午前中はまず西方の、『歩き方』には紹介されていない寺院を二箇所訪れた。一つ目は、入口が一ケ所だけ開いていて欧米人が出入りしているのを見つけたので建物に侵入(?)。仏堂内側の壁面には、釈迦の一生らしき連続絵があり興味深かった。説明書きがラオス文字しかないのであくまで勝手な想像でしかないのだが…。
もう一ケ所では、敷地内では多くの僧侶が蚊屋を木から吊って野宿?のようなことをしていた。本堂の前には在家の方が食事を用意していて(勿論托鉢の為に)、それを受け取って本堂の中で食べている。仏教の重要な行事の様なものだった気がするのだが何だったか忘れてしまった。2年の入門ゼミではタイ仏教でレポートを書いたのに…。本堂前には英語でtake off your shoesとあるのでここは観光客が入ってもいいものだと解釈し中へ入ってみる。仏像の前で多くの僧侶が黙々と食事をする姿は一種独特である。場違いな気がしたので数分でその場を離れた。
その後、折角書いた手紙を出そうと中央郵便局へ向かう。多くの旅行者風欧米人がいるので妙に感心していると、何と彼らは自分宛の局留郵便物が無いか捜して受け取っているようなのだった。中央郵便局留で彼らに手紙が届いているのも驚きだが、それ以上に彼らの、ラオスに“暮らしている”雰囲気に圧倒される。ここでAirmail(葉書3枚封書2通)を差し出すと、切手を料金分売ってくれるだけだった(葉書1200K封書1800K)。自分で貼れ、ということなのであるが、日本や中国等で直接窓口へ持参すると、郵便局の職員が勝手に貼(ってくれ)るか味気ない印刷した切手、ひどいとスタンプのみだったりするので、これは嬉しい。そういえばバンコクでもそうだった。バンコクでは2000B分もの切手を貼る作業は流石に面倒だったが…。窓口では絵葉書も売っていたのでここでも買いこんでおいた(6枚2400K)。日本に帰国してから使おうかと思っているが、サイズが大きくて定型外料金になりそうなのが気掛かりである。
次に市場に土産になりそうなものを求めに入る。ここは北・中・南棟の3棟に分れており、中棟は公設デパートのような形になっている。北の1階は織物と電気製品、2階は衣料・靴・鞄類、南の1階は日曜雑貨、2階はジュエリーという風に売っているもの別に分れているので比較的便利である。まず北棟で織物を求めることに。適当に声をかけてみる。800Bと言われたので少し考え、Kipではいくらかと返すと10万ウン千と言われ、何故かたじろいでしまった。当然余っているとはいえ、そこまでKipを持っていないので800Bでいいや、と言い値のまま買ったのだが、よく考えれば少し値引いてもらうよう交渉すればよかったと、後から後悔した。
続いて、中棟の中の店でタイシルク100%と書いてあるネクタイを購入。280Bを250Bにしてもらった。100%シルクだなんて最初から信用していないのだがまあいいや。中棟内の文房具屋では欲しかった地元英字新聞のVientiane Timesを遂に入手(1000K)。白い紙のタブロイド版で一橋新聞みたいだが(笑)、20ページもある。広告が多いのは御愛嬌だが、広告というよりは「売ります」「買います」といった掲示板的な利用が多いようだ。中には米合衆国大使館の車払い下げ入札公告、なんていうのもあった。
南棟ではタイ製のお菓子をまず買う。また、タイやラオスでお馴染みの足拭きマット?(1800→1500K)、ステンレス製れんげ(2個1000K)を入手した。このあたりはいかにも東南アジア土産というべきものであろう。あとのお土産はバンコクで菓子を入手して済ますことにしよう。ヴィエンチャン市内、というかラオス国内にはタイやヴェトナム、或いは中国の製品があふれており(バーコードを見れば分かる)、ラオスのオリジナルのものを求めようとすると米焼酎やBeer Lao、Tシャツ、民芸品位しかない。26日は早めにバンコクに戻って買い物に時間を費やせばよかったがまあ良しとしよう。
昼食はまたもやあの店。珍しく欧米系の人がBeer Laoをあおっている。今日もカーオニャオとチキンと野菜の炒めもの。この後ホテルに戻るとうとうとしてしまい、暫くの昼寝を楽しんだのだが、実質最終日だが、こういう過ごし方も、これはこれでメリハリがついていて気分がいい。これはカーオニャオを食べたからなのだろうか。というのも、タイではもち米を食べるとなまけものになるという言い回しがあるのである。
うとうとしている間、窓下のホテルの庭ではテーブルや椅子が展開され、バンドの音合わせやマイクテスト(大声でヌーンソーンサーン(タイ語で1、2、3のこと)とやられるので参った)をしている。クリスマスということでパーティーでもするのだろうか?
音合わせの続く中、日没後の夕焼けを見にメコンの岸辺まで行ってみた。水に近付けた場所は丁度三日月湖にでもあたるのか、水が流れている様子はなかったが、近くでは外国人とラオス人、それに僧侶数人が話をしていた。引き上げ際にその外国人と話をする。5年前に日本にいたそうで、向うは片言の日本語で話してくる。時々単語の意味を確認したり、物価のことを聞いてきたりする。私の方は最初英語だったのが半分日本語が混じってきた。彼の英語には少しなまり?のようなものがあって、風貌からしてフランス人なのだろう(←勝手に風貌で判断するな)。ビザの期限一杯である2週間いるつもりらしいが、ルアンプラバンに行ったりは特に予定がないという。どうもよくわからない、暮らしている感覚のツーリストが多いようだ。彼が発するような、「おまえはビジネスで来ているのか」という問いにも最近慣れて来たが、やはりこれは年喰って見えるということなのだろうか。ホテルに宿泊していて4日しかいない、と言ったからかもしれないが…。
夕食はいつもの店。カーオニャオと豚肉野菜炒めにしたら、他の人の注文と間違えたのか肉なしが出てきた。片言の英語で申し訳なさそうにしているが私の方は別に構わないので"no problem, never mind."と繰り返し言っておく。テレビではまたもや英語の勉強をしている。そういえばこの番組もそうなのだが、この国はオーストラリアの影響が強いことに気付く。この番組に登場するのは"I'm from Australia."であり、登場人物の一人はカンタス航空のパイロットという設定である。豪州英語はなまりがあると言われているが大丈夫なのか?Friendship Bridgeも豪支援だし、オーストラリア大使館はアーヌサワリー近くに広い敷地を持っている。新聞の為替の欄にもオーストラリアドルが載っている。旅行者は見たところフランス人が多そうでオーストラリア人らしい人は目立たない(日本人にしてみれば欧米系は同じようにみえる)のだが、ともかくラオスは豪州には特別な意識を抱いているようだ。
20時頃から下の庭の騒ぎが大きくなってきたので覗いてみると、何とそれは結婚式だった。メコンの堤防の空き地には夥しい数の自動車が停まり、下に参列している人の数は300人を優に超える。おそらくタイ人なのだろう。ノンカイ周辺でこのような大行事をする時はヴィエンチャンまで出てくるのが楽であり、会場としてもふさわしいのだろう。
先程御両人と家族が前へ出て挨拶をし、その後拍手があって人々が料理にまさに殺到している。今から開始となると何時まで続くのだろう。あれだけの人数はこのホテルでは収容しきれないだろうから、彼らは飲酒運転で帰るのだろうか。friendship bridgeは開いていないのではないか。謎である。相変わらず歌は続いている。ビデオカメラが数台本格的に展開して撮影をしている。新婦は伝統的タイの装束を身に付けているようだ。彼らに向かって、今日もBeer Laoで乾杯する私であった。