よろずや「漂亮(ピオラン)」奇効奇談

〜元流行作家、玻璃玉を持って漂亮を訪れること〜

 この世のどこかにその店はあるという。その名は「漂亮」。  店で扱う不思議な薬や道具は、あらゆる悩みを解決し、どんな望みも叶えるという。


 変でしょう? こんなお婆さんが、あんなに若い人を本気で好きだなんて。
 そう、変じゃない? ありがとう。無理して言わなくてもいいのよ。
 一目惚れ? そうなのかもしれないね。こんな気持ち初めて。若い頃にだって、経験していない。
 でも、そう。もしも願いが叶うなら、あの人の傍に居たい。あの人にとっては、迷惑だろうけど、ずっと一緒に居たい。
 え、迷惑がられない方法があるの?
 本当に?


 人々が大勢行き交うにぎやかな通りの裏に、隠れ家のような酒館が建っていた。
 灰色の壁が長く続き、窓は一つもない。ぽっかりと空いた入り口は狭く、見過ごしてしまいそうだ。
 店内はほの暗く、いつもきつい酒の匂いが充満している。
 客も疎らな店内で、卓子に突っ伏すようにしてだらしなく座っている小柄な男がいた。
 高い鼻に細い目。髪を短く刈上げて、つるりとした広い額を露にしている。細面の顔は耳まで真っ赤だ。小刻みに震える手が白くなるほどきつく、空の酒盃を握りしめている。
「酔うにつけ……男は……。へくっ」
「もっとらぁ。……もっと酒を持って来ひぃ」
 男はろれつが回らないまま言うと、酒盃を左右に振った。
 店員は男を覗きこむように顔を近づけて、口を開いた。
「先生。今夜はそのくらいにしておきませんかねぇ?」
「んうあ?」
 男は顔をゆっくりと上げると、よどんだ目で店員を見つめた。
「先生。今夜はもう充分でしょう。それ以上飲むと、飲みすぎです」
 店員がゆっくりと、諭すように言う。
 男は空の酒盃に視線を落とすと、呟くように言った。
「もう一杯。もう一杯だけとぉ……」
「先生。今夜もツケですかぃ? それなら、もう帰ってもらわないと」
 店員の言葉に、男はもどかしそうに袂に手を入れた。
「金ならっある」
 男は、小銭を握りしめた掌を開いた。
「ふむ。一、二、三……」
 店員は硬貨を一枚ずつ持ち上げながら、数えはじめた。やがて数え終わり、顎を撫でながら言う。
「十二環ねぇ。今夜の飲み代にも足りませんや」
「なんだって?」
 男は目の色を変えると、椅子を蹴倒しながら立ち上がった。
「そんなもの、今すぐにでも売れる本を書いて払ってやる。払ってやるとも!」
 男は目を吊り上げて大声で叫ぶと、足を大きく踏み鳴らし、周りの椅子をひっくり返し、よろめきながら店の出入り口へ突進した。
「ふー。今夜は冷えるね」
 手を擦りながら店に入ってきた若者は、あわてて壁際に身体を寄せて男に道をあけた。
「すぐに書いてやるとも。すぐにな!」
 男はそう言い捨てて、店を出て行った。
 目を丸くして男を見送った若者は、卓子の前に座りながら訊いた。
「あの人、一体なんです?」
 店員は、ひっくり返った椅子を直しながら口を開いた。
「作家先生ですよ。以前はあんなに泥酔することなんてなかったんですがね」
「作家?」
 若者が首を傾げる。店の隅で飲んでいた老人が、半ば立ち上がるようにして叫んだ。
「おうともよ。あれが、あの人気愛情小説『愛翡翠』を書いた『トン・ターレイ』大先生様さ」
「まさか!」
 若者は思わず、椅子から立ち上がった。老人が続けて言う。
「まちがいない。あの馬鹿売れした愛情小説二十三巻だけで、後は鳴かず飛ばずの作家先生さ」
「おや、老者。詳しいねぇ。読んでいたんですかい?」
 店員が首を傾げて訊いた。
「おうともよ。ずーっと待ってるってぇのに、あいつ、一向に続きを書きやがらねぇ。もう、三年になるってぇのに」
 老人は唾を飛ばしながら言うと、どっかりと椅子に腰掛けた。
「あんな人が、『愛翡翠』の女性の細やかな心情を書いたなんて……とても、信じられない」
 若者は、呆然と戸口を見つめた。


 店員は戸口から入ってきた人物に気づくと、近づきながら言った。
「おや、またかい? 今日は十二環だけ払っていったから、残りは十八環だ。でも、いいのかい?」
 十八環を受け取った店員は、頷いて言った。
「謝謝! しかし、あんたも酔狂だね」
 相手が背を向けたのを見て、店員は戸口から叫んだ。
「もう帰るのかい? あんたもあわただしいね。今夜は冷えるから、気をつけなよ」


 トン・ターレイは、ふらふらとした足取りで薄暗い路地を歩いていった。
 月明かりがぼんやりと、道を照らしている。
「ういっく」
 ターレイは立ち止まると、塀に寄りかかって叫んだ。
「あぁあ〜くそっ。先生、先生って、うるさいんだよ!」
 続いてターレイは、両手で顔を覆うと、ずりずりと背中を塀に擦って道に座りこんだ。
「はぁあ〜〜」
 大きく白い息を吐き出す。
「ちくしょう。こんなことなら、フェイツァイの居るうちに話を書いておくんだった」
 髪の毛をぼさぼさにかき乱しながら、ターレイは呟き続けた。
「あいつが居なけりゃ、女の気持ちなんてわかるわけないじゃないか。あいつ抜きで話なんか書いたら、それこそ前のは『盗作に違いない』なんて言われちまう……」
 ターレイはため息をついて、首にかけている蝋引き紐を引っぱった。
 紐の先には、乳白色の球形の玻璃玉が吊るしてある。一箇所が穴のように欠けており、全体にひびが入っていた。
 ターレイは片手で握って玻璃玉を高く掲げた。月明かりに透かせるように回転させると、玉の中で煙のような灰色の濁りが渦巻く。
「居るわけ……ないか」
 ターレイは力なく呟くと、玻璃玉を服の中にしまいこんだ。
 吐く息が白い。夜気が骨に染みる。
 ターレイは顎を上げて、少し欠けはじめた月を見つめた。
「あいつも、どこかで月を見ているんだろうか?」
 ターレイは目を瞑って、フェィツァイの姿を思い浮かべて呟いた。
「やわらかそうな薄桃色の肌。艶やかな長い黒髪。長いまつ毛に縁取られた、涼やかな目元。
 やや古風なゆったりとした服を纏い、長い裾を揺らしてフェィツァイは振り返る。ふっくらとした紅い唇に、満足そうな笑みをたたえてこう言うのだ。
『もっと、お話を聞かせて』と。……」


 目蓋を閉じて塀に寄りかかったまま眠りこんだターレイを、塀の陰からじっと華奢な人影が伺っていた。
 人物はきょろきょろと周りを見回して、誰も居ないのを確認すると、薄暗い路地に長い影を落としながら、そろそろとターレイに近づいていった。


「……」
 なんだ? と、ターレイは思った。
「……」
 頭の中で、うるさい。と叫んだ。
「先生!」
 ターレイはうめき声を上げて目蓋を開いた。ターレイの黒い瞳に、白塗りの天井が映る。
 ターレイはゆっくりと上体を起こすと、頭を抱えた。こめかみがズキズキと痛む。
「夕べは『穴倉』で酒を飲んで、それから、綺麗な月のよく見えるどこかの路地で……?」
 ターレイは目を瞬きながら、ぶつぶつと独り言を続けた。
「きっと、また、あのまま眠っちまったに違いない」
 ターレイはぼんやりと部屋の中を見回した。白塗りの殺風景な壁。机に散らかった煤けた紙くず。本がいくつも散乱している床には、厚く綿埃が積もっている。
 ターレイは虚ろな目で独りごちた。
「俺は、いつの間に、どうやって、家へ帰ったんだ?」
「トン・ターレイ先生?」
 声と共に、黒いひげを生やした男が部屋へ入ってきて部屋の中を見回した。
「なんだ、お前か」
 ターレイは、貸し本屋の男を睨んだ。
「先生、お早うございます。お独りだったんですね」
 男は淡々と言いながら屈むと、床に落ちていた布団を拾いあげた。ターレイに向かって布団を差し出しながら、口を開く。
「先生。独り言はよしたほうがいいですよ。それと、使用人もいないのに、門を開けっ放しにしておくなんて、無用心ですよ」
 ターレイは目を見開いて言った。
「何を言ってんだ? お前が俺を連れ帰ってくれたんだろう?」
 男はまじまじと、ターレイを見つめながら言う。
「何の話です?」
「だから、お前じゃないのか?」
 ターレイが尚も言うと、男は布団を寝台の上へ置きながら言った。
「先生、夕べは遅くまで飲んでいたんですか? 深酒ばかりしていると、身体に悪いですよ」
 ターレイは頭を抱えこんだ。
「……それじゃあ、誰だ?」
「それはそうと、先生。新作の進み具合はどうですか。いつ頃完成予定です?」
 男は机の上を覗き込むようにしながら訊く。
 ターレイはそれには答えずに、搾り出すような掠れ声で訊いた。
「お前は今朝、ここへ来たのか?」
 男はくるりと振り向くと、眉を寄せて口を開いた。
「今さっき来たばかりですよ。昼過ぎです」
「……そうか」
 ターレイは力なく呟いた。
「先生、新作を書いてくださいね。よろしくお願いしますよ。前みたいな恋愛小説じゃなくても、女性が主人公なら読者は大喜びで読むと思いますから」
 男が机の上を見ながら言う。ターレイが黙っていると、男は続けた。
「とにかく、書いていただく約束で稿料を前貸ししているのですから、それだけはお忘れなく」
 男はターレイに言い聞かせるように、大きな声で言う。
「ああ、わかったから帰れ」
 ターレイが手を追い払うように振りながら言うと、男は口を開いた。
「本当に、お願いしますからね」
「わかった、わかった」
 ターレイは投げやりに言う。
 男は不審そうな目でターレイを見た後、諦めたように背を向けて戸口へ向かった。
「ああ、そうだ」
 男は急に立ち止まると、振り向いた。
「そういえば、さっき前庭でお婆さんと会いましたよ。使用人かと思って声をかけたら、門から走って逃げてしまいました」
「なんだって?」
 ターレイは目を見開いて、男を見つめた。
「先生の親戚……ではないですよね。熱心な読者なのかな? とにかく、戸締りには気をつけたほうがいいですよ」
 男はそういい残して、家を出て行った。
「老婆だって? 誰だ、そいつは」
 ターレイは急に背筋が寒くなって、首をすくめた。
「だいたい、なんで読者が俺の家を知っていたんだ?」


 眩い陽光が降り注ぐ中、ターレイは家を出た。
「暖かそうな光が踊っているというのに、風がやけに冷たい」
 ターレイは服の襟を押さえて、ため息を吐いた。夕べ、どこかに上着を忘れてきてしまったのだ。
 ターレイは歩きながら、腰に下げた重い袋を手で押さえた。中には、前借りした分を含めた全財産三十環が入っている。家へはもう、帰らないつもりだ。
 ターレイは次に、首に吊り下げている玻璃玉を取り出した。片手で持って目の前にかざし、深いため息をつく。
「やはり、何も映っていない」
 壊れていることは判っているのに、目にする度にターレイは肩を落とす。
 以前は玻璃玉の表面にいつも、フェイツァイの姿が見えていた。表面に浮かび上がるように、映っていた。
 ときにはフェイツァイが見せたいと思う美しい花や山野などの景色が映り、フェイツァイの生い立ちが幼い頃の姿から物語のように次々と映ることもあった。
 ターレイはそのフェイツァイの生い立ちを元に「愛翡翠」を書いたのだ。書きながら何度も彼女に話を読んで聞かせて、意見を聞いたりした。
「もっと早くに、探しに出ればよかったんだよな」
 ターレイはそう、誰に言うでもなく呟いた。フェイツァイが居た頃のくせで、ついつい考えていることを声に出して言ってしまう。
「住んでいる場所が判れば、いいや、せめて彼女の『名前』が判ればな……」
 言っても仕方がないのに、つい口をついて言葉が出てしまう。
 ターレイは首を左右に振って、歩きはじめた。
「そもそも、フェイツァイにしつこく名前を訊いたのが、喧嘩のはじまりだった」


〈ねえ、書きはじめなくてもいいの?〉
 いつもの彼女の小言。
「まだいいだろ。金ならあるし。そんなことよりさ、本当の名前を教えてくれよ」
 俺がそう言うと、彼女は苛立ったように告げた。
〈私はフェイツァイ。それでいいでしょ〉
「それは、俺が付けてあげた名前じゃないか。どうして教えてくれないんだよ」
 俺の言葉に、彼女は黙りこんだ。俺は続けた。
「じゃあ、どこに住んでいるのか教えてくれよ。会いに行くからさ」
 彼女は何も応えない。
「この間教えてくれたじゃないか、フェイツァイ。お前はどこかに居るんだろう? 生きているんだろう?」
〈そうよ〉
 短い答え。
「名前を、いや住んでいる場所だけでもいいからさ、教えてくれたら新しい話を書くよ。書いて、大金を手に入れて、どんなに遠くても会いに行くから」
〈私、そんな取引みたいなことなんてしたくない〉
「取引とか、そういうんじゃない。好きな女のことをもっと知りたいと思って言っているのに……変かい?」
 彼女は何も応えない。
 俺は彼女がどんな表情をしているのか見たくて、翡翠色の玻璃玉を目の前に持ち上げた。
 玻璃玉の表面に映っていたのは、いつもの彼女の姿を突き破るようにして、ぐっと突き出たしわしわで骨ばった何者かの手。
 俺は悲鳴をあげて玻璃玉を取り落とした。あわてて手を伸ばしたが間に合わず、玻璃玉は音を立てて床に落ち、金属製の机の脚にぶつかって派手な音を立てると、ころころと転がった。
「フェイツァイ!」
 拾いあげた玻璃玉は欠けてひびが入り、灰白色に変色していた。


 どうにかして玻璃玉を直すことができないだろうか。と、ターレイは呟いて、首を左右に振った。
「無理だよな。普通の玻璃玉ではないのだから」
 ターレイは人通りも疎らな道を、独り言を呟きながら歩いて行く。
「彼女があんなに本名を明かすのを嫌がっていたのには、きっと何か訳があるはずだ」
 ターレイは急に不安になって、足早に歩き始めた。
「探さなければ」
 進むにつれ人通りが増え、飲食店街の並ぶ賑やかな通りに行き当たった。厚着をした人々が、年末用に買った様々な品物を大量に抱えて行き交う。
 ターレイはむりやり人ごみに身体を滑らせた。
「寒い日にお一ついかが? 蒸したての包子だよ」
 真っ白な湯気をもうもうと立ち上らせながら、売り子が蒸篭を持ち上げて叫ぶ。
「芋〜。甘くて美味しい蒸し芋〜!」
 歌うような口上が辺りに響く。
 ターレイは人の流れに押されてゆっくりと進むうちに、次第に道の端へと追いやられていった。
「揚げ菓子はいかが?」
 すっと手が伸びて、ターレイの鼻先に小さな篭に盛られた揚げ菓子が差し出された。
「たったの五環よ。安いでしょ?」
 若い女の売り子が、厚化粧の顔に媚びるような笑みを浮かべて言う。
「放せ!」
 ターレイは女を睨みながら叫ぶと、手を振り払った反動で他の人にぶつかり、足を踏んだり蹴られたりしながら、なんとかその場を離れた。
「くそっ。なんだって、こんなに人が多いんだ」
 ターレイは人波に埋もれそうになりながら、茶館の角を曲がって細い路地に入りこんだ。
 人通りも疎らな道沿いには、みすぼらしい佇まいの店が並んでいた。冷たい風が吹きすさび、枯葉が乾いた音を立てて転がっていく。
 ターレイは白い息を吐くと、襟元をかき合わせた。
 「激的痩身薬、一袋十六環」の看板を掲げている薬店。店の前までがらくたを並べている古道具店。「百発百中占卦」の占い小屋。
「占いでもしてもらえば居場所がわかるだろうか?」
 ターレイは「百発百中占卦」の店を見つめた。よく見ると、看板の下に小さな文字で「占卦一回二十環」と書いてある。
 ターレイは目を見開いて、呟いた。
「やけに高値じゃないか。二十環なんて!」
 次の店は、怪しげな食堂だ。「世界の珍奇な珍味で味試し」と書いてある。
「ろくな店がない通りだな」
 ターレイはため息混じりに呟くと、次の店を見て目を見開いた。
「なんて目立つ店だろう。この貧相な店が並ぶ中でも、一際目立つみすぼらしさ。屋根は傾いてひしゃげ、壁の表面は崩れ、年季の入った戸板は黒ずんでいる」
 ターレイは息をついて続けた。
「どう見ても壊れかけの空家にしか見えないというのに、不似合いなほど真新しい白木の看板には、磨りたてかのような墨字で、こう書いてある『あらゆる悩みを解決し、どんな望みも叶えます。よろずや漂亮』と」
 ターレイは眉間にしわを寄せて、また独りごちた。
「あらゆる悩みを解決だって? どんな望みも叶えるって? ご大層な謳い文句じゃないか」
 ターレイは看板に顔を近づけて、じっくりと見つめた。
「値段は……どこにも書いてないな。占いよりも高いだろうか? そうだな、入って値段だけでも訊いてみようか」
 ターレイは自分の言葉に頷くと、戸板に手をかけた。
 ぼろぼろの戸板は軽々と滑り、ターレイは吸いこまれるように店内へ足を踏み入れた。途端に、暖かい風が身体を包みこむ。
「何だろう、この妙に暖かな風は。それに、この眩い灯りは何だ? どこにあるんだ?」
 ターレイは瞬きを繰り返して、眩しいほどの光に満ちている店内を見回した。
 白灰色のきめの細かな石を敷き詰めた床は、きらきらと光り、飴色の板張りの壁はつやつやに輝いている。
 幾つも積み上げられた木箱からは、金属のような尖ったものが覗き、鈍い光を反射していた。
「この店はなんだろう? 外と大違いじゃないか」
 ターレイが呟くと、木箱の陰からすっと背の高い男が現れた。
 整った白い顔。まばらに垂らした長い前髪の間から、切れ長な黒い瞳が覗いている。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
 男は良く響く声で言いながら、優雅に頭を垂れた。
「なんだ。この役者みたいな顔の男は。俺は何かに化かされているのか? と、俺は考え……あっ」
 いつもの癖で声に出してしまって、ターレイはあわてて口を押さえた。
「私はここ漂亮の主、ワン・ジンユーです。どうぞ、こちらへ」
 男はターレイの言葉を気にしていないのか、涼やかな笑みを浮かべて店の奥を指し示す。男の動きに合わせて、枯緑色の服裾が揺らめいた。
 ターレイ居心地の悪さを感じて、じりじりと後ろへ下がった。後ろ手で戸を開けようとするが、まるで鍵がかかっているかのように動かない。
 この店はどうなっているんだ? と思うまもなく、男は首を傾げて口を開いた。
「当店は『古老的文明』時代に作られた品を扱っております。きっと、あなたのお悩みにあうものがございますよ」
「『古老的文明』時代だって?」
 ターレイは目を見開いて、店内を見回した。
 言われてみれば、店の不思議な灯りもぴかぴかの壁も、貴重で高価だという「古老的文明」時代の品物にぴったりだ。
 もしかしたら、玻璃玉が直るかもしれない。と、ターレイは考えた。
「さあ、どうぞ」
 男に勧められるまま、ターレイは木箱の陰に回りこみ、幾つも並んだ大きな麻袋の横を通って、古びた木製の椅子に腰かけた。
 虫食い穴だらけの煤けた卓子の上に、竹篭に入った茶具が一揃い並んでいる。
 鈍く輝く金属製の湯壺。金属製の茶筒。白磁の大き目の蓋碗が一つに、揃いの茶海が一つ、茶杯が二つ。
 なんで、椅子と卓子だけが、ぼろぼろなんだろう?
 ターレイは首をひねりながら、店主の細長い白い指が、素早く動き回るさまを見つめていた。
 蓋碗を温めたお湯を捨て、竹の茶則で茶筒から灰褐色の大き目の茶葉を取り出して蓋碗へ入れる。
「流れるような優美な動きだ。
 店主は湯壺を高く持ち上げて、白い湯気を立てながら、蓋碗に勢いよくお湯を注ぎいれた。浮かび上がった泡をすくいあげるようにして蓋を載せる。
 店主が慣れた手つきで蓋碗から茶海へ飴色のお茶を注ぐと、香ばしい匂いが漂った。
 店主は茶杯を温めていたお湯を捨て、茶杯へお茶を注ぎ淹れると、差し出しながら言う」
「さあ、どうぞ」
「どうも」
 ターレイはもごもごと呟きながら、茶杯を受け取った。一息に喉に流しこむと、仄かに甘い香りが口の中に広がる。
 ターレイが飲み終わるのを待っていたかのように、店主が口を開いた。
「どんな悩みをお持ちでしょう?」
「悩み……」
 ターレイはごくりと唾を飲みこむと、口を開いた。
「名前も、どこに住んでいるのかも判らない女を探している」
「どちらで出会ったのですか?」
「いや。直接会ったこともない。ただ、彼女の姿を見て、話をしただけなんだ」
 ターレイは信じてもらえないかもしれないと思いながら言った。
「そうですか」
 店主が妙に頷きながら言う。ターレイは空の茶杯を見つめた。
「そういえば、あの玻璃玉と出会ったのはいつだったろうか?」


 売れない短編ばかりを書いていて、食べるものにも困っていた四年まえの冬。
 時々食べに行っていた安食堂で、俺は初めて見る少年に呼び止められた。
「あなたは、作家のトン・ターレイさんですか?」
 それまで作家なんて呼ばれることがなかったから、俺はすっかり舞い上がって、妙に高いひっくり返った声で返事をした。
「そ、そうです」
「良かった。これを、渡してくれって、頼まれたんです」
 少年は笑顔で、俺に手に小さな巾着袋を押し付けた。
「何だい、これは。誰に頼まれたんだい?」
 俺が訊くと、少年は首を傾げて答えた。
「あなたの作品が大好きで、あなたの後援者だって言う人から」
「後援者だって?」
「誰かは言わない約束だよ。それに、中身もぜんぜん知らないから」
 少年は軽く笑って言うと、驚く俺を一人残して走り去った。
 巾着袋を開けると、美しい翡翠色の玻璃玉が入っていた。そして、フェイツァイがいた。


「フェイツァイという名ですか。フェイツァイというと『愛翡翠』の主人公の名前ですよね」
 店主の声に、ターレイは驚いて顔をあげた。
 俺は今、また考えを声に出して言ってしまったんだろうか? と、ターレイは首をひねった。
 店主は湯壺を持ち上げて、白い湯気を立てながら蓋碗にお湯を注いでいる。
 それにしても、あの湯壺は何で出来ているんだ? 火もないのに、お湯が冷めないなんて。
 店主はターレイの茶杯を引き寄せると、軽く微笑んで言った。
「古くから店に伝わる湯壺ですよ」
「え?」
 ターレイは瞬きを繰り返して、店主を見つめた。
 店主は慣れた手つきで蓋碗を持ち上げると、茶杯へお茶を注ぎいれる。
 ターレイは茶杯を受け取りながら、口を開いた。
「その湯壺も『古老的文明』時代の品なのか」
「はい」
 店主はなんでもないことのように言って、自分の茶杯を口につけた。
 ターレイは立ち上がると、口を開いた。
「じゃあ、不思議な力のある品について判るだろう?」
 首に吊るした紐を引っぱって、服の中から玻璃玉を引っ張り出しながら言葉を続ける。
「この品が分かるか? これも、きっと『古老的文明』時代の品なのだろう?」
 店主はじっと玻璃玉を見つめて、口を開いた。
「ひびが入っていますね。壊れているのですか?」
「そうなんだ!」
 ターレイはもどかしそうに首の紐を解くと、玻璃玉を店主へ差し出した。
 店主は注意深く玻璃玉を受け取ると、手の中で転がしながら言った。
「なるほど。それで、このひびを直して欲しいのですか?」
 ターレイは卓子に身を乗り出すようにして訊いた。
「直るのか?」
「はい。四十環で、元のように直しましょう」
 店主の言葉に、ターレイは三十環しか入っていない財布に触りながら口を開いた。
「直すだけなのだから、もう少し安くてもいいじゃないか」
「そうですねぇ。では、六十環ではいかがでしょう?」
 店主が淡々と言う。
「高くなっているじゃないか!」
 ターレイが叫ぶと、店主は首をひねった。
「そうですか? では、八十環にしましょうか」
 こいつは、直す気がないのか? と、ターレイは握りこぶしで卓子を叩いた。
 蓋碗が音を立ててぶつかり合い、茶杯のお茶がこぼれる。
「ところで」
 店主は何事もなかったかのように、笑みを浮かべたまま言った。
「最初に仰っていたフェイツァイという名の女性はどうしますか? 探しているのでしょう?」
 ターレイは椅子に座りなおすと、口を開いた。
「いや。最初に言ったとおり、俺は彼女の本当の名前を知らない。フェイツァイというのは、俺がつけた名前なんだ」
 ターレイはこぼれて濡れた茶杯をにぎると、お茶を一気に飲み干した。
「なるほど。『愛翡翠』の主人公から名前をつけるとは、さぞかし美しい女性なのでしょうね」
 いや、逆だ。玻璃玉の中にいたフェイツァイのほうが先だ。あいつの生い立ちを元にして『愛翡翠』を書いたのだから。と、ターレイは考えた。
「そうだったのですか」
 店主が頷きながら言う。ターレイは目を丸くして叫んだ。
「俺は何も言っていないぞ」
「そうでしたか」
 店主はさらりと言って、軽く微笑む。ターレイは咳払いをすると、口を開いた。
「確か、表の看板には『どんな望みも叶える』と書いてあったな」
「はい」
 店主が短く言う。
「それじゃあ、ただ探すだけでは駄目だ」
 ターレイはそこで言葉を切ると、一呼吸して続けた。
「俺の望みは、俺がフェイツァイと名づけた女と会って、ずっと一緒にいられることだ。できるのか?」
「はい。では、それと一緒に玻璃玉も元通りに直しましょうか」
 店主はなんでもないことのように言うと、ひび割れた玻璃玉を卓子の上へ置いた。
 ターレイはあわてて口を開いた。
「俺は三十環しか持っていないぞ。それで、できるのか?」
 店主はちらりと、ターレイの肩越しに戸口の方を見つめて、口を開いた。
「はい。簡単ですから」
「簡単なのか」
 それじゃあ、八十環なんて言うなよ。と、ターレイはため息をついた。
 ターレイは眉を寄せて、財布を取り出すと、卓子の上へどっかりと置いた。
「この中に、きっちり三十環入っている。もう二度と壊れないようにしてくれ」
 店主は袋の口を開けて、中をちらりと見ると頷いた。
「はい、確かに。それでは、玻璃玉を両手の人差し指で挟んで持ってください」
 ターレイは何度か取り落としそうになりながら、なんとか玻璃玉を持った。
「そのまま玻璃玉を見つめてください」
 まるで遠くから聞こえるように、店主の声がうつろに響いた。
「え?」
 ターレイが驚いて顔をあげたとき、にやりと笑う店主の顔が逆様に映って見えた。


 ターレイは煙のように玻璃玉に吸いこまれ、ひび割れの消えた玻璃玉は卓子の上に落ちてころころと転がった。
「また会ったね。助かったよ」
 しわがれた声と共に、木箱の横から小柄な老婆が現れた。
 骨と皮だけの痩せ細った腕。しわしわの顔の中で、ぎょろりと剥いた大きすぎる目が際立っている。
「彼はあんなにあなたに会いたがっていたのだから、出てきてあげればよかったじゃありませんか」
 店主が言うと、老婆は目を見えなくなるほど細めて笑った。
「この姿で? まさか!」
「おや、お忘れですか? 玻璃玉の中にいても、周りは見えていたでしょう」
「そういえば、そうね。でも、いいよ。今度は立場が逆で、私が玻璃玉を持ち歩く番だけれど、これでずっと一緒に居られるのだから」
 老婆はそういいながら、卓子の上の玻璃玉に骨ばった手を伸ばした。
〈ぎゃー!〉
 ターレイが悲鳴をあげた。
「いやねぇ。怖がらなくてもいいじゃない。私が、あんたがあんなに会いたがっていたフェイツァイなんだから」
 老婆はターレイをなだめようとするように、両手で包み隠すように玻璃玉を持ち上げると、目を細めて言った。
「こんどはまた、私が主人公のあの話の続きを、私のためだけに聞かせておくれよ」


(このようにして私は、鳥篭の中でさえずる鳥となったのだ)

 この世のどこかにその店はあるという。その名は「漂亮」。
 店で扱う不思議な薬や道具は、たとえ時間がかかろうとも、あらゆる悩みを解決し、どんな望みも叶えるという。

(了) 

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