一番上等の衣に着替えてある。
 演舞場や胡風歌劇場の並ぶ広い通りには、幾つもの露店が並んでいる。煙を立ち上らせて肉を焼いている胡風焼肉店。鉄板で変わった匂いを漂わせている東風焼麺店。点心、糖菓子、果物、飴細工店などなど。
 石灰棚温泉の「美肌・減肥水」の瓶をずらりと並べた店や、石灰岩製品(壷や文鎮、煙灰盤)を売る店、玻璃杯や玻璃瓶を並べた店もある。
(どこかにリウメイがいないだろか)
 珍奇熱帯植物園と美蘭花園の前を通り過ぎたタオシーは、ぴたりと立ち止まった。通りの向こうの診療所から、春梅紅の衣の裾がはみ出ている。
(もしかして、リウメイ?)
 期待に胸を膨らませて待っていたタオシーは、続いて現れた姑娘の姿に思わず丸薬入りの布袋を取り落とした。樽のように丸い胴体。丸々とした少し蒼ざめた顔……。
(もしかして、老婆婆の言っていた肥えた姑娘か?)
 タオシーが呆然と見ていると、がっちりとした体型でやつれた表情の男人が現れた。父親だろうか、姑娘に向かって、何事か言い聞かせるように喋っている。
 タオシーはため息をついて、落とした布袋を拾った。
「まだ気分が悪そうね。散薬をすぐに飲んだほうがいいと思うわ」
 良く通る華やかな声に、タオシーは顔をあげた。
(リウメイ?)
 果たして、診療所から出てきたのは、薬瓶を抱えたリウメイだった。花模様の衣を着て、髪を一つに結い上げている。
「でも。でも、でも、嫌〜。胃腸薬は苦いでしょう? そんなの嫌〜!!」
 姑娘は巨体を震わせて首を左右に振った。
「ケイファ。せっかく親切にして下さっているのに、そんなワガママな……」
 男が必死に姑娘をなだめようとしている。リウメイはぐっと薬瓶を持った右手を挙げると、左手を腰にあてて言った。
「あら。苦いくらいで嫌がっていたら、痩身の道は遠いわよ」
 リウメイはそこで言葉を切ると、薬瓶を持った右手をさらに挙げて叫んだ。
「減肥は一日にして成らず。美しさのためには努力が必要なのよ!」
「素敵! 私も努力するわ!」
 姑娘は胸の前で手を組んで、瞳をきらきらと輝かせながら言った。
 タオシーは出て行くきっかけがつかめずに、唖然とリウメイと娘のやり取りを見つめていた。
「素晴らしい!」
 シャンウが拍手をしながらリウメイらの前へ現れた。地面に片膝をついて、胸に挿していた蘭花をさっとリウメイの前へ差し出す。
「これをどうぞ。美姑娘」
 いつ採った花なのか、蘭花はシャンウの手の中でぐにゃりとしな垂れた。
 リウメイは素早く後ろに下がると、姑娘の陰に隠れた。リウメイの様子に気づかずに、シャンウは髪をかきあげながら続けた。
「御覧ください。あなたの美しさに、この花もこうしてはじらってしまいました」
(相変わらず得悪心的男だ)
 タオシーが呆れて見ていると、肥えた姑娘が丸々とした手でがっちりとシャンウの手を掴んだ。
「なんて美蘭花なの〜〜。とっても好い香!!」
 顔を花に近づけて、姑娘はうっとりと目を細めた。
「な、何をするんだ。離してくれ!」
 シャンウが顔を仰け反らすようにして叫ぶ。姑娘は、ぶんぶんとシャンウの手を振り回しながら叫んだ。
「照れなくてもいいのに〜〜!」
 その隙にリウメイは男人に薬瓶を渡して、そそくさと診療所前を後にした。
(唖! リウメイ)
 タオシーはあわててリウメイを追いかけた。


 リウメイは後ろ手を組んで、道をゆっくりと歩いていた。風に後れ毛がなびいて、石鹸の香りを漂わせる。
「ケイファには悪いけど、あの男にはいい気味よね」
 呟くように言って、リウメイは微笑んだ。
 毎回毎回断っているというのに、あの男シャンウは凝りもせずにリウメイを誘いに来る。自分の剣舞を見に来るように誘ったり、胡風歌劇を一緒に鑑賞しようと言ったり、美蘭花園や食事に誘ったり。
 シャンウのしつこさも嫌だが、何よりもリウメイが嫌なのは長年続けてきた美容日程表が崩れてしまうことだった。特に、他人と食事に行くなんてとんでもない。夜は、肌に良い数種類の水果と花蜜入り面包、菜湯を食べることに決めているのだ。
 リウメイの後ろを歩きながら、タオシーは迷っていた。
(今なら他に人はいない。けれど、リウメイが急にどこかの家に入ったら? 息が届かなかったら?)
 タオシーは意を決すると、丸薬を手に握りしめて叫んだ。
「リウメイさん!」
 名前を呼ばれて、リウメイは衣裾を揺らして振り向いた。首を傾げて、不思議そうに口を開く。
「あなたは?」
 タオシーは素早く丸薬を口に入れた。噛み砕いて口を開く。真っ白な煙が勢い良くほとばしって、タオシーの目の前が真っ白に染まった。
 煙が晴れると、頬を紅潮させたリウメイが立っていた。ふっくらとした桜花紅色の唇を開いて訊く。
「あなたのお名前は?」
 タオシーは首を傾げながら、口を開いた。あんなに恋焦がれていたリウメイと話をしているというのに、緊張しないばかりか何の感慨も湧かない。
「玻璃匠人のタオシー」
「タオシー様」
 リウメイはうっとりと口の中で呟くと、両手を組んで訴えかけるように言った。
「嗚呼、タオシー様。どうしましょう。私、貴方に一目ぼれしてしまいました」
 タオシーはぼんやりとリウメイを見つめていた。
(願いが叶ったはずなのに、このむなしさは何だ? どこかで何かを間違ったのだろうか?)
 タオシーは店主とのやり取りを思い浮かべた。
(そうだ。あのとき店主は『あなたの愛慕之情が、相手からあなたへの愛慕之情に変わります』と言っていた)
(ということは、俺の愛慕之情が全部、リウメイから俺へのものに変わってしまったということか?)
「どうか、私をお傍に……」
 リウメイがほっそりとした手をタオシーに向けて伸ばして、首を傾げた。白い細い首に後れ毛がはらりと落ちる。タオシーは思わず、後ろに下がった。リウメイが美しい瞳を潤ませて言う。
「タオシー様?」
 その声を聞いた途端に、タオシーは踵を返して駆け出した。
「待って! 行かないでください。タオシー様!」 
 リウメイが悲鳴のような声をあげて叫んだ。けれど、タオシーはリウメイの側へ戻る気持ちにはならなかった。どんなに美人だといっても姑娘の相手をするのは煩わしい。今はただ、早く窯の前へ行って玻璃を吹きたくてしょうがなかった。
 工房へ戻ったタオシーは、はっきりと確信した。
(俺の中には、もはやリウメイに対する愛慕之情は少しも残っていない)
 タオシーは新しい鉄筒を持って、窯の前へ行った。
「何だよ、その衣は。祝い事か? 作業する格好じゃないぞ」
 仲間の匠人が、呆れたように言う。タオシーは黙ったまま、坩堝に鉄筒を入れて飴色の玻璃種をとった。
 鉄筒を回しながら、玻璃種を膨らませていく。均等に丸く膨らんだのを見て、仲間の匠人はタオシーの側を離れた。
 タオシーはぽっかりと空いた心の隙間を埋めようとするように、上等の衣を煤だらけにしながら次々と玻璃を吹いた。


 次の日から、リウメイは玻璃工房へ通いはじめた。タオシーのための飯菜をつくり、汗を拭くための綿巾を用意して、タオシーが気まぐれに受け取るのを期待する毎日。
 美容に費やすのをやめて、夜更かしをしてタオシーのために衣を縫い、熱気のこもる工房に何刻もいることで、リウメイの肌は以前のような輝きを失い、目の下には隈も出来ている。それでも、熱に浮かされたような瞳は輝き、やつれ具合は痛々しくもどこか艶っぽく、男人たちには相変わらず歓迎されていた。
 男人たちは集まると、リウメイを虜にしたタオシーを羨ましがって噂をした。
「いったい、あいつ、どうやったんだろう?」
「どうやって、あのリウメイの気を惹いたのやら」
「こんな噂があるぜ」
 一人の男人は一同を見回すと、声をひそめて続けた。
「なんでも、タオシーの奴『古老的文明』時代とやらの品を扱う店で頭を打ったらしい」
「はあ?」
 一同が首を傾げる中で、男人は続けた。
「頭を打ったのは、よろずやだったかもしれないっても言ってたな」
「おい。その話、誰に聞いたんだ? 本人からか?」
「いいや。シャンウだ」
 その言葉に、一同はため息をついた。
「シャンウの言葉じゃ、信用できないな」
「そうそう。そういやぁ、あいつ、この前肥えた姑娘と腕組んで美蘭花園を歩いてたらしいぜ」
「変な奴だよな。だいたい『古老的文明』時代なんて、どこから思いついたのやら」

 さて。
 その取り扱う「古老的文明」時代の不思議な薬や道具は、どんな悩みも解決し、どんな望みも叶えるそうです。
 この世のどこかに、そのよろずやはあるのだとか。

(了) 

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