まず午前中は近隣のWat(ワット、寺院)巡りをすることにした。地図によるとワットシーサケット(Wat Sisaket)、ワットホープラケーオ(Wat Hoh Prakeo)がホテルからすぐの位置にあるようだ。といっても、市内の名所らしき名所はすべて歩いていける範囲にあるのだが。
寺に行く前に電話局があったのでふらっと入って電話をしてみる。カード式の国際電話もあるのだが、珍しいので交換手を通じる方式で電話する。ラオスにいると家族に伝えるとさすがに呆れている様子であった。数分も話していないが料金は30500K。さすがに国際電話は並の料金を取られる。
ワットホープラケーオはどこかで似たような名前を聞いたことがあるようだと思っていたら、バンコクのエメラルド寺ことワットプラケーオに似ている。それもそのはず、今はバンコクにあるエメラルド仏が元々この場所に安置されていたとのことである。1800何年だかにシャムの侵入により仏は奪われ、寺院も破壊されたとのこと。現在は建物だけ再建され、雑多な歴史的文物を展示するスペースになっている。二つのワットともに人気(ひとけ)が少なく静かな場所である(共に入場料500K)。
さらに西北の方へ歩き、革命博物館を訪れる(入場料500K)。2階建の古ぼけた洋館で展示内容はラオ族の歴史や、1975年までの革命史が中心である。インドシナ戦争時のアメリカ軍の銃が展示されていて、その説明文に“American Imperialist”などという表現がされていたりして興味深い。各所には大事そうにマルクスとレーニンの肖像画が飾ってあり、現在でも共産主義を堅持するお国柄を表している。1975年以降の展示部には一様に英語での説明がなくなり全部ラオ語のみになってしまう。意図的なものなのだろうか。
12時近くになったので一旦ホテルに向かって戻ることにする。というのも、共産主義国らしく、12〜13時は純国営の博物館や寺院(これも博物館扱い)、国営店鋪は閉店になるので。ホテルに戻る途中、例の東西に伸びる通りの途中に、おそらくヴィエンチャン唯一だろう本屋があって、ラオス全土地図(フランス語、1500K)と新年用カード(4枚で8000K?)を買ったのだが、私が店を出るとシャッターを閉められてしまった程である。
ホテルに戻るといってもホテルで食事するでもなかったので、閉め出された(?)本屋の近くにあった食堂で昼食を取ることにする。後々この食堂には非常にお世話になることになる。注文したのは久々!のカーオニャオ(もち米のこと。1000K)と野菜炒め(1800K)。
ホテルに戻る前に川沿いにいた果物売りからバナナを半房に割って売ってもらい(2000K)戻ると、今日のフルーツのサービスがリンゴとバナナであった。トホホ。
バナナをいっぱい食べ(笑)、暑さで失った英気を養い午後も街に出る。13時を既にかなり回っている。午後はタットルアン(That Luang)という黄金の仏塔へ行くことにしていたのだが、ここはアーヌサワリーよりも更に遠いらしいのでトゥクトゥクに乗ることに決める。フロントで相場を聞くと2〜3000Kらしい。早速ホテル前にいるトゥクトゥクに声をかけるが、こんなホテルの前にいるからか、やはり5000、4000Kと吹っ掛けてきたのでパス。日本円にしてみればたかが50円程度の違いでしかないし、激しいインフレの影響もあり、一概にボられるからという質のものではないが、交渉を打ち切ってしまったのは確かであり、仕方ないので市場の方へと歩く。さすがに賑やかな場所ではすぐに捕まる。最初の言い値3000Kに対し2000Kからスタート、2500Kで行ってくれる。ところがこのトゥクトゥクは今まで乗った中で一番ボロく、スピードは出ないわ、エンストはするわ、段差でがたがたするなど恐かった。着いてからタットルアンを背景に写真を撮ってもらって握手をして彼と別れた。
タットルアンは仏塔がメインであり(入場料500K)、その塔の中(内部)自体に入れるものではない。雲一つない青空の下、強い日射しにそいつは黄金の輝きを発している。これはねぇ、ちょっとイケてないな〜とか思ってしまう。もっとも、タイの様な赤やら緑やら色々というドぎつさはなく、澄んだ光を放っている点が印象的である。塔から降りてくると後ろから“Makoto!”の声がした。振り返ると、昨日のあのスウェーデン人・台湾人組であった。彼らは私と同じく26日にヴィエンチャンを離れルアンプラバン(Luang Phrabang)へ行くという。同地はランサーン王朝の古都であり、曲がりなりにも1975年までは首都であった地で、現在は世界遺産の指定を受けている場所である。私は飛行機が取れたことを伝えると、そうか、ラオ・アビエーションか、タイ航空より安全かも知れないな(※なぜかはこちらを参照)、私達はルアンプラバンまで悪路をバスだからもっと揺れるのさ、などと話していた。そんな四方山話をし、彼らの為に写真を撮ってあげてから私は二人と別れた。
タットルアンの横にある寺院をぶらついた後、西方にある大きな建物と大きな塔?(てっぺんに星がついている)に近寄ろうとしたら守衛に呼び止められてしまった。「あっしぇんぶり〜。」、つまりassemblyと言っていたのを考えると、国会議事堂らしい。大きなラオス国旗もはためいていたことだし、そういえばこの建物の写真は革命博物館にも飾ってあったっけ。
来た道が鋪装工事中で(それもあって来た時のトゥクトゥクはよく揺れた)、そこをそのまま帰るのも何となく癪なので別の道で帰ろうとした。が、途中で食堂に入った辺りから道があやしくなった。そこでは麺(豚の内臓入り、別皿で生野菜?付、3000K)を食べたのだが、それはともかく迷ったので一旦その店まで戻ると、その店のある交差点は何のことはない、来た時の未鋪装の道の中間地点だった。別の道を捜す元気が失せたのでそこをそのまま歩いて帰ることにした。因みにこの道は大使館や官庁が多く、確認しただけでもヴェトナムやマレーシアの大使館、大蔵省などがあった。ただ日本大使館はこの通りにはないようである。
帰りに少しだけ市場内をぶらつく。明日はゆっくり買い物でもしてお土産捜し(&全然減らないKip減らし)に精を出そうか。出口付近で待望?のラオスの糯米焼酎を入手する(4000K)。Lao Best Liquerと書いてある下に、さらにthumb-upの絵が笑いを何となく誘う。
ホテルに一旦戻ってから、昼間に食べに行った食堂へ夕食を食べに再び行った。豚肉炒飯(2800K)を注文する。ここの店、店主が無愛想であるが味はなかなかのものである。同じようなものを昨日のVietnamese Foodで頼むと1.5倍はするわけだからこちらの方がいい。もっとも、昼・おやつ・夕食を通じて、ラオスの食事にはトマトが一杯入っている。私は元来のトマト嫌いなのだが、新鮮なので(本当か?)あまり気にせず食べていられるのだが、麺の中のトマトというのもちょっとねぇ…。店の奥にテレビが置いてあって、家族が英語の教育放送で勉強する姿が見える。1999年はラオスは観光年らしく、おそらく必死になっての対策なのだろう。
戻りがけにスーパーに寄ってBeer Laoを入手する。缶一本2500Kを2本求める。また、街中にも多く看板の出ているTiger Beerを1本買ってみた。が、関税シールが貼ってあることからもわかるが、かなり高く、5500Kもした。Beer Lao2本分じゃないか。味が悪ければ明日はBeer Laoだ。(後記。Tiger Beerはシンガポールのブランドらしい。ヴィエンチャンで流通しているものはヴェトナム産であった。)この他にフランスパンの切れ端(一袋1000K)と缶詰のタイカレー(タイ製 3000K)を入手した。おつまみとしてはもってこいの内容だろう。
ホテルに帰る途中、三日月が見えた。山岳民族の村に居た時の様な、降ってくるような星々は、残念ながら煙ったような大気で多くは見えない。といってもバンコクや東京の様な大気汚染によるものではなく、ここでは未舗装道路の赤土が絶えず巻き上げられている為だと思う。メコン河に視線を移せば対岸の灯、そして渡って来たfriendship bridgeの等間隔の灯が、やはり煙ってぼんやり見える。この時間、他のゼミテンは何をしているだろうか。ふと切なくなる。
ホテルに戻り、早速ビールで乾杯。去年、小平キャンパスの部室で、サークルの仲間と共に「メリークリスマス・男だらけの寂しい飲み会(&麻雀突入(^^;))」をやっていたのを思い出す。日本にいる同志へ、そして東南アジアに散らばるゼミテンに向かっての乾杯、であった。こんなクリスマスも悪くないではないか。
19時頃、ふと扉のノックの音が聞こえて外に出ると、ルームサービスで"Merry Christmas!"ということで支配人他スタッフからのクリスマスカードとクッキーのプレゼントがあった。ものすごく嬉しくてホロッとしてしまった。この晩は手紙を書いたりしながらゆっくりと過ごした。