「僕らに降り積もる雪」〜Long Version〜

 雪に覆われた道はライトに照らされて、目が痛いくらいに眩しい。次々と降り注ぐ雪花は、雪原に届く瞬間に銀白に煌めく。
 僕たちは、ふわふわと漂うように降ってくる雪の中にいた。
「きれいだね」
 ヒズルが外を見ながら、ため息まじりに言った。
 いつの間にか、僕の前の窓硝子は、吐く息で曇っている。知らない間に顔を近づけすぎていたみたいだ。
 僕はフランネルの袖で硝子を拭いながら、ごまかすように早口で言った。
「そうだね。雪って本当に、いつ見てもきれいだよね」
 ヒズルは軽くウエーヴのかかった白金色の短い髪を揺らして、さっと僕のほうを向いた。白い顔がいつもより蒼ざめて見える。あのときみたいに。
「灯りのことを言ったんだ。こんなニセモノがきれいだなんて、僕は認めない!」
 ヒズルが、珍しく声を荒げた。
 そう。あのときも、ヒズルは大声を出して、僕はとても吃驚したんだ。
 あれは、一ヶ月ほど前のこと。誰が言い出したのか忘れたけれど、僕たちは学校の仲間と一緒に、雪を見に来ていた。


「このトンネルに入ると、雪が見えるんだぜ」
 何度もこの航路を通ったことのあるフィマが、鼻をこすりながら得意そうに言った。僕たちは期待に頬を染めて、額を窓にくっつけるようにして横に並んだ。
 僕たちは、濃い緑色の水といろいろな種類の水棲生物に囲まれている都市「翠雨」に住んでいる。「翠雨」から雪のある航路までは、トンネルをいくつも抜けて、半日がかりだ。だから、魚が銀色の腹を煌めかせて泳ぐ姿は、飽きるほど見ているけれど、雪はとても珍しい。このクラスでは僕を含めて、雪を見たことのない子供がほとんどだった。
 トンネルの中は薄暗くて、黄土色のごつごつとした岩肌をしていた。ここへ来るまでに何度も通ったトンネルと、どこも違わないように見えた。
 どこに雪があるんだろう?
 窓の側に詰めかけた僕たちは、じれったくなってフィマを振り向いた。
「どこにあるの?」
「雪なんて見えないじゃないか!」
 フィマはにやっと笑って、窓の外を指さした。
「ほらっ!」
 僕たちは一斉に窓の外を見た。ライトの光に照らされて、真っ白な毛鉤のようなものが煌めいた。
 いつの間にか、トンネルの中の明るい。壁が白に変わっている。トンネルの天井から、火花みたいな形の真っ白いものが、いくつもぶら下がっている。
 これが……雪?
 呆然と見つめる中、急に辺りが真っ白に染まった。白くて細かいものが、渦を巻くように飛び交っている。激しい水流を抜けると、真っ白でふわふわとしたものが、輝きながらゆっくりと、僕たちに降りかかるように迫ってきた。
「トンネルを抜けたぜ!」
 フィマが余裕の声をあげた。僕たちは何も言えずに、雪から目を離すこともできずに、窓にかじりついていた。魅入られたように。
 それから、僕たちは飛び跳ねたり叫んだり。船に乗っている他の乗客のことも忘れて大騒ぎをはじめた。
「おい。見ろよ!」
「すげー」
「ほんとに白だけなんだなぁ」
「なんだか、夢みたい」
 窓の外を指さして、みんな勝手に雪を称賛している。僕はというと、口をぽかんと空けて、雪をうまく言い表す言葉を見つけられずにいた。
 ヒズルはいつものように大人びた表情を浮かべて、みんながはしゃぐ様子を後ろから見つめていた。
 興奮が少し冷めてくると、今度はみんなでフィマを質問攻めにした。
「雪って軽いのか?」
「魚はぜんぜんいないみたいだけど、どうして?」
「どうして、ここにだけ雪があるの?」
「どこから来るんだ?」
 フィマの祖父は、雪の中を通り抜けた先にある都「白華」に住んでいる。花びらのような雪が流れ着くことから「白華」と呼ばれるようになったという、古い都市だ。都市間の循環航路からも外れた、魚も住めない雪の中にある。
 フィマはいつも「白華」へ行ったことがあるのを自慢していたし、雪に詳しかった。
「だからさ、雪はこの辺りに流れてくる水に含まれているのさ。で、どんどん厚く降り積もるってワケ」
 ひととおりフィマが質問に答えた後で、ヒズルが静かに訊いた。
「誰か雪に触ってみたことはある?」
 みんなの予想通り、フィマだけが手を上げた。
「雪はさ、ちょっとざらざらしてて、そいで、手の中で粉みたいになっちまう」
 フィマは大げさに身ぶりをしながら、続けた。
「それに、柔らかそうに見えるけど、石の仲間なんだぜ。柔らかいっていうより、脆いって感じなんだ」
 僕たちはフィマが羨ましくて、小突いたり金色の髪をくしゃくしゃに逆立てたりした。そんな中で、ヒズルがいきなり叫んだ。
「そんなもの、本物の雪じゃない!」
 僕たちは驚いて、ヒズルを見つめた。
「本物の雪は冷たくて、触ると融けるんだ。だから」
 ヒズルは、窓をドンと叩いて続けた。
「これはニセモノだ!」
 僕たちは、互いに顔を見合わせた。雪が融けるなんて、聞いたこともなかった。何よりも、ヒズルが大声をあげたことに、誰もが驚いていた。
 フィマが口を歪めて言った。
「じゃあ、お前はさ、『本物の雪』とやらに触ったことがあるってのか?」
 ヒズルは目を伏せて、黙りこくった。フィマは唾を飛ばしながら続けた。
「ないんだろ。雪に触ったこともないのに、テキトウなこと言ってんじゃねぇよ!」
 ヒズルは思いつきでテキトウなことを言ったりはしない。けれど、僕は何も言えなかった。

  
   僕がよっぽど驚いた顔をしていたんだと思う。ヒズルはばつが悪そうに目を伏せると、窓の方を向いた。
「ごめん」
 ぽつりとヒズルが言う。
「ううん。気にしないで」
 僕は急いで言うと、ヒズルと同じように窓の外を見つめた。
 あ、光だ。
 一面の真白色の中に、橙色の灯りがぼんやりと並んでいる。ライトの照らし出している誘導標の柔らかな光だ。道の両側に並んで、緩やかなカーブを描きながら続いている。
 さっきまでの僕は、雪に気をとられてて、ぜんぜん誘導標に気がつかなかった。
「ほんとだ。きれいだね」
 僕は、前方でまたひとつ、誘導標が暖かな光を投げかけるのを見つめながら、つぶやいた。
「そう。でも、あの誘導標は、この雪のおかげできれいに見えている」
 ヒズルはそこで言葉を切った。
 「翠雨」の周りの航路にも、同じ誘導標が並んでいるけれど、今まできれいだって感じたことは一度もなかった。
「けれど……」
 ヒズルが言葉を続けた。
「本物の雪だったら、もっときれいだと思うんだ」
 いつになく、熱っぽい言い方だった。
 本物の雪。
 ……硝子でできた飾り物みたいだった。
 ヒズルに見せてもらった、古い記録硝子の、ぼやけた映像。


「二人だけの秘密だよ」
 花みたいな形をした、小さな白。輪郭がぼやけていて、僕が顔を近づけると二重にぶれて見えた。
「古いものだから、不安定なんだ」
 ヒズルが声をひそめて言う。
 僕とヒズルは、「白華」へ雪を見に行った次の日、街外れの緑公園に来ていた。
 散策路から外れて花壇の奥へ入りこむと、夏に青紫色の小花をつける背の高い植物のおかげで、僕らの姿はすっぽりと隠れてしまう。それに、地面に植物のための通風孔があるおかげで、「翠雨」の中では珍しく、いつも微風が吹いている、僕らのお気に入りの場所だ。
 ヒズルが見せてくれたのは、家の古い道具箱の中で見つけたって言う、手のひらに乗る大きさの一枚の記録硝子。映像だけを記録する、旧式の型だ。
「どのくらい古いの?」
「百年ほど前。硝子の製造番号から時代を割りだしたから、間違いないと思う」
 ヒズルが、なんでもないことのように言う。
「ひゃ、百年……」
「そう。そして、これが画像の説明文」
 ヒズルがスイッチを押すと、唸るような音と共に、映像に重なるように黒い文字が浮かび上がった。
〈「雪」純白。冷たい結晶。冬に空から降る。温まると融けて水になる〉
 僕は息を呑んだ。小さな画面に浮かんだ文字と画像から、目が離せなかった。
 その日から僕らは、夢中になって「本物の雪」について調べた。
 ぼやけた画像だけじゃ、満足できなかったから、もっと詳しいことが知りたかった。
 図書館。情報検索システム。教師。環境測定棟。近所に住むお年寄り……。
 けれど、出てくる情報は水中で降る「ニセモノの雪」についてばかり。大人たちの中には、「地上」って聞いただけで顔をしかめて「つまらないことを考えてないで、勉強しなさい」なんて言う人もいる。だけど、僕らは諦めなかった。
 雪について調べはじめてから数日後、僕はいつもの公園へ行った。先に来て待っていたヒズルが口を開いた。
「何かわかった?」
 この言葉は、ここ数日、僕らの間で挨拶代わりになっていた。
「うううん。ヒズルは?」
 僕はそう聞きながら、ヒズルの隣りに座った。
「さっぱり。でも……」
 ヒズルはそこで言葉を切ると、灰色の瞳で僕をじっと見つめた。
「でも、なに?」
 僕が待ちきれずに先を促すと、ヒズルは声を潜めて言った。
「でも、地上に行けば雪がある」
「どういうこと?」
「水温を調べてわかったんだ。今、地上は冬だよ」
 僕たちの暮らしている「翠雨」にも季節がある。公園の樹に新芽が出て花壇に白い花が咲いたら春、橙色の花や青紫色の花が咲いたら夏だ。今は、花が咲き終わったから秋だ。けれど、一年を通して気温が変わらない水中都市も多いし、都市によって季節がずれていたりする。
 僕はごくりと喉を鳴らした。脳裏に記録硝子の文字が浮かび上がる。
〈冬に空から降る〉
「それじゃあ、今、雪が降っているんだね?」
 僕はそう言いながら、地上に雪が降る様子を思い浮かべようとした。
 雪……。
 降ってくる様子なんて、ぜんぜん想像できない。どんな風に降るんだろう? 触ったら、どんなだろう? 融けてしまうなら、「白華」へ行くときに見たように積もったりはしないんだろうか?
 地上がどんな風なのか、空がどんなものか、一度も見たことがないから、僕にはちっとも思い浮かべられない。
「だから、僕は地上へ行こうと思う。なんとか、方法を探してみるつもりだ」
 ヒズルが重々しく言った。僕はあわてて叫んだ。
「僕も一緒に行くよ!」
 そして、僕らは地上へ行く方法を探しはじめた。


 窓の外の雪はだんだん多くなり、前がぜんぜん見えなくなるほど勢いよく舞い上がって、外が真っ白になった。
「『蒼森』だ」
 ヒズルが窓の外を見つめながらつぶやいた。
 「蒼森」という名前だけれど、実際は白い。フィマによると、たくさん並んでて影の部分が青っぽく見えるから、この名前が付けられたらしい。水中に沈んでいるいろいろなもの――船や樹木も沈んでいるといわれている――が、厚く雪に覆われて、大きな珊瑚の森のように見える場所だ。
 僕は、激しく乱れ飛ぶ雪の向こうにあるはずの「蒼森」を見ようと、目を細めた。窓に顔を近づけて見ていると、まるで僕たちに雪が襲いかかるように降り注ぐみたいだ。
 じっと見ているうちに、僕はようやく、巨人の掌みたいな形の蒼い影と、羽ばたこうとする鳥の翼のような形を捉えた。この森を通り抜けると、すぐに「白華」だ。
 僕はごくりと唾を飲みこんだ。
「もうすぐだね」
 いつの間にか、僕の手のひらがじっとりと汗ばんでいる。ヒズルは外を睨むように見つめたまま、頷いて言った。
「もうすぐ、僕らは真実を知る」
 何かを確信しているような、淡々とした口調だった。
「うん。僕らは探検隊だ」
 僕が言うと、ヒズルは笑顔を浮かべた。
 窓の外を白く染め上げていた雪が、まばらになってきた。森を抜けたのだ。
 やがて、行く手に白い壁が見えた。雪で白く彩られた、古都「白華」を包みこむ岩壁だ。
「まもなく『白華』に到着いたします。ゲートに入りますので、着席してください。繰り返します。まもなく……」
 船内アナウンスが流れた。
 僕らは人のまばらな船内を見回して、壁際の席へ座った。
 僕らを乗せた潜水艇は真っ白な壁に大きく口を開けた黒い穴――ゲート――へ吸いこまれて行った。
 暗い水の中を、潜水艇はゆっくりと上昇して行く。
 やがて船は水面に浮かび上がった。
 僕らはゆっくりと席を立った。ぞろぞろと降りていく大人たちに混じって、潜水艇を降りる。厚い扉の小部屋をいくつも通り抜けて、僕らは「白華」の中へ出た。
「やっぱり、ここは天井が低いね」
 ヒズルは上を見ながら言った。
 「白華」は、閉じた二枚貝のような形の都市で、ゲートは蝶番部分にある。天井は、古い都市に多い、不透明な淡い水色だ。
「古い都市だから」
 僕はそう応じながら、様々な都市について調べている時に、読んだ文を思い浮かべた。
 「翠雨」に代表される新しい都市は、快適に生活ができるように工夫されている。公園の設置、気温および季節の調節、風の循環と通風孔の設置、透過板張りの天井……などなど。特に、透過板の上層から光を当てることで、天井に奥行きと広がりを感じさせられるようになったらしい。
 僕らは事前に決めていた通り、「白華」で一番高い四階建のビル「制御センター」へ入った。最上階にある展望施設の一部が、一般に公開されているのだ。
 僕らは人のまばらな展望室の中で、拡大画像を表示する画面の前に陣取った。
「どの辺り?」
 ヒズルは目を細めて、窓の外と画面を見比べた。
「えーと」
 僕は額に手をかざして、窓越しに、天井が一段と低くなっている都市の周辺部を見まわした。
 すぐに見つかると思っていた古い研究所跡が、どこにも見えない。普通の住居ばかりで、高い建物も、大きな造りの建物も見つからない。
 もしかして、「白華」じゃなかったのかもしれない。いいや、ここで研究していたのは、地上とまったく関係のないものだったのかもしれない。
 僕は急に不安になって、思わず口に出していた。
「本当に、ここで良かったのかな?」
「大丈夫。きっと、もう使われていない建物だから、目立たないだけだよ」
 ヒズルが力強く言う。
「うん」
 僕は返事をしながら、地上へ行く方法を必死で探していたときのことを思い出した。


    僕とヒズルは「翠雨」の外れにある、水生公園へ来ていた。都市の壁に分厚い窓硝子が並んでいて、水中で暮らす生物を眺めることのできる公園だ。
 僕たちは柔らかな天鵞毛張りの椅子に座って、様々な色の魚や藻が蒼ざめた色の中でゆっくりと動く姿をぼんやりと見つめていた。
 数日間の間ずっと、地上へ行く方法を探していたけれど、見つけられずにいた。
「やっぱり、船を奪うしかないか」
 ヒズルがため息混じりに言った。
「まさか!」
 僕はとっさに叫んでいた。あわてて口を押さえて、辺りを見回す。こちらを気にしている人はいないみたいだ。ほっとして、僕は小声で続けた。
「だいたい、ヒズル、操舵できるの?」
 ヒズルは軽く笑って、口を開いた。
「上昇と下降だけなら、たぶんできるんじゃないかな。スイッチを押すだけみたいだし」
「だって、ヒズル! 」
 僕は思わず立ち上がっていた。
 いつも冷静なヒズルが、こんなことを言うなんて、信じられなかった。
「冗談だよね?」
 僕の言葉に、ヒズルは真顔を浮かべて口を開いた。
「いいや。本気だ。もちろん、どうしても他の方法が見つからないときの、最後の手段だけどね」
 僕はまじまじとヒズルの顔を見つめた。強い意志を秘めた、ヒズルの灰色の瞳。
 船を奪うのは重犯罪だ。子供だって、もちろん、許してもらえない。警備だって厳重だ。頭のいいヒズルは、判っているはずだ。それなのに、船を盗んでまでも、雪を見に行くつもりなんだ。
 僕はごくりと唾を飲みこんで、椅子に座った。硝子の向こうで、小魚が藻の陰から出たり入ったりを繰り返していた。
 ヒズルに、こんな面があるなんて、知らなかった。
 普段はクールで大人の言いつけを破ったりしない優等生のヒズル。なのに、僕には想像もできないほどの情熱と信念をもっていて、それに向かってまっすぐに突き進む……。
「もちろん、船を奪うときは僕だけで行く。君は罪を犯す必要はないから」
 僕の沈黙を勘違いしたのか、ヒズルがが低く言った。僕はあわてて言った。
「まさか! そんなこと心配してやいないよ」
 それよりも、思いついたことがあった。
「あのさ、確信は持てないんだけど……、古い都市の中に、研究目的で造られた都市があるっていう噂があるでしょう? その研究していたのって、もしかして地上のことじゃないのかな?」
 ヒズルははっと目を見開いた。
「その噂なら、僕も聞いたことがある。何を研究していたのか、なぜか明かされていない」
「うん。もしかして、知られたくないから隠しているんじゃないのかなぁって思って」
「その通りだよ、きっと!」
 ヒズルは立ち上がると、言葉を続けた。
「さっそく都市について調べてみよう。古い都市は限られているから、きっとすぐに見つかる」
 研究目的で造られたという古い都市はすぐにわかった。真っ白な雪に覆われた「白華」だった。

 
「時間がかかるけど、片っ端から表示してみようか?」
 ヒズルはそう言って、周辺部の家々を次々に展望鏡の画面に映し出した。灰色の石壁。薄茶色の二階建ての建物。絨毯を敷いた屋上で、水煙草を吸いながら象嵌将棋をする老人たち。真っ白な壁の集合住宅。鳥形小動物を連れて散歩する老婦人。玄関前に座りこんで、刺繍をする女性。
 目眩しく切り替わる画面を見ていた僕は、はっとして目を瞬いた。
「まって、ヒズル。今の一つ前の映像」
 ヒズルが無言で画像を切り替える。何の変哲もない、一軒家が映し出された。
 さっき見たものが、見間違いじゃないなら……。
「もう一つ前の!」
 ヒズルがスイッチを押して、画像が切り替わった。
 あった!
 僕はきょろきょろと周りを見て、誰も僕らを気にしていないのを確認してから小声で言った。
「ほら。ここを見て」
 平屋建ての家の後ろ。ごつごつとした灰色の岩肌に、縦に裂けたような隙間がある。影がさしていて判りにくいけれど、奥に石段のようなものが続いていた。
 ヒズルは白い頬を微かに赤らめて、ひそひそ声で言った。
「行こう!」
 僕たちははやる気持ちをおさえながら、ゆっくりと展望室を出ると、大急ぎで階段を駆け下りた。なだらかな石畳の斜面を駆け上がっていく。坂の途中で老人たちが、驚いたように僕らを見送った。


 石の間に走っている亀裂は、予想していたよりも大きかった。二階建の家と同じくらいの高さがある。
 僕らは辺りを見回して、誰も見ていないのを確かめてから、中へ入っていった。
「すごい」
 小声で言った僕の声は、石壁の間に奇妙に響いた。ヒズルが無言で頷く。
 亀裂の中はさらに大きくな空洞になっていて、所々に生えている光苔がぼんやりと、ごつごつとした不均一な岩壁を照らしていた。銀色に鈍く輝く金属製の螺旋階段が、上へと続いている。
 僕らはゆっくりと階段を上っていった。金属の板は所々で錆びていて、体重を乗せると階段全体で低く鳴り響いた。
 どんなにゆっくり体重を移動しても、音を立てないように気をつけても、一段上るごとに音が鳴ってしまう。 どうか、誰も僕らに気づきませんように……。
 僕らは仕方がなく、音が鳴り響くのも構わずに、急いで階段を上っていった。
 階段をのぼりきると、左へ緩やかに曲がっていく廊下に出た。刃物で切ったような石の天井で、埋めこみ式の蒼白い人工照明が光っている。壁も床も、滑々とした石製。そして、廊下の両側には、黒い金属製の扉が並んでいる。
 僕は、ごくりと唾をのみこんだ。
「今も使われているみたいだね」
 ヒズルが僕の耳元でささやいた。僕は大きく頷いた。
 扉の向こうから、低いうなり声のような機械音が絶え間なく聞こえてくる。遠くのほうで、水を流しているような音も聞こえている。
 検索して出てきた情報と大違いだ。研究はもう行われておらず、何を研究していたのかという記録すら残っていない、という話だったのに。
 僕はきつく手を握りしめてくやしさを紛らわしながら言った。
「やっぱり大人たちは、隠してるんだ!」
「今から、それを暴くのさ」
 僕たちは息を殺して、足音を立てないようにゆっくりと歩き出した。次々と扉の前を通り過ぎるたびに、僕は落ち着かない気分になった。
 今すぐにこの扉が開いたらどうなるんだろう?
 廊下の先に誰かがいたら? 後ろで誰かが廊下へ出てきていたら? 物音を聞きつけられたら?
 僕の胸は爆発しそうで、まるで体全体で脈打っているみたいだ。なのに、ヒズルは落ち着いた顔で、僕の横を歩いている。
 廊下の突き当たりに上への階段が見えて、僕はほっとした。誰かが出てくるかもしれない扉の前を通るのは、もう、こりごりだ。
 近づいてみると階段は、岩をそのまま削って作ったよう石段で、上へと続いていた。
「今度はきっと、音が鳴り響かないね」
 僕が小声で言った途端に、どかどかと階段を下りてくる足音と大声で話し合う声が廊下中に響いた。
 誰かが降りて来る!
 僕はあわてて辺りを見回した。
 どこかへ、隠れなきゃ!
 廊下には、どこにも隠れられそうな場所がない。暗がりすらない。
 音がどんどん近づいてくる。
 戻るしかない!
 僕は廊下を駆け戻ろうとして、ヒズルの腕をつかんだ。ヒズルが僕の力に逆らって、顔を近づけるようにして言った。
「静かに。落ち着いて!」
 ヒズルの灰色の瞳に、焦っている僕の赤い顔が映っていた。
 僕はごくりと音を立てて唾を飲みこんだ。
 見つかっちゃう。隠れなきゃないのに!
 近づいてくるかに思えた足音は、僕らの頭の上を通り過ぎて遠ざかっていった。
 呆然と上を見つめる僕に、ヒズルがささやくように言う。
「上の階にも、部屋があるみたいだね」
 僕はまじまじとヒズルを見つめた。
 信じられない。どうしてヒズルはこんなに落ち着いていられるんだろう?
 さっきの人たちが、僕らのところまで下りてきていたら? それとも、僕が独りで焦って、心配しすぎているだけなんだろうか。
「さあ、行こう」
 ヒズルが先にたって階段を上りはじめた。
 僕は恐る恐る後ろを振り返った。どの扉も閉まったまま、人が出てくる気配もない。
 もしも誰かが廊下に出てきたら、僕らは丸見えだった!
 僕はぶるぶると頭を振って、ヒズルの後をついていった。
 階段は折り返しながら上へ続いている。一回折り返すと、扉の並んでいる廊下だ。
 僕らはそっと廊下を覗きこんで、人がいないのを確かめながら石の階段を上っていった。一階、二階、三階。
 ドキドキしすぎてどうかしちゃったんだろうか? 足が床にちゃんと着いているのかどうかすら、今の僕にはよく判らない。なんだか、夢の中にいるみたいだ。禁止されていることを破って、これから地上へ出るなんて。
 四階、五階、……六階。そこで階段が終わっていた。
 ここの廊下は真っ直ぐで、右側にだけ黒い扉が並んでいる。左側は硝子張りで、硝子の向こうに両開きの大きな白い扉が見えた。紫色に黄色のバツ印が二つ描かれている。禁止と危険の印だ。
「きっと、あの扉の向こうが外だ」
 ヒズルが小声で言った。僕は頷いて、目を凝らした。硝子張りの向こうへは、どうやって入るんだろう?
 僕はぎくりとして、立ち止まった。廊下の突き当たりに、こちらに背を向けたような黒い人影が並んでいた。
 隠れなきゃ!
 階段へ引き返そうとした僕の腕をヒズルがぐいっとつかんだ。階段の下のほうから、話し声と足音が聞こえてきた。
 誰かが上ってくる!
 ひざががくがくと震える。立っていられない。
「大丈夫。こっちへ!」
 ヒズルが僕を引きずるようにして、廊下を進みだした。
 だって、あそこに並んでいる人たちが、振り向いたら? だめだ、ばれてしまう!
 僕は口をぱくつかせて、廊下の先を指差した。声が出ない。
 背後から音が迫ってきた。
「急いで!」
 ヒズルに急かされて、僕は足を動かしはじめた。
 近づいてみると、黒い人影に見えたものは、壁からぶら下がった黒い服だった。頭からつま先までをすっぽりと覆うような形をしている。
「……なるほどなぁ!」
 背後から大声が響いて、僕はすくみ上がった。
 見つかった!?
「早く、この陰へ!」
 ヒズルに言われて、僕はすべすべとした黒い服の陰に身体を滑りこませた。ヒズルも、僕の横で黒い服の後ろ隠れた。でも、ヒズルの灰色の靴が覗いている!
 僕のは茶色いから、きっと、もっと目立ってしまう。僕はなんとか靴を隠そうとして、黒い服の脚部分を引っ張った。しっとりとした手触りだ。
「でさ、俺は言ってやったわけだ」
 声が迫ってくる。足音は、聞き分けられるほどはっきり聞こえる。
 駄目だ。黒い服は宙に浮いているから、どんなに引っ張っても足は隠せない。
「もちろん、その方がいいとも」
「おい、さっさと計器類を調べちまおうぜ」
 三色の声だ。
 僕のドキドキが廊下中に鳴り響いているんじゃないか、心配だ。
 どうか、このまま黙って通り過ぎてくれますように。僕らに気づきませんように。
 足音が止まった。続いて微かなきしみ音。急に聞こえてきた低く響く重低音は、機械の音だろうか?
 再び足音が聞こえて、急に辺りが静かになった。
 三人とも、どこかの部屋へ入ったんだろうか? それとも、誰かがまだ廊下に?
 大胆にも黒服の陰から顔を出して、ヒズルが廊下を覗きこんだ。
「もう大丈夫みたいだ」
 僕はほっとして、黒い服の陰から出た。
「これを着たほうがいいみたいだ。きっと防護服だと思う」
 ヒズルは黒い服を触りながら言う。僕はうなずいて、防護服を壁から下ろした。思っていたよりもずっと軽い。
 僕はもどかしさを感じながら、服をひっくり返した。どこにどう手足を突っこめばいいのかわからない。それに、僕たちには大きすぎるみたいだ。
 あと少しなのに、外へ出るには大きな壁が立ちはだかっているみたいだ。
 僕は着るのを半ば諦めて、防護服を床に横たえると、座りこんだ。石床のひんやりとした冷たさが、火照った身体に心地いい。ヒズルはまだ、何とか着ようと格闘している。
 ふと見ると、床の隅に丸い突起がある。僕は近づいていって、手で押してみた。硬い。
 今度は、立ち上がって思いっきり踏んでみた。――突起が、沈んだ。
 大きな音を鳴り響かせて、硝子が左右に開いた。
 僕はあわてて、廊下を見つめた。音が大きすぎる!
 階段に近い扉が一つ開いて、大きな男が廊下に出てきた。
 驚いたような顔で僕らを見つめている。身を隠すのは、もう間に合わない。
「お前たちは……?」
 男が唸るように言う。ヒズルは防護服を床に投げ捨てた。
「行こう。きっと、少しだけなら大丈夫だ」
 僕はうなずいて、白い扉に向かって走っていった。
「だめだ。おい、待て!」
 扉は僕らが近づいただけで、左右に開いた。僕らは外へ飛び出した。
「止せ!!」
 悲鳴のような怒鳴り声が後ろで響いて、急に途絶えた。扉が閉まったのだ。


 冷たい風が僕らに吹きつけてきた。顔と耳が痛い。
 研究施設からの探索灯が眩く僕らを照らしだした。
 どこまでも続いている真っ黒な地面。ところどころが硝子を散りばめたみたいにキラキラと輝いている。
 一歩踏み出すと、ザクッと音がして足が沈みこんだ。
 この地面は一体……?
 もう一歩踏み出したところで、僕とヒズルは一緒に足を滑らせて前のめりに倒れた。柔らかい地面に身体が沈みこむ。
「大丈夫!? ヒズル?」
 僕は痛む頭を押えながら上体を起こした。地面に着いた手の平が、ひりひりと痛む。なんだか息が苦しい。僕の吐く息は、白い蒸気みたいだ。
 僕はヒズルの身体に手をかけて、助け起そうとした。
 その時、黒い羽毛のようなものがふわりと、僕の目の前を横切った。黒いものはヒズルの白金の髪に落ちて、まるで吸いこまれるようにかき消えた。
 僕は空を仰いだ。
 灰色の空に、まるで黒い鳥が羽根を散らしたように、無数の黒いカケラが浮かび上がって見えていた。
 僕はめまいを感じて、目を瞬いた。
 光条に照らされて、きらめきながらゆっくりと落ちてくる黒いカケラ。綿のように柔らかそうで、輝くとまるで宝石のように固そう。触れてみると冷たくて、すぐに儚く融けてしまう。
 僕はごくりと喉を鳴らせた。
 冷たい? それに、融けるだって?
 僕は降ってくる黒い花びらのようなものを手の甲で受けとめた。スーッと吸いこまれるように形が消えて、水が残った。
 記録硝子の言葉が、頭の中をぐるぐると回る。僕は頭を振り回した。
 違う。違う。違う!
 ……だって、違うじゃないか。
 強い風が吹いて、僕らの足元からも黒いふわふわが舞い上がり、目の前が真っ黒に染まった。冷たく黒い小さな塊が、次々と身体にぶつかってくる。顔が灼けるように痛い。僕は思わず、目を閉じた。
 違う。違う。けれど、違うのは色だけだ。
 それに、こんな風に舞い上がり、降ってくるものを、僕は知っている……。
 同じ名前が付けられるなら、やっぱり似ているんじゃないだろうか?
 夢だ。僕はきっと黒い夢を見ている。目が覚めれば、きっと「翠雨」の中だ。きっと……。
 やがて風が止んで、僕は恐る恐るまぶたを開いた。
 黒い。
 僕ら二人を裏切るように、真っ黒な雪が降ってくる。
 花が散るように舞いながら、横たわったヒズルの上に積もっていく。
「嘘だ。こんなのは、ニセモノだ!」
 僕の叫び声は、むなしく空に吸いこまれていった。
 雪は次々と降り続ける。いつまでも。……いつまでも。

−end− 

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11.Mar.2002 UP
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