「僕らに降り積もる雪」

 雪に覆われた道は、ライトに照らされて目が痛いくらいに白く輝く。
 ふわふわと漂う大きな雪。前がぜんぜん見えなくなるほど勢いよく舞いあがる雪。時には、まるで僕たちに襲いかかるように激しく乱れ飛び、一斉に降り注ぐ。
 一面の真白色の中でぼんやりと見える柔らかな橙色は、誘導標の反射材だ。道の両側に並んで、僕たちの進行にあわせて、ひとつひとつ光っていく。緩やかなカーブを描きながら、ふたつきれいに並んで僕たちの行く先を示している。
「きれいだね」
 ヒズルが窓の外を見ながら、ため息まじりに言った。
「そうだね。雪って本当に、いつ見てもきれいだ」
 僕がうなずきながら言うと、ヒズルは軽くウエーヴのかかった白金色の短い髪を揺らして、さっと僕のほうを向いた。白い顔がいつもより蒼ざめて見える。あのときみたいに。
「灯りのことを言ったんだ。こんなニセモノがきれいだなんて、僕は認めない!」
 ヒズルが、珍しく荒々しく言った。
 僕は息を呑んだ。ヒズルがこんな風に声を荒げるなんて珍しい。
 そうだ。あのときも、ヒズルは大声をだして、僕はとてもびっくりした。
 あれは、一ヶ月ほど前のこと。誰が言い出したことだったのか忘れたけれど、僕たちは数人の仲間と一緒に雪を見に、ここへ来ていた。


「このトンネルを抜けると、雪が見えるんだぜ」
 何度もこの道を通ったことのあるフィマが、鼻をこすりながら得意そうに言った。僕たちは期待に頬を染めて、額を窓にくっつけるようにして横に並んだ。僕を含めて、雪を見たことのない子供がほとんどだった。
 薄暗いトンネルを抜けると、突然辺りが白くなった。
 真っ白でふわふわとしたものが輝きながら、まるで僕たちに降りかかるように迫ってくる。
 僕たちは何も言えずに、飽きもせずに、じっと雪を見つめていた。魅入られたように。
 それから、僕たちは大騒ぎをはじめた。
「おい。見ろよ!」
「すげー」
「なんだか、夢みたい」
 窓の外を指さして、みんな勝手に雪を称賛している。そして、僕たちはフィマを質問攻めにした。
「雪って軽いのか?」
「どうして、ここにだけ雪があるの?」
 フィマの父親は、この行路の先にある研究施設に勤めている。フィマは何度も遊びに行っているらしく、雪に詳しい。
「だからさ、雪はこの辺りに流れてくる水に含まれているのさ。で、どんどん厚く降り積もるってワケ」
「へぇ〜。すげえなぁ」
「どうして雪ができるのかは、まだ判ってない。これからの重要な研究課題だって、父さんが言ってた」
 ヒズルはいつものように大人びた表情を浮かべて、みんながはしゃぐ様子を後ろから見つめていた。
 ひととおりフィマが質問に答えた後で、ヒズルが静かに訊いた。
「誰か雪に触ってみたことはある?」
 みんなの予想通り、フィマだけが手を上げた。
「雪はさ、ちょっとざらざらしてて、そいで、手の中で粉みたいになっちまう」
 フィマが大げさに身ぶりをしながら言った。
 僕たちはフィマが羨ましくて、小突いたり金色の髪をくしゃくしゃに逆立てたりした。そんな中で、ヒズルがいきなり叫んだ。
「そんなもの、本物の雪じゃない!」
 僕たちは驚いて、ヒズルを見つめた。
「本物の雪は冷たくて、触ると融けるんだ。だから」
 ヒズルは、窓をドンと叩いて続けた。
「これはニセモノだ!」
 僕たちは、互いに顔を見合わせた。雪が融けるなんて、聞いたこともなかった。何よりも、ヒズルが大声をあげたことに、誰もが驚いていた。
 フィマが口を歪めて言った。
「じゃあ、お前はさ、『本物の雪』とやらに触ったことがあるってのか?」
 ヒズルは目を伏せて、黙りこくった。フィマは唾を飛ばしながら続けた。
「ないんだろ。雪に触ったこともないのに、テキトウなこと言ってんじゃねぇよ!」
 ヒズルは思いつきでテキトウなことを言ったりはしない。けれど、僕は何も言えなかった。


 僕がよっぽど驚いた顔をしていたんだと思う。ヒズルはばつが悪そうに目を伏せると、ぼそりと言った。
「ごめん」
 あわてて手をふる僕に、ヒズルは小声で続ける。
「あの誘導標がきれいに見えるのは、この雪のおかげだって、僕にもわかっている。けれど、本物の雪だったら、もっときれいだと思うんだ」
 いつになく、熱っぽい言い方だった。
 僕たちの住んでいる町や学校の周りには、雪がない。だから、今まで潜水艇に乗って誘導標が光っても、きれいだって感じたことは一度もなかった。
「本物の雪かぁ。きっと、すごくきれいなんだろうなぁ」
 僕は本物の雪を想像してみた。
 どんな風なんだろう? やっぱり白いんだろうな。触ってみたら、どんなだろう? すぐに融けちゃうなら、窓の外のように積もったりはしないのかな?
 僕は地上に本物の雪が降る様を思い浮べてみた。けれど、どう頭を絞っても思い浮べられない。地上の光景なんて、一度も見たことがないから。
 地上に出ることは禁止されている。けれど、僕たちは今日、本物の雪を見に行く。


 僕たちを乗せた潜水艇は、大きく口を開けた黒い穴――ゲート――へ吸いこまれて行った。フィマの父親の務めている研究施設だ。水底の、雪を研究する施設から、地上を調べる施設までが同じ建物の中にある。
「雪の見学御希望の方は、三番窓口へお集まりください」
 艇の到着にあわせて、案内アナウンスが流れた。
 ここで見学できる雪は、僕たちの目指している「本物の雪」じゃない。
 艇から降りた人々が三番窓口へ向かってぞろぞろと歩いていく。僕たちは流れに逆らって歩きはじめた。この建物の中のどこかに、地上へ通じる道があるはずだ。
 僕たちは階段を見つけると、登っていった。階をあがるごとに、研究室らしき扉の並んだ廊下に出る。
 誰かが廊下に出てきて、僕たちを見つけたら? 廊下にいる誰かが、僕たちを見咎めたら?
 僕の胸は爆発しそうで、まるで身体全体で脈打っているみたいだ。なのに、ヒズルは落ち着いた顔で、僕の横を歩いている。
 幸い、廊下にいる人もなく、僕たちはどんどん階段を登っていった。
 ちょうど六階への階段に差しかかったとき、頭の上から雷のような太い声が響いた。
「おまえら、こんな所で何をしている?」
 見あげると、僕たちの胴体よりも太い脚の大男が、僕たちを見下ろしていた。
 頭が真っ白になってしまった僕の前へ、ヒズルがさっと進み出た。胸に手をあてて、男に向かって訴える。
「僕たちは、お父さんに会いに来たんです。ここの職員なんです」
 僕は心の中で祈った。どうか、これでなんとか、切り抜けられますように。
 男はうなるように言った。
「なるほど。で、父親の名前は?」
 だめか。いちど、下の階へ逃げたほうがいいだろうか。僕がそう思ってヒズルの腕に手をかけたとき、ヒズルが口を開いた。
「コーウェンです」
「六階にはいないぞ。もっと下の階じゃないか?」
 首をひねる大男に、淡々とヒズルが言う。
「さっき、聞いてきました。父は、七階にいます」
「そうか。それじゃぁ、邪魔になんないように、静かに行けよ」
 大男はもう行けというように、大きな手を振った。僕たちはぺこりと頭を下げて、階段を登っていった。
 六階も過ぎて、七階への階段を歩きながら、僕は小声で訊いた。
「知らなかったよ。ここに知り合いがいたんだね」
「知り合いなんていない」
 僕はまじまじとヒズルを見つめた。
「だって、さっき。どうして?」
「聞いたことない? コーウェンって、一番多い姓なんだ」
 ヒズルはそう囁いて、悪戯っぽく微笑んだ。
 僕はごくりと息を飲みこんで、まじまじとヒズルを見つめた。
 信じられない。僕たちはこの建物が何階まであるかだって知らなかったんだ。それなのに、ヒズルは堂々とあんな台詞を言う。
 もしも、六階が最上階だったら? きっと、そんなこと、少しも考えていないんだと思う。
 ヒズルにこういう一面があるなんて、今までぜんぜん知らなかった。
 僕にはとても真似できない。この度胸。
「急ごう」
 ヒズルにうながされて、僕は階段を登っていった。
 ドキドキしすぎてどうかしちゃったんだろうか? なんだか、足が床にちゃんと着いているのかどうかすら、今の僕にはよく判らない。なんだか、夢の中にいるみたいだ。今までずっと水底で暮らしてきた僕らが、これから地上へ出るなんて。
 僕たちはとうとう最上階に着いた。上へ続く階段はもうない。扉が一つもない広い廊下があって、突き当たりの壁に黒いものがいくつもぶら下がっている。
「あれがきっと、防護服だ」
 ヒズルが僕の耳元で囁いた。
 防護服があるなら、外はすぐだ。
 僕たちははやる心を押えて、廊下を歩いていった。突き当たりの左側に、ぴったりと閉まった扉があった。今までに見た、研究室の扉とはデザインも大きさも違う。きっと、この扉の向こうが外だ。
 僕たちは壁から防護服を下ろした。思っていたよりも軽くて、すべすべとした素材でできている。頭から爪先までをすっぽりと覆うようなつくりだ。
 僕たちはもどかしさを感じながら、服をひっくり返した。どこにどう手足を突っこめばいいのか、よく判らない。それに、僕たちには大きすぎるみたいだ。
「誰だ?」
 後ろの方から声が聞こえた。誰かが階段を登ってきたんだろうか?
 ヒズルは防護服を床に投げ捨てた。
「行こう。きっと、少しだけなら大丈夫だ」
 ヒズルの灰色の瞳に見つめられて、僕は大きくうなずいた。
 扉の開閉スイッチを押して、外へ飛び出す。
「だめだ。おい待て!」
 悲鳴のような怒鳴り声が後ろで響いて、すぐに途絶えた。扉が閉まったのだ。
 冷たい風が僕らに吹きつけてきた。顔と耳が痛い。
 研究施設からのサーチライトが僕らを照らしだした。
 どこまでも続いている真っ黒な地面。ところどころが硝子を散りばめたみたいにキラキラと輝いている。
 歩き出した途端に、僕らは足を滑らせて前のめりに倒れた。
「大丈夫!? ヒズル?」
 僕は痛む頭を押えながら上体を起こした。地面に着いた手の平が、ひりひりと痛む。なんだか息が苦しい。僕の吐く息は、白い蒸気みたいだ。
 僕はヒズルの身体に手をかけて、助け起そうとした。
 その時、黒い羽毛のようなものがふわりと、僕の目の前を横切った。黒いものはヒズルの白金の髪に落ちて、まるで吸いこまれるようにかき消えた。
 僕は空を仰いだ。
 灰色の空に、まるで黒い羽根か花びらのようなものが、無数に浮かび上がって見えていた。
 僕はめまいを感じて、目を瞬いた。
 ライトに照らされて、きらめきながらゆっくりと落ちてくる黒いカケラ。綿のように柔らかそうで、輝くとまるで宝石のように固そうで、触れてみると冷たくて、すぐに儚く融けてしまう。
 強い風が吹いて、僕らの足元からも黒いふわふわが舞い上がり、目の前が真っ黒に染まった。冷たく黒い小さな塊が、次々と身体にぶつかってくる。顔が灼けるように痛い。
 やがて風が止んで、僕はまぶたを開いた。花が散るように舞いながら、横たわったヒズルの上に積もっていく。次々と。いつまでも。
「これが……雪?」

−end− 

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25.Feb.2002 UP
25.Feb.2002 やっぱり富士がみたい!! 第9回企画短編 テーマ「雪」に投稿
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