ホテルの前、つまり堤防沿いの道は舗装されているのだが、横の普通の道は土のままである。赤土で、車が通る度に土が舞い上がるので、空気が心なしか濁っている。もっとも、それほど頻繁に車が通るわけではない。
ホテルの横にあった瀟洒な白壁の洋館が気になっていたので覗いてみると、そこは廃虚であった。中に入り込んだ訳ではないのだが、窓の様子や、手入れされずに成長し今や建物に侵蝕しつつある庭の大樹がそれを物語っていた。植民地時代のフランス人の居館の跡なのだろうか。そうした森に囲まれた廃虚を数多く過ぎたところで、北に真直ぐ伸びる中央分離帯を持つ道路へと出る。この道路がヴィエンチャン一の目抜き通り(といってもくにたちの大学通り程度)であるランサーン通りである。因みに、ランサーンとは革命の起きる1975年まで存在した王朝の名前である。通りの果てには壮麗な門が聳え立つのが目に入る。
観光局は市場から少し北に歩いた通り沿いにあった。3階建ての建物だが、人気が全くない。恐る恐る3階まで登り、Tourist Office と(書いてあったかは定かではないがそんなことが)書いてある扉の中を覗いた。そこにはおじさんが一人。拍子抜けしつつMap?Map?と聞いてみる。しかし、おじさんは私を追い払う様にNo!と言った。どうやらここには観光用の地図を用意したりしているわけではないらしい。
続いて建物の1階にあった国営?らしき旅行社へ足を延ばす。ここには人影があって安心する。そうだ、地図以前に帰りの飛行機を思い出して、聞いてみる。予約は出来るという。私は手持ちが不安だったのでカードで支払いたいと提案した。ところが驚くことにカード支払いは受け付けられないというのである。更に話を聞くと3%がどうのこうのという話になっているので、カードの手数料を取られてしまうので止めておけと言っているらしい。バーツ支払いではと聞くと、デポジットとして500Bを先に払ってくれ、そうしたら25日に発券出来るからホテルの連絡先を教えろという。もし飛行機が満席でダメなら25日のノンカイからの夜行列車に乗らねばならないのでこれでは埒があかない。また、バーツにしてもそれほど手持ちが多いわけでもなく、JALのマイルを溜める為にも(笑)是非カードで支払いたい。仕舞には「すぐ近くにタイ何とか銀行があるから、そこ(のATM)でお金をおろしてきたらいい」とまで言ってくる。更に驚くことに、私がどうしようかと思案しているところに、職員の一人が「中国語は話せるのか」と聞いてきた。「君は(漢字を使う)日本人だから中国語を話せるだろう」と言うその職員の言葉には耳を疑った。日本の認識はそんなものでしかないのか…。それとも某ゼミテンのO君がラオスに来たのだろうか(笑)。「日本では中国語を話せる人は少数だ」と説明しつつも以降のやりとりを中国語ですることで誤解を深めることに貢献する(笑)。結局、中国語と英語で「別の所で買っても同じ値段[115US$]だよ」という言葉を背中に受けつつ、私は旅行社を後にした。
さてランサーン通りを途中まで来てしまったので、折角だからそのまま歩いて奥に見える壮麗な「門」へと向かうことにした。この壮麗な門、お名前をアーヌサワリーといい、革命に殉じた戦士達を弔う慰霊塔という位置付けとのことらしい。しかし外観はパリにある凱旋門のような雰囲気を出しており、言ってみればヴィエンチャンの凱旋門である。さすがはフランス植民地だったことだけはある。途中の商店で絵葉書などを買い求めつつ到着すると、遠くから見ていたよりもずっと大きい。恐らく、電波塔類を含めて市内で1、2を争う高さなのではないだろうか。
入場料は500K。1円=35K程度なので15円もしない計算になる。美しい装飾のされた外観とはうって変わり内部はコンクリートの打ちっぱなしで照明すら設置されていない。予定ではここに革命の足跡を展示したりしたかったのだろうが、そこまで至らなかったものと見える。最上部まで上がると本当にいい眺めである。アーヌサワリーから北側は森の中に街があるといった様相になっていた。ここでは「自分の写った写真がない」とまた言われないように(笑)手振りで現地の人にお願いして撮ってもらった。
門の脚にあたる部分には土産物屋があったので、降りてきてからのぞく。ここにはやっとありました、市内観光地図を置いてありました。そして沢山売っているのがTシャツ。大部分が中国製のシャツにプリントしてあるもので結構面白い。バンコクのカオサン通りとノリは一緒である。ラオスの国旗のデザインのもの、ラオス・タイ・オーストラリアの国旗と共にFriendship Bridgeが書かれているもの、Beer Laoのロゴ入りのもの(タイにはSingha Beerのものがあった)、極めつけはHardrock Cafe "Vientiane"とあるもの。当たり前だがヴィエンチャンにはないっつーの!そんな中で私はBeer Laoのシャツ、そして地図を買うことにした。支払いをバーツでと言ったら170Bと言われたので、200Bを出したらお釣が20Bと1000Kで返ってきた。少し損したようだ。因みに先程の絵葉書は3枚2100Kであった。
次に向かったのはタット・ダムという仏塔。といっても石で出来た、外に雨曝しで黒く変色し黒塔の別称もあるものである。今来たランサーン通りを10分位戻り、途中で右に曲がった街中に突如姿が見えてくる。大きさは建物に隠れる程度なのである。近寄ると、その大きさ以上に黒い草むした外観に圧倒されるものがある。タイで頻繁に見る、赤や金のやたらピカピカ・ツンツン(←語彙力ないなぁ、ワシ)したものとは対極にあるものである。この塔の横には星条旗のなびく敷地があったのでチャンス!と思い、英語で門番らしき人に写真を頼むと撮ってくれた。
ぐるっと一周したところで屋台を発見する。ざっと街を見ても屋台がなかったのでつい寄って、何だか分からないけど注文する。丁度横には女学生数人がいて食べ終ったところだった。親爺がくれたのはお椀に白いゼリー状のものに茶色い汁がかけてある代物で500K。一口食べてみると独特の甘味と生姜のきつい後味。なるほど、ココナツミルクの固めたものに生姜の味付けがしてあるわけ。しかもあったかい。一瞬何これ?と思ったが結構いける。あっさり食べられたのは空腹だったからかもしれない。
舗装していない乾いた道を暑い中歩き続け、ラオアビエーションのオフィスをホテル近くで見付けたのは15時半頃だった。クーラーの効いている中、あっさりカード精算で即発券される。カードの請求書は104US$となっているのには「?」だったが、まあ安いならいいやと思ってサイン。航空券をチェックするとfare calculationは115US$になっている。また、16時のフライトなのにチェックインは13:30になっている。
途中で最初に100B両替した分が心細くなってきたので、オフィス横のexchangeへ。物価水準を見て、10000円はどうみても使いそうにないので3000円だけ替えると、何と105720Kという数字になった。最大でも5000K札しか存在しないらしく、財布がパンパンになる。レートは35.24で、ホテルのexchange serviceは29だったので、両替のおっちゃん曰く16時の閉店前でラッキーだったらしい。
ホテルに戻り荷物を整理してから夕食に出かけることにした。それにしても腹ぺこである。朝列車内で食べたお菓子、ヴィザ待ち時の麺、後はココナッツスープとかしか食べていないのである。取り敢えずランサーン通りと直角に交わる二番目?の大通りへ向かう。あまりあれこれ考えたくなかったので、『歩き方』に掲載の「Vietnamese food」という食堂へ入る。メニューが全部写真付で英語表記であり、完全に外国人向けの店であることがわかる。メッセージノートを一緒に出され、中を見ると日本語が飛び込んでくる。意地になって英語で書き込んでみる(笑)。食事はチャーハン(4500K)と瓶のBeer Lao(2700K)を注文。初めて味わうBeer Laoはすっきりとした後味でSingha Beerよりも断然美味しい。空きっ腹に一杯やっていい気持ちになった。この通りにはゲストハウスやバー、ワインセラーなどがあり、カオサン通りのような雰囲気(あそこまで騒がしくないが)がある。
出来上がって夜のヴィエンチャンを歩く。街全体は暗く、街灯もほとんどなく、自動車のライトを頼りに歩くのみである。この静かな雰囲気をゆっくり歩きながら味わい、ホテルに戻るとそのまま微睡んでしまった。