Vida〜楽園の鳥〜

20.May.2001 UP  5000hit   記念  

 森の中の小道に、一人の少年がいた。
 薄褐色の肌。こげ茶色の髪。大きな瞳は木々の葉の色を写したかのような緑色。
 こぼれ落ちそうなほどのたくさんの花枝を抱えて、少年は走っていた。
 垂れ下がる紫色の小花は、純白のガクに縁取られている。
 細い茎が揺れるたびに、花から甘い香りが匂いたつ。
 まわりの木々がざわめき、少年は立ち止まって空を見上げた。
 大きく揺れ動く樹冠に切り取られた青空を、何かが素早くきらめきながらよぎった。
「ヴィータ!?」
 少年は眩しさに目を細めながら、影を追って首をめぐらせた。
 やがて、樹木の揺れが止まると、少年は再び道を駆けて行った。

「ありがとう、シエロ。とっても奇麗」
 ベッドから上半身だけを起こした女性は、弱々しく微笑んだ。
 軽くうねる長い黒髪は艶がなく、青白い顔色の中で黒い瞳が目立っている。
「お母さん、起きあがらないで。横になっていても見えるように、こっちに置くから」
 シエロは、母の枕元へ椅子を動かすと、その上へそっと花瓶を移した。
「いい香り。なんだか落ち着くみたい」
 母親はゆっくりと体を倒して、目を瞑った。
 シエロの母は、もうずっと長い間、寝たきりの生活をしていた。
 時おり町からやってくる医者は、痛みをやわらげる薬を置いていくだけだ。
 病気を治す方法はないのだという。
 シエロはベッド脇の衣装入れに腰掛けて、母親の顔を見つめた。
 青白かった顔に、赤みが差してきたようだ。
(花を採ってきて良かった)
 シエロは花瓶にさした花々を見つめた。
 この花は、母親が大好きな花だ。特に、真っ白なガクをもつ花は、とても甘い香りがする。
 森の奥でこの花を見つけたシエロは、夢中になって抱えきれない程の枝を折ったのだ。
 うっすらと目を開けた母は、シエロを見て微笑んだ。
「だいぶ気分が良くなったから。ついてなくていいのよ。外で遊んでおいで」
 シエロは大きく首を左右に振った。
「それじゃあね、シエロの大好きなヴィータのお話でもしようか」
 母の言葉を聞いて、シエロは目を輝かせた。
「さっき森の中でね、何かが光りながら空を飛んでいったのを見たよ。もしかしてあれがヴィータだったのかなぁ」
「そうねぇ。ヴィータは、今もどこかを飛んでいるのかもしれないわね」
「羽根を落としていってくれないかなぁ」
 シエロはため息混じりで言った。
 ヴィータは、虹色の翼を持つという伝説の鳥だ。大きく翼を広げて大空を飛びまわり、時おり虹色の羽根を落とす。その、ヴィータの羽根を持つ者は、幸せになれるのだという。
「羽根を拾ったら、お母さんにあげるからね」
(そうすれば、きっと病気も治るよ)
 そのシエロの言葉に、母は目を伏せた。
「お母さん? 気分が悪くなった?」
 シエロがあわてて衣装入れから降りると、母は弱々しく腕を振った。
「違うの。大丈夫よ、シエロ」
 母親は大きく目を開けて、じっとシエロを見つめながら続けた。
「あのね、お母さんは、本当は、羽根を持っているの」
「ええっ?」
 シエロが驚いて叫ぶと、母親はそっとシエロの手を握りしめた。
「ヴィータの羽根は、透きとおっていて、光を受けるとキラキラと虹色に輝くの。ゆっくりと、舞うように空から降ってきた。とても、とても奇麗だったわ」
「だって、どうして? どこに持っているの?」
 シエロが訊くと、母親は目を閉じた。
「もう、ずっと昔の話よ。今は、どこかにやってしまったわ」
「お母さん?」
 話し疲れたのだろうか。母親の顔色が悪くなっている。
 シエロは母の手を両手で包みこんだ。
「大丈夫? お母さん。しっかり」
 やがて、寝息が聞こえてきて、シエロはそっと、母の手を毛布へ入れた。


(お母さんは、昔ヴィータの羽根を持っていた)
(どうして、今まで黙っていたんだろう)
 村の広場をぐるぐると歩きながら、シエロは低くうなった。
 考えても、考えても、判らない。
「おや、シエロ。お母さんは元気かの」
 声をかけられて、シエロは立ち止まった。
 振り向くと、村で最長老のネヌファル婆が木桶を持って立っていた。
「うん。今、眠っている」
 シエロの返事を聞くと、老婆はうなずいて、広場の中央にある水場へ歩いていった。
 大理石製の水口から、澄んだ水が絶え間なく流れ出ている。その下へ、老婆は桶を置いた。
「ネヌファルお婆さん。ぼく手伝うよ」
 シエロはしゃがんで、桶が動かないように押えた。
「おや、シエロはいい子だねえ」
 ネヌファル婆は桶から手を離すと、腰を伸ばした。
「ねえ、ヴィータの羽根って、何なのかなぁ」
 シエロの呟きに、ネヌファル婆は口を開いた。
「ヴィータの羽根は、『ボレト』っていうのの仲間さ」
「ボレト?」
 シエロは首を傾げた。
「そう。今はもう、町でも目にすることはないけどね。昔は、いろいろなことをするのに、『ボレト』ってのが必要で、お金を払って手に入れたものさ。けれど、『エテルナ』へ入るための『ボレト』は、お金で買えない。ヴィータが落とすのを待つしかなかったのさ」
 シエロは眉を寄せた。
「えーと。『エテルナ』って、どこかにあるっていう伝説の楽園のことでしょう?」
 ネヌファル婆は、しわだらけの口元を歪めて答えた。
「そう。『エテルナ』はな、『一年中花が咲き乱れ、果物がたわわに実り、争いも病も不幸もない世界』と謳われていたのさ」
 シエロは頭を押えた。
「判らないよ。ますます、判らないよ。それじゃあ、どうして? ヴィータの羽根があったのに、どうして、お母さんは『エテルナ』に行かなかったんだろう?」
「さぁてなぁ。おや、水が溢れているぞぃ!」
 ネヌファル婆に促されて、シエロはずっしりと重い桶を持ち上げた。
 先に立って歩いていく老婆の後ろを、よろよろと桶を運んでいく。
 やがて老婆の家に着き、シエロは水桶を床に置いた。
 ネヌファル婆はシエロの耳へ口を寄せて、しわがれ声で言った。
「あと、婆が知っておるのはな、かつて、ヴィータの羽根をめぐって、血なまぐさい争いが繰り広げられた、ということだけじゃよ」


 老婆の話を聞いてから、シエロは毎日森へ通った。
 一面に花の咲いている野原を横切り、森の奥へと向かう。
 時おり空を見上げては、老婆から聞いた話やヴィータのことを考えていた。
(ヴィータって、何なんだろう?)
(エテルナって、どんなところなんだろう?)
(お母さんからヴィータの羽根を取り上げた悪い奴は、今ごろ、のうのうと楽園で暮らしているんだろうか)
 シエロは目を細めて、鳥一羽飛んでいない澄み渡った空を見つめた。


 ある日、森の入り口で、シエロは若い女性に会った。
 森に近い村はずれに住んでいる、初老の男の一人娘だ。
「こんにちは」
「こんにちは」
 娘はシエロに挨拶すると、抱えたかごの中身を見せた。
 かごの中は、黄金色の小さな実で埋め尽くされている。
「わあ、たくさん!」
 シエロの言葉に、娘は森の方を手で示した。
「今、川のそばに、いっぱいあるよ。これ、焼き菓子にするの。お父さんの好物だから」
 黄金色の実は酸味が強く、種が多い。
 シエロは、食欲のない母のために、食べやすい果物を探すつもりだった。
「何か、甘い果物はないかなぁ」
 シエロがつぶやくように言うと、すぐに娘は答えた。
「フルトはどう? そろそろ熟す頃よ」
 フルトはみずみずしい緑色の果物だ。大きな木につるをからませて、丸い実をいくつもつける。
「そうだね、フルトか。うん。ありがとう!」
 シエロがお礼を言って駆けだすと、娘はくるりと後ろを向いて、家へ帰っていった。

 シエロは森の奥で、フルトをみつけた。
 薄い皮は弾力があって透けており、中の薄緑色の果肉と丸い種がうっすらと見えている。
 シエロは一つ、爪で皮をむいてみた。
 すぐに汁が溢れて、樹皮のような清々しい香りが漂った。
(熟している。よかった)
 シエロは、熟した柔らかい実を選んで、両手いっぱいに収穫した。
(これならお母さんも食べてくれる)
 シエロは実をしっかりと胸に抱えて、森を駆け抜けていった。
 
 村へ帰ると、広場に人が集まって何やら騒いでいた。
「シエロ。早く家に帰りなさい!」
 見たことのない男が叫んでいる。
(お母さんに何が?)
 シエロの手から、フルトがいくつもこぼれ落ちた。
 シエロはあわてて、落ちたフルトに手を伸ばした。
「早く!」
 人々が口々に叫んだ。
 声に背中を押されるように、シエロは走り出した。
 フルトは全て転がり落ちて、つぶれて汁をにじませた。

「お母さん!」
 大きな音を立てて、木戸を開く。
「お母さん!」
 急いでベッドに駆け寄ると、母は血の気のない顔に、穏やかな表情を浮かべて眠っていた。
「お母さん?」
 シエロは母の顔を覗きこんだ。
 母のまぶたが、ゆっくりと動き、黒い瞳がシエロをとらえた。
「ああ、シエロ。あなたに言わなきゃいけないことがあったのよ」
 母親は両手をついて、体を起そうとした。
「お母さん、だめだよ。寝てなきゃ」
 そう、シエロが言っても、母は無理に上体を起こした。
 じっとシエロの顔を見つめて、母は口を開いた。
「シエロ。ごめんね。ずっと、ずっと謝りたかった。あなたを置いていってしまって、ごめんなさいね」
「お母さん?」
(何を言ってるの?置いていってしまったって?)
「本当に、ごめんなさい。お母さんはあの時、とっても疲れていたの。だから、あの羽根を、自分のものにしてしまった」
(何のはなし?)
「私は、お父さんに我慢できなかったの。いつも乱暴を受けて、いつ殺されるかと、びくびくしていたわ。そうやって、怯えて暮らすのに、とても疲れていた。だから、私はどうしても『エテルナ』に行きたかったのよ」
 母の瞳から、とめどなく涙があふれた。
(お父さん……って、ぼくのお父さん? 聞いたことないよ。どうなってるの?)
 母は顔を両手で覆いながら、続けた。
「あなたを残していくのは、とっても心残りだった。だけど、あなたは男の子だったから。羽根は一枚で一人分だから。私は……」
 母の声が、体が、震えはじめた。
「お母さん、大丈夫?」
 シエロはそっと母を抱いて、背中をさすった。
「ああ、シエロ。忘れようとしても、忘れることなんてできなかった。楽しいことをしても、平和な日々を繰り返しても。あなたはもう、いないのに。忘れるどころか返って、あなたのことが心を占めていく」
(おかあさん、ぼくここにいるよ。わからないの?「あなた」って、ぼくのことじゃないの?)
 震えながら母は続けた。
「あなたは、こんなお母さんを 、恨んでいたでしょう? 憎んでいたでしょうね。だって、あの羽根は、あなたと一緒に見つけたものだったもの」
 判らない。何もかも判らないことだらけなのに、シエロの口は、自然と動いていた。
「恨んでなんかいないよ、お母さん。憎むなんて、とんでもない。だって、ぼくはお母さんの笑顔が見たいから。お母さんの幸せが一番嬉しいから。……僕はお母さんが、大好きだから」
「ありがとう、シエロ」
 母の体の重みが、シエロの腕の中にかかった。
(お母さん?)
 母をしっかりと抱きしめたいのに、腕がしびれたように動かない。
(お母さんは、死んだ)
 シエロには、ただそれだけが、はっきりと判った。
 足は根が生えたみたいに床から離れない。声も出せない。
 頭も指先も、何もかもが石でできているみたいに重い。
(どうして、あの時、勝手に言葉が口から出たんだろう?)
 シエロはぼんやりと考えながら、その場に立ち尽くした。


 シエロの家の前に、ネヌファル婆と若い男が立っていた。
「やれやれ、やっと、わしの番じゃね」
 ネヌファル婆のつぶやきに、男は無表情に答えた。
「はい。前にお預かりしていた情報のままでよろしかったでしょうか」
 ネヌファル婆は、男を見上げた。
「そうさね。本当は、わしはお前さんが息子役でもよかったんだけど」
「私はマキナの中でも、ただのプロテクトラですから。役割が違います」
 ネヌファル婆は、ため息混じりで言った。
「こういう時は、『ご冗談を』とか言うものさ」
「判りました。学習しましたので、次回から反映いたします」
 男の答えに、ネヌファルは頷いて言った。
「さてと、いくらなんでもわしとあの子が親子って訳にはいかないだろうさ。孫にでもしておこうか」
「はい。名前は前情報のままでよろしいですか」
「息子の名前だけど、いいさ。アルトゥロだよ」
「はい。では、最後の言葉は何にいたしましょう?」
「わしはもう、充分すぎるほど長いときを過ごしたからねぇ。特に思い残していることなんて、何もないんだよ」
 ネヌファル婆は、そこで言葉を切ると、にやりと笑って続けた。
「『もう、お別れだよ』と、わしが言ったら、『お婆ちゃん、大好きだよ。死なないでー』って言うのがいいかねぇ」
「判りました」
 男はネヌファル婆の言葉を記録した。
「おや、用意ができたようじゃの」
 シエロを抱きかかえた男が、ゆっくりと家から出てきた。
 眠っているのか、シエロは瞳を閉じてぐったりとしている。
「では、入力しましょう」
 男は抱きかかえられたままのシエロに近づいて、額に手を触れた。
 指の先が触手のように広がって、シエロの頭を包みこんだ。
 シエロの額が赤くきらめき、あたりに光を放つ。
 やがて、男は手を離して言った。
「この子は次に目覚めたときから、アルトゥロです」

 ネヌファル婆の家へ、少年は運びこまれた。
 運んできた男たちをねぎらって、ネヌファル婆は声をかけた。
「あんたたちマキナも、大変だねぇ。人間はあと、どのくらい残っているんだい?」
「この村には、あなたを入れて九人ほど。家族の役割をしているマキナは、その少年を入れて九体です」
 老婆は感嘆の声をあげた。
「おや! わしで最後じゃないかぇ」
「はい。もうすぐ人は、『エテルナ』から居なくなるでしょう」
 男の答えに、老婆は何度もうなずいた。
「あんなに、争ってまで来たがっていた楽園だっていうのに、みんな死ぬことを願うようになるなんてねぇ。爺さんも、こんなことは考えつかなかっただろうよ」
 老婆の亡き夫こそ、人に仕える生命「マキナ」を創った人物だった。
 かつて人間の長年の夢だった「永遠の生」を叶えるために、マキナを使って楽園を創り、ヴィータを創った。
 老婆は遠い目をした後、男たちを見回して言葉を続けた。
「そのうえ、一度は不死を願っていながら、今度は、看取ってくれる人が欲しいなんて。つくづく人間ってのはワガママさ。付き合わされるマキナも大変だよ」
「いいえ。私たちは、人間の幸せのために存在していますから。幸せな死を叶えるのも、私たちの仕事です」
 
 他のマキナが家から去ると、老婆はベッドで眠っている少年を見つめた。
 最も繊細で、人に近く創られている、少年の姿のマキナ。
 老婆は少年の頬をなでながら、そっと呼びかけた。
「アルトゥロ」
 少年のまぶたがぴくりと動き、ゆっくりと長いまつげが持ち上がる。
 老婆の姿を見つめて、少年はにっこりと微笑んだ。

−end− 

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